翌日の昼休み。いつもどおり昼食を取るべく屋上に誘った俺に対して、紗由は申し訳なさそうな顔を向けていた。
「今日は部室に顔出さないといけないから、そっちで食べる」
「それも作戦とか……じゃ、ないよな」
「んなわけないでしょ」
紗由は眉をハの字にしながら肘を付き、大きくため息。指先では机の上に置かれた弁当箱をつついている。どうにも部室に行くことが乗り気で無いらしい。
「愚痴ならあとで聞いてやるよ」
「ありがと。そろそろ行ってくるね」
そう残してふらりと教室を後にする。俺はすこしの心配しながらその背中を見送った。
どうにも紗由はテニス部で色々と苦労しているらしい。
テニスの腕は中学から続けていることもあって十分だと思うのだが、ツワブキ高校の女子テニス部は強豪と有名だし、これまで通りにはいかないようだ。
他に声を掛けられる相手も居ないので俺は珍しく一人で昼飯を食べることになり、席に戻る。
「今日はひとりなんだ」
昨晩の余りで作った汁なし肉じゃが弁当。そのジャガイモに箸を付けようとした矢先、背中から呼びかけられる。
俺が振り返るよりも前に、隣をふわっといい香りが通り過ぎて、視界いっぱいに絹のように滑らかな桜色の髪が広がった。
「か、華恋さんっ!?」
驚きのせいで、喉の奥から裏返った声が出る。
前かがみで俺に目線を合わせていた華恋さんはその声に一瞬だけ驚いたように目を大きく開いたが、すぐに細めてくすくすと笑いだした。
「ごめん、ごめん! そんなに驚くとは思わなくって」
笑いながら言って、どことなく上品さを感じる動きで俺の前の席──つまり袴田の席──に腰を下ろす。
「紗由ちゃんはどうしたの?」
「アイツはなんか部活に顔を出さないといけないらしくて。それで今日は見ての通りひとり」
「そっか、そっか」
華恋さんは腕を組みながら、うんうんと頷く。
そのまま、手に持っていたランチクロスの包みを俺の机に乗せると、おもむろに包みを広げ始めた。クロスに包まれていたのはプラスチック製の容器で、中には手作りらしいサンドイッチが詰められていた。どうやら華恋さんの昼食らしい。
華恋さんはごく当然のように容器のふたを開くと、「いっただきまーっす」と声を上げる。そして長い髪を耳にかけると、口を開いてサンドイッチの端を小さくついばみ始めた。
……ん? なんで俺の机でごはん食べ始めたの?
「あ、あのー、華恋さん?」
「ん~?」
華恋さんは両手で持った三角形の端を少しずつ削りながら、こくんと首をかしげる。
か、かわいい!
──って、違う違う!
「なんで急にサンドイッチ食べ始めたのかな、と」
「お昼だからね。ごはん食べないと」
「そうじゃなくて……」
微妙にかみ合っていない返答をされて困っていると、サンドイッチを半分ほど食べた華恋さんは俺の弁当箱を指さして「祐一君は食べないの?」と訊ねてきた。
なんか昨日も似たようなこと言われたな……と思いつつ、俺は箸を握り直す。まあ、似ているのは言葉だけで、それ以外はまったく異なっている。
眩しい。すごく眩しい。
後光が出てるんじゃないかってぐらい、向かいの華恋さんからきらきらオーラが背中から溢れている。彼女が現れただけで、昼休みの華やかさが段違いになった。
心臓はバクバクと音を立て、箸を持つ手は震えている。
だって俺はいま、華恋さんと昼食を取っているのだ。しかも二人きりで!
まあ、色々とツッコみたいところはあるけど、この際、大抵のことは気にならない。
華恋さんと一緒にお昼。華恋さんと一緒にお昼。華恋さんと一緒にお昼……。
脳のCPUは自分の置かれた状況を必死に処理しようとして、排熱ファンがぶおーんと音を立てながら回っているのを感じる。
「お昼ご飯は一人よりも二人の方が楽しいよね」
華恋さんは軽やかな声音で言って、サンドイッチを食べ続ける。
こうして、何故か俺は華恋さんと向かい合う形で昼食をとることになった。
目の前にいる整った顔の美少女と、弁当箱の間を視線で行き来させながら、一個、二個とジャガイモを口に運ぶ。
不思議だ。このジャガイモは味の染みているはずなのに、ぜんぜん味がしない。
「それで祐一君は……」
「は、はいっ!?」
そんな状態で更に声まで掛けられるもんだから、俺はすっかりオーバーヒートしてしまう。
「んー。今日の祐一君、なんかヘンだよ? 動きがぎこちないし、顔も少し赤い……」
華恋さんはそんな俺を不審がって訝しげな表情を浮かべ、考えるときのポーズをとる。
「もしかして熱があるとか」
閃いたようにハッとすると、華恋さんは上半身を乗り出して距離を寄せてくる。
思考が追い付くよりも先に整った顔が、すぐ目の前までやって来る。そして、ひんやりとしている細い指がするりと俺の額に触れた。
なななな、なんじゃこの展開は!?
「やっぱりちょっと熱いかも」
華恋さんは悩ましそうな顔で、自分の額と俺の額との体温を比べ始める。
顔に帯びた熱はさらに増していて、傍から見ればすっかり赤くなっているだろう。
こんな状態では、照れていることが丸わかり。それが何だか恥ずかしくて、俯きつつ口元を片手で覆うことで、できるだけ自然に顔を隠す。
「だ、大丈夫だよ。別に熱なんて無い」
「いまは季節の変わり目だし、体調崩すこと多いんだよ? ちゃんと気を付けないと」
ぷくっと頬を膨らませながら言う。かわいい──いや、華恋さんの行動は全部可愛いんだけど、ちょっと怒ってますよ風な表情は特にかわいい。
……そこでふと、周囲からの視線に気が付いた。
周りを見れば、クラスのあちこちから視線が集まっている。まあ、そりゃそうだ。なんたって俺は、クラスいち、いや学校いちの美人さんと昼食を取っているのだ。しかもお互いに普段は別の相手がいる者同士。嫌でも注目を引くというもの。
こうなるのも当然と言えば当然だが──めっちゃ恥ずかしい!
優越感よりも恥ずかしさが圧倒的に勝る。俺が散々きょどってた様子とか絶対見られてたじゃん……。
(うわ、北見の奴、めっちゃ動揺してるじゃん笑)みたいな心の声が聞こえてくる。
くっ、こうなったらここから巻き返すしかない。気を取り直して自然な感じで会話を続けることで、クラス中に俺と華恋さんの関係をアピールするんだ。
水を一気に飲んで顔のほてりを抑えると、正面から華恋さんに視線を向けた。
「そういえば、お昼はいつも袴田とか八奈見と一緒にいるよね。二人はどうしたの?」
「なんだか用事があるらしくって。祐一君とおんなじだよ」
そういう華恋さんの口調は少し不満げだった。
「私ね、時々思うんだ。幼馴染ってずるいなーって」
せっかく平静を装ったのに、不意にそんなことを言われるものだからまた動揺してしまう。
「草介君と杏菜とか、祐一君と紗由ちゃんとか。幼馴染って、独特な距離感があるでしょ? そういうの、すごく羨ましい」
たしかに幼馴染っていうのは他の友人とは違う距離感がある。でも、袴田と八奈見のように夫婦(漫才を含む)のような関係から、俺と紗由のように軽口をたたき合う関係、あるいは幼馴染だけど対して仲良くない関係まで、千差万別。
ラブコメ的な仲良し幼馴染なんていうのは、リアルではごく一部で希少な部類だろう。
べつに羨ましがるようなことなんてない、と俺は肩をすくめて答える。
「そんなこと言って、祐一君も紗由ちゃんと仲良しなのに」
「仲良しっていうか、腐れ縁?」
「あ~! 杏菜もおんなじこと言ってた! それが羨ましいんだよ」
サンドイッチをついばみながら体を揺らし、その度に視界の先ではさらさらとした髪などが揺れている。
「幼馴染がいたら、毎日一緒にお昼ご飯食べたり、毎日一緒に下校したり、そういうことできるのにな」
華恋さんが俺に向けてくる視線には僅かに羨望が混じっているようだった。
それはたぶん、紗由という幼馴染がいることに対してのもの。でも、少しだけ、俺自身に向けられたのではないかと錯覚してしまう。
俺が華恋さんに憧れているように、華恋さんも俺に憧れてくれたなら……。そんなことを思いながら、一緒にご飯を食べ続ける。
結局、昼休みの間は華恋さんに主導権を握られっぱなしだった。なんとか雑談をするぐらいには平静を装っていたけど、とてもかっこいいとは言えなかった。ぐぬぬ。
「今日はありがとう。祐一君のおかげで楽しいお昼だったよ!」
「俺もひとりだと寂しかったから助かったよ」
ランチクロスを手元で小さく折りたたむと、上品なしぐさで立ち上がる。
「また一緒にお昼ご飯たべようね」
それだけ言うと、小さく俺に微笑んでから自分の席に戻っていく。
あんまりうまく会話できた自信はなかったけど、喜んでもらえたようで、少しだけ嬉しくなる。
……ん? あれ? いま『また』って言った?
俺は顔を上げると、慌てて華恋さんを目で追う。自分の席に戻っていた彼女は、何人かの女子に囲まれて談笑を始めたところだった。
女子たちの隙間から、ふと目が合う。
視線に気が付いた華恋さんは、俺に向かってぱちっと短くウィンクで返してくれた。
!?!?!?
好き!!!!
◇
下校時間が近づく夕暮れ時。
部室が終わり、重浦先輩と別れた俺と康斗は並んで駐輪場に向かった。
「祐一さ、なんか今日ずっと機嫌良いよね」
「そ、そうか?」
「いいことでもあった?」
「べ、べつに」
隠すようなことでもないのだが、なんだか気恥ずかしくて昼のことは紗由にも言っていない。まあ、あえて言う必要もないと思うし、別にいいだろう。
「ま、いいけど」と康斗は話題を変える。「最近暑くなってきたよね。そろそろ衣替えかな」
「夏服はネクタイしなくていいから楽でいい。あと白ブレザーって汚れが目立つから、おちおちカレーやラーメンが食えんのよな」
「白いのはシャツも同じじゃない?」
「あっ、そうじゃん……。学ランに戻りてー」
ブレザーを腕にかけ、シャツをぱたぱた仰ぎながら進んで行く。
五月も半ばを過ぎると、日が暮れかけてもブレザーではやや暑く感じる。校内に響く虫の音も先週と比べて一層大きくなっていて、初夏の模様が少し濃くなったことが分かる。
「このあと塾か?」
「いつも通りだよ」
「部活終わりに更に勉強しに行くとは、殊勝な心掛けだな」
「ツワブキに進学できたからって余裕こいてると後で痛い目見るよ」
「へいへい、肝に銘じておきますよっと」
適当に雑談しながら進み、まばらに自転車の止まる駐輪場に着いた。
「また明日」
「おう、またな」
塾に向かって漕ぎ出した康斗を見送る。話し相手が居なくなったことに暇を感じつつ、紗由が来るまでスタンドを立てたままのチャリに跨って、適当にスマホを弄る。
紗由の所属している女子テニス部はコートの片付けとかジャージから制服への着替えとかいろいろあるので、漫研と違って解散まで時間がかかることが多いのだ。
……それから五分、十分、二十分。ぜんぜん紗由が来ない。
インスタのリールにも飽きたし、ペダルを逆漕ぎするのにも飽きし、硬いサドルに乗っけているケツも痛くなってきた。
スマホに目をやるが俺の「まだか?」というメッセージにも既読は付いていない。部活が終わっているなら返事がなくとも既読ぐらい付きそうなものだ。昼の件もあって少し心配になる。
更にメッセージを送るとか、電話を掛けるとかも考えたが、それはなんか違う気がする。
悩んだ末に、暇つぶしがてらテニスコートの方まで散歩することにした。
そう、これはただの散歩。
べ、別に紗由のことが心配になって迎えに行くわけじゃないからな。