六月になった。年とちがって月の変わり目など大した意味を持たないことが多いけど、六月だけは違う。衣替えにより、制服が半袖シャツの夏服に変わるのだ。
夏服……。嗚呼、夏服。
重く厚いブレザーを取り払い、いつもよりも薄手になった華恋さん……。
学校に行けば華恋さんの夏服が見れるとか最高か??
──と、うきうきしながら半袖シャツを着て学校に出発した。
ふふーん。華恋さんの夏服! 華恋さんの夏服!
「なに鼻の下のばしてんのよ」
「いいだろ別に。個人の自由だ。信条の自由は憲法にだって書いてあるからな」
「同級生の夏服姿を妄想するの普通にやめた方がいいよ。キモイから」
隣にいるちんまりとしたブレザー姿の少女から、ちくちくと悪口が聞こえてくる。
なんでコイツは華恋さんの夏服姿を妄想しながらチャリを漕いでたことを知ってんだ。
怖ええよ。エスパーかよ。
……てか、あれ? なんで紗由はまだブレザー着てるんだ?
「そう言うお前はなんで夏服じゃないんだ」
「今日そこまで暑くないし、上を着てちょうどいいぐらいだから」
「いやでも六月だぞ? 制服の切り替え時期だぞ?」
「六月中は任意だし。普通、気温に合わせて選択するものよ。アンタみたいに月を跨いだからってすぐに変えるバカは少数派じゃない?」
「えっ、マジ?」
「恥かかないといいわね」
そうなの? まだみんな夏服じゃないの? もしかして半袖着てるの俺だけ?
なんだかんだと言われがちだが、日本人は調和と同調を重んじる国民性であるのは事実。
かくいう俺も他の人と違うのは普通に恥ずかしい。
頼む……六月早々から夏服着てるバカよ、俺以外にも存在していてくれ……。
「よう、北見。お前もさっそく夏服か?」
教室で声を掛けてきたのは、太陽の笑みを浮かべる爽やかイケメン袴田草介。彼はネクタイのない半袖姿という、いかにも夏っぽいラフな格好だった。
いた! 俺以外にもバカいた!
「袴田。ありがとう」
「俺なんかしたか?」
何に感謝されてるんだろうと困惑する袴田を横目に、人のまばらな教室を見渡してみる。
紗由の言う通り、今日はそれほど気温が高くないのでブレザーを着ている方が多数派なのは明らか、というかまだ俺と袴田だけである。
しかし、少し待つと俺たち二人以外にも夏服を着ている奴がひょいと現れた。
「北見君おはよう~。よかった、夏服に変えたの私と草介だけかと思ったよ」
そう言いながら、袴田の幼馴染である八奈見杏菜がやって来る。
八奈見も夏服姿だ。よし、三人目発見!
クラス随一の陽キャ組である袴田と八奈見が夏服である時点で、これはつまりクラスにおける夏服派の勝利に等しい。今日はまだ様子見でブレザーを着ている他の連中も、明日からは夏服を着て登校するに違いない。
と、クラス云々は大した問題ではない。俺の目的は華恋さんただ一人なのだ。
まだ来ていないみたいだけど、どっちだろうか……。
「おはよー!」
この声は華恋さん!
俺はばっと勢いよく視線を向けて、その姿を視界に収める。
そこにいたのは……半袖シャツ姿の姫宮華恋さんその人であった。
薄手のシャツに包まれた体。半袖の先から覗かせる滑らかな肌。丸みを帯びた上半身と、短いスカートで絞られた細いウェスト。部分ごとに柔らかさと細さの両立──まるで男の妄想全部乗せと言った感じの体形がくっきりと明らかになっている。
よっしゃああ! 最高! 夏最高!
「華恋ちゃんも夏服なんだ! 気が合うね~!」
さっそく八奈見が声を掛けに行く。
勝った──紗由の方を向いてドヤ顔を浮かべると露骨に嫌な顔された。
ぜったい舌打ちしてるよ、あの顔は。
視線を戻すと美少女二人が両手を合わせて、きゃっきゃと盛り上がっていた。
八奈見と華恋さんは仲いい。まだ出会って一か月ほどだというのに、すっかり親友と言えるほどの関係だ。
眼福だぁ、なんて思っていると二人はこちらに向かってくる。
うわぁすごい。歩いているだけなのに僅かに揺れている。五月の間、ブレザーの下で隠されていたものは、まったくもって想像以上だ。というか、並んで歩くと分かるけど、八奈見の方も中々すごいものをお持ちのようで……。
不意に、背中がピリピリとするような感覚に襲われた。
すさまじい負のオーラを感じる。これはあれだ。殺気だ。
発生源が誰かぐらい確認せずともわかる。目を合わせたらそのまま死ぬ気がするし、まだ高校生活を全うしたいので振り返らないようにしよう。
「おっ、華恋も夏服なのか」
「これで四人目だな。なんだか心配して損した気分だ。蓋を開けてみれば華恋さんも、袴田も、八奈見も夏服だし」
「杏菜もそうだけど、服がどうこうなんて心配することじゃないだろ」
「袴田は分かって無いなぁ。普通、少数派になる事を嫌う生き物なんだぞ人間って」
「そういうもんか? みんな自分らしくしてればいいと思うけどな」
袴田草介──いったいどれだけ恵まれた人生を生きてきたらこんなに自己肯定感MAX人間になれるのだろうか。
陽キャは生まれながらにして陽キャなのか? ちくしょう羨ましい!
「ここはみんな夏服なんだ。なんだか合わせたみたいだね」
華恋さんは、切り替わった自分の服装を強調するようなポーズをとりながら、俺たちに視線を向けてくる。
ああ、そんなこと言わないで。そんなポーズとらないで。もっと好きになっちゃうから。
「偶然だが、確かに一体感は出てるよな。北見もそう思うだろ?」
「お、おう。そうだな」
袴田・八奈見・華恋さんの三人と、俺との一体感。
……これはつまり、俺も陽キャってことか!?
華恋さんと袴田の何気ない会話が俺の自己肯定感をぐんぐん伸ばしていく──いやまあ、状況を整理すれば、ただ六月初っ端から夏服着てるだけなんだけども。
でも嬉しいものは嬉しい! ありがとう夏服。お前のおかげで楽しい六月が送れそうだ。家帰ったら大事に洗濯してやるからな。
「むむっ。ねえ北見君、ちょっと大事なコト忘れてないかな」
正面に来た八奈見が俺に向かって問いかけてくる。
ええと、何か忘れていたっけ。
今日は日直でもないし……授業の準備とか?
「大事な事って?」
「幼馴染だよ。私たちとばかり話して、君の大事な幼馴染を放置するのはダメじゃないかな」
八奈見にそんなことを気にされるとは思ってなかった。紗由とは特段仲の良いイメージは無いのだが、なんだろう、幼馴染を持つ者同士のシンパシーなのだろうか。
いやでも、いま視線向けたら絶対殺されるし……。
悩ましげな表情を浮かべていると、俺のことなどお構いなしに八奈見が声を上げた。
「紗由ちゃんもこっちおいでよ。一緒に話そう!」
「そうだね。祐一君がいるんだから、紗由ちゃんも呼ばないとだよね」
うんうんと華恋さんも同調。当然、袴田も同じ意見で紗由を呼ぶことに賛成だった。
なんだ、俺と紗由ってニコイチセットだと思われてるのか?
「いやでもほら、ここに集まってるのは偶然夏服着てる勢であって、アイツは──」
とことことこ、と足音がしてすぐ真後ろに気配を感じる。
”いる”
誰かが無言で俺の後ろに立っている。
このままだと首を折られかねないが……仕方ないので振り返る。
そこにいたのは当然ながら紗由だったが、何故か体を僅かに震わせていた。
さっきと違い、殺気は感じない。
俺以外の三人も紗由の様子がおかしいことに気が付く。
「ど、どうしたの紗由ちゃん!? もしかして私に呼ばれるの嫌だった!?」
「違うよ杏菜ちゃん……」
「お、おいどうしたんだ。そんなに怒ってるのか?」
恐る恐る聞いてみると、紗由は首を横に振った。
違うのか。じゃあ一体全体、どうしてぷるぷる震えているんだ。
俺が何か言うよりも先に、紗由は自分で口を開いた。
「わ、私も……」
「へ?」
「私も──下に夏服着てるからっ!!」
そう叫ぶと勢いよくブレザーを脱ぎ捨て、下から半袖のシャツを露わにした。
◇
いでででで! 人間の腕はそっちに曲がらないから! 誰か助けてェェ!
「ギブギブギブギブ!」
休み時間、俺は人のいない廊下で紗由に
静かな廊下には事件性を感じる少年の叫び声が響くが、そもそも人がいないので誰も助けに来てくれない。
通りすがったごく少数の人間も、俺たちを見るとそそくさと逃げていく。
「なんで私があんな目に合わないといけないのよ!」
「すんません! すんませんでしたァ!」
これ俺が悪いのか?
そう思いながらも、パワーバランスが圧倒的に紗由に偏っているので謝る事しかできない。
もちろん物理的な力では俺の方が勝っているけど、運動神経抜群な上に、自分より大柄な男に対して当たり前のように関節技を決められる奴に勝てるわけがないのだ。
それからひたすら受け身を取り……紗由の怒りが収まるまで、俺の腕は取れずに済んだ。
あぶない。あと少し遅かったら、ボールジョイントの壊れたガンプラになるところだった。
「と・に・か・く、夏服グループには私も参加させてもらうから」
「仲間に入れて欲しいなら素直にそう言えばいいのに……」
「何か言った?」
「ナンデモアリマセン」
「よろしい」
紗由は立ち上がると、窓ガラスを鏡代わりにして半袖シャツの襟を直し、ついでに四つあるリボン(色は黒と赤のブラッティーカラー)の向きも正す。
その姿を見ると──なんでツワブキの制服ってリボンが四つもあるんだろう──という素朴な疑問を感じたが、いま紗由に聞くとまた〆られそうなので聞けなかった。
「でも、よかったわね」
窓ガラスに向き合いないながら、紗由が呟く。
「お昼ご飯みんなで食べるんでしょ。華恋ちゃんも一緒だし、これを機に進展するかもね」
「そうだな。まじで偶然だけど、こういうチャンスも生かさないと」
偶然……そう、華恋さんと俺の関係は偶然という細い糸でつながっているに過ぎない。
紗由、袴田、八奈見がいなかったので、俺と華恋さんは二人で昼食を取った。
六月初っ端から夏服を着こむ異端児が集まったので、一緒に昼食を食べることになった。
このままじゃいけない。受動的ではなく、能動的に華恋さんと関われるきっかけを作れるようにならないといけないんだ。
「今日はいいけど、このままじゃだめよ。偶然に頼ってるようじゃ進展は望めないんだから。今度からはもっと積極的に行きなさい」
紗由の指摘は俺の心を代弁するようだった。
分かってるよ、と短く返す。
向けられる視線には疑念が含まれているが、これについては本当に分かっているつもりだ。
袴田が華恋さんの隣に居られるのは、持ち前の明るさと積極性があるから。
対して俺は、引っ込み思案で、ビビりで、恥ずかしがりや。幼馴染の前では強がりでいられるが、実は小心者な内弁慶。ろくでもない男であることは自分でもわかる……。
うつむき加減になると、背中をばしーん、と叩かれた。
「いってぇ!」
「積極的に行けって言ってんのに、後ろ向きになってどうすんのよ!」
もう一発、ばしーん。
細い癖にどこからこの威力が出てくるんだ!?
「わかった! わかったからもう叩くな!」
……理不尽な痛みを伴ったものの、おかげさまで気合は入った気がする。
暴力系ヒロインなんて今日日受けないと思うが、身内にいて困ることはなさそうだ。
◇
昼休み。トイレという名目で一度廊下に出て軽い作戦会議を行った後、俺たちは教室に戻った。
「よし、行くか昼飯」
「私も手伝ってあげるから、チャンス繋いできましょう」
1-C教室の真ん中では、クラスで一番キラキラしている男女が談笑中だった。俺と袴田の席を繋ぐことで面積を確保して、そこに三人で弁当箱を広げている。
傍からみて、あの三人は明らかに周囲と雰囲気が違う。
マジか。これからあの中に飛び込んでいくのか、俺。
冷静になると、だいぶ命知らずなことをしている気がする。
俺のせいで教室の光度下がったりしない? あのキラキラ消えるかもしれないけど大丈夫そ?
「なに気圧されてんのよ小心者。さっさと行くわよ」
楽観的というか物怖じしない紗由に「お前はいいよな」と思わずぼやいてしまう。
「友達多いし、明るいし、普通に可愛いから陽キャに混ざっててても違和感ないし」
「なっ!? こっ……このヘタレ……」
紗由は短く言って、ぷいと顔を逸らす。
いつもよりも攻撃が少なかったので、視線を向けてみるが隣の少女は俯いたまま。
やべ、マイナス思考過ぎてついに紗由にまで呆れられたか。
「おーい、こっちこっちー」
声の方を向くと、教室の真ん中では八奈見が大きく手を振っていた。
ど真ん中で目立つ集団が集まっているのだから灯台並みに分かりやすいのだが、どうにも迷っているとでも思われたらしい。
「い、行くわよ!」
なんか様子のおかしい紗由に引っ張られる形で、三人と合流する。
こうして夏の始まり早々、試練が始まった。