月と樹と写輪眼 ─もう一人のうちは─ 作:琴葉つきね
冷え切った空気が、澱んだ静寂に漂っている。
薄暗がりの中、その男は不気味な笑みを浮かべていた──
「大蛇丸、お前に見てほしいものがある」
カカシは無用な探り合いを捨て、歩み寄る。懐から取り出したのは古びた巻物と、遺跡の石碑の写し。
「……」
大蛇丸は微かに顔色を変え、カカシとサスケを見つめた。
「……場所を変えるわ。ついていらっしゃい」
薄暗い廊下を先導する大蛇丸の背中を、監視役のヤマトと共に一同は無言で追うのだった。
──鼻を突く、古紙の匂い。
辿り着いた先は、古びた書物や巻物が連なっている書庫だった。
書庫の中央、無機質な机に大蛇丸は巻物と石碑の写しを並べる。燭台の頼りない灯りが、紙面に刻まれた螺旋の文字を淡く照らし出した。
「……古い文字ね」
大蛇丸は身を屈め、文字の一つひとつへ目を走らせていく。先ほどまでの飄々とした気配はすでにない。そこにあるのは、未知の知識を前にした一人の研究者だった。
「読めるのか」
サスケの問いに、大蛇丸は顔を上げずに答える。
「少し……静かにしていてちょうだい」
それっきり、大蛇丸は沈黙した。
長い指が棚へ伸びる。古びた文献を一冊、また一冊と引き抜いていく。机に広げ、巻物と見比べ、また別の書へと手を伸ばす。
頁をめくる乾いた音だけが、書庫の静寂に降り積もっていった。
香燐たちは戸口の側で身を固くして息を潜め、カカシはじっと大蛇丸の背中を見守っている。サスケはただその時を待っていた。
足元の石畳から這い上がる冷気が、皆の身体の芯まで浸透した頃──
ふいに、頁をめくる音が止んだ。
「……なるほどね」
暗がりに溶ける声。大蛇丸は背を起こした。
「これは、うずまき一族の一部の者達に伝わる文字。ここに書かれているのは三つの封印術……いずれも禁術級の代物よ」
「なに……?」
カカシの眉が上がった。
「どれも常軌を逸した術だけど……あなた達が知りたいのは、これでしょう」
大蛇丸の白く長い指が、巻物の一点を指し示す。
「封印術・白蓮(びゃくれん)」
その響きに、サスケの瞳に鋭い光が差した。
「対象者を大樹へと封じる術。発動と同時に、術者の命は樹と結び付けられ、チャクラを吸われ続ける。そしてやがて朽ち果てる」
感情のない事実だけを述べる声。だからこそ、その言葉は冷たく、重く、その場の空気を沈めた。
「対象者の命を樹へと捧げる……終わりの定められた封印術よ」
大蛇丸は、巻物に目を落としたまま告げる。
「……そこまではもう知っている。術を解く方法は書かれていないのか」
サスケの問いに、大蛇丸は再びゆっくりと巻物の末尾まで視線を走らせるも首を振った。
「記されているのは、術の構造と発動の条件まで。解術の記述はどこにもないわ。開発者があえて解術の仕方を残さなかったのかもしれないわね」
大蛇丸は顔を上げ、暗がりに立つサスケを見据える。
「解術の方法については、この術を生み出した本人から直接聞き出すしかないわ……」
「……」
糸が途切れる。そう思いかけた時──
大蛇丸の視線が、巻物の末端の不自然な空白で止まった。巻物を持ち上げ、燭台の光へと透かす。
「隠し文字ね……署名がある」
刻まれた古い文字を、大蛇丸は低く読み上げた。
「うずまき……ツヅリ」
その名がひんやりとした書庫の空気へ響くと、ある人物の身体がビクッと跳ねる。
大蛇丸は巻物を下ろし、肩を小さく震わせる彼女へと視線を移した。
「なんの偶然かしらね、香燐。うずまきツヅリはあなたのおじい様じゃない」
書庫がしん、と静まり返る。
「なんで……大蛇丸様がそんな事知ってんだよ」
「この私が手元に置いた者の素性を調べていないとでも思ってるの?」
大蛇丸はこともなげに答えた。
「私は、全てを知り尽くしているのよ」
ぞくりとするほど平坦な声。
淡々と告げられた言葉が香燐の心を容赦なく乱した。封じていた感情が、胸の奥から沸々とせり上がってくる。
「あいつのせいで……」
俯く香燐の拳が、きつく握りしめられた。
「ウチの家族は母さんだけだ!あんな奴のことなんか知らねーよ!!」
吐き出された言葉は、強がりで塗り固められた彼女の深い傷跡。
「香燐……」
水月が小さく名を呼ぶ。
荒い息のまま顔を上げると、香燐は自分を見つめる視線に気がついた。
彼は何も言わず、まるで見透かすように黒い瞳に彼女の姿を映し出している。
彼女の頬が熱を持つ。香燐は素早くサスケから顔を背けた。
──沈黙が、荒れた香燐の胸の内へと静かに染み込む。
その空気を断ち切るように、カカシは口を開いた。
「とにかく……解術には、術を作ったうずまきツヅリを探し出すしかないということだな」
「ええ、そういうこと」
大蛇丸は、巻物を巻き戻しながら頷いた。
「もっとも……解術の方法を遺さなかった人間がそう易々と口を割るとは思えないけれど。それに、生きているかどうかもわからないしね」
「……」
カカシは目を伏せ、思考を巡らせた。
唯一の鍵は、うずまきツヅリという人物ただ一人。
巻物と石碑が見つかったのは、滅び去った渦潮の隠れ里の跡。
ならば、再びあの荒れ果てた滅びの地へ──
「……もう一度、行ってもらうしかないな」
カカシの声にサスケは隣で小さく頷いた。
その時、それまで壁際に控えていたヤマトがカカシへ歩み寄り、声を潜めた。
「カカシ先輩……ちょっといいですか」
二人は僅かに皆から離れる。
「まさか……香燐をサスケに同行させるつもりじゃないですよね?」
ヤマトの声には監視役としての慎重さが滲む。
彼女は大蛇丸の部下であり、監視対象の一人。里の管理下を離れて行動させるなどあり得ない。ましてやサスケは贖罪の旅の途中だ。
「カカシ先輩、彼女をサスケと行動させるのは──」
「わかってるよ」
カカシはヤマトの言葉を遮った。そして、輪の外で俯く香燐へと視線を向けた。
「でも、うずまきツヅリを探すなら香燐の存在が必要だ。彼女の持つ能力も含めてね」
「またそんな簡単に……」
「それに……あの子も本当は……」
彼の瞳に薄らと浮かぶ優しさに触れ、ヤマトはしばし口を引き結ぶ。
やがて──困った様に小さく息を吐き、首を左右に振った。
「“火影様”にそんな顔されたら、反対出来ないじゃないですか……」
カカシは目を細めて頷くと、香燐の方へと向き直る。
「香燐」
名を呼ばれ、香燐が視線を上げた。
「サスケと一緒に行ってくれないか?」
「おい……カカシ」
サスケの制止。しかし、カカシは揺らぐ事なく彼女を見つめていた。
「な、何でウチが……」
「それは、君自身が一番よくわかってるはずだ」
カカシの言葉は押し付けることなく、ただ差し出されている。
「……」
香燐は再び俯き、唇を噛んだ。
自分には関係ない。ミズノの事も、“あんな奴”の事もどうでもいい──
けれど、何かが胸の中で小さく燻っている。
「ふん……」
香燐はぷいと顔を背けた。
「まぁ、サスケがどうしてもって言うなら一緒に行ってやらなくもないけど」
ずり落ちたメガネをかけ直しながら、早口で言い募る彼女。
サスケは大きく溜息をつく。
「……好きにしろ」
突き放すような、けれど拒んではいない彼の声色。香燐の口元がほんの少しだけ緩んだ。
書庫の灯がゆらゆらと揺れている。
古い文字の刻まれた巻物の上で、新たな一歩が踏み出されようとしていた。
──翌朝。
アジトの入り口には、二つの白い息が漂っていた。
岩肌の隙間から差し込む冬の陽が、地面に細い光の筋を落としている。
サスケは既に旅装を整え、目指すべき方角へと目を向けていた。
「じゃ、俺はもう行くよ」
サスケへ声をかけたカカシは一歩踏み出しかけたが、ふと足を止める。
「サスケ」
「……なんだ」
「任せたよ」
言い終えると、カカシは朝靄の中へと歩き去って行くのだった。
その姿が見えなくなった頃──背後から慌ただしい足音が聞こえてくる。
サスケが振り返ると、大きな荷物を背負った香燐が息を切らせてこちらへ向かっていた。彼女はサスケの目の前で立ち止まると、膝に手をつきながら乱れた呼吸を整える。
「……さっさと、行くぞ……!サスケ!」
「遅い」
「あのなぁ、女には色々準備ってもんがあんだよ!」
噛みつくような声。しかし、彼女に背負われた荷の口からは丁寧に束ねられた薬や包帯、大量の飲み物や食料などが覗いていた。
サスケの目線に気がつくと、香燐はさっと姿勢を正し、荷の口をサスケから隠す。
「な、なんだよ……」
「……」
サスケは無言で前へ向き直る。その時、洞窟の奥から気だるげな声が響いた。
「本当に一緒に行くんだ。よかったじゃん、香燐」
壁に寄りかかった水月が鋭い歯を見せて笑っている。その隣には重吾が黙って立っていた。
香燐の顔が一瞬で真っ赤に染まる。
「ウ、ウチは火影がどーしてもって言うから一緒に行くだけだ!」
「はいはい、素直にサスケと一緒に行けて嬉しいって──」
瞬間──香燐の拳が唸り、水月の頭が大きな水音を立てて消え去った。
その音を横目に、重吾が穏やかな足取りでサスケの傍へ歩み寄る。
「サスケ、香燐を頼む」
彼の声には、共に修羅場をくぐり抜けてきた仲間への確かな情がある。
サスケが頷き返すと、重吾はふっと表情を緩めて一歩下がる。
「ま、せいぜい仲良くやんなよ」
水月はいつもの調子で、ひらひらと手を振っていた。
──二人の足音が、冬枯れの道に響いている。
火の国を発ってから、どれほど歩いただろうか。時折渡り鳥の群れが灰色の空を横切っていく。
会話はない。
しかしサスケは、後ろを歩く香燐が先ほどから何度も口を開いては閉じる気配を感じ取っていた。
彼は一つ、息を吐く。
「……何か言いたいことがあるなら言え」
「……!別にねーよ!」
そしてまた、沈黙。
枯れ葉を踏む音だけが、二人の時間を埋めていく。
やがて──香燐が小さく口を開いた。
「……サスケ」
彼女の声に、サスケは目を向ける。
「ミズノのこと……大蛇丸様から詳しく聞いた。あんまり時間かけられないんだろ」
サスケの足の運びが、僅かに緩んだ。
「……ウチがすぐ”あいつ”を見つけてやるよ」
彼の想いを汲み取る、まっすぐな彼女なりの誠意。
「……頼りにしている」
「なっ……」
香燐の足が止まった。振り返らずとも、彼女が慌てているのがわかる。
「なんだよ、急に……調子狂うだろ!!」
ずれてもいない眼鏡を何度も直しながら、香燐は小走りでサスケの隣に並ぶ。
その頬の赤みは寒さのせいだけではなかった。
この旅が香燐にとって何を意味するのか──サスケにはまだわからない。
しかし、過去と向き合う痛みは知っている。
──歩き続け、幾日目かの夕刻。遠くに海鳴りの気配が混じり始めた。
微かな潮の匂いが、風に乗って届く。
冬の陽が二人を照らし、先に待つ滅びと始まりの地へと影を長く伸ばしていた。
読んでくださりありがとうございます!受け入れてもらえているか不安はありますが、頑張って書き切ります。