様々な解釈があろう。仲間によって支えられていることを深く実感し、元帥の言葉に共感する者もいれば、仲間など所詮は他人、深い信頼は破滅を意味すると考える者も多かろう。君はどう考えるか?その点、私は恵まれている。エレをはじめ沢山の優秀な部下に囲まれている。PEPが今の権力を維持できているのも彼女たちの功績が大きい。その事実を今、実感しているよ。
ペータルは圧巻されていた。彼の人生33年間の中でサラエボに来たのは、決して初めてではなかった。しかし、彼は電車の窓越しに見える先進的な都市に見覚えはなかった。駅を出て、彼はもう一度深い衝撃を受けた。彼の知っているサラエボの、街並みは歴史的な住居が並ぶ権威的な古都であった。しかし、彼の眼前、少なくとも駅から見た街並みには10階建て以下の建物はなかった。正しくニューヨークをも彷彿とさせるメガロポリスは、片田舎の農場から来た彼には刺激が強すぎたのか少しばかりの眩暈を覚えていた。そんな彼に優しい声がかかった。俯いた彼が顔を上げたとき、彼の眼前にはPEPの制服を着こなした可憐な顔のドイツ女が立っていた。彼は、そんな可憐女の丁寧な誘導のもと党大会会場へ足を進めた。
サラエボで唱えられた狂詩曲
アンゼリーカが総統専用列車に乗り込んだのは7時25分であった。日の出を見たのは温かみのある第三車両の中であった事が印象強い。サラエボまでの長時間の待ち時間、「独り」で過ごすにはとても徒然しいものだ。列車内からでは大した指揮は出来ぬ、事務も書類整理も既に早朝一時間の準備時間の片手間に済んでいた。しかし私は「独り」ではない。私は隣に座るエレと何気ない雑話をしながら何とか7時間を潰せた。休暇には南イタリアの街を堪能したいという話であったり、ウィンナーと芋しか食わないドイツ人の陰口であったりと、会話内容は読者諸君に説明するには相応しくない程度の戯言であった。
党大会は1929年のヒトラー党首暗殺事件以降、警備がとても強まった。多数のSPの配置は勿論のこと、入場時の手荷物検査の徹底。半径100m圏内の建物内外の警備であったりとどこの団体もだが厳重なものであった。今回の党大会も他の団体と同じく厳重な警備の元、行われる。現に、この車両内にも4人のSPと2人の警備隊が居た。全く...プライバシーなんてあったもんじゃない...少し卑猥な話もしたが、聞かれてないかな…
サラエボに着いたのは14時。通常なら5時間で到着する予定であったが、新領土内の木の倒木で2時間も足止めを食らってしまった。空腹だ...朝5時より何も腹に入れていない私たちは顔には出さないも確実に飢えていた。
昼食は、駅に着いて自動車に乗り換えサラエボPEPの支部へ行ってから食べた。14時半...正直遅い、運転手か、それとも昼食を食べてほしいと懇願したサラエボのPEP党員か、どちらに文句を言おうか悩んでいた。食事は名も分らぬトルコの肉料理であったが、炭酸水と非常によく合う味であった。今回のことは、まあ、強欲であった空腹感と一緒に水に流そう。党大会の開始は17時。食事が終わった15時から2時間をも猶予があるにも関わらず、党員への挨拶をしていたらすぐに時間が経ってしまった。
エレはプロパガンダの天才だ。私単体の頃は党の拡大が中々進まなかったが、エレが加入してからは数年で政権を奪取できる程に拡大できた。エレの天才性は演説力ではない、広報と情報操作、演説の指導力だ。エレの情報操作は自然だ。エレは決して急な情報規制、過度なプロパガンダを行わない。少しずつ、けれども確実にPEP賞賛や私の偶像崇拝化を進める。それは敵国領土であっても変わらない。このボスニアの地においても数年前からの根回しによって、私を悪く言う人が国民から極左と呼ばれるくらいには私の信仰が進んでいた。各地で行われる党大会もエレの演説指導によって成り立っている。
「これでいいか?エレ、」
最終確認を踏まえ、私はエレの元でリハーサルを行っていた。
「ええ、とても威厳に溢れております。」
演説というものは心を動かす。かの党首ヒトラーも威厳のある演説で民衆の信頼感を勝ち取ったのだ。プロパガンダにおいて偉大なる演説こそ直接的に人民の心を動かす。
「それでは、行ってくる。」
照明に照らされたステージ。登壇したとき、下段には千人を超えるか、まるで皆が塵に見えるほどのボスニア人があふれていた。
「人民諸君!」
「我々PEPは貧民を作らない!」
「今貧民を作る要因は東の蘇国と西の米国である!」
「我々連邦人民は団結し東西の悪魔を根絶しなければならない!」
「我々は我々含めた全世界のために戦い続けている。そして、その一歩としてボスニアの民を開放することができた。」
「ボスニア人民諸君には我々に信頼を置いてほしい!」
「我々は勝利に向かって常に前進し続ける!」
熱き演説はその後10分近く続いた。人民の表情はダムのような高さのステージからは伺えなかった。弱音を吐くことを許してほしい、正直不安だ。いくら根回しが済んでいるとはいえ、かなり強引な併合であった。もしかしたら帰りに後ろから刺されてしまうかもしれないな…
遠からずその悪い予感は当たっていた。
事件はサラエボPEP支部での会食中に起こった。
「サラエボの党員諸君!党大会の主催に感謝する。では今後のPEPの繁栄を祈って...」
「乾p...」
ガチャ「総統閣下!!」
「連邦陸軍元帥テレス。乾杯直前に...珍しく慌ててどうした。」
「ボスニア東部国境においてユーゴスラビア軍からの銃撃及び軍事侵攻を確認しました!!」
「第十二、十三連隊が防衛に当たっておりますが既に数人の死者が出ているのを確認しています!!」
「本軍を招集しましたが到着まで連隊が持つか分かりません!!」
「最悪の場合核兵器の使用の許可を!!」
「そうか、そうか、」
「落ち着けテレス。想定はしていた。」
「エレ!海軍元帥ラウルに連絡を入れろ。警戒はさせておいた。第一第二艦隊の交戦許可を出す。」
「狙いはモンテネグロ地方の封鎖だ。米国からの補給は全てそこから来ている。補給を断つため何としてでもアドリア海の制海権を死守させろ。」
「空軍元帥ベルデにはラウルから既に連絡が行っている筈だ。空軍の運用に関してはラウルとベルデに一任する。」
「テレスは本軍到着まで連隊を何とでも死守しろ。5時間後には一部兵士がモンテネグロ地方の海岸防衛に向かうはずだ。そこまで耐えられれば相手からの攻勢は収まる。」
「戦線には数は少ないが我が武装親衛隊も合流させる。戦闘指揮は一任する。」
「親衛隊への連絡と諸処理が終わり次第、私も指揮に合流する。テレスよ、さあ、戦線へ迎え。」
「フハハハハ!!愚行だな!ユーゴスラビア首相よ!誰が軍に挑んだか、実感させて差し上げようではないか!!」
指令開始後、30分後には空海軍の出撃が始まった。現地の親衛隊を招集した後、軍用車両に乗り込み北部戦線に合流した。機能していない座席のクッションによって痛みの引かない下半身を引きずるのはかなりの苦痛であった。数多もの機関銃の怒号が前線から少し離れた司令部のテントをけたたましく揺らせていた。
「総統閣下!お待ちしておりました!」
非凡なる陸軍少佐は持ち前の大きな声をテント内に轟かせた。
「これはこれはダリボル少佐。」
「既に話はテレス元帥から伺いました!戦況は一進一退であります!一時的にはオシイェク寸前まで戦線が押されていましたが、補給品が届き始めてからはダヌベ川まで戦線を押し返し、ダヌベ川で一進一退の攻防が繰り広げられています。今後の攻勢タイミングの御指揮を!」
「夜明けまでは塹壕の増築と防衛に着手していろ。本軍到着まではダヌベ川や山岳地域を利用し地形的有利の下で防衛に遵守していろ。」
「了解!」
機関銃達の猿叫は一夜を通して泣き止むことは無かった。銃声が泣き止むまで私は司令部より、戦火で明るい前線を眺めながらまあまあな重みのある通信機を耳に抱えながら、恐怖か、痛みか、半狂乱に叫ぶ兵士への指揮にあたった。
本軍が到着したのは眠気飛ばしの薄いアイスアメリカーノを飲んだ後であった。日の出の太陽に淡く照らされた戦場は多くの遺体が流れ込んだ塹壕、それをかき分け銃弾を漁る歩兵とまさに地獄であった。
本軍が到着してからの時間の進みは早かった。ボヘミア人に作らせた重戦車がガソリンを垂れ流しながら戦場を前進していった。偵察部隊も言っていたが、既に敵軍は兵士も物資も使い果たしていた。昼飯前には敵首都ベオグラードが陥落、首脳陣は都を移し抵抗を続けるが、戦線がコソボ国境に辿り着くころには降伏した。
12月23日昼前、私とエレは再びサラエボ駅に降りた。まだ眠い...ここまで寝心地の悪い寝台特急に乗ったのは学生時代ぶりであった。この戦争、私にとって大変だったのは敵政府降伏後であった。戦線から5km離れたテントで降伏の報を聞いた私は、兵士への挨拶の後に講和会議準備のためわざわざウィーンまで帰らなければいけなかった。ウィーンに着いたのが既に22日19時半、既に疲労困憊な体に鞭を撃ち、そこから準備を進めた。準備が済んだのはもう深夜23時であった。そこから寝台特急に乗り込みサラエボに向かった。講和会議なんて我が首都ウィーンで行えばよいものを...エレを始めとした党員が「降伏の印」「奪われていた地」で行うべきとうるさかった。寝台特急のベットは最悪そのものであった。硬いし揺れるし埃っぽい、事務作業でエレはいない。中々寝付けなかったし、明るくなり始めてからようやく寝付けたと思ったら良い夢を見れえないしで最悪だった。
駅から降りた我々はまた一昨日と同じ車に乗り、一昨日と同じPEP支部へ足を運んだ。モダン建築の会議室は正しく帝都経験がない都市の特徴であった。数分後にはユーゴスラビア首相が入室し、私は口を開いた。
「では、合意書にサインを。」
「分かっていた...貴方方のイデオロギーであればこの内容になることはボスニアを奪われた時から理解していた...」
「けれども貴方方に民族自決の考えはないのか!我々南スラヴはまた他民族の使役の下で生きていかねばならぬのか!」
「民族自決か...ほぼ植民地であるコソボもマケドニアも抱えるお前らがよく言うな、別に今更お前らの民族自決の矛盾にどうこう唱えるつもりはない。」
「回答はこうだ。我々は民族という枠決めを否定する。同じ人間であるにも関わらず血の色で区別することが嫌いでね。極論、全ての民族が共に団結し全ての民の幸福のために動ければよいと思っている。」
「民族の文化も価値観も否定するのか!それの何が幸福論だ!」
「ナショナリズムとは分かり合えないな。何と言おうと既にお前に残された選択肢はない。この書類にサインする他にはな。」
ユーゴスラビア首相は怒りと屈辱のあまり今にも泣きそうな顔を歯を食いしばり堪えていた。国を失う屈辱。明け渡す相手も圧倒的に自分の正義に反する者。もし私が同じ立場なら同じ顔をするだろう。
講和会議は夕暮れ前には終わった。首相は終始私のことを親の仇の如く睨んでいた。きっと彼は生涯において私への憎悪は消えないだろう。現実とは非情なり。必ずしも正しい正義など存在しない、一方が正義を振りかざせばもう一方の正義は握りつぶされる。時に、争いを避けるためには正義を一つに絞らなければいけないだろう。「絹の手袋をはめてでは革命は出来ない」時に私も左翼とも右翼ともなりえる。
未来の争いを避けるためには思想は統一しなければならぬ。
ニーチェは唱えた。多くの人を納得させたり、彼らに何らかの効果を及ぼしたいのなら、物事を断言すればいい。自分の意見の正当性を、あれやこれや論じてもだめだ。そういうことをすると、かえって多くの人々は不信を抱くようになるのだ。自分の意見を通したいのなら、まずは断言することだ。
サラエボで唱えられた狂詩曲 完
アンゼリーカはイデオロギーの対立を嫌った。資本主義も社会主義も帝国主義も皆が争わない世界だったら彼女が立ち上がることは無かったのかもしれない。しかし、皆争った。争ったから貧困が生まれ、不幸が生まれた。不幸な世界を無くす。そのためにアンゼリーカは争うのだ。
果たして、正しい道を歩んでいるのか。彼女自身も分らない。しかし、その道が正しいと信じ、歩み続ける。