月と樹と写輪眼 ─もう一人のうちは─ 作:琴葉つきね
第四章は少し切なく、そして緊張感のある展開になりますが、どうぞ最後までお楽しみください。
──深夜、木ノ葉隠れの里。
暗部本部の一室に、まだ灯りが残っていた。窓から差し込む月光が、机に散らばった書類の端を白く照らしている。
ランは、その中の一枚から目を離せずにいた。
幾度もの調査を重ね、ようやく所在が判明した犯罪者集団、暁のアジト。地図に記された小さな印を、指先でそっとなぞる。
あの夜から、ずっと追い求めてきた手がかりだった。
「……見つけた」
声にした途端、胸の奥で何かが震えた。彼が、ここにいるかもしれない。今なら、手を伸ばせば届くかもしれない。
書類を畳み、懐へ収めた──その時。
「行ってはならん」
振り返ると、扉の前にヒルゼンが立っていた。いつからそこにいたのか、気配すら感じなかった。
「……ヒルゼン様」
「それを手に、どこへ行くつもりじゃ」
静かな問い。けれど、答えを待つまでもなく、すべてを見透かされているようだった。ランは懐に手を添えたまま、唇を結ぶ。
「イタチを探しに行くのじゃな」
否定できなかった。沈黙を肯定と受け取ったのか、ヒルゼンはゆっくりと首を振る。
「許可はできぬ。暁は各里の抜け忍が集まる組織。いずれも並の忍では太刀打ちできぬ相手ばかり。お前一人が踏み込んでよい場所ではない」
「ですが、私はチャクラを消すことができます。そうすれば相手に悟られずに──」
「ラン」
その一言で、言葉を遮られた。
「お前の強さは、わしが誰よりも知っておる。じゃが、強さと無謀は違う」
ランは奥歯を噛み締めた。五年間、ひたすら術を磨いてきた。暗部として任務を重ね、猿鬼との契約も果たした。それでも、まだ足りないことはわかっている。けれど──
「……やっと見つけたんです」
抑えた声が、僅かに震える。
「五年間、ずっと探していたんです。それなのに、何もせずにいろと言うんですか」
ヒルゼンは答えない。その沈黙が、胸をさらに締めつけた。
「イタチお兄様は、里のために一族を手にかけました。その上、今も暁の中で、里のために動いている。あの人がどんな場所で、どんな思いで過ごしているのか……ヒルゼン様は、知りたいと思わないんですか」
責めるつもりはなかった。けれど、一度口にしてしまえば、言葉は止まらなかった。
「私は、知りたいんです」
ただ、彼が生きていることを──それだけでも確かめたかった。
「……ラン」
ヒルゼンの声が低くなる。
「私情で勝手に動くことは許さぬ。お前は、“忍”なのじゃ」
ランははっと息を呑んだ。その言葉は、何よりも正しい。だからこそ、痛かった。俯いたまま、拳を握り締める。やがて、ゆっくりと顔を上げた。
「……それなら、任務として命じてください」
ヒルゼンの目が、僅かに細められる。
「暁の動きを調べ、目的を探ります。木ノ葉に危害が及ぶ可能性がある以上、情報は必要なはずです。チャクラを消すことができる私にしかできません。必ず情報を持ち帰ります。だから……火影として、私に命じてください」
もう、声は震えていなかった。
長い沈黙が落ちる。窓の外で、風が木々を揺らした。やがて、深い息がヒルゼンの口から落ちる。
「……お前は、本当に変わらぬ」
「……」
「幼い頃から言い出したら聞かず、自分の身を顧みぬ」
ヒルゼンの脳裏に浮かんでいたのは、五年前の血に汚れた少女の顔だった。彼女は強くなった。それでも、その強さを求める理由は、あの夜から少しも変わっていない。
「……ならば、特別任務として命じる。暁を調査せよ」
「……!」
顔を上げたランに、ヒルゼンは厳しい眼差しを向けた。
「ただし、条件がある。交戦は禁ずる。お前の正体を明かしてはならん。そして、イタチへの接触も許さぬ」
「……」
「お前がイタチと接触すれば、奴の立場を危うくしかねん。イタチが暁に身を置く意味を忘れるな」
ランの表情が曇る。長い沈黙の後、小さく頷いた。
「……わかりました」
「情報を得たら直ちに撤退すること。危険を感じた場合も同様じゃ」
「はい」
ヒルゼンは、最後に静かに告げた。
「……必ず、生きて戻れ」
その声に滲んだものを、ランは聞き逃さなかった。
「……はい」
深く一礼する。次の瞬間、ランの姿は闇へと消えた。
誰もいなくなった部屋で、ヒルゼンはしばらく窓の外を見つめていた。
──暁のアジト
深い森の奥、幾重にも重なった岩壁の隙間に、洞窟の入口が口を開けていた。木々に遮られた月明かりは、その奥まで届かない。ランは岩陰に身を伏せ、周囲の気配を探った。
(ここだ……)
地図の地形と、一致している。
目を閉じ、呼吸を整えた。
身体の内側を巡るチャクラを鎮めていく。祖母から受け継いだ能力。精神が乱れれば、その制御は容易く崩れる。だからこそ、心を静めなければならない。けれど、胸の奥で鼓動は速くなるばかりだった。この先に、イタチがいるかもしれない。そう思うだけで、指先が冷えた。
(大丈夫……落ち着けば上手くいく)
ゆっくりと息を吐く。やがて、ランの気配は夜の闇に溶け込んでいった。
足音を殺し、洞窟へ踏み入る。湿った岩肌から冷気が滲み出し、皮膚にまとわりついた。鼻先を、微かな血の匂いが掠める。奥へ進むほどに、空気が重くなっていく。
その時、通路の先から声が響いた。
「おい、鬼鮫!」
ランは咄嗟に岩陰へ身を隠す。
「イタチの奴、どこに行ったか知らねぇか?」
(……!)
心臓が跳ねた。
「おや、デイダラさん。イタチさんなら、朝から姿を見ていませんねぇ。またいつもの丘の上で修行しているんじゃないですか?修行は日課のようですからねぇ」
「また修行か? 飽きねぇ奴だな、うん」
ランは息を殺した。
「もっとも、最近は少し無理をしすぎているようですが……ここしばらくは持病が悪化しているように見えますね。ペインさんにも、身体を休めるよう言われているんですが……」
(……持病?)
身体から、血の気が引いていく。
「あいつが素直に休むわけないだろ」
デイダラはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「そのペインがあいつを呼んでるんだよ。まぁいいや……オイラあいつの事なんてどーでもいいしな。うん」
他愛もない掛け合いを交わしながら、二人の足音が遠ざかっていく。
ランは二人の会話を聞き、力なくその場に立ちすくんでいた。
(お兄様、病気なの……?そんな話聞いたことない)
ランが知るあの頃の彼に、病の影など少しも見えなかった。胸の奥が、鈍く痛む。今すぐ探しに行きたい。何があったのか聞きたい。けれど──
ヒルゼンの言葉が脳裏をよぎり、ランは強く目を閉じる。拳を握り、込み上げるものを押し込める。任務を遂行するために、再び足を進めた。
(ここは……)
洞窟の奥に、幾つかの小部屋が設けられていた。隙を見計らい、そのひとつへと滑り込む。机の上には、各国の地図と書類が散らばっていた。素早く目を走らせる。忍里の名。任務の記録。そして、何度も繰り返し記された、一つの言葉。
──尾獣。
資料には、各国の人柱力と思われる者の情報が記されていた。その中に、見覚えのある名がある。
──うずまきナルト。
(ナルト君……?)
つい先日、見かけた少年。その名が、なぜここにあるのか。ランは書類をめくる。尾獣の捕獲、封印。そして、複数の尾獣を集める計画を示す、断片的な記述。
(暁は、人柱力を狙っている……?)
背筋を、冷たいものが這い上がった。
その時、廊下の向こうから足音が近づいてくる。
ランは書類を元の位置へ戻し、物陰へ身を潜めた。
直後、扉の向こうで足音が止まる。
ランは呼吸を浅くした。
「尾獣集めも面倒な話だよな、うん」
「ですが、ペインさんの指示ですからねぇ」
先ほどの二人の声だった。
「全部集めて、禁術兵器をつくるんだろ? すげぇこと考えるよなぁ。芸術といえば芸術だな、うん」
「世界中に痛みを知らしめ、戦争を終わらせる、でしたか。私には、あの人の考えはよくわかりませんが……まあ、理由なんて何でもいいんですけどね」
足音が、通り過ぎていく。
(戦争を終わらせるために尾獣を兵器に?そんな方法で……平和になると思ってるの?)
小さな怒りが、ランの胸の底に灯る。
(ペイン……この組織を動かしているのは、その人)
わからないことは、まだ多い。それでも、人柱力が標的であることは確かだった。ランは書類の内容を頭に刻み込み、誰にも気づかれることなく、洞窟を出て行った。
洞窟を抜けると、冷えた夜風が頬を撫でた。
木々の向こうに、小高い丘が見える。鬼鮫が口にした、“いつもの丘”だろうか。足が自然とそちらへ向いていた。
(……姿を見るだけなら)
ほんの一目でいい。元気でいる姿を確かめられれば。自分にそう言い聞かせ、丘へ向かった。
木立を抜けると、視界が開けた。月明かりを浴びた草が、風に揺れている。
そこに、人の姿はなかった。
「……お兄様」
呟いても、返る声はない。地面にはいくつかの足跡が残されていた。少し離れた木の幹には、まだ新しい傷が刻まれている。
(少し前まで……ここにいたのかもしれない)
彼は今も、誰にも頼らず、たった一人で戦い続けているのだろうか。その身体を、病に蝕まれながら──
「イタチお兄様……」
丘を渡る風がランの髪を揺らした。しばらく立ち尽くした後、静かに木ノ葉へと駆け出していった。
夜が白みはじめる頃、ランは火影室でヒルゼンの前に立っていた。
「……以上が、今回の潜入で得た情報です」
目を伏せていたヒルゼンが、静かに頷く。
「暁が尾獣を集めているか。それも、禁術兵器に使うつもりとはな」
「はい。木ノ葉のうずまきナルトも、標的になっている可能性があります。それから、暁の者たちは“ペイン”という人物の指示で動いているようです」
「……よく無事に戻った。暁の目的、暁を束ねている者の名がわかったことは大きな収穫じゃ。対策を考え手を打たねばならん」
ランは一礼した。けれど、その場から動こうとしない。
「……どうした」
視線が落ちる。迷うように唇が動き、やがて、小さな声がこぼれた。
「ヒルゼン様……一つ聞きたいことがあります。イタチお兄様が病気だと暁の者が話していました。何か……知っていますか?私は子供の頃から一緒にいましたが何も知らなくて……」
ヒルゼンの表情が変わる。顎髭に手をやり、記憶を辿るように黙り込んだ。やがて、ゆっくりと首を振る。
「いや……イタチが病気などという話は聞いたことがない」
「そうですか……」
(私もヒルゼン様も知らないということは、里を抜けてからお兄様の身体に何かが起こったんだ……一体、なんの病気に?)
しばらく思考を巡らせていたが、ヒルゼンの視線を感じて顔を上げる。
「すみません……報告は以上です。失礼します」
一礼して火影室から出て行く。
「イタチ……」
ヒルゼンはランが出ていった扉をしばらく見つめ、小さくその名を呟いた。
外に出たランの足取りは重かった。
(お兄様……命に関わる病気なのかな。一体いつから……)
苦しい時に、彼は誰かに頼ることができているのだろうか。そばにいられたなら、せめて何かをしてあげられるのに。
目元が熱く滲み、視界が霞んでいく。しかしグッと唇を噛み締め、堪えた。
(泣くのは救えなかった時だけ。お兄様の方がずっと苦しいはずだから。必ず私が助け出してみせる)
ランは目元を拭い、明け方の空を見上げた。そして再び歩き出すのだった──
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
潜入の緊張感や、ミズノの葛藤、そしてサスケを見つけた時の心の揺れを感じていただけたなら嬉しいです。
次の章では、彼女の想いがさらに大きく揺れ動きます。
どうか見届けていただければ幸いです!