月と樹と写輪眼 ─もう一人のうちは─ 作:琴葉つきね
今回は、あのの夜の物語。
ミズノの目に映った光景と、彼女が託された思いを描きます。
もしよろしければ、感想や評価で応援いただけると嬉しいです。
木ノ葉隠れの里、夜の闇に包まれたうちは一族の居住区。
辺りには不気味な静けさが漂う。
月光に照らされた街並みを見下ろしている、赤く輝く瞳。
風が吹き、月明かりに揺れるその姿は、夜の闇の中に溶けていった──
──ドンッ。
大きな鈍い物音に、ミズノは目を覚ました。
暗い天井を見上げたまま、しばらく動けずにいた。夢だったのだろうか。そう思おうとした矢先、遠くで何かが倒れるような音が重なる。
胸騒ぎがした。理由は分からない。ただ、肌にまとわりつく空気がいつもと違っていた。
布団を抜け出し、冷えた廊下を渡って隣の部屋の戸を開ける。
「ねぇ、お姉様、起きて……外から、すごい音が聞こえたの」
身体を揺すられながら、イズミが気だるそうに目を覚ます。
「……すごい音?お母様が起きてるんじゃないの?」
「ううん、外から聞こえたの」
ミズノは暗い廊下を振り返る。
「何か……嫌な感じがする」
その言葉に、イズミの眠たげだった表情がすっと引き締まった。
二人は母の寝室へ向かった。戸を開けても、布団は冷たいまま、誰もいない。台所にも居間にも、母の姿はなかった。
「お母様、どこに行っちゃったの……」
「──きゃああああっ!!」
ミズノの不安げな呟きを、夜を裂く叫び声が遮った。二人の身体が強張る。顔を見合わせ、先に口を開いたのはイズミだった。
「ミズノ、外に出るよ。私から離れないで」
「……うん」
イズミは妹を背に庇いながら、玄関の戸に手をかけ、ゆっくりと開いた。
流れ込んできた夜風は、鉄の匂いをしていた。
「──!?」
イズミの足が止まる。その肩越しに、ミズノは外を覗いた。
家の前。月明かりの下に、見慣れた人影が倒れている──
「……お母、様?」
一歩、ミズノの足が前へ出る。返事はない。地面に広がる赤い染みが、月光を鈍く返している。
「お母様……!!」
駆け寄ろうとしたミズノの腕を、イズミが強く掴んだ。
「待って、ミズノ!」
「でも、お母様が……!」
「待って……!」
その時、遠くでまた悲鳴が上がる。顔を上げた二人の目に、通りを逃げ惑う人影が映った。そして倒れ伏した人々の影も。
何が起きているのか、状況が飲み込めない。ただ、いつもの場所が、悲鳴と血の匂いに塗り潰されていくことだけは分かった。
その場に立ちすくんでいると、音もなく誰かが目の前に降り立った。イズミが反射的にミズノを背へ押しやる。
月が、その人物を照らし出した。
「イタチ君!?」
「イタチお兄様!?」
二人の声が重なる。ミズノの顔が、安堵にほどけかけた。イタチの手には、血に染まった刃が光っている。月明かりに浮かぶ表情からは、彼の気持ちは読み取れない。
刃の切っ先から、赤い雫がひとつ、地面へ落ちた。
イズミの視線が、その刃から、倒れた母へ、そしてもう一度イタチへと動く。
「イタチ君……まさか……」
イズミが問う。ミズノはイズミの服の袖を強く握りしめた。
「イタチお兄様……襲ってきた誰かと戦ってるんだよね?」
「……」
「私たちを……助けに来てくれたんだよね……?」
微かに声が震える。それでも、ミズノはイタチから目を逸らさない。
また遠くで悲鳴が上がる。ミズノはそちらを振り返り、拳を握った。
「このままじゃみんな殺されちゃう……一族を守らないと……!お姉様、私たちもお兄様と一緒に戦おう!」
イズミが頷き、二人の瞳が赤く光を放つ。
イタチはただ、血に濡れた刃を下げたまま、二人と同じ赤い瞳で彼女たちを静かに見据えている。
「一族を……守る……か……」
次の瞬間、冷たい風が濃い血の匂いを運んだかと思うと、イタチの瞳に万華鏡の紋様が浮かび上がる。
「──!!」
抗う間すら与えられず、イズミとミズノの意識は月読の世界へと深く沈んでいった──
崩れ落ちる二人の身体を、イタチは両腕で抱きとめる。そして、ゆっくりと地へと横たえさせた。
「許せ……イズミ、ミズノ」
静かに立ち上がった彼は、再び血を吸った刀の柄を強く握りしめる。その背中は振り返ることなく、深い闇の奥へと消えていった。
──どれほどの時間が過ぎたのだろう。
「……う」
ミズノの指先が微かに動いた。頭が割れるように痛む。重い瞼を持ち上げても、視界は揺れて定まらない。
「私……?」
視界がグラグラと歪む中、頭を押さえながら横を見る。
そこにはイズミが倒れていた。彼女の身体は生気を失ったようにぴくりとも動かない。
「お姉様!!」
ミズノは這うように縋りつき、血の気を失った姉の身体を必死に揺すった。
「っ……」
イズミが眉を寄せ、声を上げた。
「お姉様!!よかった!待ってて今……」
ミズノが印を結ぼうと手を合わせると、イズミの冷え切った指先が、力なくミズノの手首を掴む。
「その力は……使っちゃだめ……」
「大丈夫……!!お姉様を助けたいの……!」
しかしイズミは、浅い呼吸を繰り返しながら小さく首を振った。そして、何かに急き立てられるように震える手を自身の目元へと伸ばす。
「お姉様……?何を……!」
イズミは自らの両眼を抉り出し、戸惑うミズノの目の前に差し出した。イズミの手の上には、花の弁に似た模様が四つ浮かぶ瞳があった。
「前に……イタチ君とシスイさんが話してるのを、聞いちゃったの……親しい人の死が、万華鏡写輪眼を開眼させるって……」
「万華鏡……写輪眼……?」
イズミの閉じた瞼から、赤い涙が絶え間なく伝い落ちている。
「イタチ君が、お母様を……一族を……私とミズノのことを……ミズノもきっとこの後、万華鏡写輪眼を……」
声が途切れる。それでもイズミは、微笑もうとした。
「どういうこと?わからないよ……お姉様……!!」
ミズノは差し出された眼を受け取りながらも、大きく首を横に振り続けた。大粒の涙が血に濡れた自分の手元へ落ちていく。
「この眼を……移植して。きっとミズノの力になるから……」
「いらない……!そんなのいらない!!お姉様がいてくれればいい!!」
小さな子供のように泣きじゃくるミズノの顔を、イズミは手探りで探し当てた。そして、指先で涙を優しく拭う。
「ミズノならイタチ君を……助けてあげられる気がするの。私にはもう、出来ない。だから……託すの」
イズミは二つの眼がのったミズノの掌を、自分の両手で包み込む。冷え切った指先から、微かな温もりが眼を通してミズノの掌へ流れ込んでくる。
「ずっとミズノの側にいられるから……」
ミズノの手から、イズミの手がゆっくりと離れていく。
「イタチ君を……助けて……」
「お姉様……!!!」
力を失った手が、地面に落ちた。
「……お姉……様?」
イズミの胸に耳を当てても、何も聞こえない。
「いや、いやだ……お姉様……!!」
姉の身体に縋りつく。声にならない叫びが、喉の奥から迸った。
「うっ……うあああああっ……!!」
ミズノの痛切な嗚咽だけが、夜の闇に吸い込まれていく。
姉の温もりが完全に消えるまで、ミズノはその場から離れることができなかった。
──流す涙も枯れ果てた頃、ミズノは血で染まった両手を静かに広げた。
掌の上にある、姉の眼。姉が遺した想い。
「……」
ミズノはゆっくりと顔を上げる。
ミズノの瞳が熱を帯びる。赤く染まった瞳の中に、姉と同じ、四つの花弁の紋様が浮かび上がっていた。
ミズノは震える指を自分の目元へ伸ばす。
怖い。痛い。それでも──
掌に、緑色のチャクラが灯る。未熟な医療忍術。呼吸が乱れ、手が震える。鋭い痛みが頭の奥まで突き抜けた。それでも歯を食いしばり、ミズノは自らの瞳と引き換えに姉の瞳を宿した。
やがて、ぼやけた視界が戻ってくる──地面に、横たわる姉が見えた。
痛みなのか悲しみなのか、再び涙が溢れて止まらない。
(イタチお兄様……)
血に濡れた刃。冷たい眼差し。けれど──
(お兄様は、理由もなくこんなことをする人じゃない)
その時、ミズノの顔色が変わった。
「サスケ……!」
立ち上がろうとして足がもつれ、地面に手をつく。頭は割れそうに痛み、視界もまだ安定しない。けれど、不思議な確信があった。
(お兄様が、サスケを傷つけるわけない)
ミズノはもう一度イズミの傍に膝をつき、冷たくなった両手をしっかりと握りしめる。唇を噛み、言葉を呑み込んだ。よろめきながら立ち上がる。助けを求める為、火影の元へと地を蹴り、駆け出していった。
ミズノが火影の元へ向かっている頃──
イタチは両親を手にかけた。そしてその凄惨な光景を見たサスケに、万華鏡写輪眼開眼の秘密と共に、復讐という深い闇を植え付けていたのだった。
火影室の前に辿り着く頃には、ミズノの呼吸は酷く乱れていた。足を止め、扉へ手を伸ばしたその時──
「うちはのクーデターを止める為とはいえ……イタチには、あまりにも……」
「もはや、終わったことだ」
聞こえてきた声に、手が止まる。三代目火影・猿飛ヒルゼンの声。低く冷たい声で応えるのは、志村ダンゾウだった。
ミズノは息を殺し、扉に身を寄せた。
「イタチは自ら選んだ」
「選ばせたのじゃ……!」
心臓が大きく脈打った。
「イタチが任務として、うちは一族を滅ぼした……この真実を知るのは、わしとお前、そしてホムラとコハルのみ。イタチは犯罪組織の“暁"へ潜入させ、内側から見張らせる。木ノ葉へ危害が及ばぬようにな」
(何を……言っているの……?)
クーデター、スパイ、里の命令。断片的な言葉が、ミズノの頭の中で恐ろしい形に繋がっていく。
「サスケの安全は──」
「約束されている。イタチが里を裏切らぬ限りはな」
冷たい声が、続けた。
「サスケは、イタチとの“交渉材料”だ」
「なっ……」
ミズノは素早く両手で自らの口を塞いだ。奥歯を噛み締めるも、全身の震えが止まらない。
(お兄様は……命令で一族を……)
里を守るために。皆から恨まれ、犯罪者に──
(どうして、お兄様だけが……それに、サスケを利用するなんて……)
ミズノは一人声を押し殺し、冷えた廊下で涙を流し続けた。
やがて──中から、杖が床を叩く音が近づいてくる。ミズノは咄嗟に、廊下の柱の陰へ身を滑り込ませた。息を止め、身体を小さく縮める。
戸が開き、ダンゾウが廊下へ出てきた。包帯の巻かれた顔が、一度だけこちらへ向いた気がして、ミズノの背を冷たい汗が伝う。
──コツ、コツ。
杖の音は、そのまま遠ざかっていった。
同じ頃。火影室から遠く離れた場所で、里を見下ろすように立っている一つの影。瞳に赤い光を灯しながら、その影は暁のマントをはためかせ、夜明けが近づく空へと消えていった。
静かに開いた扉の音に、ヒルゼンが顔を向ける。立っていたのは、泣き腫らした目の血に汚れた少女。おぼつかない足取りでこちらへ近づいてくる。
「ミズノ!?なぜ……まさか、今の話を……」
ミズノは答えず、ヒルゼンを見つめた。
「どうして……ですか?こんな方法しか、なかったんですか?」
ヒルゼンは長い間、瞼を伏せていた。やがて、深く息を吐き、重い口を開いた。
「お前達一族も守りたかった……しかし、止められなかった」
ヒルゼンは瞼を上げ、ミズノを見つめる。
「里を守る為の苦渋の選択であった……イタチにしか頼めず、あまりにも重いものを背負わせてしまった……すまぬ」
彼の言葉は今のミズノには何も響かない。静かに目を細め、顔を背けた。
「サスケは生きているんですね……」
それだけが、彼女の唯一の救いだった。
「ああ……サスケを守るよう、イタチから頼まれておる。サスケは必ず、わしが守ろう。ミズノ……お前には酷なことだとわかっているが、里の為に犠牲になったイタチの覚悟を蔑ろにしないよう、このことは決して……他言無用じゃ」
「……」
受け入れたくもない。
しかし、母を助けられず、姉も助けられず、イタチが苦しんでいたことにすらも気づけなかった。今の自分には力も、何もかもが足りていない。里を相手にすることも、大切な人を助けることすらもできないとわかっていた。
「わかりました。絶対に誰にも話しません。火影様……あなたが私を弟子にしてくれるなら」
「弟子じゃと……?」
「今の私のままじゃ、何もできないから」
拳を握り締め、ミズノは顔を上げる。
「もう二度と、大切な人を助けられないまま終わりたくないんです」
ヒルゼンは、ミズノをじっと見つめた。一晩ですべてを失ったはずの少女は、瞳に確かな光を宿し、そこに立っている。
「わかった。お前にできる限りのことはしよう。しかし……」
彼の鋭い声と、視線がミズノを射抜く。
「今夜、うちは一族は滅びた。生存者は、サスケ一人。そうでなければならぬ。サスケには、イタチとの“約束”がある。しかしお前には、その身の安全を保証するものがない。生きていると知られた瞬間に、確実に狙われる」
死の宣告。けれどその言葉を前にしても、ミズノは全く怯まなかった。
「たとえ命を狙われたとしても……私は絶対に生き残ってみせます」
その声音には、年齢にそぐわぬ強固な覚悟が滲んでいた。
ヒルゼンは静かに目を閉じ、やがて一つの策を口にする。
「ならば、今夜、“うちはミズノ”には死んでもらう」
「……どういうことですか?」
「生きる為じゃ。過去も、名も、すべて捨てよ。術で姿を変え、これよりお前は“やかぜラン”として生きるのじゃ。小さな村の生まれ。山賊に村を襲われ、両親を殺され、ただ一人木ノ葉の門の前で力尽きた孤児──という筋書きでな。あとは、わしがなんとかする」
「……わかりました。お兄様を救えるなら……私は、何にでもなってみせる」
翌朝。木ノ葉隠れの里の門の前で、一人の少女が保護された。
名は、やかぜラン。身寄りのない孤児。
すべて、作られた過去だった。ヒルゼンは上層部と掛け合い、まだ幼い彼女を里で保護し、自らの庇護下で育てることを認めさせた。
──忍術アカデミー入学式
春の陽気に包まれた大勢の人々の中を一人、黒いフードを目深に被った少女が歩いていく。
その奥に潜むのは、金色の髪と翡翠の眼。
(完璧に“やかぜラン”を演じてみせる)
彼女は決して折れることのない誓いを胸に、再びアカデミーへ入学した。誰にも気づかれず、誰にも知られないように。
いつかあの人を救える力を身につける、その日まで──
ここまでお読みいただきありがとうございます。
ミズノの物語は、まだ始まったばかりです。
次回も読んでいただけたら嬉しいです!