平和な宴の空気が、突如として凍り付いた。
柱の影からぬるりと現れた異形の存在に、その場にいた者たちの視線が一斉に突き刺さる。長い黒髪、古風な着流し、そして何よりも異様なのは、その顔に浮かぶ六つの瞳。黒死牟が放つ冷徹な殺気は、楽しいパーティーの雰囲気を一瞬で切り裂いた。
「…なんだ、おめえは?」
最初に口を開いたのは、オレンジ色の道着を纏った男――孫悟空だった。彼の表情から陽気さは消え、純粋な武道家としての鋭い眼光が黒死牟を射抜く。その隣にいたベジータも、腕を組んだまま警戒を露わにした。
「貴様らか。私をこの奇妙な場所へ招いたのは」
黒死牟の声は低く、地を這うようだった。彼はゆっくりと刀に手をかけ、腰を落とす。目の前の者たちの気は計り知れない。だが、ここで臆するは武士の恥。まずは己の力を示し、相手の力量を測るのが道理だった。
「月の呼吸、壱ノ型・闇月・宵の宮」
黒死牟が刀を抜くと同時、不可視の斬撃が円を描きながら悟空と、その背後にいたブルマたちに襲い掛かる。それは、鬼殺隊の柱でさえ見切れぬ神速の一閃。しかし――。
パシン!
乾いた音が響いた。悟空は指二本で、その斬撃の要である刀身を軽々とつまんでいた。黒死牟の六つの瞳が、信じられないものを見るかのように大きく見開かれる。
「なっ…!?」
己の全霊を込めた一太刀が、まるで子供の遊びのように止められた。いや、止められただけではない。指先から伝わる圧力は、まるで鋼鉄の万力に挟まれたかのようだ。刀が軋み、ミシミシと悲鳴を上げる。
「危ねえじゃねえか。いきなり斬りかかってくんなよ」
悟空は眉をひそめ、平然と言った。
「それに、おめえの気のせいでみんな怖がっちまってる。場所を移すぞ」
次の瞬間、悟空の姿が掻き消えたかと思うと、黒死牟は後頭部に軽い衝撃を感じた。手刀だった。それだけで、黒死牟の意識は一瞬飛びかける。気づけば、先ほどまでいた庭園ではなく、赤茶けた岩と荒野が広がる見知らぬ場所に立っていた。悟空は少し離れた場所で、腕を鳴らしながらこちらを見ている。
(瞬間移動…? いや、違う。速さの次元が…まるで違う…!)
理解が追いつかない。縁壱の踏み込みですら神速と感じたが、この男の動きは理を超えている。
「ここなら、誰も気にせず戦えるだろ」
悟空はにっと笑う。
「さあ、もう一度やってみろよ。おめえのその剣、なかなか面白そうだ」
屈辱だった。数百年間、武の道を極めるために全てを捨ててきた己が、まるで赤子扱いされている。怒りが沸点を超え、黒死牟の鬼としての本性が剥き出しになる。
「…面白い、だと? 小僧…貴様は今、死に触れたのだぞ…!」
「月の呼吸、伍ノ型・
刀身から無数の渦巻く斬撃が放たれる。それは広範囲を薙ぎ払い、触れるものすべてを微塵に切り刻む必殺の技。岩山が豆腐のように切り裂かれ、大地が抉られていく。
だが、悟空はその嵐の中心で微動だにしなかった。斬撃の渦が彼の身体に触れる寸前、不可視の気の壁がそれを弾き飛ばす。
「…もう終わりか?」
悟空の声には、失望の色さえ滲んでいた。彼はゆっくりと右手を掲げる。その掌に、眩い光が凝縮されていく。空気が震え、大地が揺れる。黒死牟の本能が、かつて縁壱の赫刀を向けられた時以上の恐怖で警鐘を鳴らしていた。あれは、防げない。触れれば塵も残らない。
「…ま、参った」
絞り出すような声で、黒死牟は降参を告げた。刀を鞘に納め、その場に膝をつく。もはや戦意はなかった。プライドも、数百年の研鑽も、この圧倒的な力の前にすべてが無意味だった。
それは、鬼となって以来、初めて味わう完全な敗北だった。
縁壱に感じたのは、武の才に対する嫉妬と焦がれ。
だが、この男に感じたのは、生物としての次元が違うという、絶対的な断絶。
(…これが、この世界の強者か…)
六つの瞳が見つめる先で、悟空は気の光を霧散させ、少し困ったように頭を掻いていた。