ブルマが「人間に戻す薬」の開発に着手してから数日が経った。
黒死牟は、カプセルコーポレーションの一室を与えられ、静かに時を過ごしていた。悟空との一件以来、彼は刀を抜くことも、鍛錬をすることもなく、ただ窓の外の異質な風景を眺めていた。武の道を見失った今、何をすればいいのか分からなかった。
そんな彼の前に、一人の男が姿を現した。緑色の肌に尖った耳、そして頭には白いターバンを巻いている。ピッコロだった。彼はパーティーの時も、黒死牟に対して最も強い警戒心と静かな敵意を向けていた男だ。
「…何の用だ」
黒死牟は視線を窓の外に向けたまま、低い声で問う。ピッコロは部屋に入ると、壁に背を預けて腕を組んだ。
「お前からは、かつての俺と同じ匂いがする」
静かな、だが芯の通った声だった。黒死牟は初めてピッコロに視線を向けた。六つの瞳と、鋭い黒い瞳が交錯する。
「同じ匂い、だと…?」
「ああ。力への渇望、他者を見下す傲慢さ、そして…孤独。かつて俺は、ピッコロ大魔王と呼ばれ、世界を恐怖で支配しようとした」
ピッコロは淡々と語り始めた。自らが、かつては地球の神から分離した悪の化身であったこと。世界征服を企み、悟空と死闘を繰り広げたこと。その生まれ変わりである自分が、悟空の息子である悟飯を鍛えるうちに、徐々に心が変わっていったこと。
黒死牟は黙ってその話を聞いていた。大魔王。世界の支配。その言葉は、彼の心にさざ波を立てた。鬼舞辻無惨の支配下にありながら、己はただひたすらに個の武を磨くことだけを考えてきた。世界の支配など、考えたこともなかった。
「貴様は…なぜ変わった。力を手放すことに、未練はなかったのか」
それは、黒死牟が今最も抱えている問いだった。ピッコロはふっと息を吐き、遠い目をする。
「未練がなかったと言えば嘘になる。だが、俺は悟飯と出会い、知ったのだ。守るべき者がいる強さというものを。誰かのために振るう力は、ただ己のためだけに振るう力よりも、遥かに強く、そして温かい」
ピッコロの言葉は、黒死牟の胸に深く突き刺さった。
守るべき者。
彼の脳裏に、遠い昔の記憶が蘇る。病弱な妻、生まれたばかりの我が子。人間だった頃、確かに自分にも守るべき存在がいた。だが、自分は彼らを捨てた。老いること、死ぬことの恐怖から逃れるため、武の道を極めるという大義名分を掲げて、全てを切り捨てた。
「…くだらん。情に絆され、牙を抜かれた腑抜けの戯言だ」
黒死牟は吐き捨てるように言った。それはピッコロに向けた言葉でありながら、揺らぎ始めた自分自身に言い聞かせるための言葉でもあった。
ピッコロは、そんな彼の虚勢を見透かしたように、静かに言った。
「そう思うのなら、それでもいい。だが覚えておけ。お前が捨てたものの中にこそ、お前が本当に求めていたものがあったのかもしれんぞ」
そう言い残し、ピッコロは音もなく部屋を去っていった。
一人残された黒死牟は、再び沈黙に沈む。ピッコロの言葉が、まるで呪いのように彼の心を蝕んでいく。
守るべき者。本当に求めていたもの。
(縁壱…貴様は、守るべき者のために、その強さを使っていたというのか…?)
数百年間、目を背け続けてきた問いが、彼の心の中で重くのしかかっていた。