人は遊ぶ。
身体を使って、玩具を使って、頭を使って、無我夢中に遊ぶ。人は時に遊びに本気になる──遊びに本気になった結果、よりストイックな方向へ遊び方を拘り、己を縛りつける。それだけに留まらず、コミュニティを形成し、同様の遊びを始める。能力差や不平等を埋める為に共通のルールを設け、ルールを破ったものは厳しく罰される。ルールに基づいて互いに競い合い、そして、コミュニティ内に序列を作り始める。その序列の中で、人は下を蔑み、上を妬み、そして両隣で争い続ける──それを善しとするのだ。
この世にある遊びの殆どは無くても生活には困らない。それでも人は遊びを手離さず、本気で、命を懸ける。命を懸ける理由は一体何なのか。それはやはり、楽しい事この上ないからなのだろう。
僕はというと、遊びはもっぱら、子供の頃に二人の妹とボードゲームをした記憶がある。というか、それぐらいだろうか。
因みに僕が負けた場合はリカちゃん人形よろしく着せ替え人形と化す他に、目でピーナッツを食べ、鼻でパスタを啜るといったペナルティがあった──できるわけがねぇだろ。
この世にある殆どのスポーツも、初めは遊びから出発したものだ。運動部に所属している学生達がその最たる例だろう。はじめは遊びとして始めたスポーツだったが、やがて実力をつけ、本格化していった末にスポーツ推薦やそれぞれの全国大会に挑む為に死力を尽くすこともある。尽くした結果、故障し選手生命を失って深く絶望することもある。それが人生の全てだと言わんばかりに。
メ・ジャルガ・ダ。健康的な小麦肌が可愛らしいポニーテイルの女の子の名前だ。それでいて刺々しいパンキッシュな服装というちぐはぐさを兼ね備えている、『怪しさ』に溢れた女の子だ。
そんなジャルガは、あろうことか人殺しを遊びとして楽しみ、その字の通りに命を懸けていた。
彼女がその遊びに失敗し、瀕死の重症を負って倒れ込んでいるところに僕が出くわした場面から、物語はスタートする。
直江津市内 叡孝塾廃墟 10:30p.m.
「忍野、それ何やってんだ」
忍野が珍しく何かを工作している。
「これかい、これはダルマだよ。かわいいだろ」
ダルマをこちらに向けてみると、デフォルメされた忍の顔が描かれていた。かつて、鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードと呼ばれた彼女が、両手両足を切断され、ダルマ状態になりながら僕に助けを求めたあの光景を、必然的に思い出された。
「忍野──お前の辞書には不謹慎の三文字は存在しないのか!?」
「ははっ!元気が良いなぁ、何かいいことでもあったのかい?」
いつもの口癖である。
「いやはや──これは不味かったか、結構可愛く出来たと自負してたんだけどねぇ」
忍野は忍ダルマをくるくると回しながら一通り眺め、端に置いた。
「ところで阿良々木くん、君の様子を見るに僕の工作を見に来たって訳じゃなさそうだけど」
「ああ──鎧武者の怪異、いやクワガタムシか何かの怪異について何か知ってることあるか?」
「鎧武者?クワガタムシ?こりゃまたアバウトだねぇ」
僕は忍野に昨日の夜のことについて、甲冑ともクワガタムシとも形容できる怪異について、その一部を語った。一部始終ではない、一部である。
僕がそういうのにも訳がある。誰かに言いたくない──言ってはいけない、そういう事情があった。どういう事情なのか、それを整理する為にもここで一部始終を語る必要がある。モノローグで。
直江津市内 明屋書店 08:49p.m.
その時間僕は書店へ自転車を走らせていた。
何かの気の迷いか、天啓か、黒ギャルが突然脳裏に浮かんだ。これしかない──そう、書店へと駆け込んだが、これが全く無かった。ここの書店員は黒ギャルがあまり好きじゃないらしく、全く置いていない。2000年代後半に入って黒ギャルが絶滅したからもう好んで買うヤツはいないだろうと打算的に考えているならばそれは間違いだ。そうと決まれば止まらないのが僕だ、妥協などするものか。デットストックの『egg』でもいい──買ってやる、全てだ。
血眼で探していたら本当に埃が被っていた『egg』が一冊あったのでなし崩し的に購入し、半ば後悔しながら帰路についている時の事だ。最近、近辺で謎の通り魔事件が多発しているそうだ。仮にその通り魔に襲われた際に『egg』を持ったまま被害にあうのは避けたい。そんなことを考えながら自転車を走らせていた。
街灯にもたれかかる人影が見えた。影が黒く濃くその人を包んでいた為に性別や体格まで判別することがその時は出来なかった。酔っ払って寝ているだけの中年サラリーマンの可能性もあるが、無だとしても万が一の事もある──そんなことを考え、近づき声を掛けようとした。
その人を包み込んでいたと思い込んでいた影は、血だった。全身が赤く濡れ、黒く乾いた血がその人を包み込んでいたのだ。
「おい、大丈夫か!」と抱えあげた時にやっと気付いたが、小麦肌でやや筋肉質だが小柄であるその体躯、やや雑に纏められた金髪のポニーテイル、幼さが残る輪郭と凛々しさを感じさせる目元からやっとその人が女性、とびきり可愛い女の子であることが分かった。要素だけを取り出してみると、黒ギャルだ。
気を失っているのかまったく応答はない。抱えた時にまだ熱を感じたため死んではいないことは確定済みだが、念のため脈拍を測るために首筋に人差し指と中指を沿わせ動脈を探った。その瞬間である。
「ボソグ、ボソギデジャス……」
彼女の口から低い獣のような唸り声とも聞こえる声が絞り出された。何語だろうか?そもそも言葉だろうか?まだ僕にはその唸り声の正体が何も分からなかった。
とにかく病院へ──携帯電話を取り出そうとしたその時である。後方から足音が聞こえた。通行人だろうか、声をかけて介抱を手伝って貰い、目立ちやすい所へ移動して救急車を待つか?などと呆れる程呑気な思索をしている僕の予想とは異なる何かがこちらへ向かってきた。
テイルランプのように光る、二つの灯りが夜の闇から浮かび上がってきた。人ではない。そう率直に思った。
答え合わせのように、街頭の光がその姿を照らした。
赤備えの鎧、金の鍬形。
鎧武者と形容できる異形の怪人が姿を表した。
しかし、鎧武者と形容したが、その鎧は漆や金属というより、生物的な何か──昆虫や甲殻類を包むキチン質にも感じさせる。それに、頭に輝く金の鍬形も、クワガタムシを連想させた。
そして何よりも赤く灯された双眼が、昆虫の複眼を思わせた。
「クウガ」
虫の息だった血塗れの彼女が、そう言葉を漏らした──先程まで気絶し、唸り声を少し漏らしただけだった彼女がはっきりとした口調でそう言った。
「ああ、あ、ああああああ!」
彼女は近づく鎧武者に恐怖で顔を歪ませ、そう、赤子のように喚いた。抱える僕の手を振り払い、逃げるように後退りをした。
「なあ、どういうことなんだ!もしかしてお前はあいつに怪我を負わせられたのか!?」
今思えば僕は混乱のあまりに、この状況においてあまり好ましくない言葉を彼女に投げかけてしまった──混乱している彼女に質問を投げかけるのはあまりにもバットコミュニケーションだ。鎧武者に相対して錯乱状態を起こしているこの状況自体が答えのようなものだろう。
「ギビダブ……バギ」
彼女は震えながら確かにこう呟いた。
そして彼女はこう繋げた。
「た、すけ、て──」
「たすけて!たすけて!たす、たすけて!ギビダブバギ、ギジャザ、ギジャザ!!ああ、あああ──たすけて、たすけて!たすけて!!!」
『助けて』壊れたラジオのように、彼女はそれだけを連呼する。
赤子のように泣き叫び、喚き散らかす彼女を見ると、僕は嫌でも、あの春休みを想起するしかなかった。
やめてくれ。
僕は彼女を抱き抱え、自転車のカゴに彼女を乗せた。この一連の動きはまるで予行演習をしたかのように、スムーズで、機械のようで、自分でも本当に気味が悪いと思った。
こんな出来事、慣れて堪るか。
彼女の尻が丁度カゴに収まって助かった。振り返らずにペダルを踏み込み、とにかく、とにかく遠くへと夜の町を逃げ回った。
最終的に向かう場所は決まっていた。学習塾跡の廃墟──忍野の場所だ。
「──今怪異絡みで頼れる奴の所に向かってる!きっとお前を助けてくれる!」
こんなこと忍野に聞かれれば「勝手に助かるだけだ」と嫌味ったらしく言われそうな──臭い台詞を吐いた僕だが、これに彼女はこう返答した。
「そっち、行くな!」
「どうして」と疑問をそのまま彼女にぶつけた。
「行くな!行くな!」
ただこれを繰り返すだけだった。忍野の知り合いなのか?と的外れな推理をしながら、何処ならいいのか尋ねると、彼女は指差しで進路を示した。
たどり着いたのは、廃業した工場が遺した廃倉庫の一画だった。
辺りを見回し、鎧武者が居ないことを確認し廃倉庫に入ると、彼女は自転車のカゴから跳躍し、真上から僕に組み付いた。三角絞めで。
「ゴセンギグボドビギダグゲ」
彼女の超人的な跳躍は「本当に何語なんだ?」という僕の素朴な疑問を置き去りにし、なんならその勢いで僕の命まで刈り取られそうになっている。
筋肉質で弾力にとんだ黒ギャルの太ももが僕の首を締め付ける。
肺に送られてくる筈の酸素が、血液に乗って動脈を渡り、脳や全身に行き届く筈の酸素がこの太ももによって遮断されていることがぴりぴりとした手足のしびれからも理解することができる。
「何……?本当に……?」
本当に何で?理不尽すぎる──僕は精一杯声を絞り出す。辞世の句がこれじゃ閉まらなすぎる。
何も分からない、察していない僕に呆れたのか「はぁ」とため息を付きながらこう続けた。
「お前、俺の事、誰にも言う、な。助け、たこと言うな」
たどたどしくも、強く言葉を強調してそういうと拘束を解いてくれた。気道が確保されると、肺が一気に辺りの空気を吸い込み始める。カビ臭い空気すら非常にありがたく、美味く感じた。
「ダヂガセ──」
相変わらず何語か分からなかったがなんとなくニュアンスが伝わった。取り敢えず廃倉庫から僕は立ち去った。振り返ったが、倉庫からは影になって彼女の全貌を見ることはできなかった。
自転車を走らせ、一刻も早く家に帰ろう。今日あったことは忘れるよう努めよう。何でも首を突っ込む僕の悪い癖が出る前に。
しかし、赤備えの鎧武者のこと、何より彼女──血塗れ童顔黒ギャルのことが気になり、その足で忍野の元へ向かった。右京さんよろしく、悪い癖が出てきてしまった。
随分と長くなったが、ここまでが回想シーンだ。
あの赤備えの鎧武者、謎の言語を操る血塗れの黒ギャルについて──その真相を知りたいという気持ちに相反する、彼女の意味深長な「誰にも言うな」の言葉を愚直に守り、忍野に事の一部を伏せて鎧武者のことについてのみを聞くシーンへと繋がる訳である。
「多分それは、未確認生命体第4号、なんじゃないかな」
話を聞き終えた忍野は確かにそう言った。
「未確認生命体?忍野、なんかいきなりジャンル違いな固有名詞が聞こえたんだけどオカルトだったら全て守備範囲なのか?」
「いやいや、僕はあくまで怪異の専門家だよ。ツチノコを探して藪をつついたりオゴポコ探してオカナガン湖を潜るようなバイタリティ溢れるUMAの専門家じゃあない。それにUMAのように夢のある存在じゃないんだよ、未確認生命体は。小さい頃にでもテレビや新聞で見なかったかい?なんだったらきみのご両親の方が僕より詳しいと思うけどね」
ここまで言われてやっと思い出すことが出来た。当事者でなくとも、あの無惨で、凄惨で、悲惨な一連の事件を──幼少の頃の僕は連日何らかの形で見聞きしていた。2000年代初頭、日本を震撼させた、未知の脅威、未確認生命体によるあの殺戮を。
「あくまでも生命体、彼らは怪異と違って実在する生き物だから僕にとっては専門外の部類だ。だけど第4号に関してはある意味都市伝説、街談巷説、道聴塗説の部類として当時流行していたんでね、専門家でないにしろ基礎知識として記憶しているよ。」
「都市伝説……確か、未確認生命体第4号は人間の味方で、迫り来る未確認生命体から守ってくれる、そういう話だったよな」
「人間の為に戦う同族殺しの戦士──まるで特撮ヒーローのような話だね。確かに第4号は他の未確認生命体と戦っていたよ。だけど、そもそも未確認生命体自体が得体の知れない奴らだ。単なる縄張り争いか何かだろうと疑うこともできるはずだ」
「だけど、警察は第4号を全面的にバックアップした」
「そう、不思議だよね──未確認生命体、縮めて未確認てのはまあ、残虐にして残忍、人の姿をしていながら動植物の能力を携えた怪物──異なる言語と文化を持ち、人間を狩りの対象としか認識しない、殺人ゲームが伝統の鬼畜外道の集団だ。勿論、彼らには人の法が適用されていない。人じゃないからね。その仲間かもしれない第4号を事実上の協力者として迎え入れ、彼の為に交通整理なんかもしていたらしいじゃないか。未確認が跋扈した時──君のご両親は対応に追われ、今以上に忙しかっただろうね。猫の手も4号の手も借りたい程だったろう。どんな時でも──それこそ味方である警官に射撃されたとしても人を殺さなかった。常にその拳は未確認に向いていた。そういった意味で信頼してたんだろう。あの対応は余程の信頼を築いていないと出来ない──そう思うね」
忍野はいつもの様子で専門外であある未確認生命体と第4号について僕にあれこれ教えた。しかし、何処か外堀を埋められているような気がした。正確には──僕が疑問に思いながらも稚拙な口約束のせいであいつに聞くことの出来ない──彼女の正体、素性についておおよそ予想がついたということだ。
「ああ、そうだ阿良々木くん、未確認生命体について話す際に忘れちゃ駄目なことを言い忘れてた」
血塗れで倒れこんでいた彼女の正体。
「散々人と切り離す表現をしていたけど、どうも未確認生命体の身体組織や血液構造のほとんどが人間のそれとほとんど一致しているらしい──赤い血を流すんだってね」
赤備えの鎧武者、未確認生命体第4号に酷く怯えた彼女の正体。
「つまり、ぼくたち人間と未確認は近縁関係にあるということになるんだよ、阿良々木くん」
彼女は、未確認生命体なのだろう。