月と樹と写輪眼 ─もう一人のうちは─ 作:琴葉つきね
第三章では、ミズノが新たな力を求めて歩む姿を描きます。
彼女の前に現れるのは、口寄せ獣。
その力は恐ろしくもあり、同時に彼女にとって大きな転機となるものです。
「何のために強くなりたいか」
ぜひ最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
──うちは一族が滅びた、あの夜から五年。
“やかぜラン”として生きるミズノは、ヒルゼンの勧めで暗部へ入隊していた。火影直属の忍として任務をこなし、その傍らで修行を続ける日々。
誰にも正体を知られることなく、いつか彼を救えるだけの力を手に入れるために──
──里の外れの修練場
舞い上がった土煙の向こうで、ランは休むことなく印を結ぶ。
──火遁・火龍炎弾!
吐き出された炎が地面を這うように駆け抜け、標的を呑み込んだ。
熱風が頬を撫でる。
額を伝う汗が頬を濡らし、荒い呼吸に合わせて肩が大きく上下していた。それでもランは休もうとせず、再び印を結ぼうとする。
「……まだ、全然足りない」
拳を強く握り締める。
「このままじゃ、助けられない……」
その声を、少し離れた場所でヒルゼンは黙って聞いていた。皺の刻まれた顔に、複雑な色が浮かぶ。
「ラン」
呼びかけられ、ランが振り返る。
「お前はもう十分に強い。この五年間、わしがお前に教えられる術は随分と教えた。そのほとんどを、お前は身につけておる。里の中でも、間違いなく優秀な忍じゃ」
「……」
褒められても、ランの表情が晴れることはなかった。
(優秀……?)
脳裏に浮かぶのは、五年前の夜。月明かりの下で赤く光っていた瞳。血に濡れた刃を握り、すべてを背負って闇へ消えていった人。
(イタチお兄様はもっと強い。私は、まだ追いついてもいない。このままじゃ、暁と戦っても……)
ランは顔を上げ、まっすぐにヒルゼンを見据えた。
「ヒルゼン様、まだ教えてもらっていない術があります。口寄せの術です」
ヒルゼンの眉が僅かに動く。
「なぜ急に……」
「もっと強くなりたいんです。ヒルゼン様と契約している猿魔と、私も契約できませんか?」
「口寄せは、相手に認められ、契約を結んで初めて成立するものじゃ。言うほど容易いことではない。ましてや猿魔は気難しい」
「だったら、認めさせてみせます。どんな相手でも」
その瞳に宿る強い意志に、ヒルゼンは大きく息を吐き、首を振った。
「まったく……お前は言い出したら聞かぬ」
「……」
ランは黙ってヒルゼンを見つめている。
「どうなるかはわからぬぞ」
ヒルゼンは親指を噛み、地面へ手を叩きつけた。
──瞬間、術式が広がった。
白煙と共に現れたのは──長年の契約獣、“猿魔”。
「久しいな、猿魔」
「ヒルゼンか。何用──」
言葉が途切れた。ズンッ、と地面が揺れる。
白煙の奥、猿魔の何倍もあろうかという巨大な影が立っていた。煙が晴れるにつれ、筋骨隆々とした巨体が露わになっていった。
ランとヒルゼンは目を見開く。
「……猿魔。こやつは何者じゃ」
猿魔は途端に苦々しい顔になる。
「孫の猿鬼(えんき)だ。問題ばかり起こすので説教しておったところを、勝手について来おった」
「なるほど……」
ヒルゼンが何とも言えない顔で頷く。当の猿鬼は二人の会話など気にも留めず、物珍しそうに辺りを見回していた。
猿鬼が歩くたびに、地面が大きく揺れている。しばらくすると低い声が響いた。
「なんだよ……面白そうだと思ってじじいについてきたのに何にもねぇじゃねぇか。うまそうな食い物も……」
不意に、その動きが止まった。視線が落ち、ランとぶつかる。
じっと見つめられ、ランは怪訝そうに眉を寄せた。
「な、なに……?」
猿鬼の巨体がゆっくりと屈み、大きな顔が近づく。ランは僅かに身を引いた。
「私は食べ物じゃないけど……」
数秒の沈黙──
「おお!!お前、俺の好みだ!!!」
「……え?」
ランが瞬きを繰り返す。
「好み……?」
「おい!じじい!俺こいつと契約する!」
「……」
「……」
ヒルゼンと猿魔が揃って言葉を失った。猿鬼は鋭い牙を見せ、嬉しそうに笑っている。揺れる地面の上でなんとかバランスを保ちながら、ランは呆然としていた。
(なんか……想像と違って変わった契約獣だけど大丈夫なのかな……見た目は強そうだけど)
「猿鬼!!」
猿魔の怒声が響いた。
「いい加減にせんか!口寄せの契約は、そのようなふしだらな理由で簡単に結ぶものではない!」
猿鬼の笑みが止まる。
「……じじい」
地を裂くような低い声だった。
「俺が選んだ相手に、文句あんのか?」
空気が変わる。
ランが息を呑んだ瞬間、猿鬼の体毛がざわりと逆立ち、凄まじいチャクラが巨体から噴き出す。
──轟音。
地面がひび割れ、激しい炎が猿鬼の身体を包み込んだ。同時に荒れ狂う風が巻き起こり、周囲の木々を大きくしならせる。
「やめろ猿鬼!!暴れるな!!口寄せの契約はまず相手の力を見極め、そして……」
しかし、制止する猿魔の声は巨大な炎に飲み込まれていく。猿鬼の目が赤い光を放ち、さらに激しく炎と風が舞い上がり始めた。
「ラン!」
ヒルゼンが咄嗟にランの前へ出ようとするが、ランは声で制した。
「大丈夫です」
吹き荒れる風に髪と衣服を煽られながら、ランは猿鬼を見上げた。
(すごい力……)
肌がひりつくほどの熱。身体を押し返そうとする暴風。足元から伝わる振動。怖くないわけではない。それでも──
(思っていた流れとは違うけど、彼から契約をしたいと言っている。この機会、逃すわけにはいかない)
ランは両足を踏み締め、猿鬼の前へ歩み出た。
猿鬼が目を細める。
「逃げねぇのか?」
「逃げない」
力強い瞳で、彼を見つめ返した。
「猿鬼、私は強くなりたいの。あなたの力を貸して欲しい」
炎が揺らめく中、赤い瞳がランをじっと見つめる。やがて、口角がゆっくりと持ち上がった。
「俺が見込んだだけあるな……いい瞳だ」
──その瞬間、炎は消え、風が止む。
すると、猿鬼は懐から古びた巻物を取り出し、ランの前へ放り投げた。
「お前の血で名前を書け。あと、指五本の血判もな」
「……わかった」
ランは躊躇なく自分の指を噛み、血を巻物に刻もうとする。
「待て」
猿鬼が止める。
「“今”の名前じゃねぇぞ」
ランの動きが止まった。ヒルゼンの表情も僅かに変わる。
「……どういう意味?」
猿鬼は鼻を鳴らす。
「俺達の口寄せの契約は、偽物の名前と結ぶもんじゃねぇ。それに術で姿を変えてるだろ、お前」
「……!」
ランの瞳が大きく見開かれる。
「俺達は、人間とは見てるもんが違うんだよ」
猿鬼は親指で自分の胸を叩く。
「契約するなら、本当のお前の名前を書け」
ランは手元の巻物へ視線を落とした。
──うちはミズノ。
五年前に捨てた名を刻んでいく。指先が、僅かに震えた。
最後に、五本の指を押し当てる。血の跡が、巻物にくっきりと残った。
「これでいい?」
ランが血のついた巻物を猿鬼へと差し出すと、猿鬼はそれを受け取り、満足そうに眺める。
「うちは……ミズノ、か」
「……」
「いい名前じゃねぇか、ミズノ!」
「ちょっと待って!」
ランは慌てて猿鬼を指差した。
「口寄せしても、人前で絶対にその名前で呼ばないで!」
「何でだよ?めんどくせぇなぁ」
「なんでも!!」
強い口調ながらも、ランは微かに口元を緩めて手を差し出した。
「……とりあえず契約したことだし、これからよろしくね」
「おお!その笑顔!!たまんねーぜ!!」
猿鬼は豪快に笑いながら、ランの身体を軽々と抱き上げた。
「ちょっと!!降ろして!」
「照れんなって!」
猿鬼が顔を近づけようとすると、ランの鋭い蹴りが巨体を吹き飛ばす。数回ごろごろと地を転がり、倒れ伏す猿鬼。しかしなぜか満足そうにしていた。
「いい蹴りだぜ、ハニー……」
「……」
ヒルゼンと猿魔が、揃ってその姿を見つめている。二人は顔を見合わせ、同時に深いため息をついていた。
──猿魔と猿鬼が煙と共に姿を消した後、ランは修行を終え、帰路につく。
夕暮れの通りを歩いていると、ふと聞き覚えのある大きな声が耳に届く。
「だから、なんでサスケがサクラちゃんの隣なんだってばよ!!」
「うるさいわね、ナルト!黙ってそこに座ってなさいよ!」
ランの足が止まる。
一楽の暖簾の向こう──声を荒げるナルトとサクラの間で、一人黙々と箸を進める少年がいた。
(……サスケ)
二人の騒がしさに素知らぬ顔をしながらも、穏やかな目をしている。その姿を見つめるうちに、ランの口元が優しく緩む。
(……相変わらず素直じゃないな、サスケは)
胸の奥がじんわりと温かく、しかしチクリと痛む。
(本当は……私は生きてるよって伝えたい。だけど今はまだ……)
きつく握りしめた拳には、先ほどの契約の傷が残っていた。
(イタチお兄様……サスケは私が守る。また一緒に過ごせる日まで)
ランは静かに背を向け、その場を離れる。
彼女の存在に気づくことはなく、サスケはナルトとサクラ、三人の時間を過ごしていた──
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
猿鬼との出会いは、彼女を支える「強さ」となりました。
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