サイコロを振る準備は出来たかい?
未知の敵からの相次ぐナザリックへの被害は、正に深刻としか形容できなかった。特に守護者随一の頭脳を持つデミウルゴスの狂化を治す手立てがないのが手痛く、このままではいけないと決断したアインズは元凶を調べるべく、唯一の手がかりであるアベリオン丘陵に向けて先行隊を組むことにした。
チームはシズとソリュシャンを除くプレアデスと、階層守護者シャルティアで構成され、全員に精神耐性のアイテムを持たせておく。
「すまないシャルティア……お前には一度苦い思いをさせてしまっているというのに、この役割を押し付けてしまって」
正直アインズとしては、シャルティアを行かせたくはなかった。彼女はかつてワールドアイテムに洗脳されてアインズが自ら倒しているために、また同じ目に合ってしまうのではないかと不安にもなる。
しかし対するシャルティアは首を振って答える。
「いいえアインズ様。もし敵が私を洗脳した輩と同一ならば、その情報を得られる千載一遇のチャンスでありんす。むしろ汚名返上のためにも是非やらせてほしいでありんす」
デミウルゴスの無惨な姿に、シャルティアも内心では悔しい思いを抱いているのだろう。
真っ直ぐにアインズを見つめる彼女の覚悟を汲んで、改めてユリ達にも伝える。
「言うまでもないが敵は未知の力を持っている。出来る限り情報を持って帰ってきてほしいが、危険を察知したら速やかに逃げろ」
健闘を祈る。
主からの激励に気を引き締めるユリ達は、跪いて頭を垂れるのだった。
「………これは」
転移門をくぐり抜けて、デミウルゴスの牧場に出てきた一行だったが、そこでは異様な光景が広がっていた。
「ゔぁ………あぎっ……やだ、やだあ!」
全裸の人間達が拷問器具を手に、デミウルゴスの配下と思しき悪魔達を泣きながら甚振っていたのだ。
確か彼らはデミウルゴスが羊皮紙を作成する際に飼っている羊だったはずだが、あろうことか全員が檻から脱走していた。
だがそれ以上に奇妙な点がある。
「なにこれぇ? なんでこいつら抵抗してないのぉ?」
エントマの疑問も当然だ。
悪魔達は脱走している人間達を捕まえるどころか、何故か無抵抗で彼らに八つ裂きにされている。レベル差を考慮すれば避けるなり返り討ちするなり出来るはずだというのに、これはどうしたことだろう。
誰も彼もふらふらとした足取りで牧場を彷徨いていて逃げようともしない。かと思えば突然奇声を上げてシャルティア達に襲いかかってくるが、当然取るに足りない雑魚が彼女達に触れることなど出来ずに返り討ちにされる。
「なんなんすかね〜、ここのやつら」
困惑しつつもひとまず情報を得るべく、ルプスレギナは邪魔な人間の首をはねて傷だらけのトーチャーを助け出す。
「そこの、一体何があったんでありんすかえ?」
「あ……ああ、声が……まだ聞こえて………この声を止めてええええ!!」
シャルティアがトーチャーの首根っこを掴んで顔をのぞき込むが、その目は恐怖に染まりシャルティアの質問に答えようともしない。
ほかの悪魔達も、やれ声が聞こえるだのやれ見られているだの、幻聴・幻覚が酷いのかまともに会話できる者は一人としていなかった。
「やはり精神系スキルの類かしら」
「ワールドアイテムの可能性も高いわ」
ナーベラルとユリが言うように、今のところ自分達に影響がないということは精神耐性アイテムがちゃんと機能しているということなのだろう。
しかし現状、相手を狂化させる能力を持つという以外に敵の手がかりがないのも事実である。
「ひとまず、手分けして周辺を探しましょう」
まずは行動あるのみ、探せば何かしらの痕跡があるはずとユリの一声に一同は頷くが………
「………あんた達、誰だい?」
ふいに自分達ではない声が掛けられ、虚を突かれた一同がバッと振り向くと……そこには黒い鱗のスネークマンがいた。
互いの距離はせいぜい10歩ほど、彼が立つ場所にはさっきまで誰もいなかったはずなのに、こんなに接近されるまで誰も全く気配を察知できなかった。
「何者?」
警戒したナーベラルが素早く槍を構えて穂先を突き立てるも、スネークマンは動じる様子もなく淡々と答える。
「俺は……セイロン。丘陵に住んでた、少数亜人の下っ端だよ」
どうやら彼はかつてデミウルゴスがヤルダバオトとして活動していた時の、亜人の配下の残党と思われる。
「で、あんたらは?」
「私達は聖王国から要請を受け、丘陵の異変を調査しにきた者達です」
「………ふ〜ん」
ユリが事前に用意したアンダーカバーで答えるも、セイロンは興味なさげに生返事するのみだ。
彼の目には一切の光がなく、何もかもに諦観しているように見える。その一方で、ほかの者達は殺し合いのせいで身体がグチャグチャになっている中、この亜人の身体には目立った傷はない。もしこのスネークマンがデミウルゴスを発狂させた犯人ならば、迂闊に攻撃するのは危険過ぎるだろう。
「貴方が彼らを狂わせたのですか?」
まず確認のためにユリが問えば、セイロンはゆるく首を横に振る。
「………いや、俺じゃない。あっちにいる
そう言ってセイロンはシャルティア達の背後………に広がる彼方を指差した。
それが意味することは……
「あんた、もしかして犯人を見たんすか?」
「ああ見たよ………筆舌に尽くしがたい恐ろしさだった。俺は運良く逃げることはできたが………いや、この場合は運悪く、か?」
はははと乾いた笑いを溢す彼を他所に、ユリ達は互いにアイコンタクトを取り合う。
ようやく敵の手がかりを見つけた。
しかも彼は、敵の大まかな潜伏場所も知っているらしい。
「ならばゲジゲジ、我々をそこに連れていきなさい」
「………案内する?
ナーベラルからの上から目線な指図に、セイロンはほんの僅かに目を見開くがすぐに冷めた眼差しに変わる。
「………悪いことは言わねえさ、やめときな。あんたらもここのやつらと同じになっちまうよ」
セイロンは語る。
数カ月前に、丘陵の外れから得体の知れない恐怖の気配が広がり始めたと、隣の集落の亜人達から度々聞くようになり始めたのが全てのきっかけだった。異変を察知した有志の亜人達が調査のためにその源に向かっていったのだが、それから一週間経っても彼らは帰って来ず……見送った仲間達は、彼らがすでに死亡したのだと判断した。
だがさらに数日経ってから、彼らは変わり果てた姿になって集落に帰還した。
夢遊病者のようにおぼつかない足取りで歩きながら、
血走り恐怖に染まった目は常に何かに怯え、
ある者は愛する家族の目の前で自害し、
ある者は次々と戦友達を殺し尽くした。
その狂行に集落の仲間達も、彼らの身に何が起こったのかと恐怖し、いつしか集落全体に伝搬するようになったそれは範囲を広げていった。
セイロンの住む集落も侵食され……一人、また一人と狂気に染まっていったという。
「ようするに………こいつらはその元凶が恐ろしいあまり、頭がおかしくなっちまったんだよ」
だから止めておけと、恐らく心からの労りから引き止めるセイロンに対し、シャルティアが鼻で笑う。
「はあ? 恐れる? 私達が?」
これだから下等生物は困るのだと肩を竦めるシャルティアを見て、セイロンは不思議そうに首を傾げる。
「至高の御方よりも恐ろしいものが、この世に存在するはずがないのでありんすよ」
シャルティアの言葉に、ユリ達も同意するように頷く。
そうだとも、至高の存在たる41人の強者達………彼らこそがシャルティア達にとっての恐怖の対象だ。こんな有象無象が発狂する程度の存在など、恐るるに足りないと意気込む。
「…………はは、はははは」
しかしセイロンはシャルティア達の自信を聞き、天を仰いで笑いだす。それは嘲笑と呼ぶにはあまりにも空虚な笑い声だった。
「……あんたらのご主人様とやらが、どれだけ強い化け物なんだか知らねえが……それでも
次いで間接的にアインズを侮辱され、ナーベラルは青筋を立てるもここはどうにか耐える。
現状、この亜人は元凶に関する唯一の情報源だ。
殺してしまっては元も子もない。
「いいからそいつのところに案内しなさい」
舌打ちしながら槍を首元につきたててなおも脅すも、セイロンはそれでも怯む様子もない。
「………本当に倒しにいくのかい」
どこか哀れみのこもった眼差しで一瞥するセイロンに、ナーベラルは眉間にシワを寄せる。
「くどい。するかしないか答えなさい」
「……………まあいいさ。どうせこのままじゃ、俺も遅かれ早かれくたばるだろうし……案内くらいはしてやるよ」
気怠そうに蛇の胴体をうねらせながら先を進み出すセイロンに、一同は続くのだった。
道中、狂気に蝕まれた亜人達の殺し合いを横目に眺めるシャルティア達は、ここにきてその異様さに改めて困惑し始める。
ナザリックにもニューロニストを始めとする捕虜を発狂させる役職や、トラップの類いはそこそこ存在していたが、ここにいる者達の狂気はそれらとは根本的に違う気がするのだ。
だがそれでもシャルティア達は、気を引き締めて進むしかなかった。
大丈夫、自分達はまだ平気だと言い聞かせて。
しばらくすると、ふいに前方を歩くセイロンが立ち止まる。
「………ここだよ」
開けた視界に現れたそこは、元々は亜人の住処だったのかもしれない、何の変哲もない民家だった。
だが、
「…………?」
民家を視界に入れた途端、全員が違和感を覚えた。
なんだ、この異様な寒気は。
ルプスレギナは、全身の毛が逆立つのを知覚する。
エントマは、無意識にカチカチと蟲の歯を鳴らしていた。
ナーベラルは、鳥肌を立たせる自身の二の腕を思わずさする。
シャルティアとユリも、民家を凝視したまま手が震えていた。
「怖いだろう? これが
シャルティア達の反応を眺め、ため息をつくセイロンをナーベラルは睨む。
「何をバカな………!」
私達がアインズ様以外の存在に恐怖するなんて、そんなことありえない。
恐怖を振り払うように最初に踏み出したのはユリだ。
「………まず、私が扉を開けます」
扉に手をかけたユリが進言する。
段取りとしてはまずナーベラルとシャルティアが遠距離から攻撃し、後からユリ達が追撃をかけて一気に畳み掛ける。
それでもダメならば一度ナザリックに撤退して、アインズに情報を持ち帰ればいい。
深呼吸し、ユリが勢いよく扉を開いた。
素早く扉を開けた瞬間、隙間から冷凍室を開けた時のように神経を凍らせるような怖気が広がる。
ナーベラルが槍を構える。その穂先からは、全てを焼き焦がす雷が走るはずだった。
「ライトーーー」
先手を放つための詠唱が中断される。
ルプスレギナの炎弾も、エントマの符術も、ユリの拳も、シャルティアの光の槍も………何も発動しなかった。
(…………どうして)
動かない自らの身体に困惑するユリは、見た。
その
「………ああ。お客さんかな」
てっきり、100レベル以上の異形種だと思っていた。
あるいは、アインズと同じオーバーロードかもしれないと思っていた。
だがそこにいた者の姿は、一同の予想を遥かに上回っていた。
「ーーーこんにちは」
聞き逃しそうなほどか細く、綺麗な声。
読書していたのか椅子に座り、文庫本サイズの本を開いていたその人物は……………
黒い髪は艶やかで美しいのに、同じくらい黒い目には光がなく、何を考えているのかわからない不気味さを携えている。
着ている衣服は、かつてペロロンチーノがシャルティアにプレゼントしてくれた、セーラー服に似ているように見える。
そして同時に、一同には確信があった。
間違いなくレベル1にも満たない非力な小娘で、ユリが一発……全力で殴るだけで殺せるはずだと、見ただけで全員が理解できた。
なのに、全員その場から動けない。
なんてことはない、弱そうな見た目のはずなのに………
「あ………え………」
ユリは、目を見開き凍りつく。
怖い。
怖い、怖い、怖い。
足が震えて動けない。
唇が震え、過呼吸が止まらない。
プレアデスのリーダーたる自分が、人間の娘を前にして、怖がっていたのだ。
「せ………千鞭蟲!!」
全員が動けないなか、最初に動き出したのはエントマだった。
必死に恐怖を振り払い、仕掛けた彼女の精神力は間違いなく讃えられるものだったのだろう。袖口から伸びるのは彼女の使役する千鞭蟲で、顎を大きく開き娘の喉笛に喰らいつこうとする。
『ーーーーーーーー!!』
だがその動きは、娘のほんの鼻先で急に停止してしまう。
魔法による結界ではない、千鞭蟲自身が動きを止めただけだ。
「な、なにしてるの!? 早くそいつ殺して!!」
焦るエントマが怒鳴るも、千鞭蟲の顎は届かない。
キリキリキリキリ。
カチカチカチカチ。
蟲特有の警戒音が鳴り響き、歯を軋らせて怯えている。
信じられないことに、人間を喰らう蟲が目の前の人間を殺すことに恐怖しているのだ。
と、ここで千鞭蟲はぐるりと頭の向きを変えてきた。
「え………?」
その動きに思考が止まるエントマに、娘に喰らいつこうとしてきた時よりも早く千鞭蟲が噛み付いてきた。
「ぎゃあああああああ!?」
千鞭蟲に噛まれた勢いのまま、エントマの身体が後ろに倒れる。
千鞭蟲だけじゃない。仮面蟲や口唇蟲、その他の蟲達がエントマの身体を端から齧りだすではないか。
『やめっ、やめてみんな! 痛い! 痛いってばあ! 怖いからやめてええええええ!!』
口唇蟲が外れたことで本来の濁った声になり、断末魔の叫びを上げるエントマは両足をバタバタ振りながら抵抗するも、蟲達の暴走はなおも止まらない。
そんな一部始終を見た仲間達は、頭が混乱してしまう。
「た、タレントよ………きっと彼女のタレントは、精神系スキルに近いものなんだわ!」
いつもの郭口調も忘れてシャルティアが叫ぶ。
己を奮い立てるためだけに、本当はわかっているはずなのに支離滅裂な推測を立てはじめる。
「ユリ! 精神系無効のアイテムを…」
「ちが………う」
対するユリは、あまりにも小さい声を絞り出す。
「これ………タレントでも、魔法でも………スキルでもない……!」
ふるふると首を振る彼女の表情は、今にも泣き出しそうに怯えている。
そう、これは魔法でもスキルでも武技でもタレントでも………ましてや
精神耐性アイテムが効いていないのが、何よりの証拠だ。
「お、おのれっ……このゴミムシが! 私達にっ、何をした!?」
必死に罵倒するナーベラルは、先ほどから魔法を発動させようと何度も試みている。
早く、早く。
ライトニングでもなんでもいい。
魔法でこいつを殺さなければいけないのに。
確実に殺せるとわかっているはずなのに。
「こ………声が………ひゅっ、声が出な……!」
喋ろうとすると息が詰まって言葉にならない。
声が掠れて詠唱できず、冷や汗が止まらない。
膝が笑い、立っていられなくなり、その場にへたり込む。
怖くて、声が出ないのだ。
「………ねえ、貴女」
「!?」
娘はいつの間にかナーベラルの目の前に立ち、彼女の目を覗き込んでいる。
その動きはプレアデスから見ても欠伸が出るほど遅いのに、ナーベラルは彼女の接近に気づいていたはずなのに、攻撃どころか距離を取ることすらできなかった。
彼女はナーベラルの手を優しく取ると、手のひらに何かを握らせる。
人間嫌いなナーベラルが、振り払うことすらできずに人間に触れさせている………こんなのは、あり得ないことだ。
「これ、刺してみたい?」
彼女の掌に収まっていたのは、黒いボールペンだった。
赤黒く乾いた血がこびりついているそれは、何度か武器として使ったのかもしれない。
それを見てナーベラルはしめたと笑う。
(バカなゴミムシだ………わざわざ武器を手渡すなど)
そうだ、なにも魔法を使うまでもない。
たとえ魔法職の自分でも、レベル差からくる膂力ならばこいつを殴り殺せる。
なんならデミウルゴスにそうさせたように、目でも抉り出してやろう。
仲間が受けた苦痛を、何万の死に匹敵するほどの恐怖を与え…
恐怖。
恐怖。
恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖恐怖。
「あっ……あああああああああ!!」
震える手でナーベラルは絶叫しながら、
至高の御方から与えられた身体を傷つけるなど、それはシモベとしてあってはならない行動のはずなのに。
「いやああああああ!! 怖い! やめて! 助けてっ、あああああああああ!!」
錯乱するナーベラルが、ゴリゴリと音を鳴らしながら眼窪を抉り続ける姿を見て、娘は笑顔を浮かべる。
「ーーーああ、ああ。よかった。ふふふふ」
その笑顔の由来が、自身を脅かす外敵を倒せたことに対する安堵や、無様に自滅する上位存在に対する嘲笑であれば、どれだけ安心できたことだろう。
そこには悪意など一切なく、無邪気で純粋な子供の笑顔しかなかった。
(なんなの………なんなのよこいつ!?)
それを目の当たりにして、ルプスレギナはボロボロと涙を溢す。
この人間の考えが、理解できなくて泣いている。
「私は、人間だよ」
知っている。
見ればわかる。
だからこそ、恐ろしいのだ。
自分のように、愉悦のために弱者を甚振るわけじゃない。
彼女の行動の一つ一つには、
存在しないはずなのに、彼女はそれが
それはまるで、上から水を落とせば下に流れていく……そんな絶対的な世界の常識を突きつけられているような。
「大丈夫。怖がったりしなくていいんだよ。楽にしていいから。……ね?」
黒い眼差しが、今度はルプスレギナに向けられる。
「ひい!」
微笑みを浮かべる口元から溢れる声が、ゾワリと自身の耳を撫で、ルプスレギナは涙目で顔を引きつらせる。
ああ、恐ろしい。
黒い目が、自分を見ている。
恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい。
恐ろしい恐ろしい恐ろしい恐ろしい恐ろしい恐ろしい恐ろしい恐ろしい恐ろしい恐ろしい。
「やだ! 見ないでっ、見ないでよお!!」
いつものおどけた語尾も忘れて、ルプスレギナは視線を遮るように両腕で顔を庇うが、それでも耐えきれず手に持つクロススピアで自らの腹を掻っ捌いた。
「げえええええええええええええええええええ!!!」
グチャリと内蔵が床に散らばり、ケダモノの雄叫びを上げるルプスレギナは、ヒールである程度治してからまた腹を切り裂くのだった。
そんな悍ましい光景を、シャルティアはただ眺めているしかできない。
「…………なに、これ?」
どう見てもレベル1にも満たなそうな脆弱な下等生物相手に、誰一人傷すらつけられていない。
勝手に怯えて、勝手に傷つけあっている。
わけがわからない。
そう……
セイロンから初めて敵の情報を聞いた時に、まず自分はアインズに報告するべきだった。
屋敷の前で異常を感じた時点で、アインズに報告するべきだった
万が一に備え、盾役のデスナイトを連れて来なかった。
いつもの自分達なら………慎重なアインズならば、
まるで、
一体自分達は、何と戦おうとしていた?
「ねえ」
「ひっ!?」
娘はいつの間にか、シャルティアの目の前まで接近していた。シャルティアはスポイトランスを握りしめるがその手は動かない。
殴りかかることすらできない。
「貴女はどうしたい?」
ナーベラルに向けていたのと同じ笑顔で、か細い声が囁く。小首を傾げる娘にシャルティアは………
「わ、私は…………」
待って。
やめて。
浮かんだ考えを払いたくて首を振っているのに、口は勝手に喋りだす。
「ゆ、ユリを………殺したいでありんす」
違う、私は……こんなこと思ってない!
「……そうなんだね。なら、そうすればいいんだよ」
やめろ!
やめろ!!
心に反し、身体は望まぬほうに動く。スポイトランスを構え、ユリの目の前にたつシャルティアの顔は、ただただ怯えていた。
「ユリ………ごめんでありんす………こんなこと、したくないのに……殺さなきゃっ、ああ、いや……!」
「っ………!」
シャルティアが何をしようとしているのかを察し、ユリは逃げようとするも身体が動いてくれない。
「もういやああああああああああ!!」
拒絶の叫びとは裏腹に、戦士として最強格の身体は動き………スポイトランスがユリの胴体を貫く。
「あっ………が……!」
ゴトリと床に落ちたユリの首は恐怖に歪み、二度と動くことはなかった。
「あ………」
シャルティアはただ、呆然と自らの手のひらを眺める。
「ああ…………あああ……!」
私が、私がやった。
こんなこと、したくなかったのに。
どうして。
どうして。
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして。
「あああああああああああああああああああ!!!!」
頭を抱え、目を血走らせ、涙を流して怯えているシャルティアの姿は……先ほどまで見下していた下等生物達と同じだった。
そこにはただ、恐怖がある。
恐怖。恐怖だけがある。
恐怖。恐怖。恐怖。恐怖。恐怖。恐怖。恐怖。
「ーーそうだ。本の続きを読まなくちゃ」
今回の作戦の粗さの原因︰怖くてできなかった