勝ちヒロインを好きになってしまったのですが   作:北極鳥ユキ

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その22 二人きりの朝

 上機嫌。いや、有頂天。

 今の俺を表現する方法は、この世にまだない。

 

「ただの迷惑人でしょ……」

 

 ふわぁ、とパジャマ姿の紗由は大きくあくびをしながら目を擦る。

 

「だって華恋さんとすっごくお近づきになれたんだぞ!? それに二人でごはん食べようって誘われたんだぞ!」

「はいはい、すごいすごい。で、それは朝五時に家まで押しかけてくる理由になるの?」

「なにっ、まだ五時か」

「まだって……アンタいつから起きてるのよ……」

 

 紗由は眠気眼のままリビングをすり足で移動してテレビをつけた。

 朝のテレビ番組はちょうど五時を知らせている。目が覚めてからもう二時間も経っていた。いや、まだ二時間と言うべきか。

 ああ、早く学校に行きたいなぁ。早く華恋さんに会いたいなぁ。

 

「こんなことなら、昨日のうちに話を聞いておくべきだった……」

 

 紗由は頭を抱えながらボヤく。

 

 昨日は俺が部活が始まるまで保健室にいたことや、紗由のテニス部が無かったことが重なり、珍しく別々に帰宅していた。

 そんなわけで、保健室での出来事を報告するのは翌日にまでずれ込んでしまったのだ。

 

「いっかい寝たら?」

「ダメだダメだ。もう登校準備は終わってるし、風呂入って髪だってセットしてきたんだぞ! 寝れるわけないだろ!」

「……おとなしくソファーで寝るのと、私に絞め落とされるの、どっちがいい?」

 

     ◇

 

 暗転した視界に、ちらちらと光が差し込む。

 ぼやけた意識がはっきりしてくると、だんだん色々な音が耳に入ってきた。

 コトコト、トントン──。

 テレビの音に交じって、そんな朝の音が聞こえてくる。

 

「うぅ……」

 

 なんか体が痛い。てかすごい窮屈。足が伸ばせないし、頭も固い物にぶつかってる。

 俺のベッドってこんな狭かったっけ……。

 

 なんとか寝返りを打とうとすると、背中が柔らかい壁にぶつかった。

 これ……背もたれ? ってことは、ここはソファーの上?

 

 訳も分からず上半身をむくりと起こす。視界の先に広がっていたのは、我が家の古臭いリビングではなく、近代的な造りの綺麗なリビングだった。

 

「起きた? もう七時よ」

 

 そう声をかけてきたのは、キッチンに立つ紗由。

 朝の支度は終わっているようで、制服の上からエプロンをかけている。

 

 ここは紗由の家のようだ。

 あれ、なんで俺ここにいるんだっけ? なんか記憶があやふやなんだが……。

 

「なあ、俺なんで……」

「もう朝ご飯できるから、さっさと座りなさい」

「あっはい」

 

 言われるがまま食卓に着くと、すぐに白米、みそ汁、漬物、卵焼き、焼鮭が運ばれてきた。

 

「あのぉ……」

「早く食べちゃいましょ。あとアンタ寝癖残ってるわよ」

 

 説明を求めたのに、紗由はガン無視で朝食に手を付ける。

 疑問は尽きなかったが、焼鮭の匂いでお腹が減って来たので、俺も手を合わせると同じように朝食を食べ始めた。

 

 うまい。特にこの焼鮭、良い感じに塩味が付いてて白米と合うな……。

 

 なにか大事なことを忘れているような気がしつつも、朝食を食べ続ける。

 漬物はそっと紗由の方へ移動させた。酸っぱいのダメなんだよ俺。

 

「食べなさいよ」

「やだ」

「子供じゃないんだから」

 

 そう言って紗由は漬物を箸でつまむと俺の方に向ける。

 

「ほら、口開けなさい」

「やだって。俺が漬物を嫌いなことぐらい知ってるだろ?」

「いいから」

 

 紗由は身を乗り出すと、強引に俺の口に漬物を押し込んだ──。

 

「んぐッ!?」

 

 酸味の効いた青臭い野菜。

 苦手な味が口いっぱいに広がる。

 うえぇ、まずいッ……!

 

 その瞬間──脳内に走馬灯……じゃない、昨日の記憶が一気に広がった。

 

 そうだ思い出した! 華恋さんだ!

 

 漬物を丸呑みすると味噌汁で流し込む。

 続けて卵焼き、鮭、白米を順にかきこんで口の中を上書きした。

 

「……そ、そうだ。昨日すっごい進歩したんだよ! 華恋さん、俺のことすっごく心配してくれて見舞いに来てくれたんだ! それで顔を拭いてくれたりして、距離がめっちゃ近づいて」

「ふーん」

 

 俺は昨日の出来事を伝えようと猛烈な勢いで語り始める。

 これまで積極性が足りないだの、話しかけに行けだの、なんやかんやと言われてきたが、流石にこの進歩をけなすことはできまい!

 

「それに俺のこと『かっこいい』って言ってくれたんだ! 袴田のシュートよりも、頑張って体を張った俺のことを褒めてくれたんだ! まあ、心配させたみたいで、無茶はしないでね、って念押しされちゃったんだけど」

「あっそ」

 

 必死に語る傍らで、向かいに座る紗由は静かに朝飯を食べ続けていた。

 視線を伏せたまま味噌汁を飲んだり、黙々と箸を動かして鮭を解体したり。俺の話に微塵も興味がないらしい。

 

「それに今度二人でごはん食べようって誘われてて!!」

「……よかったじゃない」

 

 短く息を吐き出してから呟く。

 

「お皿洗っちゃうから早く食べなさい」

 

 そして、手を合わせたかと思えば逃げるように席を立った。

 紗由は食卓に俺を残してシンクで皿を洗い始める。

 

 なんだよ、失敗した時は文句を言うくせに、俺が成功しても褒めてくれないなんて。

 まあ、別にいいけど……。

 

 褒めてもらえずに拗ねるなんて、我ながら子供っぽいなと思いつつも、なんだか釈然としないままに朝食を食べ終えた。

 

「ごちそうさまでした」

 

 皿を下げると、紗由は俺の手から奪うように片っ端から洗い出す。

 朝食のお礼に手伝いの一つでもしようと思ったのだが、出る幕はないらしい。

 

「そういえばさ、昨日お前は見舞いに来てくれなかったよな」

「なに。来てほしかったわけ」

 

 洗い物をする紗由の手元を覗き込みながら言うと、不意にその手がぴたりと止まった。

 少しの沈黙の後、紗由はゆっくり顔を上げたかと思えば、俺のことをジロリと睨みつけた。

 ジト目とかそういうレベルじゃないガチの時のやつだ。

 

 こ、こえぇ。なんでそんな機嫌悪いんだよ……。

 

「昨日はテニス部なかったみだいだし、顔ぐらい出してくれるかな~なんて思っただけで……」

 

 慌てて弁解(?)すると、紗由は大きなため息をついた。

 

「アンタって、ほんとバカだよね」

 

 洗い終わった皿を伏せると、水音がキッチンに響く。

 紗由は俺の方を見ようとせず、濡れた手を見つめたまま、ぽつりとこぼした。

 

「……そんなことにも気付けない男は、華恋ちゃんとは付き合えないわよ」

「えっなに? どういうこと?」

 

 紗由は俺の疑問に答えることなく、横を通ってキッチンから出た。

 取り残されてしまった俺は一人で首をひねる。謎のモヤモヤと頭を悩ませていると、紗由は二階の自室から鞄とテニス用具を持って戻ってきた。

 

「あと、はいこれ」

 

 紗由はキッチンに戻ると、その隅から布の包みを取り出して、立ち尽くしていた俺にドンッと少し乱暴に押し付けてきた。

 

「おわっ」

「アンタの分のお弁当」

「え? なんで?」

「どうせ持ってきてないんでしょ?」

 

 言われてみれば、華恋さんのことで頭がいっぱいで弁当のことを何も考えていなかった。

 てか紗由の家に向かった段階じゃあ、まだ母さん寝てたし……。

 

「おばさんには連絡してあるから」

「悪いな。何から何まで」

「……ほんと呆れる。進歩はいいけど、浮かれ具合もほどほどにしなさいよ」

「面目ない。でも、ありがとな。わざわざ作ってくれて。大変だったろ」

 

 素直に感謝を伝えると、紗由はぷいっと顔を背けた。

 

「……別に、ついでに作っただけだから。ていうか、さっさと準備しなさい。まだ寝癖が残ったままじゃない。私がみてあげるから洗面所行くわよ」

「お、おう」

 

 俺は温かい包みを鞄に突っ込むと、紗由の後を追って洗面所へ向かった。

 

 紗由の家の洗面所は、俺の家とは違って、柔軟剤と柑橘系のシャンプーが混ざったような清潔な香りがする。

 毎日ここに来ているわけでもないのに、なぜかこの匂いを嗅ぐと安心感を覚える。たぶん、紗由の匂いに近いからだろう。

 

「そこに座んなさい」

 

 洗面台の前に置かれた小さな丸椅子に腰を下ろす。

 鏡の中には、後頭部の髪を豪快に逆立てた俺と、背後に立って寝癖直しウォーターを用意する紗由が映っていた。

 

「シュッシュするから、目閉じてなさい」

 

 言われた通りに目を閉じると、すぐにシュッ、シュッと冷たい霧が頭に吹きかけられた。

 更に紗由の小さな両手が俺の頭に添えられ、わしゃわしゃと無造作に髪を掻き回される。

 

「そこまで本格的にやらんでも……」

「アンタ癖っ毛だしこのぐらいやんないと。ただでさえ湿気の多い季節なのよ、もっと自分の髪に気を使いなさい」

「おわっ、ちょっと痛い。もうちょっと優しく……」

「この寝癖が頑固すぎるのよ。ほら、動かない」

 

 文句を言いながらも、俺は抵抗するのをやめて紗由の手にされるがままになった。

 鏡越しにみると、紗由の顔がすぐ近くにあるのが分かる。真剣な眼差しで俺の頭頂部を見つめ、少し唇を尖らせながら細い指先を器用に動かしている。

 

 昨日、保健室で華恋さんの顔が近づいてきた時には、心臓が爆発するんじゃないかと思うくらいドキドキしていた。

 

「ここ……直んないわね……」

 

 紗由の悪戦苦闘する声がすぐ近くで聞こえてくる。

 耳に息がかかって少しこそばゆいけれど、俺の心拍数は驚くほど穏やかだった。

 華恋さん相手にはこうはいかないだろう。これは十数年という時間を共に過ごしてきた幼馴染の特権であり、きっと呪縛でもあるのだろう。

 

「なにニヤニヤしてんの。キモいんだけど」

「いや。お前、ほんとオカンみたいだなって思って」

「誰がオカンよ!」

 

 紗由は怒ったように俺の頭をペチンと叩くと、ドライヤーのスイッチを入れた。

 ぶおーん、という温風の音が狭い洗面所に響き渡る。

 

「熱かったら言いなさいよ」

 

 不服そうなくせに、そういう口調はやっぱりオカンみたいだった。

 

 ドライヤーの風を散らしながら、紗由の空いた手が俺の髪を優しく梳いていく。

 温かい風と、髪を撫でられる一定のリズム。

 それに加えて、紗由の体温が背中越しにほんのりと伝わってくる。

 

「後ろはこんなもんね。次はこっち向きなさい」

「えっ、まだやるの?」

「前髪も整えてあげるから、感謝しなさい」

「寝癖直ったし、もういいんだけど……」

「感謝し・な・さ・い」

「はい……」

 

 俺はおとなしく言うことを聞いた。

 向かい合うと紗由は確認するように前髪を弄り、コームとドライヤーを使って、俺が適当に作ったセンターパートをちゃんとした風に成形し始めた。

 

 目の前で俺の髪を弄る紗由の表情は、先ほどまでの不機嫌さが嘘のように柔らかくなっていた。

 伏せられた長いまつ毛。小さくて形の良い鼻。少しだけ開いた薄い唇。

 毎日見慣れているはずの顔なのに、こうして静かに見つめていると、「こいつも、ちゃんと女の子なんだよな」という、当たり前すぎる事実が不意に胸をつく。

 

 いや、むしろ客観的に見れば、紗由は可愛い女子の部類に入るのかもしれない。

 日頃の暴力性や、小さい頃から一緒にいるから麻痺しているだけで、他の男子から見れば、こんな至近距離で髪を乾かしてもらうなんて、うらやまシチュエーションなのかもしれない。

 

 そう気づいてしまった瞬間、なんだか急に視線のやり場に困った。

 

「はい、終わったわよ」

 

 ドライヤーの音が止み、静寂が戻ってきた。

 紗由は最後に俺の前髪を指先でサッと整えると、満足げに頷いてみせる。

 振り返って鏡を見ると、確かにちゃんとした髪型になっていた。

 

「これで少しはマシな男になったわね」

「ありがと。完璧だわ」

「当然でしょ。……ほら、鞄持ちなさい。そろそろ行かないと遅刻しちゃう」

 

 洗面所を出て玄関で靴を履く。

 家を出ると、爽やかな朝の陽ざしと初夏の少し湿気った空気が頬を撫でた。

 太陽が足元の水溜まりで反射している。

 今日は一日中晴れ予報だった。この調子でずっと晴れていてくれると嬉しいんだが。

 

「そうだ。弁当って何が入ってるんだ?」

「ご飯、卵焼き、ウインナー、ハンバーグ。あと、ミニトマト」

「ミニトマト!? そ、それだけは勘弁してください……」

「ばかね。早く食べられるようにならないと華恋ちゃんの前で恥かくわよ?」

「それは……そうだけどぉ……」

「その分ハンバーグは大きめに作ってあるから、残さず食べなさいよ」

「はぁい……」

 

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