始祖歴3090年4月5日。クロウリー総合魔法魔術学院の入学式の日。オルターは記念すべきこの快晴の日に、小走りでマグヌム=オプスの大路地を走っていた。
「はぁっ、マズい……入学式に遅刻するわけにはいかない……」
オルターが居を構えるセイラムから学院までは、魔導車を使うべき程度に離れている。彼もそれは承知しているので、今日は早めに出ようと計画していたのだが──災難なことに矮小妖精の悪戯に引っかかり、目覚まし時計の時間をずらされていた。アラディアも学園長業務のために彼を起こす暇がなく、寝坊したオルターはこうして走ることを余儀なくされていたのだ。
最速で走れば間に合う。オルターは最近調子のいい身体に力を込めてさらに早く走り出そうとした時──
「なぁ、いいだろ姉ちゃん?」
「ちょっと……私、暇じゃないのだけれど」
──路地裏からそんな声が聞こえて、足が止まった。一瞬だけ考えて、すぐに声の方向へと身体を向け走り出す。今問題に首を突っ込んでいる余裕がないことは百も承知だが、見逃せるはずもなかった。
少し奥に入ると、音の発生源が見えてくる。路地裏の奥まった場所──表通りから完全に遮断されたところで、大柄なヒューマンが少女に詰め寄っていた。陰になってよく見えないが、赤い髪を二つ結びにした学生服の女の子──正常な様子とは思えない。オルターは近づき、声を張り上げた。
「そこで何をしている!」
「あ?ちっ、なんだお前……」
声に反応して、下卑た表情を引っ込めた男が振り返る。筋骨隆々の腕に力を込めて、威圧するようにオルターへ拳を突き出してくる。
「見せもんじゃねぇぞ、消えろガキ!殺されてぇのか!」
「あー……あんた、私のことはいいから早くどっか行きなさい」
驚くことに、少女もオルターに手を払う。臀部から生えた大きな
「それはできない、その子を離すんだ」
「俺に指図しやがって──」
「はあ……全く」
男がオルターを睨み、大股で一歩踏み出した瞬間──ため息混じりに呟いた赤髪の少女が、健康的に鍛え抜かれた足を振り上げ、男の股間を強かに蹴り上げた。
「──ぎゃああああっ!」
絶叫をあげ、あまりのショックに男が泡を吹いて倒れる。突然のことに、流石にオルターが度肝を抜かれて一歩後ずさると、面倒臭そうに伸びをして少女はつかつかと歩み寄ってきた。
「この程度、私一人でなんとかできるもの。ま、助けに来てくれたのは嬉しかったわ。ありがとう」
「あ、うん……どうもいたしまして。でも余計なお世話だったね」
男の影に隠れていてよく見えなかったが、このツインテールの少女は中々独創的な容姿をしていた。
臀部にはシャチの尾、背中には燃えるような翼、そして頭の上にはウルフの耳──こんな亜人は見たことがない。物珍しげに狼耳を見つめるオルターに、女子はあくび混じりの声をかけた。
「カイレン・ブロッサムよ。私の容姿がそんなに珍しい?あんまり見てると金取るわよ」
「ああ、失礼。俺はオルター・カニングフォークだよ。その制服、君もクロウリーの新入生だよね?急いだほうがいい、一緒に行こう」
耳をこそばゆそうに動かすカイレンに軽く頭を下げて、オルターは踵を返す。ついてこいと手で彼女に合図するが──カイレンはその手を引っ掴み、オルターを引き摺るように大通りへと出ていく。
突然のことに反応が遅れたオルターは驚き、抵抗する間も無くカイレンに連れられ、路地裏を抜けてマグヌム=オプスの露天通りに出た。彼女は迷いない足取りで小さな屋台に向かい、閑古鳥の鳴く店内に座る髭面の店主に冷涼な声を響かせた。
「おはよう。
「ああ、また来てくれたのかお嬢ちゃん。彼氏連れか?いいねぇ、腕によりをかけて焼くから待ってろよ」
人の良い笑みを浮かべた店主は、何かを勘違いして人面鳥の串焼きを焼き始める。素人目に見てもその手際は一級品で、焼き色の入れ方や塩の量など店主の深いこだわりが垣間見えた。腕によりをかけるというのは本当らしい。
だが、今は買い食いをしている場合ではない。オルターは学院に視線を向け、少し焦って声をかける。
「カイレンさん、今はこんなことしてる時間は……」
「助けてくれたお礼よ。返さないと気持ち悪いもの、一番に優先することだわ。それに、絶対間に合うから安心しなさい」
「いや、この時期大通りは混雑するんだ、走っても間に合うかどうか──」
「お待ち、お二人さん」
オルターの言葉を遮るように、店主が串焼きをを差し出す。金を渡してそれを受け取ったカイレンは、塩がまぶされた香ばしい匂いを立てる肉を、オルターの口元にスッと差し出した。
「とにかく、食べなさいよ。ここは私が足で見つけた隠れた名店なの、味は保証するわ」
「……頂くよ」
せっかく作ってもらったものを無碍にするのは気が引けた。カイレンから串を受け取り、焼きたての人面鳥の肉に歯を立てる。
一口噛んで驚く。感動するほどに柔らかく、熱い肉汁が湧き水の如く流れてくる。急いで家を発ったために、朝を食べそびれていたオルターは先ほどまでの焦りも忘れて舌先で広がる味わいに夢中になる。彼女も串焼きをつまみながら、オルターを微笑ましげに見ていた。
「美味しいでしょ?走るばかりじゃなくて、ゆっくり歩くと触れられる良い景色もあるのよ」
「うん、そうかもしれないね……ああ、でも流石に時間が──」
すぐさま平らげたオルターが近場に取り付けられていた時計に目をやると、式まであと三十分ほど──全速力で走ってももう間に合わないだろう。仕方なく魔導タクシーを拾おうと、周囲を見渡した時──突然、カイレンがオルターを横抱きに持ち上げた。
「うわっ!?」
「絶対間に合うって言ったでしょ?掴まってなさい、落ちたら死ぬわよ」
もがく間も無くら燃えるような羽根が大きくはためいて、彼女の身体が高く舞う。シャチの尾が器用にオルターの身体を絡めて固定すると、絢爛な火の粉を巻き上げ、混雑する街の上で優雅に風を切った。
初めての浮遊感に、オルターが無意識にカイレンの背中に手を回し身を寄せる。身体を撫でる爽やかな風に、口角が上がっていく。
「飛んでるっ……!」
「飛ぶのはあまり好きじゃないんだけど──あんたは楽しんでるみたいね。スピード上げましょうか?」
「頼む!」
子供のように目を輝かせるオルターに、カイレンが頬を緩める。ヒレが一際締まると、彼女は鷹の如く羽を水平に広げて力強く飛行する。これなら、学院まできっと十分もかからない。
暖かい朝日が柔らかく二人に降り注ぐ。心地いい風と光は、オルター達の旅路を祝福しているようだった。
──────────
カイレンの厚意により、オルターは多少の余裕を持って学院に辿り着いた。式場である大講堂に足を踏み入れたオルターは、その人混みに圧倒される。
数千に昇りそうなほどごった返す新入生、そして上級生も詰め込まれた大講堂の景色はまさに圧巻の一言。カイレンと共に、あたりを物珍しく見渡しながら空いている席を探す。
ふと、オルターの視界の端に見覚えのある竜人の少女が映る。近くに二つ空いた席があるのを確認し、彼女へ手を振って挨拶した。
「おはよう、リア」
「ん?あら、おはようオル──わっ!」
「ちょっと、人の顔を見るなり驚くのは失礼だわ」
その声に振り向いたアゼリアだったが、眠そうにあくびを噛み殺すカイレンの姿を見て、翼をピンと逆立てる。
「し、失礼したわ。わたくしはアゼリア・フロストヴェイン──キメラの亜人なんて帝国でも見たことない……あなた、何者なの?」
「ご丁寧に。カイレン・ブロッサムよ。研究所生まれなの、物珍しいのは当然だわ」
オルターとカイレンはアゼリアの隣の席に着く。軽く頭を下げたアゼリアに、何とは無しにカイレンはそう答えた。
「研究所?」
「ええ。アルスマグナにある、亜人研究機関サイファード。ああ、別にデザインベビーって訳でもないわ。ちゃんとお母さんのお腹から生まれたから」
曰く、カイレンの母親は研究施設と契約し、複合遺伝子を埋め込んだ亜人の母体となる研究に協力していたらしい。その結果として生まれたのがカイレン・ブロッサム──世界で唯一の知性を持つ
「す、すごい出自ね?それに、学校に行った経験もないのに学院の試験を一発突破なんて……このわたくしですら次席なのに」
「
「触れづらいジョークだね……」
三人が和気藹々と言葉を交わし、友好を深めていた時──大講堂中に、拡声魔法でしわがれた声が響いた。
『静粛に──只今より、第三千回クロウリー総合魔法魔術学院入学式を執り行います』
その声に、会場の喧騒が一気に静まる。緊張と未知への興奮、それらが綯い交ぜになった生徒たちの複雑な感情が渦巻き、独特な緊張感が周囲に張り詰めていた。
その重苦しい空気を縫って、壇上に一人の女性が上がる──薄紫の長い髪、高く先の折れ曲がった黒い魔女帽子、レースに彩られた洒落た黒いローブを纏う若々しい女性──学園長、アラディア・カニングフォークだ。
「はーい、初めまして愛おしい新芽たち。私の自己紹介って必要?いらないよね、私ほどの有名人を知らない子なんていないもんね」
「……カニングフォークってことは、オルターのお母さんなのかしら。ずいぶん個性的な人だわ」
「……血は繋がってないよ」
小声で囁いてくるカイレンに口元を拭うオルター。義母が形式的な礼節を嫌う面倒くさがりで、尊大な自信家なのは今に始まった事ではない。
それに、学院を志すもので『神の扉』を開いた魔法医学者である彼女を知らないはずもない──異論の声が上がらないのを見て、彼女は一瞬機嫌良さそうに笑った。
「さて、無駄話を聞くのは君たちも嫌いだよね?私も長々と話すのは面倒だから、伝えるべきことだけ話すよ。
──この学院では、君たちは自由。自らが志す目的を信じて、好きなように学び、研鑽し、高め合ってね。もちろん、それをしないのも自由だけど、怠惰な子に待っているのは落第だけだよ。
そうそう、君たちは知ってるかな、この学院の落第率。新入生が無事に卒業できる割合は85%──15%はいなくなっちゃう。どうしてだと思う?」
アラディアはそこまで言って、勿体ぶるように言葉を溜める。オルターたちはすでに、大方の予想をつけているが──
「半分は単なる落第。でも、もう半分は──学院の活動中に死んじゃうの。
幻獣の調査中に死亡、鍛錬中の事故、魔力の暴走による病……原因は様々だけどね、これらは全て魔法を学ぶ上では避けられないリスク。君たちはこのリスクを背負って学院に入る覚悟はあるかな?ない子は今すぐ帰ったほうがいいよ。ああ、入学拒否する場合は事務室に寄ってね。入学金を返すから」
「……ふん、当たり前でしょ」
「退屈で死んじゃうよりはマシね」
冗談めかした口調とは裏腹に、アラディアの言葉はずっと重いリアリティを背負っていた。しかし、アゼリアとカイレンは怯まない。詳しくはわからずとも、確かな信念が垣間見える。
オルターの胸が疼く──彼もそうだ。身を滅ぼす魔法から逃れなければならない。それが茨の道であろうと。
「ふふ、これを聞いてなお魔法を学びたい?そう。なら、可愛い子供たち──いらっしゃい、クロウリー総合魔法魔術学院へ。学園長として、君たちを心から歓迎するよ」
アラディアが指を鳴らすと、講堂中に彼女の芸術魔法で作り出された星色のミストが降り注ぐ。彼女なりに生徒たちの未来を照らす光のようにも、弔いのようにも見えた。オルターは肌に降りかかった魔法から、魔力がじんわりと身体に染み込んでいく感触を覚える。
彼女が話し終えたのを見て、老齢の教師が咳払いをする。粛々とした声音で口を開いた。
『学園長、ありがとうございました。次に、新入生代表挨拶──今年度主席、レリア・セントクラフト』
「──はい」
名前を呼ばれると共に、
そして何より目を引いたのは、その独特な頭上に浮かぶ
「陽春の候、新たな季節の始まりと共に、私たちは栄誉あるクロウリー総合魔法魔術学院への入学の日を迎えられたことを、大変嬉しく思います──」
「……あれが主席……わたくしの上、ね……ふんっ、超える壁がある方がやりがいがあるってものよ」
翼族の少女──レリア・セントクラフトは鈴の鳴るような怜悧な声で、淑やかに挨拶を済ませていく。隣でアゼリアはその背中を射殺さんばかりに見つめ、静かに闘志を燃やしていた。
アゼリアほど顕著ではなかったが、周囲の新入生も、レリアに強い関心を持っているようだ。この学院の主席入学者なのだから当然だろうが──それ以外にも、翼族への反抗心といったものも見え隠れするとオルターは感じていた。
「亜人、純粋人、翼族──全ての種族が魔術という一つの道に向かって共に歩むこの場所は、私にとって理想の環境です。研鑽の精神を忘れずに、この学院の気風である自由に則って──」
「なにが理想だ……」
「どうせあの女も……」
オルターは細く息を吐いた。やはり、彼女への風当たり──もっと言えば、翼族への偏見が強い人種は一定数いた。
無理もない。近頃、始祖教──とりわけ、過激な思想の翼族がアルスマグナには増えている。オルターたちが出会した、『聖流教会』もそうだ。それに、今まで被差別種族として煮湯を飲まされてきた亜人にとって、翼族の存在など面白いはずもない。
だが──
「私たちも、種族などという小さな違いに拘泥せず、この学院の歴史に、始祖様の栄華に見合う偉大な魔導士となることを誓います」
「……あの子、信頼できる気がするわね」
「俺もそう思うよ」
カイレンの囁きに頷く。感覚的な話だが、彼女の言葉には上っ面だけでない、深い信念を感じた。その想いこそがレリア・セントクラフトそのものだとでも言うような、強いカタチを。
レリアは嫋やかに羽根を畳んで、深く腰を折って挨拶を終えた。舞台下から注がれる視線は賞賛と疑念が半々といったところだが、きっとあの言葉が本物なら、全ての目が肯定に変わるのもそう遠くないだろう。
レリアが自分の席についたのを確認して、司会の教員は髭を撫でながらしわがれた喉を震わせる。
『それでは、これにて第三千回クロウリー総合魔法魔術学院入学式を閉式致します。この後は学院の食堂にて歓迎パーティを行うため、参加する生徒は移動を──』
「パーティ!?この学院も気が効くじゃない!行くわよ貴方達!」
「へぇ、こんな大きな場所なんだしいいご飯を出してくれるのかしら。一緒に行くわよ、アゼリア」
「あっ、ちょっと待って──早っ……行ってしまった……」
パーティと聞いた瞬間に、アゼリアはカイレンの手を引いてお転婆に駆け出していってしまった。彼女が健啖家なのは知っているが、カイレンもそうなのだろうか──オルターはふっと笑って頭を振り、さっさと二人を追いかけることにした。
──────────
「……迷った」
オルターはアゼリアとカイレンを追いかけて、パーティ会場である食堂を目指していたのだが──完全に迷って、なぜか放射状に伸びた塔に囲まれる、緑豊かな中庭に出ていた。人生のほとんどをセイラムで過ごしてきた彼は、新しい場所を覚えるのが苦手なのだ。
そもそも、彼女らを見失ったあと行き当たりばったりで追うのではなく、どうせ合流できるのだから周囲の人混みに合わせて移動すればよかっただけだと今更後悔した。
弱ったように頭を掻く。頼れる人はいないか周囲を見渡して──少し遠くに、二人の男性の人影を見つけた。
「良かった……学院で遭難するところだった……」
安堵のため息をついて、オルターは二人に近づいていく。だが、何やら言い争っている声が聞こえた。
不穏な気配がする。オルターは目の色を変えて強く踏み込み──次の瞬間、長身の亜人が大きく振り上げた拳を、腕を交差させて受け止めた。
「ぐぅっ……!?」
「ぅあっ!?お、お前はっ!?」
「ちぃっ、何だ貴様は、横から邪魔しやがって!」
続く拳での薙ぎ払いをスウェーで回避し、その勢いを殺さず背後に転回しながら爪先で顎を蹴り上げにいく。難なく回避されたが、一瞬落ち着く時間が作れた。拳を受け止めて痺れる腕に歯噛みする。
目の前で不機嫌そうに額を寄せる亜人は
鬼人の凶悪な黒と黄の瞳がオルターの背後で尻餅を作る翼族──高貴そうな白い衣装に青い髪を流した、優雅な印象の美男子へ向く。それを遮るように立った。
「どけよ、純粋人。貴様に用はねぇ。そのスカした面の翼族をこっちに引き渡せ」
「それはできない。何か理由があるのかもしれないが、君の暴力にこの人が耐えられると思えない」
オルターは半身に構えて、鬼人を見据える。背後の翼族の生徒に視線を送るが、完全に腰が抜けて立てない様子。彼が立ち直るまで守らなければならない。
オルターをめんどくさそうに見据える鬼人──一つ舌打ちをしたあと、バチっと筋肉から電閃を発して殴りかかってきた。
「どかねぇなら貴様も同罪だ!」
「くっ……!」
音を破るようなスピードで、猛烈なパワーの拳が顔面に迫ってくる。末端に魔力を集めて、本能的な動きでそれをガード。続く蹴りも膝で受け止める。痺れは残るが、仕方ない。
一発一発の重みに歯噛みするオルターを追い詰めるように、鬼人の乱打が繰り出される。たまらず、オルターは手を広げて基礎魔術を詠唱した。
──
これで何とか時間を──
「あぁ?何だこの甘っちょろい壁はァッ!」
「ごっ……!?」
──鬼人の力は予想以上だった。
電撃をまとった拳が、ガラスを突き破るように、透明な音を立てて防護魔術を破砕する。伸びてきた拳が下からオルターの頬に直撃し、鼻の骨を砕いて、彼の身体を錐揉み回転させながら宙に浮かす。
顔から血を吹き出し、一瞬完全に前後不覚に陥ったオルターは、全身から力が抜けて一瞬致命的すぎる隙を晒した。それを見逃すほど鬼人は優しくない。
「属性魔法も使わない雑魚がなめやがって──粋がるなッ!」
不味いと思ったのも束の間、浮かび上がったオルターの足首を掴み、地面へ強かに叩きつけられる。ぐしゃあっ、とおおよそ人体から鳴るべきでない音が響き、芝生にザクロ色が混じった。
「ぐ……ぁうあっァ!」
それでもいまだ睨みつけてくるオルターと目が合い、死なないその瞳の奥が見える。鬼人は忌々しそうに、喉を引き裂くような声で詠唱した。
──
刹那、拳から電光がオルターの身体に吸い込まれる。電気ショックなど生やさしいものでない破壊の光が襲いかかり、身体が一度大きく跳ね上がると──地面に倒れ込んで動かなくなった。
「ちっ……胸糞悪いことしたぜ……貴様のせいでな、羽根野郎!」
「っ……や、野蛮人が!このワタシにあくまで歯向かうか!」
オルターから匂う焦げ臭さを振り払い、鬼人はへたり込む翼族の青年に一歩一歩近づく。後ろへ身体を引きずって逃げようとするが、すぐに背中に木が当たってしまう。亜人ならではの大柄な影が彼にかかり、暗闇な猛禽類のような力強い視線で翼族を睥睨する。
「や、やめろ……ワタシを誰だと思っている!?イスカリオテ家、その末裔のユリウス・イスカリオテ──」
「手羽先どもの名家なんざ知るか!死──」
命乞いも聞き入れず、鬼人の手から電撃の弾が放たれようとした瞬間──背後から飛びかかったオルターの拳が、無防備な側頭部を叩き、大きくのけぞった。
「──っ!?なっ、何!?あの重傷でなぜ……!」
「……!」
よく観察すると──オルターの顔は血で汚れているが、鼻血は止まっている。呼吸も鼻から行っていて、折れている様子は全くない。回復魔法を使った痕跡もなく──一撃受けて周りの悪くなった頭では考えつかない。
「どんなトリックだが知らないが……調子に乗るな!」
「来い……二度はない!」
再び帯電して鬼人は飛びかかってくる。オルターはもう手加減せず、魔核のリミットを一段階外して全身に魔力を浸透させた。これで、電撃を受けようが一撃で昏倒することはない──拳を握って、強く踏み込み──
「そこまでだ」「そこまでです!」
──二人が交わろうとしていた地点に、頭上から轟雷、そして数多の武器が降り注いだ。突然のことに、二人とも大きくバックステップをとって距離を取る。
オルターと鬼人が同時に、弾かれるように上を見た。そこには──入学式で見たレリア・セントクラフトが、水色の三対六枚の羽で浮かび上がる様子、そして──白い豪奢なマントを羽織り、前髪には水色のメッシュが見え隠れする。気取った学生帽を深々と被った青年が、何か透明な板の上に立っていた。
青年の姿に、鬼人が目を見開き、仇のように歯を剥き出しにする。
「ハハハハハ!遥か天空より失礼、デモーニア・カタストロフと新入生達よ!」
「貴様……アーティ・アルビオン!何の用だ!」
「こっちのセリフだ、魔人め。入学式から早々と問題を起こしてくれる」
鬼人──デモーニアが、叫ぶように頭上の豪奢な青年、アーティを睨みつける。彼がそちらに集中している最中、レリアはオルターのそばまで降りて心配そうに顔を覗き込んだ。
「ご無事ですか!?」
「……何ともない、怪我は全部治ってる」
そう言って顔についた鼻血を拭う──叩きつけて砕けていた指の骨は完治し、鼻血ももう出ない。それどころか、完全に粉砕したはずの鼻は、何ともない様子だった。明らかに重傷を持った傷つき方をしているのにほとんど無傷な彼に、レリアは怪訝そうに首を傾げる。
上から声が降り注ぐ。アーティだ。
「提案しよう。今日は帰れ、デモーニア。これ以上問題行動をしないうちにな」
「……ちっ、当たり前だ。こんなところ願い下げだぜ…。図書塔までは出禁じゃねぇだろ」
「まあいい。あそこは全ての生徒に貸出をしているからな。貴公も生徒だ」
見下したような声音のアーティに舌打ちをして──デモーニアは電撃を纏い、どこか遠くに飛び上がっていった。
危機を脱した途端、オルターの身体から力が抜ける。慌ててレリアが抱き止めてくれた。
「っ、やはり大丈夫ではありませんね……!ご安心を、貴方のことは私が責任を持って医務室までお連れ致します!」
「……ぐっ……」
胸の奥が痛む。少し無理をしすぎたらしい。レリアに担がれながら、意識が混迷していく。
視界の端で、デモーニアに襲われていた翼族の青年が立ち上がる。そもそも、なぜあの二人は喧嘩になっていたのだろうか──だが、もうオルターは意識を保てなかった。
全身の軋むような痛みを感じながら、オルターは瞼は重く閉じられていった。