勝ちヒロインを好きになってしまったのですが   作:北極鳥ユキ

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その8 催眠ごっこ

 昼下がり、秘密の屋上に佇む二つの影。

 いつもとは違う相手の姿。

 

 風に揺れる桃色の髪を抑えながら、華恋さんは微笑んでいた。

 

 練習……練習? 

 

 華恋さんから出た提案を脳が理解するのに、少しだけ時間がかかった。

 相変わらず俺の脳は華恋さん案件については極端に処理能力が落ちる傾向にあるのだ。

 

 三十秒ぐらい経ってようやく気が付く──これ大チャンスじゃないか!? 

 

 俺これ知ってる! ラブコメで見たことある展開だもん! 

 

「実はね、草介君や杏菜には前から相談してて……」

 

 前から相談? ってことは、つまり、前々から俺と話したかったってこと!? 

 何それ超嬉しいんだけど! 

 

「練習って何をするの?」

「それはね……」

 

 華恋さんはショルダーバッグをがさごそっと漁る。

 一体何が出てくるんだと固唾をのんで見守っていると、一冊の分厚い本を取り出した。

 

『初心者向け催眠術の全て ~ダイエットから恋愛まで、催眠術がよくわかる!~』

 

 おっと、思ってたのと違うぞ。

 

「これ、杏菜がダイエット用に買ったんだって」

 

 なるほど。説明になってないけど、謎の説得力がある。

 色々とツッコミどころは多いけど、まず一番大事なことをたずねてみよう。

 

「……効果あったの?」

「暗示が聞いて1キロぐらい痩せられたらしいよ」

 

 それって誤差の範囲じゃなかろうか。1キロぐらいなら普通に生きてても増減するし。

 というか、効果があるなら他人に譲らないのでは? 

 八奈見……悪い奴じゃないんだろうけど、やっぱりなんかズレてるな。努力の方向性を間違えているというか、なんというか。

 

「というわけで、これを使って自然な祐一君を引き出します!」

 

 あと催眠術を真面目に実践しようとしてる華恋さんも結構ズレてるのでは……。

 

 言いたいことは山々だけど、華恋さんが俺のために方法を考えてくれたのだ。それが何よりもうれしいので、全て受け入れることにした。

 

 ええい、どうにでもなれ! 

 

「はい、じゃあこの、五円玉を見ててね」

 

 屋上の一角に張られたブルーシートに二人並んで腰を下ろす。

 この場面だけを切り抜けば、まるで二人っきりのピクニックだ。

 

 華恋さんは膝上に乗せた『初心者向け催眠術の全て(略)』をめくりながら、俺の前で紐に結ばれた五円玉をゆらゆらさせている。

 

 ……シチュエーションさえ違っていれば最高なんだけどなぁ。

 

「いい? この五円玉を目で追うんだよ?」

 

 念押しするように言って、ゆらゆらを続ける。

 

 えっと……これって、ここからどうすればいいんだろう? 

 言われた通り、五円玉を目で追っているけど、変化は微塵もない。

 催眠術なんて今までかけられたことないし、どうしたらいいのか分からないな。

 

 五円玉を揺らしながら、華恋さんは真剣な表情で俺の様子を伺っている。

 

「……」

「あなたはだんだん瞼が重くなるー」

「……」

「こころが無に近づいてくるー」

「……」

「そして食欲がなくなってくるー」

「華恋さん? 俺はダイエットしないよ?」

「あっ間違えた」

 

 慌ててページがめくられる。『初心者向け催眠術の全て(略)』には明らかに付箋が多く張られたページがある。たぶん八奈見が使った部分だろう。

 

「こっちだ、こっち」

 

 華恋さんはテヘ、とはにかんでから、もう一度俺に五円玉を向ける。

 

 うーん、可愛い。催眠術には疑問しかないけどその可愛さで全部許しちゃう。

 

「……」

「あなたはだんだん瞼が重くなるー」

「……」

「こころが無に近づいてくるー」

 

(ここまでは一緒なんだ……)

 

 心の中でそう思いながら、五円玉を目で追う。

 

「目を閉じて……そして……そして、動けなくなる!」

 

(急に!?)

 

 華恋さんは五円玉のゆらゆらを止めると、指をパチンと鳴らした。

 どうしよう。これって動かない方がいいのかな。

 催眠術にかかった気配は相変わらず微塵もないのだが、言われた通り目を閉じて体の動きを止めてみる。

 

「……祐一君?」

「……」

「え、え。あれ? 効いたの? 本当に?」

 

 その声音からして、華恋さんも催眠術が本当に効くとは思っていなかったらしい。

 

「ど、どどど、どうしよう!?」

 

 慌ただしく声が右往左往している。

 そんなに慌てた様子の華恋さんを始めて見て、それが何だか面白くって、もう少しだけからかいたくなる。

 

「え、えーと。まず自分の名前を言ってみてください」

「北見祐一」

「効いてる……みたい。好きな食べ物は?」

「ケンタッキー」

「嫌いな食べ物は?」

「ピーマン」

「おぉ、ちゃんと答えてくれる。この催眠術ほんとに効くんだ……。あとピーマン嫌いなんだね」

 

 華恋さんはおっかなびっくりという感じで催眠術の効果を確かめる。

 

「よ、よし。じゃあ、今から君は私の言うことに従います!」

「……はい」

 

 おっと、不味い方向に進みだしたぞ。

 いや、むしろ”アリ”か? このシチュエーションってすごいご褒美なのでは? 

 色々な期待が渦巻いてくる。

 

「どうしよう……なんにも考えてなかったけど」

 

 華恋さんの方も思いつきで行動しているらしく、言ったは良いもののその後については困っているようだ。

 さあこい華恋さん。どんなことでもやっちゃうぞ! 

 

「じゃあ……逆立ちしてみて!」

 

 逆立ち!? ここ屋上だぞ!? 

 いやでもここで拒否すると怪しまれるよな……。

 

「返事は?」

「はい」

 

 やべ、条件反射で答えちゃった。日頃から紗由に脅されているせいだ……。

 

 くっ、こうなったらやるしかねぇ! 華恋さんにかっこいいところ見せてやる! 

 

 覚悟を決めると、おもむろに立ち上がる。

 たぶん大丈夫だ。逆立ちは体育の授業とかだとたまにやるし、不可能じゃない。屋上もそれなりにスペースはあるし、落ちることはない……はずだ。たぶん。

 

 ここで三点倒立すると頭が痛くなりそうだし、二点倒立でいこう。

 

「よっ……と」

 

 屋上の一番広い場所を見つけて、前方に体を倒す。

 思ったよりも綺麗に腕を伸ばせて、少しの間だが二点倒立のポーズを維持できた。

 あれ、意外と出来るもんだな。

 

「おぉ!」

 

 華恋さんから声が上がり、パチパチと拍手が送られる。

 嬉しい! 

 思わずニヤけそうになるが、頑張ってポーカーフェイスを維持する。今の俺は催眠にかかっているんだ。表情とかあんまり動かしちゃダメだよな、催眠にかかっているテイな訳だし。

 

 二点倒立から戻り、華恋さんからの次のアプローチを待つ。

 

「いい感じだね。じゃあ、次は何をしてもらおうかな」

 

 むむむ、と頭を抱えて悩み始めている。

 少し不味いかもしれない。華恋さんの方が調子に乗り始めているみたいだ。

 初っ端から屋上で二点倒立とかいう無茶を命令されたんだ。何を命令されるか分かったもんじゃない……。

 戦々恐々。ここまで来て今更引き返せるわけもなく、祈ることしかできない。

 

「そうだ。私のことを紗由ちゃんだと思って話してみてよ」

 

 なるほど、そう来たか。

 

「まずはわたしの方が演技しないとだよね。……ごほん」

 

 華恋さんは胸の前で小さく拳を握ると、わざとらしく声のトーンを一段高くして、語尾を強めた。

 

「ゆーいち! ええと、ちゃんとピーマン食べないとダメでしょ!」

 

 結構似てるな。まあ、紗由は俺のことを名前で呼ばないけど。

 

 どうやら華恋さんの中で最初にイメージする紗由の姿は、俺を叱っている姿らしい。

 それについては大正解である。

 

「わ、悪いかよ」

「まったくもう、子供じゃないんだから」

 

 叱ってくる相手が華恋さんになるだけで、急にご褒美になるな。

 そういうの、もっとください。

 ──って違う違う。俺の方も演技しないといけないんだ。

 

「なんだよ。言われなくても最近は少し食べてるし」

 

 目の前にいる華恋さんの姿に紗由を重ね、出来るだけ自然で雑な距離感のある口調に近づける。

 

「ほんと? じゃあ、私のお弁当にピーマン入れてきても食べてくれる?」

「それは……普通に嫌だけど」

「ほら、食べられないじゃない」

 

 話が深まるにつれて、華恋さんが紗由に近づいていくような感じがする。

 なんだろう、特徴を掴むのが上手いというか、なんというか。

 

「ちゃんと食べれるし! 見てろよ、明日の弁当に入れてきてやるからな!」

 

 いつも紗由にしているように、わざとらしく突っかかる。

 何か反応が返って来るのかと思いきや、華恋さんは何やら考えるようなそぶりを取りながら黙り込んでしまった。

 

「これが自然な祐一君なんだね。なんだか子供っぽいかも」

 

 反応を伺っていると、彼女はそう小さく呟く。

 

「うっ……」

 

 痛い指摘を受けて、思わず声が漏れる。

 言われてみれば、俺は紗由の前だと子供っぽいところがあるのかもしれない。

 あんまり華恋さんの前では見せたくない姿だけど、紗由の前というシチュエーションを意識すると、どうしても出てしまう。

 

 こんなの生き恥だぁ! 早く催眠を解除してくれぇ! 

 

 催眠術にかかったふりをしながら一人で悶絶していると、ふふっと柔らかい声が響いた。

 

「でも、少し可愛いな。そういうところ、もっと見せてくれると嬉しいんだけど」

 

 華恋さんは口元を隠しながらくすくすと笑っている。大きく口角を上げて笑みを浮かべる華恋さんは一段と綺麗だった。

 可愛い? もしかして好感触ってこと!? うぅ、最高! やっぱ催眠止めないで! 

 

「まあ、こんなものかな。自然な祐一君も見れたし」

 

 一通り笑い終えると、再び五円玉を取り出す。残念ながら、催眠術は終わりにするらしい。

 あれ、そもそも最初の趣旨ってなんだっけ。なんか普通にこの催眠ごっこのシチュエーションを楽しんだけど、これで終わっていいんだっけ。

 

「あっ、そうだ。最後に一つだけ」

 

 引っかかりを憶えていると、思い出したように言って五円玉を引っ込める。

 

「私のこと……華恋って呼んでみて」

「んぎゅ!?」

 

 突然のことに変な声が出てしまう。流石にそれは不意打ちすぎる! 

 なんで今ぶっこんでくるの!? ま、まずい! 頑張って維持してる無表情が崩れてしまう! 

 

「呼べないの……?」

 

 俺の前に立って、わずかに赤らんだ頬のまま首をかしげる華恋さん。

 

「……華恋」

 

 喉の奥から声に出す。

 

 すぐに、短く息をのむ音が聞こえた。

 それは俺のものではなく、華恋さん──いや、『華恋』のもの。彼女の頬は一段と赤みを増している気がした。

 

「い、いいね。よくできました」

 

 華恋さんは少しうつむいて、顔を隠しながらそう呟いた。

 見てはいけないものを見ているような気がして、俺の方も目を逸らしていた。

 

「あーっ、もう、なんか恥ずかしい! 催眠解除! かいじょーっ!」

 

 華恋さんは必死にそう叫ぶ。これで終わりだ。

 さて、ぼちぼち演技を終えるか……。

 あれ? これって催眠術にかかってる間の記憶ってどうなるんだろう? 

 

 たぶん記憶は消えてた方がいいよな? 

 

「……ん。あ、あれ? 華恋さん?」

「気分はどう?」

「どうって言われても……。あれ、催眠術はどうなったの? これからかける感じ?」

 

 目をぱちくりさせ、何が起きたのか分からないことをアピール。

 どうにも彼は催眠術にかかったことを憶えていないらしい──そう気が付いた華恋さんは目を丸くすると、ぺらぺらと『初心者向け催眠術の全て(略)』をめくる。

 

「あれ、おかしいなぁー。記憶は無くならないはずなんだけど……」

 

 おっとまずいぞ。記憶は無くならないらしい。

 

「よく分からないし、もう一度かけてみてよ、催眠術」

「む、無理だよ! 恥ずかしいもん!」

 

 あっ、恥ずかしいんだ。

 

「記憶が消えちゃうなら、もっと見ておくべきだったな……」

「華恋さん、その……」

「呼び方も戻ってる! もう! 今日はここまで! ばいばい!」

 

 華恋さんは『初心者向け催眠術の全て(略)』をショルダーバッグにつっこむと、慌てた様子で出て行ってしまった。

 たんたんたん、と軽やかな足音が響いて、その姿が扉の影に吸い込まれる。

 

 扉が閉まる瞬間、わずかに見えた華恋さんの横顔は初めて見るものだった。

 きゅっと結ばれた口と、桃色の髪よりも色づいた頬──。

 

 こうして、俺と華恋さんの催眠ごっこは終わった。

 彼女が屋上に残していったのは疑問だった。

 それは俺の中で熱を帯びて、モヤモヤとした形に変わって胸の奥に沈殿していく。

 

 状況を整理すると、華恋さんは自分でも「あんなの恥ずかしい」って分かってたのに、記憶が残る催眠術をかけてたってことだよな。

 紗由のふりも、呼び捨ても、ぜんぶ俺が憶えていてもいいと思っていたわけで。

 

 それに名前を呼んだ瞬間に見せた、赤らんだ頬と、あの息をのむみたいな仕草。さらには「可愛い」なんて言葉まで。

 あれも全部本心で、冗談じゃなくて本気だったってことなんだよな? 

 

 だったらなんで、最後の最後であんな風に逃げるみたいに帰ってしまったんだ? 

 それに、あの顔も……どういう意味だったんだろう。

 

 催眠術が失敗したから恥ずかしかっただけなのか? 

 それとも、俺が急に記憶を失くしたみたいな演技をしたから驚いただけ……なのか? 

 

 これって──どういうことなんだ? 

 

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