その異変に気づいたのは、アベリオン丘陵の牧場にいたデミウルゴスであった。
きっかけは配下の悪魔から受けた報告で、丘陵の向こうから奇怪な言動をする亜人達が現れだしたというものである。悪魔達が観察したところによると、彼らは互いに殺し合い、時には自傷行為をしだしていたらしい。
「我々への反逆を企てている様子は見受けられませんでしたが、至急デミウルゴス様に報告すべきと判断いたしまして」
「ほう……興味深いことだね」
下等生物の醜い争いを楽しむ悪魔にとって、実に楽しそうな報告にデミウルゴスは思わずニヤリと笑うのだった。
早速配下に案内させて発見された場所に向かうと、そこは亜人の小さな集落だったらしく、崩れた家がまばらに建ち並んでいた。
壁面は夥しい量の血飛沫に染まっており、そこら中にはバラバラだったり潰されていたりと無惨な状態の死体が転がっている。悪魔達によれば我々が来た時にはすでにこうなっていたらしい。
見たところ死体は種族柄そこそこ強い亜人ばかりで、この亜人達を殺せるならば襲撃者はこの世界の基準では相当強いのではないだろうかとデミウルゴスは考えを巡らす。
するとふと、何かが近づいてくる気配を感じて顔を上げる。デミウルゴス達の目の前には集落に繋がる小さな街道があったのだが、その向こうからフラフラした足取りで何者かがこちらに歩いてきていた。
よくよく見ればそれは一匹の人狼であった。灰色の毛並みは乾いた血で赤黒く染まり、口の端からヨダレを垂らし、焦点の合っていない目は狂気に染まり、涙が止めどなくあふれている。
片手には恐らく千切り取ったのだろうか、ナーガのものと思われる鱗の生えた右腕を握りしめている。
「あっ………ああ……」
掠れたうめき声を上げながら歩く人狼は、視界の端に入ったデミウルゴス達に気づくと、勢いよく駆け出してきた。
「アアアァァアアァアアアアアァァァ!!」
裏返る叫び声で吠えながら、ナーガの腕を棍棒のように振り回してデミウルゴスに襲いかかる。
しかしデミウルゴスから見ればそれは蝿が飛び回るような速度であり、当たったところでダメージなど入らないがスーツを汚されるのも癪なため静かに命じる。
『平伏したまえ』
「ギッ!!」
『支配の呪言』によってドシャリと地面に縫い付けられるように倒れこむ人狼に、デミウルゴスは冷ややかな視線を向ける。
「………」
人狼はハッハッと苦しそうに過呼吸し、何かに怯えている様子だった。大方集落を襲った何者かから命からがら逃げてきたところといったところだろう。
『詳しく話しなさい』
より詳細な情報を掴むべくデミウルゴスはさらに『支配の呪言』で命じて自白を促す。
しかし……
「あ……恐怖……恐怖が……目の前にっ……みんな、みんな死んだあ………あれはだめだ、だめ……」
「………はあ?」
人狼の口から出たのは、情報と呼ぶには支離滅裂としか言いようがないうわ言だけだった。
詳しく話せと命じたはずなのにどういうことなのだろうと首を傾げつつ、もう一度命じようとした時だった。
「いやだ………こわいっ……こわいぃ……ああ……!」
「?」
あろうことか人狼は、鋭い爪で自分の喉を掻っ切りはじめた。喉笛から鮮やかな血飛沫が吹き出す身体はビクビクと痙攣しだし、数秒ののちに手足をバタリと投げ出し人狼の身体は動かなくなった。
「デミウルゴス様……?」
その光景に傍らの悪魔は困惑し、主が何かしたのだろうかと顔色を伺うも、デミウルゴスは首を振って否定する。
「私は何も命じていないよ」
それが最初の異変だった。
先程の異様な出来事のより確かな情報を得るべく、デミウルゴスは付き従う悪魔達にいくつかアイテムを持たせ、人狼が歩いてきた道を遡るように進んでいく。
しばらくすると別の集落が見えてきた。
しかし………
「もうっ……もう大丈夫だからな……すぐ、終わるからな……」
父親と思われる亜人が、我が子と思われる小さな亜人を大きな石で何度も殴っていた。
「ああぁアアあアァぁァあ! ごめんなさいっ、ごめんなさい! いやだあああ!!」
幼い少年は、年老いた亜人の腹に何度も何度もナイフを突き刺していた。
その他にも………
錯乱する者、
共食いする者、
互いに殺し合う者、
以降訪れる集落はみな同じ有様で、進めば進むほどより酷くなっていく。明らかに異質としか言いようがない状態だ。
いつものデミウルゴスならば下等生物の無様な姿を眺めて愉悦に浸っていただろうが、今はむしろ気味が悪くて仕方がなかった。
しかしここで立ち止まるわけにはいかない。
見たところこれは精神系魔法による狂化だと思われるが、これほど強い状態異常をかけれる存在が必ずいるに違いないとデミウルゴスは睨んでいる。
そしてそれはナザリックに、引いては至高の御方に危害を齎す可能性が高い。こんな時、思慮深く用心深いアインズならば、多少のリスクを犯してでも未知の敵に関する情報を得ようとするだろう。
ゆえにデミウルゴスは歩みを止めない。
なおも先へ進んでいくと、ふと傍らの悪魔がここで立ち止まった。
「…………デミ、ウルゴス様」
彼は震える声でデミウルゴスに話しかけてくる。
「なんだね?」
「こ、ここは一度……戻られたほうが、よろしいのではないでしょうか……?」
次いでまさかの撤退を提案しだす彼は、槍を握る手を震わせている。やや俯いているせいかその表情は伺えないが、あろうことかこの悪魔は未知の敵に対し怯えているらしい。
曲りなりにも至高の御方の下僕の末端たるはずの、配下の情けない姿にデミウルゴスはわざとらしくため息をつく。
「君は御方の障害になりそうなものを、野放しにするつもりかい?」
やや棘を交えた嫌味で突き刺すように問うも、しかし悪魔はなおも食い下がる。
「で、デミウルゴス様は、わからないのですか!? こんな……こんな恐ろしいものが! これ以上っ、進むなど……狂っている!!」
だが反論する彼の言葉はまるで意味がわからなかった。
何がどう恐ろしいのか説明を求めても、支離滅裂な言葉でブツブツと独り言のように喚き散らすだけである。
『………付き従え』
「うぐっ……!」
これ以上問答しても無意味と判断したデミウルゴスは、支配の呪言で配下を黙らせる。
「君はどこまで愚かなのかね。至高の御方よりも恐ろしいものなど、あるわけがないだろう」
彼らは世界で最も尊く最強の存在。仮に彼らより強大な存在がいたとしても、その知略をもって相手をねじ伏せるだろう。
そう確信するデミウルゴスが、歩みを止めることはなかったのだった。
目に映る風景は今まで以上に酷くなっていき、かろうじて生きていた亜人達らは夢遊病者のようにフラフラと歩み寄ってきたかと思えば、ついには狂ったように笑いながらデミウルゴス達に群がり襲いかかってきたりもした。
もちろんそれら全ての力はデミウルゴスの爪先にも至らない雑魚であるので、難なく全員殺すことはできた。
しかしデミウルゴスが進めば進むほど、傍らの配下の錯乱はより酷くなっていく。
「あ〜………声が……声が聞こえるぅ……うるさい……うるさぁいっ」
声なんてどこから聞こえてくるというのだと、苦言をかけても配下はまともな返事をしない。もはや彼らは会話が成り立たないほど狂ってしまったようだ。
そんなことがあってもデミウルゴスはアインズへの忠誠を胸に進み続ける。
そしてついに、終点と思われる場所にたどり着いたのだった。
そこは古い民家がポツンと佇むのみの、ごく普通の風景だった。
だがそれを視界に収めた途端、デミウルゴスの背筋を嫌な悪寒が撫でた。
(………なんだ?)
思わず二の腕を擦りながら左右を見渡すも、狂った亜人達が徘徊している以外は何もない。
しかしデミウルゴスは、これと似た感覚を知っている。
この世界に来て始めて階層守護者を招集した日、アインズが絶望のオーラを放った時。あの時の恐れに似ている気がしたのだ。
思い出したデミウルゴスは、バカなと動揺を隠すように首を振る。
だがそれと同時にデミウルゴスは確信した。
恐らくこれらの異常を起こした元凶が、ここにいるのだと。
見つけた以上、どんな存在なのか確認しなければならないというのに、さっきまでしっかりしていたはずの足取りが重い。
自分が至高の御方以外の存在に恐怖するなどあり得ない。
精神耐性のアイテムをしっかり所持しているし、傍らの狂ってしまった配下に対して自分はまだ正気を保っている。
だから、大丈夫なはずだ。
そう自分を奮い立たせ、デミウルゴスは震える手でノブを握り扉を開いたのだった。
「デミウルゴスが行方不明?」
アルベドからのまさかの報告に、アインズの眼窪の奥の火が揺らめく。
「はい……デミウルゴスのみならず、牧場に在住している下僕からの報告も上がっていないのです」
なんでもこちらから何度も伝言をかけているのに、デミウルゴスどころか彼の配下達にさえ繋がらないという。
明らかに何かがあったとわかる異常に、アインズは嫌な予感を覚えた。そして脳裏を過るのは、かつてのシャルティアの洗脳事件である。
(まさか………)
どうか違ってくれと祈りながら、今一度テキストを確認すればテキストは赤くなっていなかった。
つまり洗脳はされていないはずとひとまず安心するも、ならばデミウルゴスはどこへ行ったのかと別の心配が膨れ上がる。
そうなるとアインズがすべきことは一つだ。
「よし、ならばニグレドに探してもらう」
「かしこまりました」
情報系魔法詠唱者の彼女ならば、シャルティアの時のようにデミウルゴスを見つけられるかもしれない。
すぐさまアルベドを通して円卓の間へ彼女を呼び出した。
「というわけだニグレド。デミウルゴスを探せるか?」
「デミウルゴス様の私物があれば、すぐにでも」
すでに道中で事情を聞いていたニグレドは恭しく頭を垂れながら頷く。ただちに魔将から許可を貰い、デミウルゴスの部屋から彼の予備の眼鏡を取りに行ってもらった。
「…………」
眼鏡を受け取ったニグレドは意識を集中させ、デミウルゴスの行方を探していく。数秒の時間を空けたのち、発見したらしい彼女が呟いた。
「ああ、見えてきましたわ」
「よくやったニグレド。デミウルゴスはどこにいる?」
アインズからの問いに答えようとして……
「…………あ?」
ここでふと、ニグレドの言葉が詰まる。
「ニグレド?」
急に無言になってしまった彼女を不審に思うアインズだったが……
「あ、ああぁアアァァぁぁ!? アアアあぁあアアああァア!!」
「!?」
ニグレドは小刻みに震え出したかと思えば、突如金切り声を上げて頭を掻きむしりはじめた。
「姉さん!?」
「どうしたニグレド、何が見えた!?」
「ヴァアアアアアア!!」
長い髪をふり乱しながら錯乱しだすニグレドは、傍らに立てかけていた鋏を握ると眼前のアインズへ向けて突き刺す。
「姉さん! 御方の前で何をしているの!?」
姉の突然の凶行に、しかし咄嗟にアルベドが前に出てアインズを守ったことで鋏の切っ先は届くことはなかった。
なおも鋏を振り回すニグレドに困惑するも、沈静化が発動したアインズは、まずメイド達に危害が及ばないよう彼女達を背中に匿いつつ、結界で自らを守りながらニグレドの様子を伺う。
彼女が乱雑に鋏を振り回せば、刃先に当たった椅子がふっ飛んだりテーブルの表面が傷ついていく。
「あああああっ、やめて! 見ないでっ、怖い! 怖いいいい!!」
剥き出しの表情筋はもとから恐ろしいものだったが、現在のその顔は泣き叫ぶ姿も相まって一層悍ましかった。
その声はいつもの『御方が望む』演技をしているのとは違う。明らかに「何か」に怯える本物の声だった。
「いやあああああああ!!」
ふいにニグレドが鋏を逆手に持ち始めたのを見て、アインズの背筋が一瞬だけ冷える。
『タイムストップ!』
アインズは咄嗟に時間を止め、その隙にニグレドの武器を奪うことに成功した。
だがニグレドの暴走はなおも止まらず、彼女は自らの震える掌を眺めたかと思えば……………
ザシュリと、爪が肉を穿つ音が響く。
「あ゛………ああ………」
ついには自らの喉を切り裂いてしまったニグレドの身体はグラリと倒れ、喉から真っ赤な血を吹きながら痙攣しだすのだった。
「ニグレド!」
凍りつくメイド達を他所にアインズは思わず駆け寄ろうとするも、身の危険を感じたアルベドが彼を羽交い締めにして止める。
「アインズ様! 近づいてはなりません! 誰か、ペストーニャを呼んで!」
これが最初の異変。
ナザリックという難攻不落の城砦。
そこに住まう逸脱の強者達。
彼らが築き上げてきた富、栄光。
それらの崩壊の兆しであった
キーパー「ニグレドさん、ここでファンブルを出してしまいましたのでSAN値が激減です」