Damon's Magia   作:暁の教徒

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なんか長くなってちょっと予定より遅れました


第四話:因縁

 

「オル!貴方大丈夫なの!?」

「おはよ、オルター。昨日は災難だったみたいね」

 

 入学式から翌日、オルターは重々しい雰囲気で教室の扉を開く。途端、ぱたぱたと駆け寄ってくるアゼリアと、マイペースに歩み寄ってくるカイレンの声が耳朶を打った。軽く手を上げて、目尻を下げて微笑む。

 

「うん、もう何ともないよ。昨日はパーティに顔出せなくて申し訳ない、こうして同じクラスで顔を合わせられてホッとしたよ」

「それどころじゃなかったんだから仕方ないわ。リアがすごくそわそわしてたから、安心させてあげて」

「レン!余計なこと言わないで!」

 

 昨日のパーティがそんなに楽しかったのか、いつの間にか二人は愛称で呼び合うほど仲良くなっていた。

 デモーニアから受けた傷はすでに完治している。医務室で目を覚ました時、骨にヒビすら入っていないことに養護教諭は驚いていたが──オルターにとってはいつものこと。彼を苛んでいるのは、物理的な問題ではない。

 

「おはようございます、オルターくん。お怪我はもう大丈夫なのですか?」

「君は……レリア・セントクラフトさん?ああ、心配ないよ。昨日は手を煩わせて申し訳ない」

 

 二人から一歩引いた位置で頭を悩ませるオルターに、金髪と三対六枚の大翼を折りたたんだ、イバラのような天輪(ヘイロー)を浮かべた翼族──主席合格者、レリア・セントクラフトが礼儀正しく声をかけて来た。

 彼女は入学式のトラブルで、アーティ・アルビオンと共に間に割り込み、気を失ったオルターを医務室まで送り届けてくれた功労者だ。目を覚ました時には陽が落ちる頃で、ろくに礼を言うこともできていなかった。改めて、彼女に腰を折る。

 

「そう畏まらないでください、私たちは対等な関係なのですから」

「対等──心遣いに感謝するよ、レリアさん」

 

 淑やかに微笑むレリアに、オルターは頬を緩める。『対等』な関係は、翼族にとって普通のことではない。彼らは歴史上常にヒエラルキーの頂点であり、現代に至るまで、差別という形でその差は刻まれている。そういった傲慢さやいけすかなさを、彼女からは感じない──入学式で踏んだとおりだった。

 

「ちょっとオル、レンったらイタズラなの──あら?貴方、もしかして主席のレリア・セントクラフト?」

「存じ上げて頂いているのですか?はい、私がレリアです。次席のアゼリア・フロストヴェインさん」

「ふふ、煽られてるわよリア。あぁ、私はカイレン・ブロッサムよ」

 

『次席』、と言う言葉にアゼリアがピクッと反応する。カイレンの軽口に、レリアは慌てて顔の前で手を振った。

 

「あ、煽ってなどいません!ただ、アゼリアさんとは良い関係を築きたいなと……」

「ふふふ……わたくしもそう思っていたところよ」

 

 アゼリアは喉の奥を鳴らす迫力のある笑みを見せながら、レリアの手をぐっと握る。そして小さな身体をずいっと近づけて、真下から彼女を見据えた。

 

「レリア、貴方はわたくしのライバルよ!いつまでも主席の座が安泰だと思わないことね!」

「ライバル……共に競い合う関係、ですか。ふふ、何だか新鮮な感覚です。お願いします、アゼリアさん」

 

 アゼリアの宣戦布告に、レリアは嬉しそうに微笑む。彼女の氷の彫刻のような冷たい小さな手を両手で握り返して、ふわりと微笑んだ。

 オルターが無駄に囃し立てたカイレンにじっと目を向ける。彼女は我関せずと言った様子で、魔導端末を弄っていた。どこまでもマイペースな少女だと苦笑する。

 そんな平和なひと時だった。

 

「ふん、尊き始祖の賜うた学舎にネズミがこんなに紛れているとはな……全く嘆かわしいことだ」

「あの翼族は……」

 

 翼族の取り巻きが開けたドアから、キザったらしい仕草で髪をかきあげる、青い髪の男が悠々と歩いてくる。大きな二枚の翼と、小さな光輪を中心に一回り大きい光輪が公転する独創的なヘイロー──その姿にオルターはひどく見覚えがある。昨日、鬼人とトラブルを起こしていたあの男子生徒──

 

「いくら君でも、そう思わないか?なあレリィ?」

「……ユーリ、言葉は慎んでください。早速諍いを起こしたくありません」

 

 ユーリ、と呼ばれた彼は馴れ馴れしくレリアの肩に手を乗せて、見下すようにオルターたちに視線を向けてきた。不愉快な雰囲気を醸す男だが、努めて冷静な対応を試みる。

 

「君は、昨日あの鬼人の先輩──デモーニア先輩とトラブルになっていた生徒だよね?大丈夫かい、君に怪我とか──」

「おいおい、気安く話しかけないでくれよ純粋人(ヒューマン)。君が出しゃばらずともワタシが暴れるしか脳のない亜人(ハーフサイダー)に負けるはずないだろう。余計なお世話だったと言うものだよ」

「アンタ、横から出てきていったい何様?オルターはアンタを心配してるのに随分な言い草ね」

 

 ユーリの侮蔑的な物言いに、カイレンが目を細めて食ってかかる。彼は芝居がかった動きで首を振りため息をつくと、自らを誇示するように、その真っ白な羽を大きく広げ、彼ら全員を見下した。

 

「ワタシが何者か知らないのか?無礼で無知、そして不躾だ。まあいい、知らぬなら我が高名を聞かせてあげよう──ワタシはユリウス・イスカリオテ。大いなる始祖教の正道、『聖流教会(オルソドクシア)』の提唱者、エノク・イスカリオテの血脈を引く神聖の一族だ」

 

 ユーリ──もとい、ユリウスは大きく羽をはためかせ、不遜に胸を張ってそう名乗った。『聖流教会』の名前に、アゼリアとオルターがピクリと反応する。

 

「『聖流教会』……」

「ふっ、そうとも。狂った女教皇も、そこの平和ボケしたセントクラフトも目が腐っている。我ら『聖流教会』の理念──亜人根絶、純粋人支配、翼族崇高の思想こそ始祖の想念であり、唯一の正解だと言うのに」

「信仰を盾に支配と差別を擁護するの?腐ってるのは貴方にしか思えないけど?」

 

 鋭い金眼で睨みつけるアゼリアだけではない。教室の中心で高説を垂れるユリウスを、多くの亜人生徒が敵視していた。レリアを除くほとんどの翼族はその亜人に対して薄ら寒い目を向け、まさしく一触即発の空気が張り詰める。

 その空気を切り裂いて、レリアがユリウスへと近づいた。深い色の目が彼を射抜く。

 

「幼馴染のよしみです、ユーリ……発言を撤回して皆さんに謝罪してください。種族に関係なく、全ての人々は平等です」

「なぜワタシが純粋人如きにへつらわなければいけないのかな?レリィ、昔からキミの楽観的な思考にはほとほと呆れるよ。我ら翼族が神の祝福を取り逃がした人間どもに手を差し伸べてやる道理はない」

 

 その言葉に、レリアは失望のため息をついた。三対の羽が広がり、右手をユリウスへ向ける。戦闘体勢を整えた彼女に目を細めて、彼はキザったらしい仕草で額を抑える。

 

「レリィ、初日から騒ぎを起こす気か?ワタシは構わんよ、キミに付き合ってやってもいいが」

「……っ、愚かしい。私を脅しているつもりですか?」

「いいや?ただ、次期教皇とも噂されるセントクラフト家の令嬢が、同族と喧嘩を起こすような性格だと知れればどうなるか──考える機会を与えただけだ」

 

 レリアは不愉快そうに奥歯を噛む。その右手は常にユリウスを捉えているが、どんな魔術の気配もしない。勝ち誇ったように翼をはためかせる彼は、手で顔を覆って笑いを噛み殺していた。挑発するように、レリアの手に顔を近づける。

 

「くははっ……地位に縛られたキミではワタシを攻撃できない、実に滑稽だ。所詮キミの掲げる『多種族共生』の理念などその程度の覚悟なのだよ!弱々しい理想などなんの価値もない!ははははは──!」

 

 眉間に皺を寄せて目を伏せる彼女に、ユリウスは高笑いを浴びせる。広い教室に、この男の笑いと取り巻きたちの羽の音だけが混じる空間に──乾いた殴打の音が響いた。

 

「ぐっ……!き、貴様……オルター・カニングフォーク……一度ならず二度までもワタシの意に沿わぬか……!」

「レリアさんには殴れないかもしれないが……俺は関係ない」

 

 その音は、オルターがユリウスの頬に平手打ちを喰らわせた音。予想だにしない展開に、空気が驚愕で張り詰める静寂の中、ユリウスが怒りに顔を染め、腰に刺した刺突剣(レイピア)を抜き放つ。

 彼の全身に魔力が迸る。単なる剣術ではない、あれはオルターも得意とする、魔力を使った格闘術──魔闘術(アーツ)。全身を魔力で強化し、剣にも光の魔力が集められていく。通常の剣撃より威力を倍増させた刺突剣を鋭く向け、大きく踏み込んだ。

 

「愚鈍さの代償はその身で払え!光子突!」

 

 背後からレリアの小さな悲鳴が聞こえる。刺突の魔闘術(アーツ)は空気を切り裂き、人間の反応速度を超えた、まさしく光の速さで突貫してくる。だが、直進の突きを避けるなど造作もない。ひらりと身体を翻して簡単に回避する。

 

「なっ」

「速さには自信があったかい?」

 

 回避と共に勢いを乗せた回し蹴りで追撃。肩部分に爪先が突き刺さり、ユリウスの体勢が崩れた。肩を蹴られたことで腕が痺れたのか、豪奢な装飾を施された刺突剣を落とす。

 オルターは回転の勢いを殺さず、すぐさま踏み込んで拳を握る。無防備なユリウスの顔面を睨みつけ鋭い拳撃を放つ。しかし、怒りに目を染めるユリウスは攻撃が届く前に声を荒らげて呪文を唱えた。

──光よ裁け(ルクス)

 オルターの胸元に猛烈な光の奔流が熱を持って弾け、彼の身体を焼き、大きくのけぞらせる。皮膚が焦げ付く痛みにわずかに顔を顰めたが、息を吐いて体勢を立て直したユリウスへ視線を向き直す。

 

「このっ……野蛮人め!このワタシに楯突くことの意味を理解しているのか!」

「『聖流教会』の翼族を殴るのは初めてじゃない。恐れることなどないさ」

 

 その言葉に、ユリウスがギリッと奥歯を噛み締める。だが落ち着くように大きく息を吐いたかと思うと、悠々と翼を広げ、芝居掛かった動作でオルターへとその白い大翼を向けてきた。

 

「根からのクズか……ならば、ワタシは人間を導く天使として貴様に引導を渡してやろう!」

「ユーリ、あなたまさか……!やめなさい!」

 

 ユリウスは羽を閉じ、その身のうちに熱い光が集まっていく。直感する、あれは単なる魔術ではない。オルターの力閃極光と同じく、全ての魔導士が生まれながらにその身に刻む、独自の術式──魔技。万人の必殺技とも言うべき魔法。教室の中心で育つ太陽は周囲を焼き、彼に付いていた翼族も含め生徒たちは阿鼻叫喚の巷と化して逃げ回る。

 

「あいつ、イカれてるわね。ただの喧嘩に魔技使うとか」

「言ってる場合!?止めるわよレン!」

 

 アゼリアの言う通り、あんな周りを巻き込む魔技を発動させるわけにはいかない。だが、オルターたちも魔力の奔流に巻き込まれて近づけなかった。

 胸の中の塊が疼く。元を辿れば、入学式のあの日にユリウスを庇い、無自覚にも因縁を作った自分の責任。ならば自分で拭うしかない──オルターは心臓部に魔力を集め、全身の魔力回路が千切れる感覚を覚えながら、肋骨の中に手を捩じ込む。

 

「我が力にひれ伏せ、愚民どもが──!神聖爆発(ホーリー・ノヴァ)!」

 

 ユリウスを中心とする塊が弾け、オルターも胸から魔力を引き出す──その瞬間だった。

──土くれよ、固まり、城壁とならん(ソルム・デフェンドー・ストルクトゥーラ)

 溢れる光と熱を、突如現れた赤土の壁が受け止める。三百六十度囲い込み、力の奔流を堰き止めた。

 止めるだけではない、意志を持ったように魔力を包み込み、太陽を圧縮しながら飲み込んでいく。その場にいる誰もが、強大な爆発を閉じ込める土くれに目を見開いていた。

 

「はーはっはっは!良い力だ、この私には及ばないが!」

 

 教室の扉を開いて、爽やかな男の声が室内に響く。割れた顎に彫りの深い顔立ち、その鍛え抜かれた肉体を誇示するように胸元を大きく開いたシャツ──その男が手を力強く閉じた瞬間、ユリウスが放った光の魔力は跡形もなく消えていった。

 

「なっ……ば、バカな……このワタシの魔技を……!何者だ、貴様!」

「おや、この私の名を知りたいと?ならば教えてあげよう!私はクロウリー魔法魔術総合学院、魔闘術道担当教師──ガストロ・ノアール。覚えておくと良い、忘れられないだろうがね」

「クロウリーの……教師」

 

 傲慢とも思えるほどの自信を滲ませて、ガストロは泰然とそう言った。魔の中枢たるクロウリーで教員を勤めるのなら、魔技を単なる魔術で封じ込める手腕にも納得がいく。

 ガストロは茫然と膝をついたユリウスを立たせ、オルターたちの方へ顔を向ける。

 

「元気なのは良いことだが、教室を荒らしたのはいただけないな。暴れた生徒は誰だ?反省文を書いてもらう」

「……俺です、申し訳ありません」

「うむ、素直に認める姿勢は賞賛しよう。ついて来い」

 

 一歩前に出たオルターに頷き、ガストロは心ここに在らずなユリウスの手を引いて廊下へと消えていく。オルターもその後を追って、アゼリアたちに別れを告げて教室を後にした。

 カツ、カツとただ足音だけが反響する学院の中で、ユリウスと並んで歩く。いやに気まずい空気の中で、翼族の怒りに満ちた瞳がこちらを向いていた。

 細くため息をつく。ユリウスとの因縁は、もはや決定的に刻まれてしまった。幸先の悪いスタートだ、と、胸の中でごちた。

 

 

 

 

──────────

 

 

 

 

 

「ふぅ……意外と手間取った」

 

 陽が傾いてきた頃、オルターは南棟の生徒指導室で椅子の背もたれに寄りかかりながら大きく身体を伸ばした。

 ユリウスと喧嘩した反省文をやっと書き終わり、大きくため息をつく。クロウリーに来るまでは学校にも行ったことがなく、故郷の大人たちに読み書きを教えてもらっていただけだ。文章を書くのは得意とは言えなかった。

 故郷──セイラムのことを思い出して、オルターはオレンジ色に切り取られた窓の外を見る。美しい夕陽は、故郷の秋に揺れる稲穂を思い出させた。あの頃は全てが自由で、オルターは何にも縛られていなかった。だが今では、胸の中で蠢く『魔核』が、常に身体を蝕んでいる。

 そんな感傷に浸っていた時だ。適当なノックなドアを叩く。

 

「はーいオルター。反省は終わったかな」

「……アラディアさん──先生?どうしてここに……」

 

 ノックをして軽い調子で入ってきたのは、学院長アラディア・カニングフォーク──義母だが、学院内では先生と呼ぶことにしている。彼女は書類と連絡用の端末を手に持っており、たまたま立ち寄った風に見えた。

 

「初日から問題起こし続けてる生徒とちょっと話しをしに来ただけ。自覚あるかな?オルターくん」

「う……すいません」

 

 アラディアの揶揄うような視線に、オルターが目を逸らす。

 初日にデモーニアとユリウスの揉め事に巻き込まれ、次の日には喧嘩騒ぎ。確かに問題続きだ、申しわけが立たない。

 気まずそうに目を伏せる息子に、母親はクスリと笑いかけた。

 

「面倒だけど──別に怒ってないよ。私に言わせれば魔導士は研究者。常識に対して批判的な視線を向けられるのは重要なスタンス──それらは作り上げた人間が得をするためのものであることがほとんどだから。翼族の差別なんか特に。ま、あんまり暴力的なのはよくないね。学徒なら理性的にね」

「善処します……」

「ならいいよ。とにかく君がしたいようにしなね。せっかく学院に通ってるんだから、楽しく──はぁ、連絡来ちゃった。仕事って野暮だよね、子供との時間も取らせてくれない」

 

 アラディアはぶつくさ言いながら端末を立ち上げて送られてきた文書を黙読する。邪魔にならないように、オルターは静かに座っていた。

 

「もう行かないと。じゃあね、私の可愛いオルター」

「はい、頑張ってください、アラディア先生」

 

 そう送り出すと、アラディアは微笑んで軽く手を振って去っていった。家族としても教師としても迷惑ばかりかけているが、温かく受け入れてくれる安心感がオルターを包む。

 カバンの中から魔法薬を取り出して、ゆっくりと嚥下する。身体の熱が引いていくのを感じながら、彼も指導室を後にした。授業を受けられなかった遅れを、どうにか取り戻さないといけない。やりたいこと──やらなければならないこと。

 胸を抑えながら、オルターは足早に廊下を進んだ。

 

 指導室から少し移動した南西棟──そこは、一棟が丸々図書室になっている、この学院の叡智の結晶である図書棟だった。ここなら、間違いなく勉強に必要なものが揃っている。オルターは静かに図書棟の扉を開けた。

 

「ようこそ、知識の大海へ。私は司書のルドヴィース。求める知恵があるなら、その場まで私が導こう」

「ええと……魔術学と、魔闘術についての本を探してます」

「なら、二階のD区画を探すといい。あの辺りにはよく利用している生徒らがいるから、その子らに聞くのも良いだろうね」

「ありがとうございます」

 

 ルドヴィースに頭を下げ、案内通りの場所へと歩を進める。図書棟の中はどこを見ても、オルターの身長より高い本棚だらけで、彼の案内なしに探すのは藁山の中から針一本を取り出すような大作業になることは想像に難くない。

 クロウリーが積み上げてきた三千年の歴史と知識に圧倒されながら、目的の区画について目当ての本棚を見つけ、本を取ろうとした時──白い枝のような細い指が、横からオルターの手に重ねられた。

 

「ん、キミ。この本はボクが先に狙ってたんだぁよ。譲って……く……」

「あっ、すいません……あの、俺が何か?」

 

 驚いて手を引っ込める。不機嫌そうにこちらに視線を向けた手の主は、綺麗な銀髪で顔の左半分を隠した、病的なまでに細い生徒だった。一見すれば女性に見えるが、聞いた声は男性のものにも聞こえる。銀髪の生徒は雪のような肌を少し紅潮させ、色素の薄くどこか濁った青い目を見開いてオルターを見据えていた。

 彼──あるいは彼女は不機嫌さを霧散させて、ずいっとオルターに身を乗り出して顔を覗き込んでくる。一歩下がる暇もなく、質問が飛んできた。

 

「ねぇ、キミ……お名前教えて欲しいナ」

「えっ?お、オルター・カニングフォークです」

 

 どこか訛ったような言葉に困惑するが、制服に飾られる花模様がオレンジ色の刺繍──つまりは二年生のものだ。失礼のないように、言われた通り名乗った。オルターくん、オルターくん、と目の前の生徒は口の中で何度も言葉を転がし、にっこりと口角を上げる。

 

「とってもいいお名前だねぇ。ボクはレクター、レクター・ローレンノース・マギア。ハイエルフだぁよ」

 

 先輩──レクターの名乗った種族名に、驚愕に目を見開く。よく見れば、レクターの耳は確かにエルフの特徴である尖った形をしていた。

 ハイエルフ。伝承の中で伝えられる、森に住む亜人族の一種。だが彼らは一様に人間を忌避し、滅多に人前に出てくることはない。潔癖で純真、そんなイメージで語られ、実在すら疑う論文もいくつか出ていると記憶している。

 そんな種族が今目の前に──だが、オルターの驚愕はそれだけで終わらなかった。

 

「うん──やっぱり、キミは輝いて見える……すごく気に入ったヨ。ねぇ、オルターくん、ボクとケッコンして欲しいんだぁよ」

「…………は?」

 

 上目遣いに首をこてん、と傾げて、レクターは求婚してきた。

 オルターの思考が止まる。理解できなかった。彼──彼女かもしれない──にそこまで好かれる動機も、好きになる動機もない。思考停止して置いてけぼりの彼の前で、レクターは楽しそうに揺れる。

 

「ボク、目が悪くてねぇ。魔力(マナ)の流れでしかモノを見れないんだ──だけど、キミは物凄く輝いて見える!他の人間とは違う、これは運命なんだぁよ!さぁオルターくん!ケッコンシキはどこでやりたいかナ?」

「いや、しませんけど……」

「えー!?」

 

 何か長々と話していたが──おそらく、『一目惚れした』くらいのことを言っていたはずだ。それで求婚までしてくるとは、レクターはちょっと変な人なのかもしれないと心に書いておいた。

 プロポーズを断られたことに、本気でショックを受けたのかレクターは驚きの顔のまま固まって動かない。かわいそうだが、オルターも見ず知らずの彼女──彼なのかも──の告白を受けることなどできなかったし──何より受ける余裕もなかった。

『魔核』に蝕まれる身体で、特別な人など作っている場合ではない。

 

「ど……どうしてだい!?」

「どうしても何も……い、今出会った人と結婚なんて……」

「くっ……なるほど、いつかの娯楽小説で読んだことがあるよ……『愛を育む』時間が必要なんだぁね?分かった……ならまずオトモダチから始めようよ」

「愛を育むって……大袈裟な」

 

 ふざけているような言動だが、レクターの目は至って真剣だった。だからこそタチが悪い、色恋に関することを邪険にするのは、オルターの良心が痛んだ。

 とはいえ、安易に受け入れるわけにも行かない。どうにかいい落とし所は──少し考えて、思いついた。それを言おうとした時──

 

「……ったく、痴話喧嘩は外でやりやがれ、ハイエルフ」

「ん?……チッ、*エルフスラング*か。暇なのかい?ボクは忙しいんだ、帰っておくれ」

「人の顔見てまず汚言とはいい度胸だな、*王国スラング*。喧嘩なら買うぞ」

 

 ──レクターに、聞き覚えのある男の声が背後からかけられた。振り向くと、そこに居たのは──間違いない、入学式の日にオルターの防護魔術を貫いて殴り抜き、電撃魔術を喰らわせてきたあの不良生徒──デモーニア・カタストロフだ。

 

「もしかして……デモーニア先輩、ですか?」

「あ?その服……新入生(ガキ)か。だったら何だ?」

「いえ……俺のこと、覚えていませんか?」

「は?……あぁ、微かに覚えてるぞ。あのユリウスとかいう*王国スラング*を庇いに入った雑魚か。なんだ?文句でも言いにきたか?」

 

 デモーニアはどこか遠くを見ながら、忌々しそうにユリウスの名を口にする。あの揉め事は、彼にとっても大きな出来事だったようだ。その原因は、ユリウスの教室での言動、そして彼が亜人であることから推測するに──

 警戒してデモーニアを睨みつけるレクターの肩に手を置き、一歩前に出る。そして、大柄な彼の目を見上げて、しっかりと頭を下げた。

 

「入学式の日、すいませんでした──何があったかも確認せず、あなたを一方的な悪だと思っていました、すいません」

「……は?」

「え?何?オルターくん、この野蛮人と何かあったのかい?」

 

 オルターの謝罪に、デモーニアが目を見開く。

 ユリウスは教室で、デモーニアのことも軽んじる発言をしていた。おそらく、あの揉め事のきっかけもユリウスの侮蔑的な言葉なのだろう。今も、デモーニアの言葉から棘は感じたが、すぐさま殴りかかるような野蛮さは感じ取れなかった。

 それに、図書棟で知り合いができるほど通っているということは、彼も真面目な学徒。オルターはデモーニア・カタストロフを、野蛮なだけの鬼人ではないと考えていた。

 

「……はっ、意味わからないな。殺されかけた相手に謝るだと?イカれてるな、貴様」

「待て、殺されかけたって言ったかい?おい、お前をオルターくんに何した?殺すぞこの──」

「レクター先輩、少し静かにしていただけますか」

「オルターくんの頼みなら仕方ないんだぁよ。お口チャックしてるネ」

 

 オルターの言葉に、レクターは従順に従って口を閉じた。喋らないまま、何を催促するように頭をグリグリと肩にぶつけてくる。仕方なく、遠慮がちな手つきで彼または彼女のサラサラの髪を梳いた。

 レクターを手懐ける彼に、デモーニアは信じられないようなものを見る目を向ける。だが、咳払いをして平静を装う。

 

「……まあ何でもいい。じゃあな、属性魔法も使わない雑魚が。二度と会うことはねぇ」

 

 吐き捨てるように言って、デモーニアは本を何冊か棚から抜いて去っていった。背中を軽くタップして、『もうしゃべっていい』とレクターに伝える。

 

「ぷはっ──あー、ほんと嫌なやつだぁな。オルターくん、オトモダチは選ぶべきさね、レクター先輩とのお約束だよ?」

「ええ……でも、デモーニア先輩はきっと大丈夫です」

 

 そういうと、レクターは少し不機嫌そうにまなじりを下げた。この二人は本当に相性が悪いらしい──邂逅一番スラングを投げ合うような仲なのだから当然とも言える。

 オルターは少し咳払いをして気を取り直す。レクターの目を見て、デモーニアの登場で途切れた話を再開した。

 

「それで、友達になるって話なんですが──もちろん、歓迎です。お願いしますね」

「えっ、本当かい!やったー!」

 

 オルターが微笑みかけると、レクターは飛び上がって喜ぶ。比喩ではなく、細い身体で本当にぴょんぴょんと跳ね、すぐに疲れたのか息を切らして座り込んだ。ぜぇぜぇと息を切らすレクターに、オルターが心配そうに膝をつくと、レクターは遠慮なく彼にしなだれかかった。

 

「はぁ……はぁ……う、嬉しいよ……疲れたからついでに席まで抱っこしておくれー……」

「は、はぁ……あの、それで、何ですけど……一緒に勉強しませんか?友達として、一緒の時間を過ごすってことで」

 

 レクターの軽い身体を持ち上げて、そう提案する。このハイエルフに勉強を教えてもらうこと──それがオルターの考えだった。

 オルターは一日でも早く、知識と力をできるだけ身につけたい。そこで、自主学習の時間に上級生であるレクターの力を借りるのは合理的だ。それに、レクターの一緒に過ごしたいというお願いも叶えられる──案の定、ハイエルフはかなり食いついてきた。

 

「二人だけのお勉強──つまりデートかい!?喜んでお受けするんだぁよ!」

「デートではありませんけど……うん、ありがとうございます、レクター先輩」

 

 レクターをうず高く何がしかの専門書が積まれたテーブルに運び、椅子に座らせる。オルターもその隣に座って、勉強用具を広げようとしたが──

 

「あ、ごめんネ。今日はちょっと……個人的な研究が佳境なんだぁ、明後日──いや、明日からお勉強回にしないかい?うぅ……デート出来ないのは悲しいけど、どうしてもやらないといけないことなんだぁよ……」

「そうなんですか?分かりました、お邪魔はしません」

 

 オルターはそそくさと荷物を片付けて、図書棟を出る準備をする。元々勉強する気で来たが、上級生の協力を取り付けられたなら明日からの方が効率的だろう。故に、今日はもう帰ることにした。

 レクターは凶器になりそうなほど分厚い本を開いて、申し訳なさそうに言う。

 

「本当に申し訳ないんだぁよ……明日は楽しみにしてて、キミの知りたいこと全部教えてあげるからネ」

「はい、楽しみにしてます。それじゃあレクター先輩、また明日」

「うん、ばいばいなんだぁよ」

 

 ぶんぶんと手を振るレクターに、控えめに手を振り返してオルターは図書棟を後にする。ハイエルフはその後ろ姿が見えなくなるまで、じっと見つめていた。

 

「……なんだか、オルターくん……厄介なことに巻き込まれる予感があるネ」

 

 

 

 

 

──────────

 

 

 

 

 

「……あれ、カイレンさん?」

「あらオルター、奇遇ね。反省文長かったじゃない」

「はは、ああいうの苦手で……」

 

 オルターは帰路に着こうとした時、忘れ物をしていることに気づいて、西棟まで戻ってきていたところ、カイレンと教室の中でバッタリ出くわした。火の粉を散らす羽根を、手持ち無沙汰そうにパタパタさせながら、カイレンは適当な机に腰掛ける。

 

「カイレンさんは何でこの時間に教室に?」

「私も忘れ物。まったく、あんたのこと揶揄えないわね」

 

 そう言って彼女は苦笑しながらカバンを担ぐ。マイペースで飄々としている自由人と言った印象のカイレンは、外の小さな星が煌めき出す空がよく似合っていた。

 

「寮まで送って行くよ」

「あら、男前ね。ならお言葉に甘えるわ」

「いい女だね」

 

 互いに冗談めかしてそう言い合い、クスリとカイレンが笑う。そして、教室の扉を開けて──異変に気づく。

 明らかに、周りの構造が変わっている。普段は扉を開けた目の前は窓があるだけ──今は、暗い道がすっと、不気味に伸びていた。

 

「……ねぇ、廊下ってこんな感じだったかしら」

「……いや、おかしいね。教室──」

 

 振り返って気づく。教室への扉が──今通ってきた道が消えている。明らかに異常だ。

 カイレンさん、この状況おかしすぎる──彼女にそう伝えようとした瞬間、犬の遠吠えが暗い廊下に響いた。右から、左から、ぎゃりっ、がっ、と爪が床を掻く足音が聞こえる。

 

「……カイレンさん」

「えぇ、私も戦えるわ。構えて」

 

 言葉少なく、二人は意識を集中させる。

 暗闇から響く足音の正体は──幻獣。犬の頭に人の身体、典型的な犬怪人(コボルト)の姿──こんなものが学院にいるはずがない。だが、今確かに現実として目の前にいた。

 ここはもう、二人の知る学院ではない。

 

「……気をつけて、行くよ!」

「えぇ。意味はわからないけどやるしかないわね」

 

 襲いかかってくる犬怪人の群れに、二人が魔闘術(アーツ)で対応する──そんな様を、二つの存在が箱庭のように見つめていた。

 

「オルター……あともう一匹蝿が入ったがまあいい──ハハハッ!必ず……殺してやるぞ!」

 

 どことも知れない暗闇の中、確かにオルターを害する意思が、波のように蠢いて、それは潮のように満ちていた。




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