娘が第五階層を抜けたのと同じ頃、アウラは配下の魔獣達に森の消火を命じていた。
「なんで……なんでこんな……?」
焼き尽くされた森を眺めるアウラは、ただただ困惑するしかなかった。先ほどの紅蓮の動きは明らかに普通じゃなく、まるで何かから必死に逃げているようであった。
階層守護者に匹敵する力を持つ紅蓮が、至高の御方以外に?
一体それは、どんな怪物だというのか。
アウラにはわけがわからない。
ゾクッ
「…………っ!?」
しかしここでアウラの卓越した五感が、紅蓮が入っていった穴から別の何かが近づいてくるのを察知する。
すぐさま指笛でモンスター達に配置につくよう指示するのだが、モンスター達の様子がおかしい。彼らは一点に視線を集中しアウラの指示を無視している。
「み……みんな?」
もう一度指笛を吹くが、やはり反応しない。
ただ一頭、フェルだけがアウラにゆっくりと歩み寄ってくる。
「フェル? 早く持ち場に戻」
『ガウウウ!!』
言い終わらないうちに、フェルは大きな口を開けてアウラに噛みついてきた。
「!?」
だが寸でのところでアウラは咄嗟にそれを避け、鋭い牙は空を食む。
「ちょっとフェル! 何するの!?」
可愛いペットからの突然の反抗につい怒鳴るも、フェルは涎を垂らしながらアウラを睨んでいる。
………いや、フェルだけではなかった
『グオオオオオオオオオオ!!』
周りを見渡せばモンスター達が、唸り声を上げながら互いに喰らいあい殺しあっていたのだ。
飢餓や怒りからではない、弱肉強食のそれとすら違う、それは狂気に満ちた共食いだった。さながら自然の摂理を冒涜するかのような光景に、アウラは青ざめた顔で首を振る。
「な、何して……みんなやめて!」
可愛いペット達の殺し合いを止めようと、何度もスキルで命令するが一体も言う事を聞かず、もはや泣きそうになる彼女だったが……
ゴッ!!
「っ!?」
突如、後頭部に強い衝撃を受け、前のめりに倒れ込む。
ペット達に意識を向けていたせいか、背後からの気配に気付かず後ろから頭を殴られてしまったらしい。
いつの間に敵がいたのかと、痛みを堪えながら振り返るが…
「え……?」
そこに立っていたのは未知の敵ではなく、弟のマーレだった。
「あ………ああ……」
血で汚れた杖を握りしめていることから、アウラを殴ったのが彼であるとわかった。
アウラはなぜこんなことをしたのかと弟に詰めよりたかったが、打撲の痛みで会話どころではない。
さらに言えばマーレの様子もおかしかった。
見開かれた両目から涙が滲み、過呼吸を繰り返してガタガタと身体を震わせて怖がっていた。
いつもの御方から命じられた、役割による上辺だけのやつじゃない。
これは正真正銘、恐れている。
明らかに普通じゃない様子の弟にアウラは逃げようとするも、打ちどころが悪かったのか手足が動かず立ち上がることができない。
そんな姉にマーレは再び杖を振り下ろしてきた。
ゴキッ
「ぎゃああ!?」
バキャッ
「いぎいい!!」
ガッ
「ぐええ!!」
鈍い音を響かせながら、マーレは涙でグシャグシャになった顔のまま何度も何度もアウラを殴っていく。
「ちょっ、ま、まぁレっ! やめなさっ、やめっ……
!」
アウラは静止の呼びかけをしながら腕で顔や胸を庇うも、元々腕力だけならシャルティアに次ぐ強さを持つ彼の一発一発は、レンジャー職であるアウラの防御力を安々と破り肉を潰し骨を砕く。
「グルル……」
「シャア……」
「きゃあああああああああ!?」
さらにダメ押しとばかりに、正気を失った状態のフェル達がアウラに喰らいついてきた。
彼らはアウラの手足に噛みつくと、無造作に引っ張ったり振り回したりして関節ごとに引き千切っていく。
「ちょっと、やだ! やめてよみんな!! 誰かっ、助け……アインズ様ああああああああ!!」
アウラは最初こそ苦痛と恐怖から叫び声が絶えなかったが、徐々にその声も弱々しくなっていき、やがて叫びすら聞こえなくなっていった。
魔獣達はアウラの肉を食いちぎるが咀嚼せずに撒き散らし、また互いに喰い殺しあいを初めてしまう。
一方のマーレは物言わぬ肉片と成り果てた姉の姿を見て震えていた。
「ああ………どうして……、こんなの……こんなの嘘だよぉ…!」
マーレはたった今自分がしでかした行為が信じられず、血走った目で顔を掻きむしる。
創造者がいつも褒めてくれていた可愛らしい顔に血が滲み、肉が抉れていくがそれすらマーレは気にも止めない。
なんで。
どうして。
どうしてこんなことに。
怖い。
怖い。
早くここから逃げ出したい。
恐怖心のまま、周囲を見渡した瞬間………
マーレは見た、見てしまった。
「………」
静かに佇み、マーレを見つめる真っ黒な影を。
恐怖の源泉をーーーー
「ああああああああああ!!」
紅蓮が去ったあとの第七階層には、すでに生命が存在していなかった。
彼が去ったあと、残された者達もほかのシモベ達同様に互いを殺し時には自害した。流れる血溜まりは熱で蒸発し、気化した血の匂いでむせ返る。
マグマの煮え立つ音だけが響いているなか、そこへ新しい命が入ってくる
「ハァッ、ハァ……!」
コキュートスだ。
階層の高熱は氷属性の彼に多大なスリップダメージを与えるが、コキュートスはそんなことを気にも止めない。
「フロストオーラ!」
しかも何を考えてか、周囲を氷結させるスキルを発動し始める。
コキュートスの周囲が薄氷に包まれるも、それもマグマの熱気で敢え無く溶けていく。
「フロストオーラフロストオーラフロストオーラフロストオーラフロストオーラフロストオーラフロストオーラフロストオーラフロストオーラフロストオーラフロストオーラァァァ!!」
だがコキュートスは尚も止まらない。
MPが空っぽになるくらいスキルを連発し、空になれば手持ちのポーションをがぶ飲みして回復させてからまた連発する。果ては自身のHPを削ることでMPを回復するスキルまで使い、なおも無意味な冷却を続けていく。
しかし彼が歩いたあとは冷気で中和され、ほどよい暖かさにまで下げられた道になっていた。
ゾワッ
「ッーーーーー!!」
自身の冷気とは違う怖気が全身を這うのを感じ、ガチガチと顎を鳴らして震えながらゆっくりと背後を振り返ると……
「………」
そこに、彼女がいた。
遠目からでもハッキリとわかる真っ黒な目で、コキュートスを見詰めていた。
「ヒィッ、ギャァァァアアぁアアア!!」
早歩きでこちらに近づいてくる彼女に、コキュートスは絶叫しながら再び駆け出す。早く、早く逃げないと。
錯乱する内心とは裏腹に、走りながらフロストオーラを放つことを止めることはない。
一方で、ほんの僅かな疑問も浮かびあがる。
なぜ自分は無意味にスキルを使っている。
このまま階層の熱波で焼き焦がせば、確実にあの人間を殺せるはずなのに。
思っても身体は言う事を聞いてはくれず、強迫観念のままコキュートスは冷気を振りまき続けるしかない。
どれだけ時間が経ったのだろうか。
気がつくと第八階層へと続く出口が見えてきた。
急げ急げ。
早く、あそこまで。
一刻も早く、あの娘から逃げなければ。
終わりが見えてきたことにコキュートスは持てる力を出し切って走り切る。
「フロ、スト……オォ……ラ………」
だが………懸命な走りも虚しく、出口の目の前でコキュートスは力尽き、そのまま倒れてしまった。
「………」
コキュートスの冷気によって、ある程度気温が中和された道を悠々と歩く彼女は彼の身体を素通りして出口へ入っていった。後に残された亡骸は、徐々に戻っていった階層の熱気によって、灼熱の炎に包まれていく。
やがて全てが炭化しきったその姿は、さながら焚き火に飛び込んだ虫けらの死体そのものであったという。
第六、第七階層、陥落
コキュートスは逆バージョンで亡くなりました。