西校舎一階のしんとした廊下を進む。
俺たち以外の気配はなく、恐る恐るという足取りが発する音だけが響いている。
「この辺って人いないよね……」
康斗は周囲をきょろきょろと注意深く警戒していた。
変わり映えのしない校舎だというのに、その緊張感と言えばホラーゲームの序盤、バイオハザードで言うところのゾンビが出る直前とか洋館に入った直後ぐらい。
男子高校生二人がびびりながら進む光景は傍から見ればだいぶ滑稽だろう。
でも事実として怖いのだ。特にあの眼鏡の先輩──月之木先輩のことが!
会ったら何をされるか分かったものじゃない。あの「アンケート」を書かずに逃げてきたことを怒っていなければよいのだが……。
「なんでパイセンは月之木先輩の弱点を教えてくれなかったんだ。本当に必要なのはそっちだろうに……」
「まったくだよ。玉木先輩の弱点を教えられてもねぇ……」
そう二人して愚痴っていると……ついに到着してしまった。
物静かな廊下の奥にぽつんと佇む『文芸部』の表記。扉のガラス部分には「お前がペンな!」という不審な張り紙が貼ってある。
もしかしてペンにされるか、俺たち。
扉に手をかけると、隣の康斗がごくりと喉を鳴らす。
さながら魔王城の門の前に立ったような気分だ。
いくぞ、とアイコンタクトを取り、頷くのを確認してから──俺は一気に扉を開けた。
「失礼します」
ガラガラ、ピシャリ、と扉が開き、部室内にこだまする。
「おお、来たか。久しぶりだな、二人とも」
続けて響いたのは爽やかな男性の声だった。
部室の真ん中にある机、そこに腰かけているこれまた爽やかな風貌の青年、玉木先輩だ。
慌てて室内を見渡すが、中央に先輩が見えるだけで、月之木先輩は不在のようだ。
よし、助かったー!
「ご無沙汰してます。玉木先輩」
「新歓の時はお世話になりました」
安堵しながら二人してぺこりと頭を下げると、「かしこまるなって」と明るく言われ、とりあえず座るように促される。
「いつでも来ていいと言ったの、覚えてるかな。あれはまだ有効だよ」
「もちろんです。今日はお言葉に甘えさせてもらいます」
文芸部の部室は、見学で訪れたときと──当たり前と言えば当たり前だが──なんら変わりなかった。
段ボールや本の散らばる雑多な雰囲気。中央には机とパイプ椅子。壁の一面は俺の背よりも高い大きな本棚で埋められていて、反対側の一面にはロッカーと何故かソファー。
そのソファーの上には小さな人影がいて……ん? 人影? なんかいるっ!?
「うわっ! 座敷童!?」
先ほどは認識できなかった小さな影の存在にめちゃくちゃびっくりして声を上げる。
すると、向こうの座敷童──もとい、よく見るとツワブキの制服を着た小さな女の子──の方もぴえっと驚きながら顔を上げて、両手で握っていたスマホを宙に飛ばす。
「座敷童じゃないぞ。そこに居るのは
「ちょっと祐一、失礼じゃないか」
「わ、わるい。本気でびっくりしたんだよ……」と俺は小鞠という少女に向き直る。「ええと、小鞠さん。驚かせて悪かった。1-Cの北見だ」
「僕は蘆吹。同じく一年」
小鞠という少女はソファーの腕で体育座りしたまま、俺と康斗の顔をなんども見比べ、顔を膝にうずめてしまう。
たぶん重浦先輩の言ってた人見知りの一年生というのは、この子のことだろう。
やばい、完全に怖がらせてしまった。
「小鞠ちゃんは話すのがあんまり得意じゃないんだ」
気まずい沈黙が続くよりも先に、玉木先輩がフォローを入れる。すると、小鞠さんは小さく頷いて同意を示し、スマホをこちらに向けてくる。
画面には『小鞠
これはどっちだ。
初めからそういうキャラなのか。俺が怖いから直接話したがらないのか。
なんとか融和を図るべく、ぎこちない笑みを小鞠さんに向けてみるが、露骨に目を逸らされた。
たぶん両方だ、これ。
「それで、”あの漫研”が部誌をつくるんだって? 珍しいこともあるもんだ」
俺たちは玉木先輩の向い側に座る。
先輩の背後には、ソファーに縮こまる小鞠さんが見える。膝に顔をうずめたままだが、たまに様子を伺うように顔を上げることもあり、長い前髪の分け目から僅かに瞳が覗いているのが分かる。
「実は生徒会から脅されてまして。仕方なく……」
「重浦も生徒会には勝てないか。目を付けられているのはどこも同じだな」
「というと、文芸部もなんですか?」
「まあね」と玉木先輩は詳しくこそ言わなかったが、似たような状況にあるらしかった。
生徒会は文化系部活動の一掃作戦でもしているのだろうか。くわばらくらばわ。
「そうそう。頼まれてたやつ用意しておいたよ」
思い出したようにいうと、机の上に一冊の文庫本が置かれる。
タイトルは『夏への扉』、例のハインライン作品だ。
「これを漫画化するんだって? 完成したら見せてよ」
「もちろんです。と言っても僕たち初心者なので、あんまりクオリティには期待できませんけど」
「誰だって最初は初心者って、よく言うだろ? 始めてみることが大切なのさ」
すごいいいこと言うじゃんこの人。
なんというか先輩には人を安心させる雰囲気がある。頼りがいがあるというか、この人の後輩になりたい、と強く想わせるオーラを発している。
こんな聖人みたいな人がHENTAI☆だとは信じられない。
いやまてよ、本当にグラビア雑誌なんてあるのだろうか。嫉妬した重浦先輩のウソという可能性も捨てきれないじゃないか。だんだん真偽が気になって来たぞ。
「あの本を見てもいいですか?」と俺は自然な感じで本棚に近づく。
ええと、真ん中の棚の右の隙間だったよな……。
「いやー、すごい蔵書ですねー」と適当に言いながら視線を下へ、下へ。しゃがんで下の段のタイトルも確認する感じで隙間をのぞき込む。
……!? あった!?
よくよく見てみれば、棚と棚の間に小指が入るか入らないかぐらいの隙間が空いており、雑誌らしき本が隠されていた。表紙までは分からなかったが、あの薄さの本は二つに一つ。つまり薄い本──同人誌か写真集──である。マジかよ玉木先輩。
「北見君、いい本は見つかったかな」
「えっ!? あっ、はい! これとかいいですね、あはは……」
適当な本をひったくって先輩の方に向ける。
「祐一ってそんなの読むんだ。知らなかった」
「ほう、中々いい趣味をしているじゃないか。俺と話が合いそうだ」
康斗は驚き、玉木先輩は腕を組んで深くうなずく。小鞠さんは興味深そうに表紙を見た後、すぐに顔を赤くしてスマホに視線を逸らした。
三人の反応がおかしかったので、不審に思って俺もタイトルを確認してみる。
『異世界ケモミミ奴隷ハーレム~転生したらケモ耳娘の天国でした!?~』
ってなんじゃこりゃ。なんでこんな本が文芸部にあるんだ? これ文芸か?
「あっ、いや……これは違くて」
慌てて本棚に戻して、もっとまともな本を探す。硬派なのを出しておこう。
ぱっと目につくのは『斜陽』、『
確か太宰はダメなんだよな。だったら、三島由紀夫なんていいじゃないか。読んだことないけど、有名な作家であることぐらい知ってるぞ。この潮騒ってのも有名だったはず。
「たまには俺も三島を読んでみようかな、なんて」
「あっ、だめ!」
ぺらっと本の適当なページを開くと同時に、小鞠さんの焦った声が響く。
「み、三島は! だ、だめ……です。そ、それ、男子はみちゃ、だめな、やつ、だから!」
「へ?」
小鞠さんの言っている意味がよく分からず、俺の視線は既に潮騒のカバーを被ったBL本に向いていた。文字の上で繰り広げられる三島と太宰の濃厚な絡み合い。おーまいがー。
これのどこが文げ、いや、たしかに文ゲイ……か。
◇
そんなことがありつつも、玉木先輩に創作の基礎となる部分について教えてもらった。
そう言えば、先輩がサイトで挙げているというWeb小説はかなりのPV数があるらしく、康斗も見たことがあるらしい。当然、読者にウケるコツとか、ストーリーの組み立て方とか、ためになる話が沢山あった。
いい先生を見つけた俺たちだったが、今日のところは早めにお暇することにした。
もうすぐ月之木先輩が帰って来るらしいのだ。
それほど長い時間いたわけでは無かったが、今回だけで三つのことを学ぶことが出来た。
1.何事も始めることが大切である。
2.玉木先輩はHENTAI☆である。
3.文芸部はBL本を学校に持ち込んでいる。
以上。
なるほど、文芸部が生徒会に目を付けられてる理由が分かって来たぞ。
「暇だったらほんとにいつでも来てくれ」
「ぜひ、また来ます」
「絶対来ます! 次は小説の書き方も教えてください! たろすけ先生!」
扉の前で軽く別れの挨拶を述べる。
玉木先輩の後ろには、その長身に隠れるようにして様子を伺う小鞠さんの姿もあった。見送りに来てくれるということは、いちおう警戒は解いてくれたらしい。
……三島の時以外声を聴いてないけど。
「変わった場所だったな、文芸部。漫研以上にヘンな部活があるなんて思わなかった」
「いいじゃないか。玉木先輩は優しいし、本もいっぱいあるし。僕、兼部しようかな」
「どうなっても知らないぞ」
ため息交じり返す。
「ところで祐一、うちのハルがね──」
そう康斗が話題を変えようとした瞬間、俺たちの足は止まった。
まっすぐな廊下の向こうから並々ならぬ気配を感じたのだ。
何かが……来る。
カーカーと窓の外でカラス群れが一斉に騒ぎ出し、羽音を立てて飛び去る。
かつん、かつん、と靴の音。
俺たちは、こちらに向かってくる「存在」を前にして固まっていた。
白茶色というやけに派手な色をした長い髪。胸元の大きく開く形で着崩した制服。腕にはカラフルなシュシュと派手なネイル──そんな風貌のギャルが近づいてくるたび、俺たちはゆっくりと後ずさる。
ギャルは、よろよろ、と歩いてくる。
まるで糸の切れた人形のように。
あるいは
「な、なに……あれ」
康斗が怯えた声を上げる。
「何って……ギャルだろ……」
「ギャルの亡霊?」
「どちらかと言えば、ゾンビー?」
「僕たちが文芸部にいる間にゾンビパニックでも起きたのかな」
「あ……あ」
微かにギャルゾンビ―から声が聞こえてくる。
なんということだ。いつの間にかアポカリプス。
「きみ……たち……」
「「ひいっ!」」
ゾンビとは思えない明瞭かつ繊細で綺麗な声に呼びかけられる。
そのギャップがなんか一周回って逆に怖くて、俺たちは悲鳴を上げた。
「文芸部から出てきた……の?」
「な、何か言ってるよ祐一。ほら、ちょっとコミュニケーションとってきて」
「やだよ、俺だって怖い。お前が行けよ」
「無理無理。たとえ相手がゾンビ―じゃなくてもギャルだよ? ギャルなんだよ? そっちの方がよっぽど恐ろしいよ! 祐一は亜希とか女友達多いんだから慣れてるでしょ!」
回り込んだ康斗に背中を押され、ギャルゾンビーとの距離が一気に近づいた。
おいこら康斗。ゾンビドラマではこういう仲間割れからコミュニティが崩壊していくんだぞ。
「あ、あの、こんにちは? ハロー? ど、どう……も?」
「君……知ってる。北見君……だよね。1年C組の……」
「なぜ俺のことを!?」
「漫研、要注意だから……みんな、知ってる」
俺の個人情報を知っているギャルゾンビーは相変わらず上半身のバランスが不安定なまま、ずんずんと近づいてくる。
「私、生徒会の
「生徒会?」
「よろしく……ね」
「あっ、どうも」
ギャルゾンビーもとい、生徒会の志喜屋なる人物は俺の前に立つと小さく頭を下げてきたので、礼儀もあって同じように下げる。
すると次の瞬間には、志喜屋さんの上半身はぐわんと不規則な速度で上がっていて、彼女の顔が俺のすぐ目の前に到達していた。
ひいいいい! なんでこの人、白色のカラコン入れてるの!? 怖いよ!?
ぷるぷる震えながら直立不動でいると、志喜屋さんは俺の横を通り抜けていく。
「今日は、君たちの番、じゃない。でも、生徒会は……見てる。……いつも」
そう言い残して、志喜屋さんは文芸部の方に歩き続ける。
途中、康斗の隣を通ったが、そこでも「みてるから……」と脅しは忘れなかった。
志喜屋さんはそのまま文芸部の中に消えるが、扉が開いた瞬間、小鞠さんの悲鳴が聞こえた気がした。すまない小鞠さん。救えなかった……。
「な、な、な、な、なに、なんなのあの人!?」
怯えた様子の康斗が近づいてくる。
「さぁ……。生徒会らしいが……」
とりあえず嵐は過ぎ去ったようだが、全くもって意味不明だった。
なんで生徒会の人があんなにギャルなの?
胸元がっつり空いてたけどアレは風紀的にOKなの?
てかギャルゾンビーって何!?
文芸部の近くにいると何かしらの怪奇現象に合う可能性がある──そう判断した俺たちは急いで漫研の部室まで退避した。
「ええと、それで、何の話だっけ」
一息ついて、そういえば話の途中であることを思い出す。
「ああ、うん。ハルがさ、高校はツワブキに行きたいって言ってるんだけど……」
「今日だけでよくわかっただろ。ツワブキは変人が多いからやめとけ。ギャルゾンビーが生徒会にいる高校だぞ?」
「否定はしないけど、変わってるのは一部の人だけだと思うし、その一部だけを見て全体を否定するのは良くないと思うんだ」
「た、助けてくれ! 二人とも!」
突然、重浦先輩が部室に駆け込んでくる。
「なんすかパイセン。今の俺たちはギャルゾンビー以上のことじゃないとビビらないですよ」
「とにかく匿ってくれ!
先輩は息を切らしながら言うと、部室を見渡して隠れられそうな場所を探していた。この短時間で一体何をやらかしたんだこの人は。
「小抜先生って、保健室の?」
「ああ、その小抜先生だ。まったく、あの人に関わるとロクな目に合わない……」
ぶつくさ言いながら、先輩はどうにかしてロッカーの中に隠れようとしていた。
俺と康斗は聞きなじみのない保健室の先生である小抜という名前が出てきたので、そういえばどんな人だっけと同時に脳内でイメージを作る。……あ、やばい人だ。
「なあ康斗」
「うん。ハルには別の高校に行くように言っておくね」