かなり難解な内容です。ググりながら読むことをお勧めします。物語はこの歴史に沿って進んでいきます。読まなくても楽しめるように展開していく予定ですが、読んでいただけるとさらに楽しめると思います。
大切な要点
ソビエトは世界革命路線
ヒトラーは志半ば暗殺(悪行をしてないから英雄扱い)。ドイツが共産主義
イギリスがファシズム
フランスがバラバラ
リビアが暴走して強国に
オーストリア帝国が一時的に復活するもアンゼリーカに併合される
中欧諸国連邦の隣国ルーマニア、ブルガリアがアメリカ保護国
1924年蘇 反スターリンは結成
カーメネフがスターリンが唱えた「一国社会主義」に反発。トロツキー、ジノヴィエフらと組みスターリンを追放。スターリンはメキシコへの亡命の後、史実のトロツキーと同じ運命を辿る。
1926年蘇 党内権力闘争終了 ジノヴェエフが書記長の座に
同年、蘇政府は全世界への革命の普及を宣言。世界各地の共産勢力の支援をしていく。
1929年独 統一戦線将校、ナチ党党首ヒトラー暗殺 同年ドイツ内線勃発
ナチ党党首ヒトラーの反共思想の反発により生まれた団体統一戦線は世界革命ソビエト成立とともに国内での勢力を拡大。その後1928年開催の第六回コミンテルン大会で正式に承認された。
暗殺事件は事件はニュルンベルク、ナチ党第四回党大会で起こった。ヒトラー党首の登壇とともに三回の銃声が鳴り響いた。一発目はSPに命中したが、二発目は党首の肩に命中。その後、姿勢を崩したヒトラーの脳天に三発目が命中。その場で死亡が確認された。
犯人はその場で取り押さえられ統一戦線将校と判明。その後、武力を伴う抗争が二つの勢力間で発生。共和国も制圧に動きを見せドイツ内戦に発展していく。
1933年独 ドイツ自由社会主義国成立
内戦には多くの国、勢力が介入した。ナチ党を支援するムッソリーニ政権、共和国へレンドリースする英仏、社会主義勢力を援助するソビエト。結果を左右したのは1932年6月に起こった社会主義者によるラインラント蜂起であった。英仏の支援ルートが閉ざされ、社会主義者が国を統一する事になった。
これを機に英国内で反共感情が高まることになる。
1936年西 スペイン内戦
英伊が国粋派を支援。フランコ政権の樹立が早まる。
1937年支那 国民党降伏 陳独秀主席率いる共産党が日中戦争を続行
ソビエトの支援もあり、中国各地で共産党の支持が増加。1937年冬に政権交代。蒋介石はアメリカへ亡命する。日中戦争は共産党が継戦。帝国陸軍は赤軍に加え各地のレジスタンスにも悩まされ戦線は南京手前で膠着。膠着した南方戦線を抱えたまま真珠湾攻撃を決行することになる。
1938年西 フランコ政権樹立
同年英 モズレー台頭 大英帝国へ
勢力を拡大していたイギリス・ファシスト同盟(以後BUF)は1938年11月15日14時に支持者およそ3万人によるロンドンの国会議事堂の包囲を刊行。同日16時にチェンバレン首相が降伏を宣言。史上二番目の国粋主義国が成立した。
旧英政府はカナダへ亡命。植民地の独立機運が高まる。
同年12月英伊間での同盟が成立。世界は混沌を極めていく。
明確に動きがあったのは社会主義に板挟みされた東欧であった。
1939年 インターマリウム結成
ポーランドを中心として北欧三ヵ国、バルト諸国、チェコスロバキア、ルーマニア、ユーゴスラヴィア、アルバニア、ブルガリア、ギリシアが連合を宣言。東欧諸国間での安全保障を確約させようとした。フランスに独立保証を求めたが、返答は帰ってこなかった。
1940年墺洪 ハプスブルク家の帰還 ハンガリー合併 オーストリア帝国が再成立
世界の混沌、情勢不安により皇帝帰還を求める声が増加。40年春にパリよりオットーが帰還。オーストリア帝国の成立を宣言。同日ハンガリーが帝国に加盟。一次大戦の講和が無に帰した。
同年墺 英伊同盟に加盟 枢軸国成立
同年 ウィーン会議
枢軸国を始め、インターナショナル、フランス、スペインが参加。主にインターマリウムの今後についての会議であった。
1941年2月墺 旧領の回復を名目にインターマリウムに宣戦布告
枢軸国が参戦。同日インターナショナルがポーランド、フィンランドに向けて軍事侵攻。フランスは沈黙だった。
同年10月 最後の構成国ブルガリアの降伏によりインターマリウム解体戦争終結
ハンブルク会議で領土分配が行われた。
墺 チェコスロバキア、ガリシア、トランシルバニア、スロベニア、北クロアチア、セルビア北部
伊 その他ユーゴ諸国、アルバニア、ギリシア併合、ブルガリア、ルーマニアを傀儡
英 スウェーデン、ノルウェー、アイスランド、グリーンランド傀儡
蘇 フィンランド、バルト諸国、ポーランド併合
独 旧プロイセン領回復
枢軸国はその後傀儡諸国内での社会主義レジスタンスとの抗争が発生。徐々に激化してゆく。
同年12月日 真珠湾攻撃決行 米仏蘭に加え英国亡命政府参戦
欧州枢軸は支援はすれども参戦せず。
1943年仏 エリゼ宮殿襲撃(サントノレ通りの悲劇) フランス紛争勃発
1943年11月7日11時半。犯行は極右団体統一連合の構成員の青年団体による実行だった。中庭侵入後、大統領護衛と衝突。日曜日昼下がりということもあり警備は手薄だった。青年達は護衛を制圧後執務室に直行、その場にいた大統領をSACM 35で銃殺。その場で死亡した。
仏政府は統一連合の鎮圧を敢行。抵抗をきっかけに内戦に突入。左翼、ファシズムを始め、王党派、アナキストなどの他勢力も蜂起。以後16年にも及ぶ動乱及び今後半世紀に及ぶフランスの崩壊が発生した。
1944年独 エルザス出兵
1945年日 ポツダム宣言受諾 太平洋戦争終戦
朝鮮半島はインターナショナルとアメリカの共同統治となる。その他日本領は樺太、千島列島は正式にソビエト領に、沖縄はアメリカの直接統治、台湾には中華民国亡命政府が樹立され現代も尚、本国奪還を夢見る。
1946年印 英領インド独立
1950年~53年朝 朝鮮戦争
1957年 オクシタニア独立
内戦当初より独立のため奮起していたオック人は57年9月にイタリアの保護下で独立。その後内戦は北部のみで続行される。スペインは北カタルーニャを奪還。
1958年英 ブルターニュ占領
1959年仏 内戦休戦
休戦講和は社会主義者、旧政府、無政府主義者の間で行われた。西部にはフランス人民共和国が、北東部は連合国庇護下で旧政府が、パリ近郊には自由地区が設立される。
欧州新秩序完成。80年代までの均衡、平和の樹立
1960年代後半 植民地独立及び赤化
インターナショナルの支援により兼ねてより植民地各地で赤軍の影響力は大きかった。その後各地で独立運動が発生。60年代後半にはほとんどの旧植民地が赤化した。
1967年 バルカン紛争
枢軸国傀儡であったバルカン半島諸国で独立戦争が発生。インターナショナルが赤軍を支援するも、これ以上の赤化を恐れたアメリカが介入。インターナショナルがモルドバを獲得するも、その他地域はアメリカの下で民主政権が築かれた。
1969年利 カダフィ台頭 ジャマーヒリーヤ国建国
1974年~77年利 サハラ戦争
74年6月カダフィ大佐率いる大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国が北アフリカ諸国へ宣戦布告。周辺国に比べ大いなる軍拡をしていたジャマーヒリーヤ国はエジプト=スーダンを除く周辺の数倍の軍事力を有しておりエジプト=スーダンとは激しい交戦があったがその他の周辺国は、ほぼ戦車を走らすだけの戦争であった。
77年2月のカイロ陥落によって終戦。北アフリカ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国が設立した。
1981年 枢軸国解散
1983年伊 トリノ蜂起 アンゼリーカ台頭 イタリア内戦発生
70年代末より、北部で汎ヨーロッパ思想が流行り超国家主義者が増加。83年2月超国家主義者団体Paneuropäische Partei(PEP)代表アンゼリーカがトリノで蜂起、3月中には北部全体に蜂起が波及。その後イタリア政府と本格的に交戦、10月にはアンゼリーカがイタリアを統一した。
1983年伊 スイス侵攻 半年で降伏
同年伊 オクシタニアにアルプス地域を要求 オクシタニアが受諾し併合
1984年伊 オーストリアに奇襲
奇襲は84年3月7日21時に決行された、30分後には国境付近の町フィラハを占領。オーストリア政府が奇襲に気づいたのは侵攻開始から3時間後であった。その頃には既にPEP軍は首都近郊の都市バーデン付近まで侵攻していた。皇帝はブダペストへ移動。日が昇る頃にはウィーン陥落。帝国軍はヴブダペストに遷都し交戦を続けるが、急な戦闘で軍備が間に合わず3日後には既にハンガリー領しか残されていなかった。1週間後のブダペスト陥落により降伏。皇帝は英帝に亡命した。
1985年欧 アンゼリーカ総統 中欧諸国連邦設立を宣言。
読んでくれて感謝します。ぶっちゃけガバガバなのでおかしすぎるところあったらコメントくれると有難いです。