TS女剣士は刀を振る 作:砕け竹光
ベッドの中で目を覚ます。
習慣的に意識を覚醒させた某は、横目でカーテンの向こうの日差しを確認した。
まだ日差しは弱い、というかほとんどない。いつも通りの時間である。
他人の家、慣れない環境で安眠できないかを心配したが、幸いにして某はずいぶんと雑な精神の造りだったようだ。
「ん……」
「すぴぴ……すやや……すぴぴ……」
傍らには、高い体温がしがみつくように絡みついているのを感じる。幸せそうな寝顔で寝息を立てている千鶴どのの顔を真横でしばし観察して、某は天井に視線を向けた。
昨晩。風呂から上がった某は、ご丁寧にも用意してあった夜間着に袖を通し、そのまま千鶴どのにベッドに引きずり込まれた。一緒に寝る、というのは比喩表現でも願望でもなく決定事項であったらしい。
男女三歳にして同衾せず、とはいうが、肉体はともかく精神的には老骨であったせいか、心の琴線がぴくりともしなかったのは幸いであった。とはいえ、どうにも正体が彦三郎だと明かし難くなりつつある。
一重に某の不誠実ではあるのだが、現状では説明した所で信じてもらえるとも思えない。
かといって極端に接触を拒絶するのも、それはそれで問題である。千鶴どのは自らの好意を拒絶されたものとして受け取るだろう。それは望むところではない。
果たしてどうしたものか。
考えても答えは出ず、某は寝床から身を起こす。
その時だった。
「むぅ……!?」
すっくと半身を興した途端、猛烈な眩暈と脱力感がたちこめる。音を立てて脳から血が堕ちていくような感覚と共に、目の前が真っ暗になる。
血が足りない。頭がくらくらする。思考が回らない。
「お。ぉお……?」
頭を抱えながら、ふらふらとベッドから這い出す。その拍子に足を踏み外し、さして高くもないベッドから転げ落ちて床に落ちる。
情けない事に、某には最低限の受け身を取る余裕すらなかった。
どたん、というそこそこ大きい音に、ベッドの上でもぞもぞと動き出す気配があった。
「んー? あれ、師匠、どこに……あれ? 師匠?」
「う、うむぅ、おはよう、千鶴どの……」
くらくらする視界でなんとか、ベッドに顔を向けて千鶴どのに挨拶をする。
ベッドの上からきょとん、と某を見下ろしていた千鶴どのの顔が、さあ、と青く染まった。
「あ、え、あ……ま、まさか、ベッドから蹴落としてしまいました!? し、師匠になんて事を!!」
「い、いや、違」
早速妙な勘違いをする千鶴どの。
いや、それよりそのキンキン響く声を収めてくれ。頭に響く。
「ご、ごめんなさーい!! お許しください! 寝相が悪くてすいません!!」
「や、その」
勘違いだから謝罪はいい。それよりその頭に響く声をやめて欲しい。
と、そこで下から、階段をどんどんと上がってくる音がする。
混沌の気配に某の顔が青ざめるのが分かる。
一刻も早く立ち上がらなくては。身を起こした某だったが、途端に目の前が再び真っ暗になってひっくり返る。今度は吐き気もやってきた、おぇ。
「し、師匠ーーー!?」
「なんだい、なんだい! 朝っぱらから!!」
「お、おばさん! 師匠が、なんか師匠が青い顔で泡を吹いてますーー!!」
◆◆
「はい、これでよし。もう少し休めば体調もよくなるさ」
「がだじげな゛い゛」
「いいって事、いいって事」
朝のトラブルの後、某はソファの上に毛布でくるんで転がされていた。
そこに、刹那どのがお盆に乗せた御椀を差し出してくる。
受け取ると、指先をじんわり温める熱を感じる。御椀の中には、味噌を溶いただけの簡単な味噌汁が満たされている。
「いただきます」
軽く断ってずずず、と味噌汁をすする。塩見の強い出汁の香りが口いっぱいに広がり、じんわりと体が温まっていく。気持ち頭痛も楽になり、某はほっと息を吐いた。
そんな某を見下ろし、刹那どのが呆れたようにつぶやく。
「全く。低血圧で朝に弱い子なんて珍しくもないけど、あんたほど酷い子は初めて見たわ」
「びっくりしました……師匠、貧血気味なんですか?」
「ううむ……そういう訳ではないが……いやそういう事なのか?」
ひょい、と横から覗き込んでくる千鶴どのに気まずげに返す。
これは恐らく、女体化に伴うものだろう。
貧弱な骨と筋肉、バランスの悪い体格に加え、貧血とは。
「まあでも、少しは持ち直したみたいだね。どうする、朝ごはん、食べられる?」
「有難くご相伴に預からせて頂きたい。食えぬ者に、戦う資格はないからな」
厚かましい話ではあるが、戴けるというのなら遠慮なく。こと食料においては、食べられる時に食べておくのが某の人生論である。
多少厚かましく思われてもこれは本当に大事な事だ。
「そう? でも無理しないでね。ほら、おいで」
毛布をのけて、手招きされるテーブルに着く。
隣に当然のような顔で千鶴どのが腰かけるのを他所に、ことん、と某の前に朝食の皿が差し出された。
艶やかな白米、具は無いが濃い味噌汁。そして魚の一夜干しを焼いたもの。
庶民の朝食としては贅沢な程だ。シンプルながらも魚の焼き加減は絶妙、刹那どのの料理の腕前が垣間見える。
が、それを前にした千鶴どのが、露骨に渋い顔をする。
まあ、年若い少年少女からすれば、味気がないのも、まあ分かる。
「えー、おばさん、今日も焼き魚? せっかく師匠がいらっしゃってるんだから、もうちょっと贅沢な品でも……」
「そんな事はないぞ。某には十分すぎるほどのご馳走だ。ほれ、見なさい、この魚の焼き加減。絶妙だ、ただグリルに突っ込んで焼いただけではこうはならない」
箸で焼き魚をひっくり返し、その絶妙な焼き加減を千鶴どのに見せる。うむ、皮はぱりぱり、身はしっとり。まさに匠の技だ。
ね、と刹那どのに目を合わせると、彼女はにっこり微笑んだ。
「お褒めに預かり恐悦至極。……でも、グリルに突っ込んで焼いただけなの。その、たまたま上手く焼けたというか……」
「…………そうか。かたじけない……」
「いいえ……ごめんなさいね……」
微妙な空気の沈黙が机に満ちる。
互いに目を合わせられなくて逸らし合う某と刹那どの。
「ほ、ほら、早く食べよう! 修行する時間が減っちゃうわ、ね!」
空気を仕切りなおしたのは千鶴どのだった。その努めて明るく振舞う様子に、某も我に返り、ぎこちなく笑みをうかべる。
「そ、そうだな。いただきます。……うむ、この味噌汁、先ほど頂いた時も思ったがなかなか絶品。体を動かす身としては、敢えて濃いめに溶いてあるのが有難いな」
「……ごめんなさい。その。分量間違えただけなの……」
「……それは失礼した」
うむ。某はもう何も言わないほうがよさそうだな!
◆◆
さて。微妙な空気に満ちた食事も終わり、早速修行と相成ったのだが。
なんというか、その前にまた一悶着が発生した。某ときたら、ここに来てから迷惑をかけてばかりである、全くもって申し訳ない。
「刹那どの。そういえば、某の着物は?」
「それなんですけど……あれは着ない方がいいと思います。流石に、ちょっと不衛生というか……」
一応、洗いはしましたけど……と手渡されたのは、ビニール袋に包まれた我が着物。うむ。こうしてみると吐しゃ物を掃除した後の布巾にしか見えぬ。
これは着ない方がいい、と言われても仕方あるまい、というか当然である。
そもそも考えてみれば、刹那どのもよく某を居間にあげたものである。
「これは、確かに。失礼しました。しかし、そうなると参りましたな。某は何を着ればいいのか……」
「はいはーい! 私の二着目を着ればいいと思います! おそろいです!!」
ぴょんぴょこ跳ねてアピールしてきたのは千鶴どのである。
「しかしだな。探索服となればそう安くもないだろう。何か、着古したジャージのようなものがあれば、厚かましいがそちらを頂けないだろうか」
「あ、じゃあ、ちょうどいいのがあったはずです。切って雑巾にしようと考えていたものですが、構いませんか?」
「勿論。全く持って問題はありません」
差し出されたのは、何やら色あせてすり切れたジャージが一着。学校指定のものにみえるが、はてさて、衛星都市に学校なんてものはなかったはず。
ちらり、と刹那どのへ目を向けるが、帰ってきたのはにこりとした笑みであった。これは、深堀しない方がよさそうである。
そうして、有難く古着を頂き、袖を通す事となったのだが……問題の本番はこれからであった。
「え?! 師匠、ブラつけないんですか!?」
「その胸のサイズでそれはちょっと……え、着物を裂いてサラシにする? それは構いませんが、下は……ふんどし!? いや、ちょっとそれは……」
「師匠ー、言われた通り、後ろで硬く結びましたけど、どうです? 苦しくないです? ……もっとしめてくれ? ええと、それなら、はい……ぎゅー……」
まあ、こんな感じのやりとりがあったのだが。
最終的には、破れたり千切れたりした布の真ん中で、上半身裸のまま腕で胸を隠す某と、それを取り囲んで途方に暮れている柏木一家という構図になっていた。
「これは……なんかちょっとおかしくありませんか?」
床に飛び散る千切れた布を見下ろして、刹那どのが訝し気に首を傾げる。それは、某も同じ考えだ。
さっきからどうにも、上手く装束が整わない。いや、袖を通す分には問題ないのだが、しっかり着こもうとすると縛ったり、動いたはしから服が千切れていき、最終的にご覧の有様だ。
ただ服が古いから、だけでは説明がつかない。
「ううむ? もしかして、某の知らない所で体から棘でも生えているのか……?」
「そんな師匠、薔薇や茨じゃないんですから……」
わからぬぞ。なんせ、推定悪魔のせいで女体化した、と考えられているのだ。ただの女ではなく、女怪の類に変化させられているやもしれぬ。
そう考えて目の届かない背中や腰を弄っていると、不意に刹那殿が声を上げた。
「あ。まってください山田さん。その、背中……前からでしたか?」
「背中?」
「はい。何か背中に、入れ墨のような刻印のようなものが……」
ふむ。某は身体にそのようなものを入れた覚えはない。
となると、この服を着れない怪奇現象の原因はそれだろうか。
「一体、どのような文様が?」
「ええと……なんでしょう? 魔法陣みたいというか……呪い? ああ、そうだわ。似たようなものを資料で見た覚えが。ちょっとまっててくださいね」
何か思い当たる事があるのか、階段を昇って自分の部屋に向かう刹那どの。残された某は千鶴どのと顔を見合わせて首を傾げた。
「刹那どのは何をやっておられる方なのだ?」
「実はあんまり。探索者の服飾に関わってる、っとは聞いてます」
「なんと。仕立屋どのであったか」
そんな事を話あっていると、何か資料を手に刹那どのが戻ってくる。開かれた冊子のページを、三人で覗き込んだ。
「これ、これに似てます。ね、千鶴」
「あ、確かに。これ、呪い……」
掲載されているのは、人の肌であったり、武器防具に刻み込まれた奇っ怪な文様だ。ある種の法則性のようなものが見受けられるそれらは、当然某も覚えがあった。
ダンジョンで出会う高位の怪物、あるいはそこから産出する武器防具には、時折不可思議な力が備わっている事がある。
そして当然ながら、それは恩恵ばかりではない。
特に害のみを齎すものを、探索者は呪いと呼ぶ。
「そうね、特にこれに似てるかな。拒絶の呪い……この文様を装備で隠す事を禁じる……」
「露出の呪いじゃないですかぁ」
千鶴どのが困惑したような声を上げるが、口に出さないだけで某もまったく同意見である。
「それでさっきから、サラシにしろジャージにしろ、上手く着れなかったのか」
「でもおかしくないです、師匠、出会ったときはちゃんと着物着てましたよ。汚れてましたけど」
「それは多分……あまりに血や泥で汚れすぎていて……服判定されてなかったんじゃないかな……」
悲報。某の勝負着物、雑巾扱いされる。
いやまあ、それも仕方なし、ではあるが。悪魔との戦いで血や泥は勿論、呪力で腐り落ちた腐肉の汁なども吸っていただろうしな……。
しかし、一体何を考えてこのような呪いを某に刻み込んだのか。悪魔の事は分からぬ。
……いや。
そうでもないか。
「その。一体何があったの? 山田さん」
「ふむ。まあ、妖の類に死ぬほど恨まれた覚えがあるといえば、あるな」
どうやら、よほど某の一撃が腹に据えかねたらしい、あの悪魔は。
何の強化も加護も受けていない老骨の一撃、それほどにプライドに耐えかねた、という事か。
「まあでも、原因が分かれば対処は出来るわ。ちょっと待っててね」
そういって刹那どのが再び自室に戻り、何かを持ってくる。
彼女が広げたのは、一着の巫女服? というか、女侍? 的な装束であった。袴のような着物のような。
「実用品じゃないんだけど、ちょっと着てみてくれる?」
そういってにっこり笑う刹那どのだが、某はどうにも、背筋に妙な怖気が走るのを感じていた。
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