帳尻合わせに次話は一週間後の日曜に出します
腕を振り下ろした一瞬の無防備、見逃すわけにはいかない。全身の力を右腕に集中させ、血の中に熱い魔力が通るのを感じた。強く踏み込んで犬怪人の懐に潜り込み、遠心力を使って重いフックを顔面に突き刺す。
「
「──!」
オルターの拳が犬怪人の顔面を砕き、その身体が地面に叩きつけられた。だが、同胞が倒れたことなど気にも留めていないのか、幻獣たちは未だ臆さずオルター──そして、背後でその長い脚を活かした蹴りの
「ふっ!……ああ、キリがないわね」
「本当に……どっから湧いてきたのか!」
爪を腕で受け止め、ガラ空きのボディにカウンターパンチを刺して仕留める。これでオルターが殴り殺した犬怪人は10に登る──だが、その波は一向に収まる気配がない。二人はジリジリと後退しながら、背中合わせに囲い込む敵たちを睨みつける。
「カイレンさん……このまま戦ってても仕方ない。どこかで逃げて安全な場所を探そう」
「賛成ね。でもどうやってこの包囲を抜けましょうか」
「……俺が囮に──」
「却下。とりあえず迎撃するわ」
オルターの顔の横をすり抜けて、カイレンの蹴りが犬怪人を貫く。彼女はオルターの言葉を遮ったが、この状況を無傷で突破することは不可能に思える。オルターは覚悟を決めて怪物の群れに突っ込もうとした時──身体が細腕に持ち上げられ、ふわりと宙に浮いた。
「うわっ」
「前がダメなら上から行けばいいわ」
オルターを抱き上げたカイレンが、燃え上がるような翼をはためかせて犬怪人たちの頭上を悠々とすり抜ける。怪人たちは二人を睨みつけ、瓦礫やガラスの破片を握りあげて投げつけてくる──彼女の腕の中で、オルターが魔力を込めて手を伸ばした。
壁を作るのではなく魔力を手の内から発散させる。体系的な魔術とは異なる、非効率的なエネルギーの奔流が暴れた。
「
力場そのものが瓦礫を粉砕し、その奥の怪物たちも巻き込んでのけぞらせる。倒すほどの威力はないが、この場を切り抜けるには十分。カイレンが翼を一層羽ばたかせ、狭い廊下で鋭く風を切った。
「今の魔術?違うわよね」
「うん……事情があって、基礎の基礎しか魔術を使えないんだ。今のはただの魔力の放出──技術も何もない、子供の癇癪みたいなものだよ」
「それにしては威力あったわね」
二人はそう言葉を交わしながらも、絶え間なく移り変わる校舎の景色に強い違和感を覚えていた。
見覚えがない。正確にいえば、見覚えはあるのだが記憶との齟齬が大きい。カイレンが廊下を左に曲がる──ここは本来なら右に曲がるはずだ。構造が明らかに狂っている。
考えられる要因はある。高度な幻覚の魔術を扱う人間が二人に害をなした説──だが、これはオルターの傷が否定する。幻覚だけでは、物理的なダメージを負わせることはできない。ならばこの状況はいったい──思考に没頭していたオルターの横合いから、窓を突き破って黒い影が現れた。
「──!」
「チッ、飛ぶやつも居るのね」
文字通りの横槍を入れてきたのは巨大なカラス型の幻獣──
オルターが腕を伸ばして星破を放とうとするが──敵の動きは早く、またカイレンもスピードを緩められる状況ではない。飛行に慣れていない彼では狙いを定められず、奥歯を噛む。
「ごめん、打ち落とせない!今はとにかく逃げるしか──」
「──避けなさい!」
オルターがカイレンにそう声をかけた瞬間──前方から鋭い氷の槍が向かってきた。同時に響いた少女の声に反応したカイレンが頭を逸らし、長いツインテールを掠めて透き通った凶器が空を切る。
カイレンに視界を遮られていた黒鳥は躱せない。胸を深々と氷が貫き、けたたましい叫びをあげてその身は地面に落ちた。
「今の魔術は……」
「降ろすわよ、オルター。あの子も来るでしょうし」
一旦の危機が去り、カイレンがそっとオルターをリノリウムの床に降ろした。ふらりと地面に足をつけ、氷の槍が飛来した方向へ視線を向けると──その先から、銀髪の小柄な少女と、大翼と茨の天輪を浮かべる翼族──学友のアゼリアとレリアが駆け寄ってくる。
「リア!やっぱり君の魔術だったか!」
「それに、主席の翼族さんも一緒なのね」
「レン、オル!ほら、やっぱりいたでしょ!わたくしの魔力探知を舐めないでよね!」
「ふふ、流石です。アゼリアさん」
魔力探知──名の通り、体外の魔力をキャッチして認識する技術のこと──を利用して二人を探し出したアゼリアが、淑やかに羽を畳むレリアへ胸を張る。誇らしさと主席の少女への対抗心が見て取れた。謎の場所だというのに、元気なアゼリアにレリアが苦笑する。少なくとも、彼女たちも無事そうだ。
オルターはホッと息を吐く。安心すると周りを観察する余裕が出来て辺りを見渡せば──やはり様子がおかしい。
ここまでカイレンと共に飛行して、アゼリア、レリア以外の人間と会っていない。不自然だ。さらにまとわりつく雰囲気も異様──空気に魔力が含まれていて、不愉快な肌触り──何よりも。四人は赤い窓の外を見た。
「空──真っ赤だね」
「ええ。夕陽、なわけないわね」
燃え上がっているような、血に濡れたような景色──日常と隔絶された明らかな異常。
結論づけるしかない。四人は一瞬の間に学院によく似た全く別の場所に隔離されてしまったと。ふぅ、と息を整えたレリアが滔々と口を開く。
「とにかく、お二人とも合流できて良かったです。貴方たちは何故ここに来てしまったか覚えていますか?」
「いや……教室を出たらいつの間にか迷い込んでいたんだ。
「わたくしたちと似たような状況ね……レリアと一緒に自習室を出たらこの有様よ。もうっ、なんなのかしらこの気持ち悪いところ!」
アゼリアが地団駄を踏む。気持ちはよく分かった。空気が粘ついていて、なんとなく背筋に怖気が走る雰囲気だ。一刻も早くここから出たいと強く思わされる、異常な空間。
「とにかく、みんなで脱出口を探す──」
アゼリアを宥めながら、カイレンがそう言い切る前に──
『──ぎゃああああ!助けてくれぇ……!』
「!?」
──廊下の奥から、気道を血てま埋められたような苦しげな叫びが響き渡った。オルターは何かを考える前に、弾かれたように身体が声の方向に走り出す。
危険です、と背後からレリアたちの静止と足音が追ってきたが、オルターは止まらない。その脳裏には、セイラムが地図から消えた『あの日』の光景が浮かんでいた。
一秒でも早く行かなければ──間に合わない。オルターは魔闘術を回して、全力の魔力で強化した健脚で飛ぶように走り、突き当たりの廊下を曲がった。
その先は一本道。右手側に部屋があるだけ──その部屋の前の廊下には、引き摺った血の跡が生々しく残っていた。最悪の想像と共に、オルターの足が一瞬止まる。
「オル!何かの罠かもしれないわよ!」
「分かってる……でも、誰かいる可能性があるんだ。なら行かないと」
追いついたアゼリアの言葉に首を振り、オルターは覚悟を決めてゆっくりと歩く。血の轍が吸い込まれた扉は開いている。
鉄錆の匂いがする。声は何も聞こえない。その先の光景なんて見なくても分かる──オルターは、胃の奥が湧き上がる衝動を抑えて、緩慢な動作で部屋を覗き込んで──言葉を失う。
「…………」
「……オルターくん?何が……」
「来ちゃダメだ」
心配そうに近づいてきたレリアを、手で静止する。小さく低い声だったが、その言葉はひどく重かった。琥珀のような目を伏せる彼に、レリアたちは近づけなかった。
数秒間、オルターは唇を噛んで部屋の中から目を逸らしていたが──大きく深呼吸した後、取り繕った真剣な表情で女子たちに顔を向ける。
「何かあるかもしれないから、この部屋の探索は俺一人でやる。本当に危ない目に遭った時だけ呼ぶよ……みんなはここで待ってて」
「オルター、顔色悪いわよ。大丈夫?」
「ああ……」
カイレンの言葉に、オルターは振り向かず手を挙げて応える。
血に導かれ錆の香る部屋へ、オルターはただ一人足を踏み入れた。
──────────
赤。
後ろ手に扉を閉めたオルターの視界にあるのはそれだけだった。
教室と同程度の広さの床を埋め尽くすペンキのように撒かれた赤。飛び切るピンク色の肉と青い線が浮いた塊。むせ返るような死臭。地獄の底でも、この部屋より悍ましい光景は拝めないだろう。はらわたと血液の海が、教室に広がっていた。
無惨に切り裂かれ、バラバラにされた亜人種の死体が、目に入るだけでも五人──入り口の近くで横たわる上半身が、おそらく声の主。狼人だった。
「…………」
オルターはこの地獄に、もう頭の中にしかない村──セイラムを重ねる。
オルターに魔核を埋め込んだ怪物──ルシファーによって滅亡した故郷。そこも、今目の前にある赤と化した。この地獄を見て正気を保てているのは、偏にオルターの経験にすぎない。目に映る恐怖を、想起した記憶から湧き出る怒りと慣れが塗りつぶしている。
オルターは耐えられても、網膜に血が焼き付いてしまいそうな、忘れられない地獄──こんな光景を、少女たちに見せるわけにはいかない。血の匂いに胃液が不快感に湧き立つのを感じながら、オルターは遺体を踏みつけないよう慎重に足を運ぶ。
「何か……あるか?」
脱出を急がねばならない。この地獄を生み出せる存在が、この謎の空間にいるのだ。ねばつく赤を踏み締めたオルターの視界の端で、何かが光った。
違和感を伝って、オルターが魔導端末を拾う。画面はひび割れ、おそらくこの中の誰かの持ち物だったのだろう──冷たい機構にやるせない思いを馳せていると──唐突に、画面が光った、
「っ、何だ?」
突然の眩さにオルターが目を細める。ディスプレイには、ぽつ、ぽつとゆっくり文字が浮かび上がる。
お。ま。え。の。
「…………」
う。し──
そこまで読んだ瞬間、オルターは腕に魔力を集中させる。端末を投げ捨てて、腰を捻って渾身の裏拳で背後を薙ぎ払った。
「ぐぶぁっ!?」
「やっぱりいたな!」
手の込んだ仕掛けに敵を没頭させて不意をつく──それ自体は良い案だが、少々読みやすかった。軽い何かを大きく弾き飛ばした手応えがある。
オルターは殴り飛ばした存在に素早く向き直り──絶句した。
「ぐ、やるじゃないか……この天才悪魔、ガミジン様の策略を見抜くなんてな!」
「……な、な……」
ガミジン、と名乗ったソレが、腕をついて身体を起き上がらせる。いや、身体というのは少し適切ではない。
なぜなら、その身は上半身しかない──狼の耳を生やした、銀色の頭髪。血に濡れ、光のない瞳。声には覚えがある。あの時聞こえた叫びと同じ。冷たそうな血色のない白くひび割れた肌──それはおおよそ生命ではない。
入り口の近くで倒れ伏していた狼人の切断遺体が、腕を足代わりにゲラゲラと口角を吊り上げていた。
「あ?ギヒヒ、何だぁ?天才のオレサマの尊顔にビビってるのか?ギャハハ!いい気分だぜ!もっと恐れ慄け!」
「……魔力探知でも魔臓の脈動は止まってるのが見える……これは一体……!?それに、言葉を話す……!?」
理解が追いつかない。あまりにも現実離れした光景に、オルターは動揺を隠せない。
魔力を行き渡らせる魔臓が立って生きている生物などいない。言葉を話す幻獣なんてものも、聞いたこともない。無限の疑問が思考を埋め尽くし、臨戦体勢を整えることさえ怠ってしまう。
その隙が命取りだった。
「オラァッ!」
「っ!?」
ガミジンな腕のバネだけで鋭く飛びかかってきた。とても速い、生気のない身体とは思えない──突き出されたパンチを辛くもガードするが──受け止めた左腕からボキッ、と硬質の音が響いた。魔力で補強しているにも関わらず、骨を折られた──鋭く広がる痛みに歯を食いしばり、オルターが瞠目する。
「何て、パワー……!」
「ギャハハ!テメェのオレサマのコレクションに加えてやるよ!」
オルターの守りが崩れたのを見逃さず、ガミジンが低い声で詠唱する。背後に、黒のキャンバスに血で描いたような六芒星が浮かび上がった。
──
陣から吹き出した闇の触手が、鋭くオルターの脇腹に殴る。
「ごほぉ!?」
反応できなかった──ガミジンの口から放たれた低い詠唱は、オルターの記憶のどれとも結び付かなかったからだ。これはただの魔術じゃない──そもそも、魔術かどうかさえわからない。
無防備に受けたオルターは身体の中で骨が弾ける感覚と共に、扉を破って廊下の壁に強かに叩きつけられた。
「がっ……」
「オル!?」
血液混じりの吐瀉物を吐き出したオルターの姿に、廊下で待っていた三人の間で激しい動揺が伝播する。だが、すぐに彼を背にしてオルターを弾いた影触手が伸びた元──部屋の中に目を向けて、息を呑んだ。
血。死。その中で立つ死体。血の海を掻き分けて迫る、下卑た笑みのガミジンに、アゼリアが後退る。
「な、何よ……これ……」
「げ、幻獣……?いや、あんなの見たことない……」
「あ?幻獣だぁ……?」
呆然と呟くアゼリアとカイレンに、怪物は不機嫌そうに目を細める。片手で身体を支えて、ガリガリと荒く頭髪を掻きむしって怒りの声を叫ぶ。
「そんな低俗なモンとオレサマを一緒にするんじゃねぇ!オレサマは悪魔!大悪魔ガミジンサマだァ!──よし決めたぞ、まずは礼儀のなってねぇガキから殺して食って──」
「魔術式・過重破砕──起動!」
怒り狂うガミジンの手元に、剣が突き刺さる。不思議そうに一瞥した瞬間、業物の剣が光と炎と共に爆発を起こした。
間抜けな声を挙げて教室内までガミジンが吹き飛ばされた隙に、レリアが最前線に立つ。
──
詠唱と共に、レリアの手に爆破したものと同じ剣が握られる。土属性魔術、その派生系の一つ──創造魔術だ。瞬く間に武器を作り出す練度の高さに、アゼリアは目を見開いた。
「今のは!?」
「私の独自魔術──過重破砕です。詳しい説明は省きますが、私は創造魔術で作り出した物体を好きな瞬間に爆発させることができるんです。威力も自信を持っていたのですが──」
「ごほぉっ……美味い真似をしてくれるじゃねぇか!」
ガミジンが爆風の中から身を起こす。炸裂した鉄片も身体中に突き刺さり多量の出血をしているはずなのに、その身は全くダメージを受けているように見えない。『味な真似』を『美味い真似』と言い間違えているあたりから、知性の低さは見えるが、その身体スペックは確かに幻獣と比べ物にならないだろう。
レリアが両手で剣を斜めに構えながら、忌々しげにガミジンを睨みつける。その目は、普段の優しげな天使の少女とはかけ離れたものだ。
「悪魔……おとぎ話で聞いたことがあります。始祖様の導きから外れ、この世界に混沌をもたらす闇の軍勢……よもや、実在していたなんて」
「あぁ?始祖ぉ?はぁ?お前、あんなカス信じてるのか?──ヒャ、ヒャヒャヒャ!ギャハハハハ!んだよそれ!今日一番の笑いどころだぜぇ!」
ガミジンの血の中で笑い転げる。信仰に唾を吐き、血と闇と炎の中で笑う──まさしく悪魔。レリアは鋭く目を細め、背後で倒れ伏すオルターを目の端で捉えた。
「カイレンさん!オルターくんについていてください!アゼリアさんは私と共にあの悪魔と戦って!」
「っ……怖がってる場合じゃないわよね。ええ、やってやるわ!オルの仇よ!」
「……お……俺も……」
「バカ、無理しないの」
起きあがろうとするオルターをカイレンが制する。その視線の先では、剣を構えるレリアと杖を向けるアゼリア。そして、ひどく楽しそうに口角を上げるガミジンが対峙していた。
血の匂いを嗅ぎつけてきたのか、数体の犬怪人や黒鳥たちも廊下に集まってきてしまう──カイレンはオルターを背にして、幻獣たちに構える。爪先立ちになり、360度にそのしなやかな健脚を見舞える独特の体勢だ。オルターはカイレンが守ってくれる──レリアは目の前の悪魔に集中する。
「ケケッ、いいねぇ……最近、女を殺したりなかったんだ……ヒューマン一つ、ハーフサイダー二つ、そしてアンヘル!最高のコレクションだ!綺麗に殺してやるからなァ!」
「粋がってじゃないわよ!準備はできてるでしょうね、レリア!」
「ええ!悪魔など、この剣の錆にします!」
どことも知らぬ場で死ぬわけにはいかない──レリアと銀に煌めく剣とアゼリアの氷が、ガミジンの影打とぶつかり合った。