「崇高な精神とは“心・技・体”それぞれを鍛え上げることで完成すると言われています。」
暗い部屋にやっと目も慣れてきたころ、準備をしている藍の背中を見ながら大寛は彼女の話に目を傾けていた。
今の彼の精神状態はお世辞にも良いものとは言えない。生への未練と幻想郷に慣れようとする心意気を同時に抱いていたことで、結局どちらにも踏ん切りがつかず、どっちつかず生きている状態だ。
「刀を以て技を磨き、禅を以て心を磨き、貴方と言う不規則な波の様な存在を平坦にすることを目的とします。」
「体はどう鍛えるのです?」
「貴方はもう死んでいるのでしょう?」
「ここで言う“体”は、心に同義と思ってください。」
いざ蝋燭に火が灯ると、思っていた修行よりも言ってしまえば地味な様子に閉口する。
もっと妖術やら何やらを使用した幻想郷ならではの修行と考えていたが。
「今の貴方に“我々のやり方”は身に余りますよ。過酷さ故にもう一度死んでしまうかも。」
「私のやり方に合わせてくれていると?」
「勿論、私なりの一工夫はしています。」
そう言って彼を蝋燭の中心に座るよう促すと、大寛は腰を下ろして座禅を組む。
目を閉じて集中し無を保とうとするが、そう考えるや否や火は呆気なく消えてしまった。
何度か繰り返し試してみるが、やはりあっという間に消えてしまう火と蝋燭を訝しげに見つめる。
「心の平静を保つために『集中しよう』と考えるのは悪手ですよ。」
「そういったものは、皆往々に思考せずとも行えるものなのです。」
とは言え、蝋燭の灯がこうも容易く消えてしまうものなのだろうか。
まるでこちらの心の揺らぎを感じ取っているような気すら感じさせる。
「ふむ。察しが良いですね。」
藍は自慢げにその蝋燭と火の持つ性質を説明した。
“迷消灯”と名付けられたこの蝋燭は、特殊な蝋に狐火を灯すことで周囲の者の気の迷いや心の揺らぎが風となって伝わり火を消してしまうという代物らしい。
心に何の波風も立たせず、意識せずに無意識を保つ。
口にするのは簡単だが、いざそれを実践するとなれば容易なことではなかった。
。。。
「では、今日はこの辺りにしておきましょうか。」
「ありがとう…ございました…。」
日も傾き夕暮れの時間。集中力を使い果たし脱力した大寛はそのまま崩れるように床へ横になった。
結局数時間を通して試みてはいたが、維持する時間が多少長くはなれども最後まで蝋燭を残したまま完遂することは叶わず。藍はそんな状況を「仕方ない」と話していたが、遠くなった耳にはその言葉すら満足に聞き取る力は残されていなかった。
「気に病む必要はありませんよ。徐々に頭と心を慣らしていけばいいのです。」
「それでは、また明日。」
ぐったりとしている大寛を気遣ったのか、藍は様子を見に来た妖夢に会釈をするとそそくさとその場から立ち去って行った。
妖夢は彼のもとへ来ると何度か声をかけるが、反応もなく虚ろな表情で横たわったままの大寛を見て顔をしかめた。
「なぜ此処までする必要があるのです。」
つい口を突いて漏れ出た言葉。それは紛れもない疑問だった。
彼はついこの間まで外の世界で一人の人間として過ごしていた。それが急に幻想郷に来たとしても、ここまで熱心に慣れようと尽力するものはそう居ないのではないかと考えていたからだった。
実際、これまでも何人か外の世界からやってきたという人物は何名か居たが、それらの人は皆往々にして時間をかけ徐々に慣れていっている。
それを大寛は無理をしてでも体に詰め込むようにしている。
何故。何のために。
「私は、此処に来てまだ、何も出来ていません。」
「幽々子様や君にもこうやって気を揉んでもらって、紫様や藍さんも気を遣ってもらっている。」
「それは確かに嬉しい。ですが…。」
「俺は、君たちの様に立派になりたい―――」
小さい声だが切実な言葉が彼の口から呟かれる。
妖夢からしてみれば、常識でないことに対してこうも真剣に取り組もうとする彼の姿が不思議で仕方がなかった。
空が飛べるから何だというのだ、刀が振れるから何だというのだ、精神が波風立たず落ち着いているから何だというのだ。
こうも一緒くたに心身に諸々を詰め込んで、彼が行き着く先は何だというのか。
「妖夢。」
気付かぬ間に背後から近付いて来ていた幽々子から声をかけられると、ハッとして後ろを振り向く。
彼女は妖夢へ手招きをしている。
「本当は内緒なのだけれど…。いつも貴女にばかり何も明かさないのも悪いでしょう?」
「彼がこの幻想郷においてどんな影響を与えるのか、今から貴女に教えるわ。」
夕日は既に沈み、幻想郷にも冥界にも、例外なく夜の帳が落ち始めていた。