「で、草介はお姉さんと喧嘩して……」
まさか袴田にそんな過去があったなんて。
無駄に語りの上手い八奈見の話を聞いていると、あっという間に昼ごはんを食べ終えていた。
……♪ ……♪
彼女の語りを止めたのは、五人の間に不意に響いた着信音だった。
「あっごめん。お父さんからだ。ちょっと出てくるね」
紗由はスマホの画面を確認すると、立ち上がり足早に教室を出て行ってしまう。
こんなに面白い話のオチを聞けないのは残念だと思って、俺はしっかり袴田の黒歴史を記憶しておくことにした。
八奈見はその後、残された俺たちに向けて満足げにオチまで語りきった。
「いっぱい話したらお腹減ってきちゃった。購買に行ってこようかな」
まだ食うのかよ。そんな食生活をしているから、催眠術に頼らざるを得なくなるんだぞ。
いやまあ、あの量食ってそのスタイルを維持できてるだけで十分すごいけども。
「むっ。北見君、今なんかすっごく失礼なことを考えたでしょ」
このモフモフ少女……意外と鋭い!
咄嗟に目を逸らすが、八奈見は追及するような視線をジリジリと向けてくる。
「おやつは別腹っていうでしょ? つまりそういうことなんだよ」
「なるほど。……なるほど?」
「北見君もおやつ食べたいなら付いてくる?」
「なんでそうなる??」
八奈見はおやつを買うために立ち上がり、袴田も付いて行くと言って席を立つ。
この調子だと、どうやら上手いこと華恋さんと二人きりになれそうだ。もう少しだけ華恋さんと話したいと思っていたし、これは好都合……。
そんな下心を見せたのが悪かったのかもしれない。
突然、食後の安堵感をぶち壊すように、教室の扉の方から俺の名を呼ぶ声が響いたのだ。
「北見祐一くんいますかー!」
それは、亜希の声だった。
嘘だろ!? 今まで教室に来たことなんてなかったよね!?
座ったままの華恋さん。
その場で立ったままの八奈見、袴田。
そして他のクラスメイト……。
教室中の視線がまず亜希を射抜き、次いで俺の方に視線を移す。
どう考えたってすごくマズイ展開。
これはあれだ。この流れは確実にラブコメ的誤解をされてしまうヤツだ。
「えーっと。祐一君? 呼ばれてるみたいだよ……?」
華恋さんのぎこちない声がして、俺は飛び上がる。
「あれ? 紗由いないんだ。珍しいこともあるねぇ──」
入口から1-C教室をぐるりと覗き込む亜希の背を押して、慌てて教室から距離を取る。
一瞬だけ振り返ってみると、華恋さんと目が合ってしまった。
彼女は目を丸くして俺たちを見つめていた。その表情はいつもの穏やかな笑顔ではなく、どこか戸惑っているような感じで、何故かひどく焦りを覚える。
一刻も早く華恋さんの視界の外に行かなければならないような、そんな気がするのだ。
亜希は「きゃっ、引っ張んないでよ~。今日は強引じゃんね~」なんて、わざとらしい声を上げているが、ガン無視する。
そのまま廊下を進み続けて、ようやく教室に声が届かない距離まで連れ出した。
「亜希! 俺の邪魔をしに来たのか!?」
今頃、教室に残された華恋さんは俺をどう思っているだろうか。
誰彼構わず女にちょっかいをかけてる軟派な男とか思われたら最悪だ。
俺は硬派な男なのに。あと女性経験もないのに……。
「まさか。むしろ逆だよ」
「何が逆なんだ。華恋さんと一緒にいたんだぞ!? そこに女子が来たら『あれ?』ってなるに決まってるだろ!」
「ふっふっふ。そう、それだよ」
強い口調で咎めたのに、亜希に反省や動揺の色はない。むしろその笑みは明るさを一層と増したようにすら見える。まるでこの最悪な悪戯が、俺にとっても良い事だと言わんばかりだ。
「アンタは分かってない! 分かってないよ女心!」
亜希は倒置法を使いこなしながら、ピシッと指をさしてくる。
「あんね、恋には危機感ってのが大事なの。あたしは、それをちょちょいと刺激してあげたワケ」
「危機感?」
「祐一がいっちばん、身に染みてるんじゃないかな?」
「まさか……袴田か」
「せいかーい」
半ば俺を馬鹿にした感じで、亜希はパチパチと軽い拍手を送ってきた。
「ライバルの存在は、恋心を一層熱く燃え上がらせる大事な要素。そこで、あたしの出番!」
「は、はぁ……?」
「バスケで『祐一くんって周りから意外と人気あるんだな~』って雰囲気を作ったでしょ。その上で、仲の良い”可愛い”女の子が登場したら、もうジェラシーめらめらじゃんね。そこで一気に進展を狙うの!」
勢いにすっかり押されてしまって、まともな言葉が出てこなかった。
つまり、俺と亜希が一緒にいる姿を見せることで、華恋さんを嫉妬させようってことらしい。
いやいや。そもそも、華恋さんは嫉妬なんてするのだろうか?
「そんなの、俺に好意がなきゃ嫉妬なんて起きないだろ。ただ『仲のいい女の子がいるんだ』って誤解されて、距離を取られるだけじゃないか」
「好意を持たせる方は祐一の頑張り次第じゃんね。あたしの管轄外~」
亜希はそう無責任に言ってのけた。
こいつは俺と華恋さんの関係を応援してるんだか、妨害してるんだか……。
「まあ、本題は別なんだけどね。それで本題ってのは──」
「こっちの話は全然終わってないが?」
「その話は一回置いておこうよ。しつこい男はモテないよ?」
「あのなぁ」
「はいはい、本題本題」
頭を抱えていると、亜希はパチンと手を合わせて強引に話題を変えた。
「今度の日曜日、観戦に来るでしょ? その後に時間あったら、一緒にご飯でもどうかな~って思って誘いに来たの。ほら、恋愛相談も兼ねて丁度いいでしょ」
「観戦? なんの?」
「えっ……紗由から聞いてないの? テニスの一年生大会」
首をかしげると、亜希は目を見開く。
「あたしと紗由がダブルス組んで出るの。高校上がってからの初試合だし、祐一も来ると思ったんだけど……」
沈黙を続けていると、亜希は「ま、そういうことだから!」とヒラヒラ手を振って、逃げるように去ってしまう。声をかける間もなく、背中がどんどん遠のいていった。
散々かき回された挙句、訳も分からぬまま俺は廊下に一人で取り残される。辺りは、嵐が過ぎ去った後のような静けさに包まれていた。
俺の頭の中では、突然告げられた「日曜の試合」が反響し続けている。
試合? 日曜日? 紗由が? でも、あいつ暇って……。
試合の前日──その時間が如何に大事なものであるかぐらい、俺だって理解している。
しかも、高校上がってから初めての大会だ。準備やコンディションを整える時間はいくらあっても足りないはず。
まさか、無理して予定を合わせたのか……? 俺のために?
もし、土曜日に遊び歩いたせいで試合に影響が出たら。
それでアイツが負けたり、万全の力を出せずに後悔することになったら。
そんなの、そんなのは……。
「アンタ、こんなとこに突っ立って何やってるの?」
不意に背後から声をかけられ、ビクッと肩が跳ねる。
振り返ると、廊下の真ん中にはスマホを片手に持った紗由が立っていた。
「あ、いや……」
「早く教室に戻りましょ。休み時間、終わっちゃうわよ。土曜にどこ行くか決めないと」
「お、おう」
紗由はいつもと変わらない、少し呆れたような顔で俺を見つめてくる。
この件について聞いておくべきか。それとも、言わなかったのは何か意図があってなのか。
華恋さんのことで一杯だったはずの心に、小さな棘が刺さった。
◇
放課後。変わり映えのしない夕暮れの空が、俺と紗由を照らしていた。
「なあ、その」
そんな声を一つ出すまでに、随分と時間がかかってしまった。
部活が終わり、合流して帰路に就き、いつもの帰り道もついに終盤に差し掛かって……ようやく、隣で自転車を押す紗由に声を掛けることができた。
しかし、いざ口を開いても、なんて言葉を続ければよいのやら迷ってしまう。
この心配をどう伝えればよいのか、適切な言葉が一向に浮かんでこない。
無理して来なくていい、なんて言えば「来るな」という意味に誤解されるに決まっている。
そうじゃない。俺が伝えたいのは、一緒にイオンには行きたいけど、翌日の試合に響くのが嫌で、心配で──ということだ。しかし、それをそのまま伝えるには変なプライドが邪魔をするし、幼馴染に向ける言葉としては直接的すぎて小っ恥ずかしい。
口ごもっていると、不意に紗由が足を止めた。
「亜希と話してたんでしょ。昼休み」
「えっ? あぁ、うん」
なんだ、知ってたのか。……まあ、あれだけ堂々と1-Cに顔を出していれば、バレるのも時間の問題だとは思っていたが。
「一つ言っておくけど、アンタの言いたいことも、考えてることも分かってるから」
紗由は俺をジト目で睨み据え、ピシャリと先手を打ってきた。
「土曜が暇なのは本当だし、無理もしてない。そもそも、試合前に遊んじゃいけないなんてルールはないでしょ」
「疲れが残ったり、ケガでもしたらどうするんだよ」
「ほんっとうに心配性なんだから。……あのね、アンタは私の余計な心配をしてる暇なんてないでしょ」
そのまま、ふいっと視線を逸らしたかと思えば、自転車のペダルに足を乗せる。
「せっかく、休みの日に華恋ちゃんと会えるのよ? 今はそのことだけ考えてればいいの」
「でも……」
「分かった? 今は楽しむことだけ考えてなさい」
不機嫌そうに、けれどどこか自分に言い聞かせるようにそう言い捨てると、紗由はさっさと一人でペダルを漕ぎ出してしまった。
なんだよ。こっちの心配ぐらい、少しは素直に汲み取ってくれればいいのに。
俺は口を尖らせながら、夕暮れに遠ざかっていく小さな背中を見送った。