突然のことだが,少しだけオレの出す問いに耳を傾けてほしい。
問:人間は社会に生きているか否か。
昨今、現実社会は、個人主義、プライバシー、人権と個々人の権利を訴えてやまない。
やれ、LGTPQ・マイノリティ・障害者・在日と叫び、個性を中心として集団への回帰を
なくそうと躍起になっている。
村社会はだめ、タコ部屋はだめ、今までの土人くさい風習はだめ、社会主義はだめ、
人は個人に生き国の付属品ではないと叫ばれた。
これだけを見れば、過去の因習を断ち切る新たな文化の開花といえただろう。
しかし個人主義を極めれば、同調圧力や相互監視といった国家的な安定・国民性という国家的な意識の帰属が薄くなる。
それにより、スノーデン事件・共謀罪・マイナンバーカードと、国家的利益と個人利益の衝突を起こしている。
これらの個人主義の押し付けは、本当に正しいといえるのだろうか。
なぜなら、今の日本の治安やゴミ拾いというのも、天皇という一つの日本人社会の頂点が
大きな影響力を持つことで成し遂げられた。
それが今ないがしろにされ、モラルの低下や犯罪率の上昇・国防意識の低下につながっている。
俺達人間は、社会形成動物である。それに矛盾する個人主義は、何も生むことはない。
これは現代社会の心理的飽和における弊害と考えている。
つまり、答えは否。人は社会に生き、社会に死ぬ。個人だけで生きていけるという新自由主義は、飲み食いができるインフラがなければ成り立たないものである。
アリストテレス
「人間は本性上、ポリス的動物(社会的動物)である」
エミール・デュルケーム(社会学の父)
「社会は個人の外にあり、個人を形成する力を持つ」
カール・マルクス
「人間の本質は、個人に内在する抽象的なものではなく、社会的諸関係の総体である」
マハトマ・ガンジー
「人間は社会の中でのみ完全な人間となる」
紀元前から現代まで、あらゆる偉人が社会の重要性を解いている。
人は群れることで成すことができる。基本を失えば、今作り出しているものが崩壊するのだ。
残念ながら昨今では、個人主義が行き過ぎて承認欲求にひた走り他人に迷惑をかけ、
あるいは資金といううたかたの存在に現を抜かしている輩もいる。
拝金主義や資本主義は個人を社会から切り取り、醸成してきた礎を浪費して成り立っているに過ぎない。
これが100年後も続いていれば、国というものは教科書に名前を残すだけになるだろう。
いや、教科書すら焚書されるかもしれない。
話がズレてきたな。ともかく、人はつながりがなければ自分を保てないということにつながる。というわけだ。
散々議題に上げて今の社会の歪さを批評してきたが、別に今の個人主義を否定するわけでもない。新たなパイオニアとして、ベンチャー企業を立ち上げたり、ブログ・ゲーム・漫画等を作成し新たな文化や経済を作り上げる原動力になる。
日本は加工貿易をしているため、このような発想力は将来も国を生かすものになるだろうから。
なあ、この場末の電子の海で、二進数の文字列を読んでいるお前。
お前は将来について、ちゃんと考えて行動しているか?
何かあれば社会が作ったシステムが守ってくれると思ってないか?
これら社会も、結局は個人の杓子定規や胸三寸で運用されていることを、
絶対に忘れてはならない。
残念だがオレは、子どもは社会が守るものと思って憚らなかった。
だが結局、子どもは親の道具である。
高校生になっても、親の影がちらついているんだ。
それと同時に、大人という社会同調の軛から開放された子どもが、
他の子どもにどんな影響を及ぼすか。
オレは義務教育という国家社会から、開放されたと感じていた。
思い上がってしまっていた。
自分の将来が、現在進行系で社会から大きな影響を与えられていることに気付けなかった。
そう、無遅刻無欠席、同調という言葉に惑わされ、本質を無視し
現状だけに満足して理解することを止めてしまったんだ。
視聴者厳選のお時間です。