その1 ファミレス
その日、俺は運命の出会いをした。
俺が高校一年生になってすぐ、ゴールデンウイーク明けの五月のことである。
始まりは、いつも通りの朝だった。
体の形に合ってきた制服と、少し柔らかくなった靴。最短ルートを覚え始めた廊下を進み、いつも通りの時間に教室に入る。見慣れた面々と他愛ない雑談をしながら時間を潰し、今日の授業に辟易しながら担任の
今日も何の変哲もない平和な一日である。
そう思っていた。
”彼女”が転校生として教室に入ってくるまでは──。
◇
「あああああ、なんで、なんで、俺じゃないんだ! なんで
机に突っ伏しながら叫ぶ。
五月下旬の昼下がり。行きつけのファミレス。店内の静寂をかき消す異端児の声。
俺たちの席に視線が集まり、半べその顔を上げると皆一様に気まずそうに視線を逸らす。
「きしょい。叫ぶな。バカ」
淡々とした口調。向いの席から届く罵倒の主は
中学の頃から外見上の成長を感じないミニマムな風貌の女子高校生──俺の幼馴染。
正面に座る紗由は呆れ切った表情でテーブルに肘を付き、ぼーっとスマホの画面を眺め、ときおり噛み癖の残るストローで溶けかかったココアフロートをすする。
高校生にもなってまだストローをかじるなんてガキっぽいやつだと思う。外見だけでなく、中身も昔から大して成長してないらしい。
「お前に俺の気持ちが分かるもんか」
「最初から分かろうなんて思ってないし」
んなこと知ってる。別に俺の『想い』を紗由に理解されようなんて一ミリも考えていない。
それはそれとして、この感情を誰かに向かって発散しないと気が済まないが、同級生に対してこんなことを言えるわけもないので、幼馴染を引っ張り出しているのだ。
俺は同級生『袴田
アイツは超正統派・巨乳・転校生・美少女・ヒロインである『
「こんなのあんまりじゃないか! なんだよ『転校前の偶然の出会い』って! 食パンでも食いながら登校してたっていうのか!?」
五月という季節外れの転校。
そんな物珍しさから、俺は転校生がどんな奴かと気になって教室の入り口を注視して──。
一目見ただけで彼女に心を奪われた。
教室に入って来たのは、淡い桃色の髪を靡かせる少女だった。
まるで春の桜を思わせる、薄い桜色の髪。長いまつ毛に縁どられた大きな瞳は深い桃色に艶めき、その横顔には気品が宿っている。丸っこい目元とあどけない面差しが凛々しさのある可憐さと混ざり合い、その顔立ちに稀有な均衡としての「美」を形づくっている。足取りは拍のそろった旋律のように滑らかで、所作は自然体のまま品位がにじむ。その透明感といえば澄み切った川の清流のごとく、古びた教室が彼女の足もとから花園へと染め上げられるようだ。
彼女と同じ空間にいられる事実に、俺はただ感謝した。
俺を生んでくれてありがとう母さん……。
ステップの軽やかなメロディが止み、桃色の美少女は教卓の横に立って室内を見渡す。
あの子の名前は……俺は固唾を飲んでその第一声を待つ。
やや沈黙があり、彼女は目を大きく見開いて固まっていた。そして自己紹介もせぬままに彼女が発した第一声は、クラスを──そして俺の心を──動揺に包み込むことになる。
「あーっ、あんたはあの時のちかん男!」
彼女はよく通る声でそう叫び、俺の一つ前に座る袴田を指さしたのである。
な・ん・だ・と!?
その姿を他の誰よりも早く視界に入れることが出来たという幸運だけでなく、痴漢だと?
それってつまり”触った”ってことか? どこを? あれか? あの『ひと際目立つ大きくて柔らかい部分』のことか? そうなのか!? 答えろ袴田ァァ!!
「あぁ、俺も華恋さんとお近づきになりたい……」
無論、心の距離の話であって変な意味ではない。……たぶん。
ともかく、そうして俺は姫宮華恋さんに出会い、恋に落ちて現在に至る。
しかし、世の中は実に難儀なものである。
印象最悪な出会いからスタートしたにもかかわらず、華恋さんは今や袴田の隣に収まっている。袴田の幼馴染である
一方の俺と言えば、さっぱり華恋さんとお近づきになれていない。
ずるい! ずる過ぎる! 俺だって華恋さんの隣に居たいのに!
しかも何がめんどくさいって、袴田という男は別に悪い奴じゃないのだ。明るくて爽やかな典型的イケメンで、その上誰に対しても気さくな性格。クラスの中心人物にいる太陽のような奴だ。
攻撃できるようなこれといった欠点が見当たらず、それが余計に腹立たしい。
そんなことを考えていると、紗由はいわゆるジト目を向けて「気に食わない」とつぶやく。
「クラスに自分よりも格上の女子が登場して警戒してるのか?」
「ばーか。気に食わないのはアンタのことよ」
紗由の表情が呆れから不満に変わり、テーブルの下でげしげしと俺の脚を蹴る。
「いまどき暴力系ヒロインなんて流行らんぞ」
落ち着きなく足を振り回すのが昔からの紗由の癖。この歳になって流石に抑えるようになってきたが、俺の前だと途端にぶんぶん、ぶらぶらと振り回し始める。やっぱりガキっぽい。
もっと華恋さんを見習うべきだ。あの上品で大人びた立ち振る舞いときたら……。
俺は頭の中で華恋さんのことを想像する。
あぁ、なんて綺麗な人なんだ。もしお付き合いできたら、俺は世界でいちばん幸福な男だろう。
「そのにやけずらマジで腹立つ。あと、クラスの女子相手に鼻の下伸ばしてるのが普通にキモイ」
「いいだろ別に! 思想の自由を行使する!」
「そもそもさぁ、仲良くなりたいなら話しかけに行けばじゃん。なんで私に愚痴りに来るわけ?」
「それが出来たら苦労しないつーの」
別に愚痴りたくて愚痴っている訳じゃない。話しかけられるならそうしている。できないからこうなっているのだ。
はぁ、とため息をつき、冷めきったホットコーヒーに口を付けた。
華恋さんが転校してから数週間が経過しているが、会話したのは僅かに四回だけ。
一度目は軽い自己紹介。二度目は移動教室の案内。三度目と四度目は部活動についてとかの当たり障りのない雑談。どれも何人かのグループ内での会話であって、二人っきりで話したことはない。名前を憶えられている自信もない。
何かきっかけの一つでもあればいいもんだが、そうそう都合いい展開は訪れていない。
「じゃあさ──」
からん、とココアの氷が鳴って紗由に注意が向く。
「もしも私がチャンスを作れるって言ったら、どうする」
「は……?」
硬直していると、紗由は自信満々な顔でスマホの画面を見せてくる。そこにはインスタのフォロワー欄が表示されていて、一番上にあるのは『karen』の文字。
理解できずにいると、ふふーんと一段とうざったいドヤ顔を浮かべて画面をスクロール。今度はLINEのトーク画面で相手の名前は『姫宮 華恋』。
「なっ、なんでだ!? なんでお前が!?」
「友達が華恋ちゃんと仲良くてさ、流れで私も交換したの。何度か話したこともある」
「いつの間に……。てか、お前が華恋さんと話してるところなんて見たことないんだけど」
「女子には女子だけの世界があるの」
「くっ、条件は何だ」
紗由は何をいう訳でもなく、ただ不敵な笑みを浮かべていた。
持ちつ持たれつの幼馴染、もう十年以上にもなる付き合いだ。コイツに借りを作るとロクなことにならないことぐらい分かっている。
……が、それはそれとして、こんなチャンスは逃せない。
「ふっふっふ。まあ、この借りは高くつくとだけ──」
「まさか……男を紹介してほしいのか? お前も年頃の女だもんな」
「ちっがうわ、このアホ! 色ボケ!」
勢いの付いたローファーの先端が脛に命中。俺は悶絶した。
クソいてぇ。弁慶の泣き所って言葉を知らんのかこいつは。
「そもそも、一体だれを紹介するってのよ」
「
脛をさすりながら、思いついた名前を出す。康斗は俺と同じ漫画研究同好会に所属している一年生で、俺たちとは別クラスだが同じ中学出身なので紗由とも面識がある。
「康斗くんは悪い子じゃないけどダメ。優しくて可愛げはあるけど、ああいう男子は正直なところ異性として見れないし。……あと、シンプルに顔がタイプじゃない」
「あいつが聞いたら泣いて喜ぶな」
「え、なに、康斗くんドMなの?」
「ちげーよ」
まず「泣いて」というのは、異性として見られていないことについて。
次に「喜ぶ」というのは名前を憶えられていることについて。
康斗が紗由に片思いをしてから約二年。中学生のころに色々と手を回して連絡先を交換したり一緒に遊びに行ったりしていたが、康斗の性格もあって会話も連絡もまともに取れず仕舞いで終わってしまった。高校に入ってからは会話もしていないらしい。
そんな訳で、康斗は紗由に忘れられたのではと不安がっているのだ。
俺としては紗由がどこの馬の骨とも知らん男と付き合うより、康斗と付き合ってくれる方が安心できるのだが、残念ながら淡い恋は叶いそうに無いらしい。
悪く思うなよ康斗。幼馴染にだって限界はあるんだ。
夕暮れのオレンジ色が空を包んだ頃、俺たちはファミレスを出た。
もちろん全額俺の奢りだった。紗由のやつ、俺に恩を売ってから滑り込みで一番高いパンケーキを頼みやがった。さては初めからこのつもりだったな。
とほほ……と軽くなった財布をカバンにしまう。
紗由の隣でチャリを押しながら帰路に着く。
俺たちの家は近所──流石に隣じゃない──にあるのでしばらくは同じ道だ。
小さな歩幅に合わせるので速度はゆったりとしている。王道青春漫画ならチャリで二人乗りしているところだが、生憎この辺は人通りが多いのでそういう訳にもいかない。
「それで、どう。決心ついた?」
紗由は赤い西日に横顔を染めながら首を傾ける。
俺は「まだ……」と頭をかいてはぐらかす。
いきなり話せると言われても、何を話したらいいかも分からない。それに、もしも緊張して華恋さんの前でカッコ悪い姿を見せてしまったら、絶望して不登校になる自信がある。
「アンタって昔からそう。肝心なとこで日和るんだから」
紗由が急に足を止める。
何事かと思っていると、俺のケツに向かってすぱーんとキックが飛んできた。
「そんなんだから、いつまでたっても彼女出来ないのよ」
紗由は急に駆け出すと、それぞれの家に通じる分かれ道まで進んでから振り返る。
「そろそろ私を安心させなさいよ!」
そう大声で叫ぶと、手を大きく振ってから家の方に走り去っていった。
オカンかよ。そう思いながらも、俺のことを心配してくれると思うと何とも憎めない。
せっかく手伝ってくれるんだし、頑張るか。
頭上に広がる空は、半分ほどが夜の星空に飲まれつつある。
そんな空の切れ間を見上げながら、俺……
絶対に、華恋さんとお付き合いしてやる!