勝ちヒロインを好きになってしまったのですが   作:北極鳥ユキ

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その31 アクシデント

 陣地に戻ると勝利を喜ぶ暇もなく、反省会が始まった。

 先生の助言に続き、先輩たちが一人ずつ課題を挙げていく。専門用語ばかりで俺にはさっぱりだったが、その真剣さだけは十分伝わってきた。さすがは強豪校だ。

 

「はい、反省会ここまで! 水飲んで休憩! 次の試合もあるよ!」

 

 パチン、と手を合わせる音が響き、野球帽先輩が声を上げた。

 紗由と亜希はブルーシートの上に座ると、水分補給をしたり、ラケットをいじったりして、さっそく次に向けた準備を始めている。

 

「ところで、キミからみて幼馴染の試合はどうだった?」

 

 振り返ると丸グラサン先輩が立っていた。

 

「ああ、えっと、すごかったです。はい」

「小学生並みの感想だね。まあ今回はいいよ。不問に付してあげる」

 

 丸グラサン先輩は苦笑いしながら言う。今回はギリ許されたみたいだ。でも、次の試合ではまともな感想が出せるようにしておかないと……。

 

「先輩、あんまり甘やかさないでくださいね。すぐ調子に乗るんですから」

「おっと、嫉妬かな? 別に取ったりしないよ」

「違います!」

 

 紗由は丸グラサン先輩相手には分が悪いようで、すっかりからかわれている。

 

「それより有針、それ終わったら私とストレッチしよう」

「え?」

「さっき三ゲーム目。踏ん張る時に少し滑ってただろう。まあ、念のためだ」

 

 丸グラサン先輩は、さっきまでとは違う真面目な口調で言った。それに紗由は驚いたようだが、すぐに受け入れ、二人はストレッチを始めていた。

 

 そんな二人の様子を見ると、テニス部の先輩たちは本当にしっかりしているなぁ、と感心してしまう。少なくとも漫研(ウチ)の三年生とは大違いだ。

 あの人をタダであげるから、先輩のどちらかと取り替えてくれないだろうか?

 

「──ていうか、祐一はいつの間に先輩たちと仲良くなったの?」

 

 声の主に視線を向けると、ペットボトルから口を離した亜希が首をかしげていた。

 

「なんかお菓子たくさん貰った」

「完全に子供扱いじゃんね」

「亜希ちゃん、この子はいいね! いっぱい食べる男の子はいい!」

「好きですよねぇ、運動部っぽい男……。てか祐一はこの人が何者か知ってるの?」

「テニス部の先輩だろ?」

「ウチの部長ね」

 

 びっくりしていると、野球帽先輩はいたずらっぽい笑みを見せる。

 亜希は肩をすくめながら付け加えた。

 

「んで、サングラスかけてる方は、春の全国選抜に出てたウチのエースじゃんね」

 

 全国選抜……って、え!? 全国大会!? マジで!

 

 丸グラサン先輩、ガチの高校生アスリートじゃん。

 そういえば、学校の立て看板に『祝 女子テニス部 全国大会出場』みたいなこと書いてあったけど、あの人のことだったのかよ……。

 

     ◇

 

 少し経って、ストレッチを終えた紗由がラケットを握りながら立ち上がるのが見えた。

 早々に次の試合が迫っているそうだ。

 

「もう行くのか」

「大会って忙しいのよ」

 

 さっきあれだけ動いたのに休む間もなく第二戦なんて。

 そんな俺の心配を汲んだのか、紗由は飄々と疲れを見せない顔で続ける。

 

「もう慣れてる」

「次の試合に響かないのか?」

「べつに大丈夫。アンタは心配性なんだから。てか、アンタは人のことよりも、自分のことを気にしなさいよ」

「えっ、俺?」

「次はちゃんと応援しなさい」

「前だってしたじゃん!」

「あんなのは『ちゃんとしてる』に入らないから! 試合中に名前を叫ぶなんて、まったく!」

 

 ……名前って呼んじゃだめなの?

 

「はいはい。そろそろコート入るよ~」

 

 庭球場で第二試合を見ていた部長が戻ってきて、陣地の面々に声をかけてくる。それで紗由はラケットを肩に掛けながら、しゃきっと表情を変えた。あっという間にスポーツ選手の顔だ。

 

「じゃ、行ってくる」

 

 紗由はそれだけ短く言うと、一度だけ俺を見てじっと目を合わせてくる。何か言ってやろうと思ったのだが、紗由は俺が返事をする前にさっさと庭球場に入ってしまった。

 

     ◇

 

「へぇ。そのヤンキース帽、彼氏さんから貰ったんですか」

「そうそう。似合ってるでしょ~」

 

 野球帽の先輩……もとい部長は長い髪を揺らしながら、ふふんとドヤ顔でキャップの先を弄る。

 

「でも聞いてよ! あいつ、私の試合なんて一回も見に来てくれないんだよ!」

「そうなんすね……」

 

 おっと、この話は続けていると地雷を踏むやつだ。

 咄嗟に話を切り上げて、隣の丸グラサン先輩へと話を振ることにした。

 

「じゃあ、先輩のサングラスは?」

「実は私の好きな漫画の……いわゆる『推し』が丸型のサングラスをかけていてね」 

「ああ! もしかして、じゅじゅ──」

「ナポレオンを主人公とした漫画でね。そこに登場するロベスピエールが……」

「もういいです」

 

 そうこうしている内に、紗由・亜希コンビの第二戦が始まった。

 

 先輩たちがテニスのルールを教えてくるので、第一戦よりは流れが理解できるようになってきた。紗由は調子を取り戻したようで、序盤からかなり活躍できている。堅実に点を取って、ゲームも取っている。

 相手チームは名門テニス部の一年生らしいけど、紗由と亜希がずっとリードしていた。

 

 すごく良い感じだ。

 

 しばらく長いラリーが続き、亜希が咄嗟に出した返球が甘くなった。すかさず、フリーになっていた位置に強いショットが打ち込まれる。

 紗由はそこに素早く駆けて行って、ギリギリのところで勢いよく打ち返した。

 

「っ……!」

 

 紗由の力の入った声と、シューズの擦れる荒い音がコート上に響く。

 思わず、あんな球によく対応できたな、と息をのんでしまう。

 

「それでね、この前のデートなんて──あ、みて。今のいい返球だった」

 

 愚痴の合間に部長が反応した。……この人の温度感はどうなっているのだろうか。

 相手は紗由の鋭い返球に対応できなかったようで、そのまま点を失っていた。

 

「あいつ、調子戻ったみたいですね」

「うん。あれなら大丈夫そう」

 

「いや、待って」

 

 不意に、丸グラサン先輩が声を上げた。

 

 コートの上では、サーブが相手に移ったことでボールが渡り、選手たちはポジションに戻っていくところだった。

 ふと見ると、紗由だけはさっき返球した場所から動いていなかった。

 あいつの持ち場は反対側のはずだけど。

 

 小さな体はその場で少し立ち尽くした後、しゃがみ込んだ。

 

「あっ」

 

 部長が短く声を上げたかと思うと、勢いよく立ち上がる。コート上では、異変に気が付いた亜希が相手のサーブを止めて駆け寄っていた。

 

 訳も分からぬうちに、部長は先生の下に向かう。

 ほぼ同時に、先生も異変に気付いて歩き出し、二人が合流する。

 

「先輩? どうしたんですか?」

「キミはここで待ってて」

 

 丸グラサン先輩はそう短く言うと、静かに立ち上がってコート際の低い柵まで歩いていく。

 視線をコートに戻すと、紗由はしゃがんだままの姿勢で脚を抑えていた。

 

 まさか。

 

「捻ったな」

 

 呆然としている俺の前で、先輩は淡々とそう呟いていた。

 

「……立てそう?」

 

 亜希に言われ、紗由は立とうとするが、すぐにまたしゃがんでしまう。

 部長と先生は審判と何か言葉を交わした後、足早でコートに入っていく。

 

「有針、無理するな」

 

 駆け寄った先生は、手招きして柵に寄りかかっていた先輩をコート側に呼んだ。

 柵を超えてコートの中に入った彼女は、部長と入れ替わるようにして紗由に近づいて足の様子を確認している。

 

「どうだ?」

「たぶん外側ですね。やめときましょう」

「棄権だな」

 

 何もかもがあっという間の出来事だった。

 紗由は亜希と先輩に肩を貸されながらコートを後にする。

 ふと見ると、紗由は唇をぎゅっと噛み、ひどく悲しそうで、悔しそうな顔をしていた。

 一瞬だけ、こちらを向いた紗由と目が合うが、視線を逸らされてしまう。

 

 俺はその場から、まだ動けずにいた。

 

     ◇

 

 陣地に移動しても、俺は少し離れた場所で立ち尽くすことしかできなかった。

 

 ついさっきまで、あんなに試合で活躍していた紗由は、今は静かにブルーシートの上で座り込んでいた。固く口を閉ざし、ただ苦々しい面持ちのままで氷嚢を足首に当て続けている。

 

 陣地は嘘のような静けさだった。

 その静寂が、俺の心臓を激しく揺さぶり、責め立ててくる。

 

 心配でたまらない。本当は声を掛けたい。

 

 でも先輩たちの邪魔になる気がして、一歩が踏み出せずにいた。

 

 逸る気持ちを抑えていると、ふらりと陣地から離れる丸グラサン先輩の姿が見えたので、思わず駆け寄って声をかけた。

 

「先輩、アイツは大丈夫ですか? どんな具合なんですか? 怪我は酷いんですか?」

「そこまでじゃないよ」

 

 縋るように問い詰めると、先輩は振り返り、俺を落ち着かせるように言った。

 

「軽い捻挫だ。そのうち治る」

 

 その言葉で胸の奥につかえていた不安が、多少は和らいだ気がした。

 捻挫ならまだ大丈夫な方だよな。復帰だって早い……はずだ。たぶん。

 

「でも、こんなことになって、有針は落ち込んでいるだろうな」

「ですね。せっかく勝ってたし、ペアの亜希にも悪いって思ってるかも……」

 

 先輩は何とも言えない面持ちのまま黙りこむ。それから、ブルーシートの上に座る紗由と目の前の俺を交互に見た後、小さく息をついてから口を開いた。

 

「先生が病院に送ってくれる。キミも付いていってくれ」

「分かりました」

「有針の近くに居てやってくれよ。怪我ってのは、体以上に応えるものがある」

 

 そんなのは、言われるまでもなかった。

 

「アイツ、放っておくと無理するんですよ」

 

 昔からずっとそうだった。

 紗由は一人で抱え込んで、誰にも弱い顔を見せず、俺にすら助けを求めてくれない。

 

 子供のころ、一度だけあいつが泣きじゃくった日のことを憶えている。強がって強がって、ついに限界を迎えてしまった結果だった。

 

 あの日、俺は決めたのだ。

 励ませるかどうか分からない。助けられるかどうかも分からない。それでも、あいつが独りぼっちにならないよう、ただ隣にいてあげようと。

 

 今でも俺は、相変わらず不器用で、頼りないままだ。

 でも、昔と変わらず、あいつの隣にいることぐらいはできる。

 

 だから──

   

「俺が傍にいてやらないと」

 

 それだけ言って、紗由の方に歩き出す。

 先輩は少しだけ驚いたような顔をしていた。

 

「……そこは外さないんだな」

 

     ◇

 

 整形外科の待合室。付き添いの亜希や先生は試合に戻り、俺は紗由と二人きりになった。 

 骨に異常はなく、診断結果はやはり軽い捻挫だった。一週間ほど固定して様子を見るらしい。

 

 もうすぐ、うちの母さんが車で迎えに来てくれる。

 俺たちの間に会話はなく、テレビの音が静かな待合室を支配していた。

 

「なぁ、その。一週間で治るんだろ? よかった……な」

 

 沈黙に耐えかねて、隣の紗由に声をかける。

 よかった、なんて言葉を間違えたと思ったが、それでも何か言わずにはいられなかった。

 

「……よくない」

「ほ、ほら。選手生命がーとか、そんな深刻な話でもないんだし。今回の試合は残念だけどさ、また次だって……」

「来週はシングルスがあるの。これじゃ出られない」

 

 紗由は俺の失言を強く責めるでもなく、ただ小さく、弱く言った。

 俯いた横顔からは表情が読み取れなかったが、膝の上でぎゅっと握りしめられた拳が微かに震えているのだけは分かった。

 返す言葉が見つからない。

 

 会話はそこで途切れた。

 

 相変わらず、静寂は俺を責めるみたいだった。

 

 気の利いた言葉の一つも言えず、落ち込んだ紗由をどうすることもできず。

 ──そして何より、怪我の要因が自分にあるのではないか、という罪悪感が心を抉った。

 スポーツ中なら怪我ぐらいする。そんなことは分かっている。

 でも、昨日、俺が遊びに誘わなければ……なんて考えが浮かんでしまって、べったりと頭から離れなかった。

   

 やがて、母さんから到着した旨のメッセージが届く。

 立ち上がった紗由は、白いテーピングを巻いた足を床に付けないように少し浮かせている。

 それを見て肩を貸そうとしたが、すぐに「デカすぎる」と一蹴されてしまった。

 

 確かに、紗由を支えるには、俺はいささか大きすぎた。

 身長差を考えれば、俺に寄りかかるより壁に寄りかかった方が歩きやすそうだ。

 

 ……でも、少しくらい頼ってくれてもいいのに。

 

 一方的に抱えた罪悪感ではあったものの、紗由に対して何もできずにいるのはつらかった。

 

 車の中では、母さんがいたこともあって、静寂に至らなかったのが救いだった。

  

「紗由ちゃん、今日はうちでご飯食べましょう」

「悪いですよ。それに、家に荷物も置きたいし……。着替えもしたいので……」

「それぐらいは大丈夫よ。先に有針家に送るから、ご飯できたらまた迎えに行くわね」

 

 有針家に着いたころには日は傾き始めていた。

 紗由は車から降りると、器用に足を浮かせながら玄関の鍵を開く。

 俺は重たいテニスバッグを抱えてそれに続いた。

 

「バッグはその辺に置いておいて」

 

 靴を脱ぎながら俺に短く言うと、壁伝いに静かなリビングの方に進んでいく。

 言われた通り玄関先にバッグを下ろして俺も室内に入った。

 

「……なんでアンタついてきてるの」

「手伝うために決まってるじゃないか。そんな足じゃあ、何かと大変だろ?」

「はい??」

 

 まったく、紗由の奴は何を言っているのだろうか。

 足を負傷した幼馴染を一人ぼっちに出来る訳がないだろ。俺はそこまで非情じゃないぞ。

 

「何すればいい? 掃除か? 洗濯か? そういえば洗濯物を干してたよな。取り込んでくるよ」

「いいから。もう帰ってよ」

「母さんなら出ちゃったし。迎えに来るまでここにいる」

 

 リビングの窓からは、母さんの車が発進するところが見えた。

 

「てか暗いし、カーテン閉めて、電気も付けちゃうな」

 

 一人きりの家は静かすぎて、なんだか寂しい感じがした。

 ただでさえ紗由は怪我のせいで心細いだろうし、こういうところからもケアしていかないと。

 

「お前は座ってろよ。怪我してるんだぞ? 悪い事は言わないから安静にしてろって」

「こっちは呆れて立ち尽くしてんの」

 

 立ちっぱなしにしておくのもマズイと思って、半ば強引に紗由をソファーに座らせた。

 その隣には電気とエアコンとテレビのリモコンを用意してやる。これで座りっぱなしでも不自由はしないはずだ。

 

「喉は乾いてないか? 冷蔵庫から何か取ってこようか?」

「大丈夫だから」

「そうか? じゃあ洗濯物、取り込んできちゃうな」

 

 リビングの反対側まで行って、裏庭のウッドデッキに出る。物干し竿のところでは、シーツを始めとした衣類が夕暮れの中で風に揺れていた。

 全て乾いていたので、カラスの鳴き声を聴きながら洗濯かごを出して取り込んでいく。

 

「そこまでしなくていいって」

 

 ソファーから声が聞こえてくるが、俺としては何かしていないと気が済まなかった。

 

 紗由は妙に几帳面な所があるらしく、干しているエリアはサイズとジャンルでしっかりと分けられていた。

 柔軟剤の清潔で柔らかい香りを感じながら、大きい物から順々に取り込み、洗濯かごに入れていく。ベッドシーツ。枕カバー。制服のブラウス。同じくスカート。Tシャツに──

 

「……あっ!」

 

 ふと、紗由の声がリビングに響いた。

 

「どうした? 何か必要なことあったか?」

「違う! バカ! 今すぐやめなさい!」

 

 紗由は慌てた様子で立ち上がると、足の痛みなど忘れたように向かってくる。

 

「バカはお前だ! 大人しくしてろ! ちゃんと畳んでおくから心配すんなって」

「ちがっ、そういう問題じゃない!!」

 

 ふと、手がさらっとした生地の小さな布切れに触れた。

 視線を洗濯物に戻し、指先に引っかかった白いレース地を見て、一瞬だけ思考が止まる。

 

 ……あ。

 

 なるほど。だから、あんなに止めてたのか。

 ま、まあ、でも、手に取ってしまった物を今さら戻す方が変だよな。意識してるみたいで。

 

 とりあえず見なかったことにして、洗濯かごへ放り込む。

 勢いのまま隣に掛かっていた肩紐付きの布も、さっさと取り込んでしまう。

 全部取り込んでから振り返ると、紗由は呆然と洗濯かごを見つめていた。

 

「これで全部だ。畳んでおくから座ってて大丈夫だぞ」

「殺す」

 

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