聖が言う修行。それは禅を組むことではなく、懺悔に近いものだと言う。
ここ命蓮寺に居るのは妖怪が多く、またその多くが後ろめたさや人間を襲った過去などを持ち合わせている。そんな彼女たちのために聖が発案したのが“乖想”と名付けたものらしい。
過去の行いや過ちを“想い直す”ことでそれらと今を“乖離”させる。そんな意味合いがあるそうだが、実際それに取り組んでいる者は多くはないようだ。
要は実験体か?と問うと、彼女は言葉を詰まらせ咳払いをする。その頃には先ほど見えていた後光は消え、おどろおどろしい何かまで見え始めていた。
「こちらが、その修行専用に作った一室です。」
修行用の一室と言うにはどんな厳かな雰囲気かと思えば、そこは何もない一室。
家具はおろか畳すら敷かれていない空虚な一室は、最上限まで良く言うなら確かに集中するには持ってこいだろう。
「…修行部屋、ですか?」
先ほどから文句ばかりが口を突いて出てくるが、聖はそんなことを気にする様子もなく「じゃーん」などと口にしながら修行方法を説明している。
とは言え方法らしい方法は無いようだ。やることと言えば、過去を思い返して現れた過去を用意してある笏で切り払い清算する。これで修行は終わりだ。
「さあさあ、早速やってみてください。」
「ちょ…ちょっと、押さなくても入りますから…!」
ようやく自身が考案した修行を試せる機会が訪れたためかやけに上機嫌だ。
グイグイと押し込まれ襖を閉められると、日中でありながら日の光は入らず驚くほど暗い。こうなっては逃げることは出来ないだろう。以前までの精神修行を思い出しながら目を閉じる。
意識を持たない、全身を溶かすような感覚
やがて自身をその感覚が覆い被せていった。
――――ああ、この感覚には、覚えがある。
。。。
気付いた時、彼は自分の体が真っ暗な空間に立っているのに気付いた。
暗く、冷たく、どうしようもなく淀んでいる。
彼の過去。清算すべき―――
唾棄すべき過去。
彼は特に変わったところもないただの人間だった。
変哲もない幼少期。やがて中学を卒業し、高校も卒業した。
ただ一つ違うものと言えば、他人感情に人一倍敏感だったことだろう。
良い感情も、悪い感情も、それら全てを認識してしまっていた彼は、周囲を取り巻くそれらを受け入れた。赤の他人の感情すらも受け入れ続けた。
それを逃がす術も知らずに。
やがて有象無象の感情はまるでヘドロの膜の如く彼の身も心も覆っていった。
しかしそこに、受け取っていたはずの良い感情など存在していない。
どんな色を重ねても、黒い色を上から塗ってしまえばそれは黒になる。そんな感じだ。
どうだっていい事だ、そんな事は。
彼の心の奥底に眠っているもの。それは他でもない、集積され続けいつしか深淵など生ぬるいほどに深く根も見えない。
“悪意そのもの”だ。
突如、目の前が歪む。
現れたのは、もう一人の自分。いや、自分の影とでもいうのだろうか。
などではない。
いや、シルエットはまるで自分と瓜二つなのだが…。
影は振り向く。しかし、その正面はあまりにも目を疑うものだった。
瞼など存在していない程見開かれた目の下、まるでガラスが割れたような空間が、不気味で不敵な笑み描いていた。
動揺する間も与えず、影は形を変えていった。無数のミミズの様な触手が蠢き、首は小刻みに、不規則に揺れている。
その姿は明らかに、いつか見た化け物を人型にしたようなものだった。
それは明らかにこちらを認識している。
ここで漸く、この修行を執り行う者が現れないと言っていた理由が分かった。
それも当然かもしれない。
向こうにしてみれば、此方が清算すべき“罪”なのだから。
「―――天符『大日如来の輝き』!」
突如として眼前を巨大な光が包む。光線?光弾?ともかく凄まじい威力なのは、大寛が居た空間をも砕け散らせ介入していることからも明白だ。
「大寛さん!こちらへ!」
聖の声にハッとすると、現れた襖に体当たりをする。外は先ほどまでの命蓮寺だ、何が起きているのかは分からないが、村紗を始めとした面々が駆けつけていることからも異常事態であることは見て取れた。
改めて室内の方に目をやると、寸分違わぬその姿はまだ室内に居た。
聖が構えを取り再度口を開いた瞬間、影は颯爽と室内から彼女めがけて飛んでいく。
このままでは防御の姿勢が間に合わない。すぐ隣に居た大寛には、その行動が既に把握できていた。
今ここで動けるのは、自分しか居ない。覚悟を決める時だ。
「すみません!聖さん!」
咄嗟の行動で聖を抱えて後ろに倒れると、その目の前を黒い一線が通り過ぎていく。
日の光に照らされる“それ”の姿に、その場にいた全員は目を疑った。
“妖怪”などという一言では言い表せない異形の化け物。
皆一様に異形が発する奇妙な感覚に顔をしかめる。中には膝をついてしまう者まで居る始末だ。
その中で一人、大寛だけが変わらぬ顔で睨み付ける。
奴が飛び掛かろうと身を屈めようとした瞬間、上空から飛んできた光弾に身を捩らせて軽々と躱すと、一瞬で姿を消す。一触即発の空気は、それからしばらくして落ち着くこととなった。
「あれは一体…?」
全員が一斉に大寛を見る。
事態の説明など、もはや誰にも、彼すらも理解しかねる状況だ。
ただ大寛は一言だけ、確信を持てる事実を言った。
「あれは…“悪意”そのもの。」
「――私の根底に眠っていたものです。」
。。。
「…で、あれの正体は外の世界の悪意だってこと?」
「ええ。間違いないかと。」
「殺意、怒り、憎悪、嫉妬…種類は様々ですが、あれはそれらの集合体と言っても良い。」
「尼公様も、それを直接見たと伺っていますが。」
「ええ、彼を保護するため咄嗟にスペルカードを使用しました。」
「直撃させたはずなのですが…効果は無かったように思えます。」
「それに…スペルカードルールに則らない直接的な攻撃も。」
事が済んだ後、博麗神社に訪れた大寛と聖は、霊夢と紫に事のあらましを伝えた。
ずっと仏頂面だった霊夢は黙って皆の話を聞いていたが、紫と聖の二人が話し始めると自身も口を開いた。
「怨霊や妖怪とは違う存在…。」
その言葉に、紫は浅く頷く。
曰く、元々大寛の心の内で一つになっていた苦々しいその感情は、周囲の感情を餌にして成長していった。とどのつまり、彼が他人の思考や感情を集めやすいという体質であるということを理由に寄生していたようなものらしい。
そうでなくとも外の世界は一つの物事に思考が集まりやすい。その習性を利用し、今後は幻想郷の悪意を吸い尽くす存在になるだろう。と。
「言わば“念”とでも言いましょうや。外のものと言うなら尚更危険極まりないわね。」
「これを放置すれば、そのうち人間も妖怪も隔てなく感情を吸い尽くされることになるわ。」
「そんなに危険なもの?さっさと退治すれば良いじゃない。」
「既に彼の中で十二分な栄養を得て顕現した以上、正直そうするしかないわね。」
「現状は何処に居るかの把握が重要になる。」
「では人里の見回りをするよう、命蓮寺の者たちにも周知させます。」
「では、私は妖怪たちに周知させましょう。指名手配犯の様なものね。」
とんとん拍子で話が進んでいく中、大寛だけが一人取り残されている。
またも大きな事態を引き起こしてしまったと考えていたが、そんな彼に彼女たちは声をかけていく。
「気にすることは無いわ大寛。遅かれ早かれこういった事態が訪れるとは以前も言ったでしょう?」
「今の貴方は即ち過去の清算を済ませた状態。そんな貴方なら、いつか出来ることがやって来るでしょう。」
「ひとまず今は白玉楼に戻りなさい。幽々子も妖夢も心配してんじゃないの。」
そう言い残して皆各々行動に移り、大寛も白玉楼に戻ることに決めた。
聖の言っている“出来ること”が来るその日まで、今は力を溜める段階にあると拳を強く握りしめるのだった。