TS女剣士は刀を振る   作:砕け竹光

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老剣士は刀を振る

 

 

 ただ、刀を振るのが好きだっただけだ。

 

 

 

 友人が青春を謳歌し、人を愛し、結ばれて子を育み、その子が育っていく。

 

 それを横で眺めながら、ただ、某は刀を振り続けた。

 

 何か目的があった訳でも、何かの手段としてでもない。

 

 ただ、刀を振るのが好きだっただけだ。

 

 人から無為な人生と言われようとも、真実その通りだと自分でも認めながらも、それでも某は刀を振り続けた。

 

 だからそこに、何かしらの見返りがあるだなんて、考えた事もなかった。

 

 世の中は変わった。

 

 平和は幻想となった。法や正義が、明日の命を肯定するものではなくなり、より単純な暴力、より純粋な力が尊ばれる世になった。

 

 そんな世の中は不安定で危なっかしく、故に、人の手に負えないような出来事も起きる。そうして、しばしば人は、弱い生き物である事を思い知らされるのだ。

 

 衛星都市に突如発生した、急拡大を続けるダンジョンスフィア。

 

 その対処に必要なのは人の叡智ではなく、迷宮の主を打ち倒す暴力のみ。

 

 顔なじみの冒険者と共に飛び込んだ先に待っていたのは、想像を越えた地獄であった。

 

 最奥で待ち受けていた真っ黒な靄のような怪物。

 

 そいつに挑んだ他の者達は、既に地に臥せり、ぴくりとも動かない。

 

 奴は悠々たる余裕を見せて、脆弱たる人間である某を見下ろしている。

 

 背筋が泡立つ。

 

 血管が拡張する。

 

 引き絞る筋肉に、骨が軋んで歓喜に嘶く。

 

「…………ああ」

 

 今、確信する。

 

 某はこの時の為に、刀を振り続けてきたのだ。

 

 この瞬間。最高の獲物を前に、最高の一撃を繰り出すために、某の人生はあった。

 

 刀を横に構えて駆け出す。

 

 相手の特性は分かっている。何かの力を借りれば、その分だけ相手の力を奪う。

 

 信仰の力を借りる聖職者はその願いに食い尽くされ、輝かしい装備に身を包んだ英雄は自らの装備に焼き尽くされた。

 

 故に、加護を持たず、唯の鉄刀を握りしめた、見すぼらしいこの老骨だけが最後まで残った。

 

 奴に通じるのは、己の筋力と、鍛えぬいた業のみ。

 

 迎撃で放たれる無数の呪い。かすめただけで心身を蝕む黒い力を、最小限の動きで、最低限の被弾で駆け抜ける。

 

 幸いだったのが、相手がこの老いぼれを見くびり、侮り、弄ぶような攻撃にとどめた事だろうか。

 

 だが。

 

 某からすれば、お前こそは生涯最高の相手である。これほど切り応えのある相手は、この世界に二つとあるものか。

 

 某だけが。

 

 某こそが、お前を真に脅かす事が出来る。

 

 刃の距離に踏み込んだ。肉体は既にボロボロ、呪いが身を蝕み、今にも朽ちようとしている。

 

 かまわない。

 

 もとよりこの老体、力にまかせて刃を振るうほどの筋肉は残されていない。必要なのは骨の硬さと、最低限のバネだ。あとは軸足さえ無事ならそれでいい。

 

 極限の集中で、視界が狭まっていく。

 

 世界の中に、某と、悪魔だけが存在している。万感の思いを込めて、某は眼前の好敵手へ、愛しさすら覚えながら、刃を振るった。

 

 

 

 我流。終の秘剣。

 

 

 

         ―――影絶ち。

 

 

 

 間違いなく生涯最高と呼べるその一太刀。その行く末を見届ける事なく、某の意識は消えていく。

 

 霞んでいく視界の中。佇む悪魔の体から真っ黒な靄が噴き出して某を包み込んでいくように見えたが、それよりも早く、某の意識は真の闇に堕ちた。

 

 

 

 ああ。

 

 楽しい人生だった。

 

 

 

 来世があるのならば。

 

 また、刀を握りたいな。

 

 

 

◆◆

 

 

 

 意外な事に。

 

 刀を握る機会は、直ぐに訪れた。

 

 最もそれは、少なくとも某の想像したソレではなかったが。

 

「おい、お嬢ちゃん!」

 

「……」

 

「おきろ、嬢ちゃん! こんな所でいつまでも寝ているんじゃない!」

 

 誰かが叫びながら某の体を揺さぶっている。

 

 なんだ、なんだ。おかげで大人しく寝ている事も出来ない。

 

 それに言うに事欠いてお嬢ちゃんとはなんだ。確かに某は長く髪を伸ばしていたが、どこからどう見ても立派な老いぼれ、おじいちゃんである。

 

 どう考えても人違い。

 

 もしかして悪魔の呪いで錯乱しているのだろうか。

 

 だとしたら、一刻も早く宥めなければならない。

 

 某は重たい瞼を持ち上げて、某を揺さぶる相手の顔を見た。

 

「……! よかった、目を覚ました! 大丈夫か? 痛む所はないか?」

 

「むぅ……」

 

 いや、見て分かるだろうが。某は最後に悪魔の呪いをモロに浴びて、全身が腐り落ちていた。どこからどう見ても、助かるはずのない重傷で……あ、いや。そういう事か。

 

 つまり今の某は、男か女か、老体か若人かすらも分からないような有様、という事か。

 

 失礼した。

 

 もしそうだとしたら、触れるのすら躊躇うであろう腐肉の塊によくぞ手をふれたものだ。この目の前の、ごく普通の中年の救助班の方、見た目にそぐわず大した決意の持ち主である。称賛に値する。

 

 なんとか返事をしようとするが、喉がなんだか引き攣って喋れない。まあ、声帯をやられていてもおかしくはないか。

 

「むぐぅ……」

 

「っ、大丈夫だ、すぐに救護班の所に連れて行ってやるからな。っとと、なんだ、そんなにその刀が大事か? 仕方ない、一緒に連れて行ってやるよ」

 

 そんな事をいって、ひょい、と某を持ち上げる男性。

 

 某は驚愕した。

 

 老骨とはいえど、若いころから肉体を鍛えていた某の体重はそれなりのものだ。いくら筋骨隆々、働き盛りの年頃とはいえ、それをまるで枕か布団のように軽々しく持ち上げるとは。

 

 見たところそんな強力な装備もしていないのに、吃驚である。

 

 いや、あるいは、それほど今の某が軽いという事なのかもしれない。手足の肉が腐りおち、骨ばかりになっているのならさほど重くはないだろう。

 

 ……それはそれで問題だな?

 

 先ほどから、男性は幼子にそうするに某に声をかけている。どう考えても腐乱死体寸前の相手にする態度ではなく……もしや、あまりのショッキングな某の有様に発狂してしまったのか?

 

 修羅場ではよくある事だ。既に事切れた戦友に親し気に語り掛ける戦士など、ありふれた光景ですらある。

 

 幸いにして、まだ手足の感覚はある。某は男性の行動を制止しようと、右手を伸ばした。

 

 とんとん、と男性の肩を叩く、白魚の細い指。

 

 傷一つなく、ましてや皺ひとつなく健康的な、細くたおやかな指。

 

 それが、今しがた、自分の意思で動いたものだという事を理解するのに、数秒の時間を必要とした。

 

 某を抱える男性が、仕草に気が付いて見下ろしてくる。

 

「どうした? 何かあったか?」

 

「そ、それ、それがし、は……え? あ?」

 

「っ、大丈夫だ、怪我が気になるのかい? 大丈夫、顔にも残ってしまうような傷は傷一つもないから。えーっと、そうだ、こっちのポーチに鏡が……ほら! 自分で確認してごらん」

 

 ごそごそと某を抱えたまま、足を止めてポーチを弄る救助の男性。

 

 某の覚悟が出来るよりも早く、目の前で折りたたみ式の手鏡が広げられる。

 

 銀色に輝く鏡の中。

 

 映し出されていたのは、死装束に袖を通した、老境の老いさばらえた男の顔ではない。

 

 艶やかな黒髪、黒真珠のような瞳。

 

 到底荒事とは無縁そうな、いっそ虚弱そうですらある儚げな乙女の顔が、鏡の中で目を見開いていた。

 

 

 

 喉から飛び出した驚愕の声も、まるで絹を裂くようであった事も、付け加えておく。

 

 

 

◆◆

 

 

 

 神も仏もありはしない。

 

 地獄から生き延びた某を襲ったのは、さらなる生き地獄であった。

 

「だから! 某が、正真正銘、山田彦三郎その人である!!」

 

「ふーーん……」

 

 調度品の類が存在しない、殺風景な取調室。

 

 クリーム色にくすんだ取り調べ机を挟んで、某は都の役員と向かい合っていた。中年の無精ひげの役員は、襟元の汚れたスーツをだらしなく着崩し、どろりとした感情の鈍い視線を某に向けてきている。

 

 その視線と態度に怯みながらも、某は小さな手を振って必死に声を張り上げた。最も、軋む肺と痛む喉、思っていた通りの声が出ているかは怪しい所だったが。

 

「オリジンナンバーの暗証番号も、クレジットカードの番号も問題なかったろう! 証拠としては十分の筈!」

 

「番号があっていたとはいうけど、ねえ。君、自分の姿、分かってる?」

 

 とてもだるそうに指摘してくる役員。その業務に不誠実な態度に思う所はあったが、言っている事は御尤もなので、某はう゛、と押し黙る。

 

 役員が気だるげに、葉巻のような太く短い指で机の上の資料を取り寄せて、見せつけるように顔の前にかざす。

 

 そこには、九割がた白髪になって灰色の髪の、痩せこけた壮年の男の顔写真が大きく掲載されていた。

 

「山田彦三郎。今年で72歳。独身、婚姻歴は無し。両親、兄弟、親縁いずれも鬼籍入り。特記事項、C級探索者。使用武器は刀。ついでに言うと、男。で、君は何?」

 

「う……」

 

 じろじろと不躾な視線が、嘗めるように某の体を見回すのが感じられた。その生理的な嫌悪感に鳥肌が立ちつつも、某は身を隠す事もできずにその場に佇む。

 

「どうみても若い女の子だけど? 72歳? おまけにその細腕で刀を振りまわすって? 冗談言わないでよ」

 

 そう。

 

 今の某は黒髪黒目の、どう見ても10代半ばの女の姿。身長はおよそ160センチで、女子としてもやや低め。体重は多分、すごく軽い。

 

 おまけにやたらと華奢で、ちょっと走れば息切れがするし、腰かけているパイプ椅子を両手で持ち上げるだけで骨が軋む。肌は病的なまでに白く、多分血圧も大分低い。

 

 それでいて、胸は大きくて少し動くだけでバランスが崩れるし、それでいてお尻の肉づきは薄いからずっと椅子に座っていると痛くなってくる。

 

 こんな女子が、私は爺です、と訴えた所でまともに相手にする気が出てこないというのもよくわかる。わかるが、事実なのだから仕方ない。

 

「今日発生したダンジョンの緊急対応に出た先で、そこの主と交戦した際に呪いをかけられたのだ! 呪いを食らって猫耳が生えたとか、角が生えたとか、ほら、類例はいくらでもあるだろう?! 今回某が喰らった呪いが若返りと女体化だったという話だ!」

 

「ふーん。女体化だけならともかく、若返りねえ。随分都合がいいように聞こえるけど」

 

 駄目だ。役員は全く信じてくれてない。某はうぬぬ、とうめき声を上げた。

 

「なんだったら、一緒に戦った探索者達に話を聞いてくれ! 彼らなら某だと信じてくれるはずだ!!」

 

「ああ、それなら皆死んだよ」

 

「………………え?」

 

 あっさりとした言葉だった。今日の酒のつまみは冷ややっこにしようかな、という感情のこもらない冷淡な態度に、某は一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

 

「剛力の武田、小岩井神父、黄金塊の富山、疾風のインパルス。そして剣聖・山田彦三郎。全員、KIA。主と戦って生き残った者は、誰もいない。そうだと言い張る君以外はね」

 

 じろり、と役員が某を見る。その視線は、感情がないとか、面倒くさいとか、そういう訳ではなかった事に、某は今気が付いた。

 

 それは、度し難い愚か者を見る視線だった。

 

「よくある事なんだよね。難民が一攫千金を狙って緊急ダンジョンに潜り込んで、そこで命を落とした探索者の武器や防具を盗んだり、酷い時には入れ替わったりするの。どこで山田彦三郎さんの個人情報を取得したのか知らないけど、流石に人を馬鹿にするのもいい加減にしてほしいな」

 

「ち、ちが……っ」

 

「いいから、これでおしまいにしよう。僕もね鬼じゃないから、難民申請用の書類ぐらいは出してあげる。これで探索者組合に提出すれば、最下級探索者から始められるよ。いい、本来ならば治安局に突き出す所をこれで終わらせてあげてるのはね、君が山田さんの太刀を持って帰ってくれたからだよ。遺品返還に対する、最低限の礼儀だと思って受け取り給え」

 

 そういって一枚の書類を差し出すと、ふん、と役員は首の仕草で出ていくように合図した。

 

 それ以上はもう抗弁する気力もなく、しおしおとうなだれたまま書類を手に、某は取調室を後にした。

 

 

 

◆◆

 

 

 

「どうしたものか……」

 

 とぼとぼと人気の無い通りを歩きながら、某は途方に暮れていた。

 

 既に日は暮れている。空は青黒く染まり、建物の陰は闇へと溶け始めている。

 

 結局、役所を説き伏せる事はできなかった。あれ以上言い下がっても無駄どころか、機嫌を損ねれば言葉通りに治安局に放り込まれてしまっただろう。

 

 治安局は正直、あまり信用に値する組織ではない。乱れた世にあって必要悪というか、暴力と欲望を、さらなる暴力で押さえつけているだけだ。

 

 連中に目を付けられ、リンチ同然に暴力を振るわれたり、戯れに宿に連れ込まれた者の噂は、枚挙に暇がない。

 

 ましてや、今や某は女の体だ。ロクな事にならないのは想像に難くなかった。

 

 しかし、そうして説得を諦めた所で、今度は残るのは難民という立場だけ。

 

 家に帰る事も出来ない。あの様子だと、数日中には役所のものが空き家の接収に来るだろう。その時、某が中に居ればもれなく不法侵入の罪状付きである。

 

 そうなれば、今度こそ確実に治安局に放り込まれる。

 

 つまり、今の某は家なし金なし何もなし、という訳である。

 

 ふふふ、笑える。

 

「おぉっと」

 

 と、そこで重い胸にバランスを崩し、小石に躓きそうになる。なんとか転ばすに踏みとどまった某だが、地面に広がる水たまり、そこに映りこんだ自らの姿に、何度目かに言葉を失う。

 

 胸だけ大きい、アンバランスで貧相な女。身を包むのも、血と泥で汚れた汚らしい白い着物。

 

 その手に、愛用の太刀はない。遺品として没収されてしまった。

 

 代わりに手にしているのは、適当に拾った細い鉄パイプ。武器でも何でもない、ただのゴミにすぎない。

 

「は、ははは……」

 

 思わず漏れ出た苦笑は、自分でもはっきりと自覚できるほど乾いていた。

 

 なんだろう、これは。

 

 本当に、これは現実なのか? 某はもしかして、眠ったまま、悪夢を見ているのか?

 

 某は悪魔に力及ばず敗れ去り、悪魔は小生意気にも自分に逆らった老いぼれに、最も苦痛に感じる悪夢を見せて、嘲笑っているのではないだろうか。

 

 もし。もしそうであったのなら、そっちのほうが、まだ……。

 

「……っ!」

 

 現実逃避していた某を正気に引き戻したのは、ぴりり、と脳裏に駆け巡る危険信号だった。

 

 肉体がこのように変わり果てても、それに依存しない技能がそのままであったのは幸いか?

 

 居る。

 

 数は……三人か。

 

「何の用かな。某は忙しいのだが」

 

「へっへっへ……なんだ、随分と勘のいいお嬢ちゃんだな」

 

 某の声に応えて、建物の陰から恰幅の良い、しかし身なりの悪い男達が姿を表す。その頬はいずれも酒精に赤らんでおり、白目がちのぎょろりとした視線が、無遠慮に某の体を観察している。

 

 ぞわぞわ、と背筋が泡立つ。

 

 明らかに好色の意味合いを含む視線は、正直、気持ちいいものではない。

 

「見た所、お嬢ちゃん、先立つものが必要なんじゃないかい? ちょっとおじちゃん達に協力させてもらえないかなぁ……?」

 

「ひひひひ、痛い事じゃないぜ。むしろ気持ちいい事なんだぜ……?」

 

 下卑た笑みを浮かべて近づいてくる男達。その歩調も一定ではない千鳥足を前に、某は小さくため息をついた。

 

 なるほど。女子というのは、なかなか大変な生き物なのだな。

 

 このように知性の欠片も感じられない生物に普段から絡まれている訳か。今更だが、某も普段の言動を気を付けるべきであった。

 

 まあいい。

 

 鉄パイプを両手で構え、ぶん、と正眼に振り下ろして構える。それだけの仕草に僅かに軋む骨に眉を顰めながらも、某は腰を低く落とし、悪漢たちに向き直った。

 

「ああん……? 何のつもりだ、お嬢ちゃん?」

 

「おいおい、まさかその細腕で俺達と喧嘩するつもりかい?」

 

「ぎゃはははは、そりゃ無謀ってもんだぜ」

 

 臨戦態勢に入った某を見て、男達が口々に笑い声をあげる。

 

 だが、某からするとこれが最適解。

 

 骨は枯れ木のように脆く、筋は赤子のように頼りなくとも、我が武芸は千変万化。力を使わずとも、この程度の悪漢、制してみよう。

 

「掛かってくるがいい、小童ども。武芸の何たるか、教授してやる。特別だ、授業料は要らぬぞ」

 

「へ……後で後悔するんじゃねえぞ!!」

 

 正面から体格差に物を言わせて掴みかかってくる悪漢達。

 

 それを前に、某は口を引き結び、ひゅん、と鉄パイプの先を降りかぶった。

 

 

 

◆◆

 

 

 

「こひゅー、ごひゅー、ぜひゅー」

 

 数分後。

 

 某は、地面に伸びた悪漢達の中で、半身を折り曲げて激しく呼気を乱れさせていた。

 

「ぜひゅー、こひゅー……こ、これしきの、事で……はぁ、息が、乱れるなど……はぁ、はぁ、ぜぃ」

 

 滝のように流れてくる汗をぬぐい、大げさなまでに息を吸って呼吸を整える。耳の奥で血流がごうんごうんと耳鳴りのように響き、心臓がはっきりととくとく打っているのがはっきりと分かる。

 

 いつまでもこうしていられないと身を起こすものの、そこで少しバランスを崩してのけぞり、その場でたたらを踏む。

 

「おおっと、むぅ」

 

 なんとか転ばずに立ち直り、某は男達を見下ろした。

 

 この様子だと、意識を取り戻すのはまだまだ先の事だろう。

 

「これまでどうやって……はぁ、はぁ……生き延びてきたんだか……ふぅ、はぁ……まあいい、か……」

 

 一向に落ち着かない呼吸に、口の中に溜まってきた唾を飲み干す。

 

 それにしても思った以上に軟弱な肉体だ。

 

 本来であれば、例え老い衰えようとこの程度のチンピラをあしらう事等、それこそ蚊を払うような容易い事であった。

 

 だが今は、たった三人を地に転がしただけで、こうも息が乱れ、落ち着く様子もない。

 

 呼吸の苦しさと、あまりの情けなさに涙がにじんでくる。

 

「と、いけない、ふぅ、いけない、ぜぇ」

 

 顔を拭って涙を払う。さらに数分かけて息を整えた某は、そこで背後へ振り返った。

 

「それで。君は何かね?」

 

 振り返った先。某が歩いてきた道の真ん中に、明るい茶髪の少女が佇んでいた。

 

 年頃は十代半ば、肉体年齢的には今の某と同じぐらい。だが上背は頭一つ分高く、肌色も健康的でふっくらとしていて、かつ手足も太い。あきらかに高い運動能力を伺わせる体つき。

 

 服装も、動きやすく、かつ過酷な環境にも適応している探索者流行りのジャケット一式。まださほど汚れてなく、また破損部分も少なく、まだまだ身を投じて日が浅い事が伺えた。

 

 駆け出し新人探索者。そんな単語が某の頭に浮かぶ。

 

 足元で転がっている男達と関係はなさそうだが、はて。

 

 そんな彼女は、某に声を掛けられるとびく、と肩を跳ねさせた。だが逃げ出すでもなく、じっと好奇心に煌めく瞳をこちらに向けてくる。

 

 思わず某は首を竦めた。

 

「……もしかして、ここで転がっている者が知り合いだった、とか? それは悪い事をしたな」

 

「い、いえ、全然知らない人達です、お気になさらず!!」

 

「そ、そうか」

 

 やはり無関係か。ではなぜ、そんな風にして某を見つめるのか。

 

 対応に困っていると、先に動いたのは謎の少女からだった。

 

 数歩、距離を詰めると、胸に手を当てるようにして大声で語り掛けてくる。

 

「あ、あの! その、どこかの探索者パーティーに入っていたりしますか!?」

 

「え? い、いや。入っていたというか、無くなったというか……今は、別に……」

 

「つまりソロなんですね!?」

 

 近い近い近い。

 

 ぐいぐい距離を詰めてくる少女に思わず仰け反るようにして顔を離す。だが少女は興奮した様子で、遠慮なく顔を近づけてくる。

 

 健康的な肌色と、意外と長い整った睫毛がはっきりと見える。

 

「そ、その……」

 

 のんきに構えていた某は、しかし、少女の行動に度肝を抜かれる事となった。

 

「私の、師匠になってくださいっ!!!」

 

 目の前で、地面に這いつくばって頭を下げる少女。その後頭部を見下ろしながら、某はぽかんと間抜け面をさらす事となる。

 

「…………え??」

 

 

 

 それが、某こと山田彦三郎改め山田織姫と、柏木千鶴の出会いであった。

 

 

 

 




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