再びカプセルコーポレーションの庭園に戻った時、黒死牟を取り巻く空気は以前と変わらず緊張を孕んでいた。ベジータやピッコロといった強者たちが、油断なく彼の一挙手一投足を監視している。だが、先ほどまでの殺気は黒死牟から消え失せ、代わりに深い虚無がその六つの瞳に宿っていた。
「ま、そういうわけだから、もうこいつは戦わねえってよ」
悟空はあっけらかんと言い放ち、パーティーの輪に戻っていく。残された黒死牟は、その場に立ち尽くすしかなかった。
数百年の研鑽。人間性を捨ててまで追い求めた武の極致。その全てが、あの男の前では児戯に等しかった。縁壱という絶対的な物差しで測り続けてきた己の力が、この世界では何の価値も持たない。その事実が、彼の存在意義そのものを根底から揺さぶっていた。
(鬼である意味とは…私が積み上げてきたこの力とは…一体、何だったのだ…)
思考が堂々巡りする中、一人の人間が恐れることなく彼に近づいてきた。先ほどの青い髪の女――ブルマだった。彼女は科学者の探究心に満ちた瞳で、黒死牟の異形を頭のてっぺんから爪先までじろじろと観察している。
「あんた、一体何者なの? その目、どうなってるのよ。それにさっき、太陽の光がどうとか言ってなかった?」
ブルマは矢継ぎ早に質問を投げかける。その瞳には恐怖よりも好奇心が勝っていた。黒死牟は答える気になれず、黙殺を決め込む。だが、ブルマは全く意に介さなかった。
「ふーん、だんまりってわけね。でも、さっき孫くんと戦ってた時のあんたの身体能力、普通の人間じゃないわよね。細胞組織がどうなってるのか、すっごく興味あるんだけど」
彼女は腕を組み、何かを閃いたようにポンと手を打った。
「もしかして、あんた元は人間だったんじゃない? 何かの要因で、身体がそんな風に変質しちゃったとか。一種の病気みたいなものよ」
「…病だと?」
思わず、低い声が漏れた。この力は、病などという矮小なものではない。己が選び取った、武の道を極めるための進化だ。そう反論しようとして、言葉に詰まる。その進化の果てに、悟空に完膚なきまでに敗れたのだから。
黒死牟のわずかな反応を見逃さず、ブルマは畳み掛けた。
「やっぱり! 図星でしょ。原因は分からないけど、細胞レベルで身体構造が書き換えられてる状態なのよ、きっと」
彼女は自信満々に腰に手を当て、とんでもないことを言い放った。
「だったら、あたしが元に戻してあげようか?」
「…なに?」
黒死牟の六つの瞳が、初めて驚愕に見開かれた。人間に戻る。そんな発想は、鬼となって以来、一度たりとも脳裏をよぎったことがなかった。力を失うこと、それは彼にとって死よりも屈辱的な敗北を意味する。
「何を…馬鹿なことを言っている…」
「馬鹿じゃないわよ! あたしは世界一の天才科学者なの! あんたの細胞をちょっと調べさせてもらえれば、その変質を元に戻す薬くらい、作れるかもしれないわ!」
ブルマの言葉には、揺るぎない自信が満ち溢れていた。遠巻きに見ていたベジータが「くだらんことを…」と呆れたように呟く。
だが、黒死牟の心は大きく揺さぶられていた。
人間に戻る薬。
それは、弱者への退行を意味するはずだった。しかし、最強を求めて鬼と化した己が、この世界の「人間」に手も足も出なかった。ならば、鬼であり続ける意味とは?
黒死牟は何も答えられなかった。ただ、目の前で自信満々に胸を張る人間の女を、六つの瞳で見つめ返すことしかできない。彼の数百年にわたる信念の根幹に、初めて亀裂が入った瞬間だった。