正門の前では、片手にドラッグストアのレジ袋を持った少女、ハルが待っていた。
康斗の妹、ハルこと蘆吹
ハルは俺や紗由の母校、
今日のハルは制服のセーラーではなく、学校指定の青ジャージを羽織っていた。健康的な肌に、白いTシャツと青の短パンがよく映えるザ・スポーティー少女。
脚は細いくせに無駄に締まっていて、あれで本当に帰宅部なのかと疑いたくなる。
髪はショート+アシンメトリーで、前髪の片側だけを水色のヘアピンでかき上げ、もう片側は放っておくと目元にかかりそうなぐらいの長さにしている。
前に会ったときはシンプルなポニテだったので、いつの間にかイメチェンしたらしい。
「あっ! 祐にぃ! 祐にぃ!」
ハルは俺を見つけるや否や、ぱぁっと顔を明るくした。さっきまで周りの高校生にビビってたくせに、俺を見つけた途端、元気が爆発するあたり本当に分かりやすい。
「やっと来たっす!」
ハルは手を大きく振ったり、ぴょんぴょん跳ねたりして存在をアピールしている。その瞬間、ヘアピンがカランと音を立てて吹き飛んで、「うわぁ!」と声を上げながら慌てて回収しはじめた。
周りのツワブキ生たちからクスクスと笑われながらも、ぴしっとヘアピンを付け直す。そして俺を正面に捉えたハルは、おもむろにクラウチングスタートを切って、勢いよく飛び込んできた。
「会いたかったっす~!」
「ちょ、ストップ! ストップ!」
ハルは爆発的な加速を掛けて、ドガン! と音がするぐらいの勢いで腹に突っ込んでくる。
「ぐうぇっ」
細いくせにしっかりとした体つきの肩が、的確に俺のみぞおちを捉えていた。
ぶつかった衝撃で、ヘアピンはまたしても吹き飛んでいる。
「あはは~。久しぶりに会ったから、つい興奮しちゃったっす」
頭をぐりぐり擦りつけると、ハルは顔を上げてニシシっと笑みを浮かべた。口元には八重歯を覗かせていて、まるで子犬みたいな笑顔だ。
「毎度毎度、受け止める俺の身にもなってくれ」
「祐にぃは体がおっきいから大丈夫っす。昔からずっと受け止めてくれるっす」
「大丈夫じゃないから言ってるんだが」
「だって祐にぃを見たらドンってしたくなるっす。これもハルなりの愛情表現っす」
口では文句を言いながらも、何だかんだ受け止めてしまうあたり、俺も甘いと思う。正直なところ、俺はこういうマスコット系の可愛さに弱い。ハル相手だと、どんなこともついつい許してしまうのだ。この子犬系少女におねだりでもされたら勝てる気がしない。
「ヘアピン落ちたぞ」
足元に転がっているヘアピンを拾い上げると、ハルの前髪に触れる。汗でしっとりとしたおでこをなぞって髪をかき上げ、ヘアピンを差し込む……あれ、こんな感じだっけ。なんか違うような。
「んっ……少しずれてるっす」
「こっちか?」
「もっと左っす」
「どっちから見て?」
「そっちじゃないっす!」
少し苦労しながらも、ヘアピンは元に位置に戻った。
今のアシンメトリーはポニテと比べて前髪が(片方だけだが)さっぱりとした分、スポーティーさが増している。大胆なイメチェンだが、かなり似合っていると思う。
あっ、そういえば、こういう変化に気が付いた時は口に出しておくべきなんだよな。
亜希と話した時に学んだのだった。忘れぬうちに褒めておこう。
「髪型変えたんだな」
「この前イメチェンしたっす。ニューハルっす」
「よく似合ってるぞ」
「ほんとっすか? うれしい……変えてよかったっす!」
ハルはヘアピンをいじって新しい髪型を強調しながらはにかむ。
喜んでくれたみたいでなにより。やっぱ口に出すのって大事なんだな。
「汗かいてるが、ここまで歩いて来たのか?」
「ハル、頑張ったっす。ここまで走ってきたっす」
えっ、走って来たの?
鷹胡台からツワブキってかなり距離あるぞ。相変わらず体力おばけだな。
「遠かったろ。バスとは言わないが、チャリぐらい使えばよかったのに」
「兄ちゃんのピンチなので、急ぐ必要があったっす。チャリ取らずに学校から直に来たっす」
ハルは自分の頑張りを褒めて欲しそうに、頭を向けて「んー!」と声を上げた。撫でて欲しいのだろう。ハルは中学生とはいえまだ子供っぽいところがあり、頭を撫でられるのが好きなのだ。
よしよし、と撫でてやると、やっぱり子犬みたいに喜んでいる。
ぶんぶん揺れる尻尾がみえる。みえるぞ……。
ちなみに、この調子で紗由の頭を撫でようもんなら即殺されるので、十分に気を付けなければいけない。紗由曰く、女の子は髪のセットに時間をかけているから安易に触れるのは禁忌らしい。
でもハルは普通に触らせてくれるんだよな、不思議だ。
そんなことを考えながら、頭のてっぺんをわしゃわしゃする。
「えらいえらい。偉いから、次は猛ダッシュで突っ込んでくるんじゃないぞ」
「えへへー。善処するっす」
絶対善処する気ないだろ……まあいいか。
とりあえずハルから詳しい事情を聴いて──康斗の救出に向かわなくては。
「さて、ハルよ。事情を説明してくれるか」
「っす。兄ちゃんは今、危機的な状況に陥っているっす」
「それは電話で聞いた。どうしてそんなことに」
「あれは昨晩まで遡るっす……」
ハルは口で「ぽわんぽわんぽわ~ん」とSEを流し出す。このまま過去回想に入られると困るので慌てて中断させた。
「康斗のためにも、一言でまとめてくれ」
「むぅ、分かったっす。端的に言えば、兄ちゃんは牡蠣に当たったっす!」
康斗の奴、腹を下してもう何時間もトイレに籠っているらしい。しかも、初めから俺に助けを求めればいいのに、恥ずかしがってハルを頼ったそうだ。
ハルからの電話で腹痛とは聞いていたが、まさか牡蠣とは……。思ったよりも緊急で康斗の下に向かう必要がありそうだ。ハルと戯れてる場合じゃなかったな。
ちなみに、電話の内容はこうだった。
──兄ちゃんが腹痛でトイレから出られなくて詰んでるので、助けてほしいっす。しかもスマホのバッテリーが切れたらしくて、連絡つかないっす。救援物資をもってツワブキまで来たんすけど、よくよく考えたら男子トイレに入れないから来てほしいっす。今は正門の前にいるっす!
「モバイルバッテリーと、スポドリと、腹薬を持ってきたっす」
「薬って牡蠣に効くのか?」
「うーん。ノロなら無理っすね。普通の食中毒なら多少マシになるらしいっす」
スマホで検索をかけてみると、とりあえず脱水症状を防ぐことが大事らしい。1.5Lのポカリを買って来たハルはナイス判断だ。
ハルからレジ袋を受け取ると、俺たちは校舎に向かって歩き出した。
しっかし、腹を下して学校のトイレから出られないとは実に不運な奴だ。しかも、原因が牡蠣なので笑い話にすらならない。早く助けに行ってやらんと……。
◇
康斗が籠っているトイレは、一年生が授業を受けている階だった。
まさかこんなに近くにいたとは思わなんだ。
というか、俺、今日だけで何度かこのトイレの前を通っている。
一度目は華恋さんと、二度目は紗由と。そう、二人と話す時に使った人気のない一角、そこに向かう際に必ずトイレの前を通過するのだ。
俺が華恋さんと色々話しこんでいる間、すぐ近くで康斗が腹を痛めていたなんて……。
なんだか色々と複雑な気分。
「じゃあハルはここでまっているので、兄ちゃんをお願いするっす」
「まかせろ」
トイレの中で一体どんな悲劇惨劇が巻き起こっているのかは知りたくもないが、友人がこのまま干からびるのを放置するのも忍びない。
俺は勇気を振り絞って、男子トイレに足を踏み入れた。
「やすとー、いるかー? 生きてるか―?」
放課後の教室近くのトイレと言うこともあって他に人はいなかった。小便器は空で、いくつかある個室の内一つだけが使用中。音も実に静かだった。下していると聞いたので、もっと悲惨かと思って覚悟していたけど、そうでもないらしい。
「ゆ、ゆう、い、ち」
扉の閉まっている個室から、いまにも掻き消えそうな声が聞こえてくる。
「ハルから事情は聞いた。大丈夫そうか?」
「牡蠣に当たったんだよ……。大丈夫なわけない……。あっ、そうだ。今って何限目? スマホの電池が切れて時間が見れないんだ……」
「お前いつからここにいるんだよ。とっくに放課後だぞ」
「ほんとに? 授業サボっちゃったよ……。あぁ、僕の内申点が……」
こんな時まで授業とか内申点のことを気にするなんて実に康斗らしい反応だ。
そこまで気が回るということは生命の危機にまでは陥っていないということなのだろう。
とりあえず一安心。
「ハルからの差し入れ持ってきてるぞ。モバイルバッテリーと、ポカリと、薬だ」
「た、助かるよ。誰にも連絡が取れないから詰んだかと思った」
「なんで俺に連絡しなかった。友達だろ?」
「だって恥ずかしいじゃないか。トイレまで差し入れ持ってきてくれ、なんて」
「妹を男子トイレに呼ぶのもどうかと思うぞ……」
「ハルなら気にせず入って来るよ。そういう奴なんだ」
兄特有の妹に対する雑な扱いに苦笑しつつ、差し入れを渡すために扉を開けるように言った。
個室の中では康斗が丸まっていた。詳細については彼の尊厳もあるので省いておくが、ともかくとして俺は差し入れの物資を無事渡すことに成功した。
渡し終えるとそっと扉を閉めて、外から会話を続ける。
「トイレットペーパーの残りは大丈夫そうか?」
「予備も含めて余裕あるよ。なくなったら連絡する」
「了解だ」
「あと、ハルに礼を言っといて」
「部活が終わるまでは学校にいるから、なんかあったら言えよ」
「ほんと助かっ──うっ、ぐぐぐぐ!」
どうやら、再びお腹の調子が悪くなってきたらしい。
俺は康斗の悲痛な叫びを聞くよりも前に、急いでトイレの外へと飛び出した。
「兄ちゃん、大丈夫そうっすか?」
「命の危機はなさそうだが……。しばらくは出れないだろうな」
それを聞いて、ハルは少しだけ俯いた。
当の兄からは雑に扱われているし、本人も明言こそしないがハルはお兄ちゃんっ子だ。やっぱり心配しているんだろう。
「俺たちがどうこう出来ることでもないし、アイツの回復を神にでも祈るとしようじゃないか」
「お腹痛くなると神様に祈りたくなるっすよね」
分かる。まあ大抵、救ってくれるのは神様ではなく時間の方であるが。
他に出来ることもないので俺たちは康斗の回復を祈りつつ、トイレから離れることにした。
「ところで、どうしてハルは無事なんだ? 牡蠣は晩飯だったんだろ?」
「食べてないからっす。牡蠣……というか、貝類全般食べれないっす。びらびらで、ぶにぶにで、グロち悪い」
ハルはわざとらしく身震いして見せる。
グロち悪いとかいう新しい単語を創るぐらいには貝類が苦手らしい。
「ちなみに、父さんも、母さんも、会社でトイレとお友達になってるらしいっす」
「蘆吹家は全滅ってわけか」
「あんなもの、人の食べるものじゃないっす」
そこまで言うほどじゃないだろう。美味しいぞ、牡蠣。当たるのは怖いけど。
「これからどうする。康斗の面倒は俺が引き受けるが、ハルは家に帰るか?」
「せっかくツワブキまで来たから、この機会に学校を見て回りたいっす。祐にぃ、案内してくれますか?」
「そりゃ構わないが、その前に部室に戻らないと」
「部室! 知ってるっす。二人とも漫研に入ったって聞きました。ハルも行きたいっす!」
◇
「パイセン、戻りました」
「おぉ、来たか北見! 聞いてくれ、モニターだが何とかなりそうだ!」
部室に戻ると、上機嫌な重浦先輩が待ち構えていた。
「そりゃよかったですね。あの、紹介したい人がいるんですけど」
「なんだなんだ。珍しいこともあるもんだな。まさか新入部員か?」
「まあ……将来的には?」
「なんだと!?」
背中にぴったりと張り付いて隠れていた少女に出てくるよう促す。ハルは重浦先輩に対して緊張した面持ちを浮かべつつ、ちらっと顔を出した。
「こ、こんにちは……っす」
俺のシャツをギュッと握りしめながら、警戒するように背中越しに部室の様子を伺っている。
「な、なんだその可愛い生き物は!? ……まさか隠し子!?」
「そこまで歳離れてないでしょ」
「じゃあ、お前の妹か?」
「俺のではなく……」
「あ、あの。蘆吹実羽瑠っていいます。いつも兄がお世話になっております。っす」
ぎこちない敬語で告げると、先輩は音を立てて椅子から転げ落ちた。
「なんだと!? 蘆吹には妹がいたのか!」
「知らなかったんですか」
「しらん! てか、ずるい、ずるいぞ、お前たち! 片や幼馴染持ち、片や妹持ちだと!? どっちも居ない私の存在意義はどこにある!」
「人間の存在意義は幼馴染と妹じゃ決まらないですよ」
「しかも北見よ、随分とお前さんに懐いているじゃないか、えぇ? 幼馴染、転校生ときて、妹系ヒロインにまで手を出すとは、イイご身分だなぁおい」
「変な言い方はやめてくださいよ……。そもそも誰にも手出してないし」
恋愛脳……というか、恋愛ゲーム脳の重浦先輩に飽きれつつ、ハルを部室の中に入れた。
「すごい、漫画がいっぱいっす。すごいっす。秘密基地みたいっす」
部室の真ん中に立つと、興味深そうに部室の中をぐるりと見渡している。
「おいおい、今の聞いたか北見。『~っす』って後輩口調を語尾の全部につけるタイプの子だ。リアルで初めて会ったぞ」
その様子を見守っていると、先輩がこそっと耳打ちしてくる。
「あれ素でやってるので、あんまり言わないでやってください」
「マジか。素なのか。蘆吹の妹は才能あるな……。歳はいくつなんだ?」
「中学二年です」
「あぁ……」
「いや、そこで納得しないでください。中二病とかじゃないですからね?」
「ほんとかぁ? まあいい、とりあえず座ってくれ」
椅子に戻った先輩に言われ、その向い側に並んで腰を掛ける。
「それで北見よ、蘆吹(兄)が来ないと思ったら、代わるように蘆吹(妹)が現れた。これは偶然じゃないんだろう?」
「はい……実は……」
俺たちは康斗の現状について説明した。
「そりゃ大変だ。保健室には話したか? 万が一にもノロだとまずいぞ」
「いえまだ……」
「だったら、こっちで小抜先生に伝えておこう。一応、部長だしな」
「助かります」
「まあ、男子トイレとなると……どれほど役に立てるかは知らないが」
先輩は困り顔を浮かべながら立ち上がる。
「蘆吹(妹)よ。これから学校を見て回るんだろう?」
「は、はいっす!」
「ツワブキはいいところだ。ぜひ色々見て行ってくれ」
珍しく大人っぽいことを言うと、ハルに微笑みかけてから部室を後にした。
「あれが重浦先輩……なんすね。兄ちゃんから聞いてた話よりも、なんというか……」
「なんというか?」
「大人しい外見っすね」
「尖ってるのは性格と口調だけだからな」
ハルがどんな想像していたのかは知らないが、制服はちゃんと着ているし、髪型もごく一般的なものなので、外見上はそれほど目立つタイプではない。
話してみることで、ようやくその内面のヘンテコさが分かる。
それが重浦先輩という生物なのだ。