勝ちヒロインを好きになってしまったのですが   作:北極鳥ユキ

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その21 二人きりの保健室

 袴田に連れられ、保健室に担ぎ込まれた。

 

 保健の小抜先生による処置──といっても鼻栓ぐらいだけど──が終わり、ベッドに寝かされる。鼻血ぐらいで大した怪我でもないが、大事を取っての処置らしい。

 

「俺、体育館に戻って北見の様子を伝えてくるよ」

 

 そんな様子を一通り見守っていた袴田は、大した怪我じゃないことに安心したようだ。

 

 待ってくれ袴田! 俺を一人にしないでくれ! 小抜先生と二人きりにしないでくれ!!

 

 そんな心の叫びもむなしく、袴田は保健室から立ち去ってしまった。

 

「具合はどうかしら」

「だ、大丈夫です」

 

 残された俺は小抜先生の質問に震え声で返す。

 別に気分が悪いわけではない。ただ、俺はこの先生のことが苦手なのだ。

 

 若くて無駄に色っぽい雰囲気があり、保健室の先生にしてはちょっと……いや、かなり不健全すぎる。あとはまぁ、発言も結構アレな人だし。

 

「流石に体は強いのね」

「どういう意味ですか?」

「だって北見君、いつも校内で幼馴染とSMプレイに励んでるでしょ」

「励んでないですけど!?」

 

 ……こういう感じに。

 

 必死の否定に対して、小抜先生はあらそうと何故か不服そうな様子でうつむく。

 少し経ってようやく顔を上げたかと思えば、ちらっと窺うような視線を俺に向けた。

 

「私には隠さなくてもいいのよ? 誰にも言わないから」

 

 ホントにしてないですからね!?

 

「もしかして今回も──」

「違います! ただちょっと、体育でかっこつけようとして失敗しちゃって!」

「あらそうだったの」

 

 小抜先生はくすりと笑った。

 

「その気持ち、分かるわ。私も君ぐらいの頃にはそういう失敗があったから」

 

 なんか意外だ。先生って男から死ぬほどモテそうだし、自分から何かするタイプには見えない。

 先生にも好きな人がいて、相手にいいところを見せようとしたのだろうか。

 だとしたら多少の親近感が──。

 

「最初の一、二回は良かったんだけどね。あと一回、もう一回って頑張りすぎたら、相手が先にばてちゃって」

 

 ……やっぱりおかしいな、この人。

 

 会話のドッジボールを強制終了させるべく、俺は心を無にしてベッドに沈み込んだ。

 

「あ、そうそう。しばらくは安静だからね?」

 

 小抜先生は急にまともなことを言い出すと、ベッドを囲うカーテンを閉じた。

 

 一人になってようやく落ち着くと、今度は体育で失敗したという事実と、その恥ずかしい記憶がよみがえってくる。

 調子に乗ってシュートを止めようとして保健室送りとか、余りにもダサすぎる。

 本当なら今すぐに枕に顔をうずめて叫び出したいところだが、すぐそこには小抜先生がいるし、鼻も痛いしで、何もできず仕舞いだった。

 

 家に帰ったら叫ぼう……。

 

 少しの間ベッドで寝転んでいると、コンコンと扉をノックする音が聞こえてきた。

 

「あら、いらっしゃい。お見舞いかしら?」

 

 小抜先生の声は聞こえたが、相手の声は良く聞こえない。

 この保健室には俺以外に患者はいない。紗由が来てくれたのだろうか。

 

 足音が近づいてくる間、なんて愚痴をこぼそうかと逡巡する。

 最近アイツに愚痴りすぎな気もしていて、なんか追い打ちをかけられそうな予感もするけど……まあ、流石の紗由だって怪我人に対しては優しくしてくれるだろう。たぶん。

 

 ……してくれるよね?

 

 シャーっと音がして、カーテンがわずかに開く。

 先に顔をのぞかせたのは小抜先生だった。

 

「お客さんが来てるわよ」

「あぁ、はい」

 

 適当に返事をして、首を少し動かして先生とその背後にいる見舞い人の方を向いた。

 

「悪いな、心配かけて……」

 

 優しく接してもらうために、まずは下手に出る作戦だ。

 弱っているところを見せれば多少は紗由の態度だって変わるはず。

 

「祐一君……大丈夫? 鼻血は止まった……?」

 

 しかし、そこにいたのは紗由ではなくて。

 

「華恋さん!?」

 

 思わず飛び起きてしまった。

 急に体を動かしたのが悪かったのか、あるいは華恋さんのせいで心拍数が上がったのか。

 鼻腔の奥がまたじんわりと温かくなって、鼻栓をあっという間に赤く染めた。

 

「見ての通り大丈夫だよ。……うん、大丈夫。まじで」

 

 鼻を押さえながらそう言って強がってみたけど、染み出した血がダラダラと口元まで垂れてきたので説得力は皆無だった。

 

「あらあら、また出ちゃったわね」

 

 小抜先生は意味深に目を細めると、ティッシュ箱をすっと差し出した。

    

     ◇

 

 鼻栓を交換し終えると小抜先生が口を開いた。

 

「先生、ちょっと職員室に行ってくるから。あとは若い二人でごゆっくり」

「え、あ、はい……!」

 

 ベッド脇のソファにちょこんと座っていた華恋さんは飛び上がるように返事する。

 先生は意味ありげな視線を俺に向けると、保健室から出て行ってしまった。

 

「ちなみにこの部屋、中から鍵をかけられるからね」

 

 最後に、そんな意味の分からない言葉を俺たちの間に残して。

 

 本当に何なんだあの人……。

 

 扉が閉まるとあっという間に静寂が室内に満ちて、この部屋には俺と華恋さんの二人だけという現実を突きつけられた。

 

 小抜先生の言葉のせいで、俺は二人きりという空間を変に意識してしまっている。

 なんて言葉を紡げばよいのか分からず少し気まずい。

 

 どう声をかけようか迷っていると、華恋さんが先に沈黙を破った。

 

「……具合はどう? 痛まない? 気分が悪かったりしない?」 

「全然平気。ちょっと鼻をぶつけただけだし」

 

 強がって明るく答えると、華恋さんは「よかったぁ」と、胸をなでおろす。

 そこでふと、彼女の綺麗な髪がやや乱れていて、白い額にうっすらと汗がにじんでいることに気が付いた。

 

「あ、ごめんね。爆速で試合を終わらせてきたから、汗かいちゃってるかも……。変なとこ見せちゃったね」

 

 視線に気が付いた華恋さんは少し頬を染めると、ハンカチで汗を拭ってから、慌てて自分の髪を梳くように手で整えはじめた。

 

「いや、全然変じゃないよ! むしろ……。あ、いや、なんでもないです」

 

 むしろ汗をかいてる華恋さんはいつも以上に綺麗です──なんて口が裂けても言えなかった。

 流石にキモすぎる。

 

 でも、普段は隙のない完璧な美少女ヒロインである彼女が俺のために息を切らして、少し乱れた自分の身だしなみを気にして恥じらっている。

 その事実と、眼前に広がる光景だけで、止まったばかりの鼻血がまた吹き出しそうだった。

 

 亜希の時も思ったけど、運動後の女の子って破壊力すごいな。

 もしかすると、俺ってそういうフェチがあるのかもしれん……。

 

「祐一君、どうかした?」

 

 そんな下心が顔にまで出ていたのだろうか。華恋さんが不思議そうに柔らかく微笑むので、俺は慌てて話を逸らした。

 

「ああ、いやぁ、本当にごめんね。心配かけて」

「ほんとだよ。草介君のシュートを顔で受けちゃうなんて。みんな心配したんだから」

「ごめん。……でも、やっぱダメだなー、俺って。かっこつけて飛び込んだ結果、顔面ブロックで心配かけちゃうなんて、自分でも呆れるっていうか」

 

 お昼ご飯もそうだけど、最近はこうやって華恋さんと自然に話せるようになってきた。

 日々、華恋さんとの距離が縮まっているのが分かる。

 それがとにかく嬉しくて、そして今はそのチャンスさえもロクに活かせない自分がたまらなく情けなくなった。

 

 今の俺の中には嬉しさと同じだけの悔しさがあって、それがぐちゃぐちゃに混ざり合っている。

 

「相手に袴田と安宮がいたからさ、俺もかっこつけるぞーって、調子乗っちゃったよ。あはは」

 

 当然、華恋さんにそんな感情を気取られてはいけない。

 俺は渦巻く感情を押し殺すように、自嘲気味に笑ってみせる。

 

「派手に失敗しちゃったし、心配よりもいっそ笑ってほしかったかも……なんて」

「笑ったりしないよ!」

 

 華恋さんは表情をすっと真剣なものに変えると、ソファから立ち上がりベッドのすぐ横まで歩み寄ってきた。

 

「草介君のシュートはたしかにすごかったけど、私ね、逃げずに真っ直ぐ飛び込んでいった祐一君から目が離せなかったよ」

「え……」

「だからかっこ悪くなんかないよ。草介君に勝ちたいって思いが伝わってきたし、そんな祐一君の姿はとっても一生懸命で、すごくかっこよく見えたんだから」

 

 真っ直ぐに見つめてくる華恋さんの瞳に、俺の顔が映っている。

 俺だけが映っている。

 そして、俺に向けてきた冗談でも、慰めでも、誤解でもない、心からの言葉。

 

 俺のこと、かっこいいって。

 

 胸の奥がギュッと締め付けられる。心臓の高鳴りがどんどん強くなる。

 

「あ……でも、無茶はダメだよ? 祐一君が倒れたとき、心臓が止まるかと思ったんだから……」

 

 華恋さんは拗ねた子供のように唇を尖らせる。

 その仕草はあまりにも破壊力が高くて、それまでの言葉で既に一杯一杯だった俺の脳みそは完全にオーバーヒートして、顔がじんじんと熱くなった。

 

「う、うん。わかった。無茶はしないよ……」

 

 口をモゴモゴさせて、小さな声で、でも素直に返事する。

 本当なら華恋さんの顔をずっと見ていたいけれど、流石にこの表情は見せられないので顔を逸らした。きっと俺の顔は真っ赤になっている。

 

 そんな様子がおかしかったのか、華恋さんはくすりと小さく笑った。

 

「でもあんなに体を張るなんて、そんなにお昼のジャンケンが悔しかったのかな」

「違うよ。ただ……ほら、みんな見てたからさ」

「ああ、紗由ちゃんとか」

「アイツもそうだけど……華恋さんも、俺たちのこと……見てただろ? だから、負けられないなぁって……」

「そう、なんだ」

 

 華恋さんは目を少し丸くした後、どこか嬉しそうな声音で小さく呟いた。

 

 そこからまた沈黙があって、お互いに出方を窺うように視線を重ねてみたり、逸らしてみたりを何度か繰り返す。

 元々、透き通るように白い肌だから、僅かに赤みを帯びるだけですぐに分かってしまう。

 華恋さんも照れていた。

 

「あっ。……祐一君、顔」

「うえっ、また血出た!?」 

 

 あるいは華恋さんの照れ顔が可愛すぎて、無意識にキモイにやけ顔が出てしまったか……。

 

 慌てて自分の顔をぺたぺたと触って確かめてみるが、華恋さんは首を横に振った。

 

「ううん。血じゃないけど……ほっぺに何か付いてるみたい」

 

 不意に細い指が頬から顎にかけてのラインをなぞってきた。

 やさしく、すっと、指先が俺の顔に触れる。

 

「これ、ボールの跡かな。痛くない?」 

 

 華恋さんはそれが傷じゃないことを確認すると、さっきのハンカチを取り出す。そして、ハンカチが頬に触れそうになって──。

 

「うあっ!? これ私が汗拭いたやつだ!?」

 

 そこで気が付いたようで、華恋さんはその場で跳ねた。

 

「ご、ごめんね! すぐに洗ってくるから!」

 

 全然いいんですけど。

 いやむしろかなりアリですけど。

 

 慌てて保健室の隅にある手洗い場に向かった華恋さんを見つめながら、俺はそんなことを思う。

 

 ……てか今日の俺かなりキモイな。きっと頭を打ったせいだ。うん。

 

「じっとしててね」

 

 キュッと固く絞ったハンカチを持ってくると、華恋さんはベッドに横たわる俺の顔を覗き込むように身を乗り出してきた。

 ふわりと、シャンプーのような、甘い花のような、いい匂いが鼻腔をくすぐる。

 華恋さんの顔が息がかかるほどの至近距離に近づいてくると、白くて細い指先が濡れたハンカチ越しに俺の頬にそっと触れた。

 ひんやりとしたハンカチが、熱を帯びた頬を僅かに冷やす。

 

 目の前にある華恋さんの綺麗な顔立ち。長いまつ毛も、少し潤んだ大きな瞳も、ほんのりと赤い頬も、形の良い唇も、すべてがくっきりと見えた。

 この人は本当に美人なんだな、なんて分かり切ったことを再認識させられる。

 

 優しく頬を拭ってくれるたびに、華恋さんの柔らかい視線が俺の視線と絡み合う。

 

「あの、華恋さん……」

「もう少し、もう少しだから……」

 

 頬を赤らめた華恋さんの声は微かに震えていて、拭く手つきがぎこちなくなっている。

 彼女自身も、この距離感にドキドキしているのが伝わってくる。その様子は初々しくて、余りにも可愛らしすぎる。

 

 俺の心臓も一段と強く、早鐘のように激しい音で鳴り響いていた。

 

 こんなことをされて、相手を意識しない男なんて存在しないだろう。

 ただでさえ俺は元から華恋さんのことを好きなのだ。一歩間違えば、好きという言葉が口から溢れ出てしまいそうだった。

 

 いや、もうすでに──。

 

「華恋さん……俺……」

 

 言いかけたその時──キーンコーンカーン、と終鈴が鳴った。

 まるで俺の言葉を遮るためだけに鳴ったかのような絶妙なタイミングだった。

 

 その音に反応するように、華恋さんの肩がビクッと大きく跳ねる。

 華恋さんはハッと我に返ったように顔を勢いよく離して身を引いた。 

 

「チャイム……鳴っちゃったね。もう少し話したかったけど着替えないといけないし、そろそろ戻らなきゃ」

「あ、うん。わざわざ見舞いに来てくれてありがとう」

「どういたしまして」

 

 華恋さんは保健室の扉のところまで歩いてから振り返った。

 その表情はまだ少し恥ずかしそうで、でも真っ直ぐに俺のことを見てくれていた。

 

「本当に、無茶はダメだからね? あと、その、今度また、一緒にご飯食べようね。二人きりで」

 

 そう言うと今日一番の可愛い笑顔を残して、華恋さんはゆっくりと扉の向こうへ消えていった。

 

「……」

 

 突然のことに俺は呆然とする。

 少し経ってようやく言葉の意味を理解して、思わず叫び出しそうになった。

 

 気が付けば、痛みや羞恥なんて消え去っていた。

 しかしその代わりに、胸の奥が熱くて、むず痒くなるような、言葉では言い表せない悶々とした感情が残されていた。

 このどうしようもない感情を発散させるために、鼻の痛みなんて忘れて枕に顔をうずめた。

 

 あんなの、惚れるに決まってるじゃん!

 あああああああ! 華恋さんのことが好きすぎて辛い! 誰か助けて!!

 

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