短編集   作:トマトは後ろから呼んでもトマト

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短編集第一話にして、性癖全開で書いてしまいました。
前書きで最初に言っておきます。
この話、かなり酷いです。いろんな意味で。

なので、生暖かい目で見ていただけると幸いです。


恩を仇で返す

とある国に男が住んでいた。

 

その国では内戦が起こった。大勢が死に、それ以上の数の人間が路頭に迷った。

当然男も多くの不幸を被ったが、それを踏まえても彼はそこまでの被害を被ってはいなかった。

それは彼が戦争に行ったものの、直ぐに負傷して最前線から退いて戦争終結まで療養する事を許された事。

彼の家系が他の人よりも僅かに裕福で、さらに戦争の被害を軽微しか受けなかったこと等が理由である。

 

まぁ、有り体に言えば。彼は運が良かった。

 

現在の政府はほとんど機能不全になっており、まともに機能していない。

内戦は終結寸前だった。しかし、復興までには多くの時間がかかる。

荒れ果てた大地で、親の手も借りれない子供たちは直ぐに死んでしまう。

 

そんな中、彼は死にかけていた子供を見つける。

栄養失調、衛生状態の悪化による病気、理由は幾つかあっただろうが。目の前で希望を断たれ、死を目前に控えた子供がいた。

それが男と少女の出会いだった。その出会いが、男の運命を狂わせることになる。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

その邂逅は内戦中の、冬のある日。雪は降っていなかったが、酷く冷えた日だった。

 

かじかむ指先を擦りながら、男は帰る途中だった。

その時に、素足で放浪する一人の少女と出会った。その子は地べたに座り込み、来たる死を待っていた。

目の前の少女は酷い目をしていた。

この世全てを呪うような、どす黒い眼をしていた。

 

このような子供は決して少ない訳ではない。近辺の村では戦闘が起こったと聞いた。

きっと、そこから逃げてきた子供だろう。助けなければ、ここで死ぬか…奴隷商かそこら辺の悪人とバッティングするか。

この国の内戦孤児には、そのような末路しか残されていない。

 

いつもの彼なら放っていた。

これは、彼が悪人だからではない。皆、切羽詰まっていた。

内戦がいつ終わるかもわからない今、何をするかもわからない子供を匿うことは出来ないのだ。

助けた子供に殺された、物を盗まれた、脅された。その逆もまたしかり。

…残酷だが、そのような話は普通にこの世界に蔓延っている。

 

…男はこのような世界にほとほと嫌気がさしていたが、そこに順応する以外の選択肢は彼にはなかった。

 

そうして、いつも通り彼は孤児の前を通り過ぎようとする。

ただ、ほんの僅かに。男は少女の方を見て。

 

彼は足を止めた。

高尚な理由などない。それはただ、とても単純な理由。

ただ、少女の面が男の好みだったから。

 

…一つだけ訂正しておこう。

好みだった、というよりは好みになりそうだった、という方が正しい。

幼い少女は彼のストライクゾーンから外れている。しかし大人になればとても男好みの顔になりそうだった。

 

男は数刻思考を巡らせた後、少女に話しかけてみることにした。

このままでは彼女は遅かれ早かれ死ぬか、悲惨な目を辿るだろう。

それくらいなら、自分が保護した方がいいんじゃないかと、そう思った。

 

男は彼女に話しかける。反応はない。

数回話しかけたが、目の前の少女は反応を返すことはなかった。

 

…これは重症だな。

男はそう思った。

 

絶望した人間を無理やり連れて帰るのは良くない。最低限同意を得る必要がある。

しかし、会話に応じてくれないのでは同意を得ることすら出来ない。

…男は顎に手を当て考える。そして、しばらくした後。

彼は自分の着ていた衣服と靴を脱いで目の前の少女の前に置いた。

 

好きに使うように言って。

そして、直ぐ傍にあった自分の家へと小走りで走り始める。

 

取り敢えず、最低限の善意を示す必要があると感じた。

絶望した人間の傷を癒すのは時間がかかる。もしかしたら癒すことなんて出来ないかもしれない。

そもそも、男が少女を助けようとした動機は不純極まるものである。

 

…しかし、どのような理由であっても。

男は少女を助けようと思った。そこに嘘はなかった。

 

彼はそのまま家に着いた後、いくつか簡易的で食べやすい食料を持ってくる。

もしかしたら、少女がその場から消えているかとも思ったが。

別にそんなことはなかったし、何なら彼女は男が暮れた服と靴を着ていた。

 

…確かに、目の前の少女は絶望しているのかもしれない。

しかし、死にたいわけではないらしい。

男はその事実を、少女の行動から読み取り、ほっと安堵した。

 

そして、彼は目の前の少女に食料を分け与える。

そうして初めて、彼女は男の方を向いた。

現金な奴だな。男は内心そう思いながらも。

彼女と会話を始める。今度は男との会話に応じてくれた。

 

男が問う。

君の名前は?

 

『…モルデルツァ』

 

少女はそうポツリと呟いた。

男は次の質問を投げかける。

君の両親は?

 

男はこの質問が苦痛を伴う物であることを理解している。

しかし、しないわけにはいかない。もしも彼女の親が生きているのなら、探し出してあげないといけないからだ。

 

『…死んだ。戦いに巻き込まれて、死んじゃった』

 

少女はそう呟く。男がおおよそ予想していた通りだった。

男が口を開き、彼女にさらに問いを投げかける。

 

これから先、当てはあるのか?

 

少女の答えは淡白だ。

『…ない。あったら、こんなところにいないよ…』

 

男は言う。

…そうか、なら。うちに来ないか?

 

少女は男の方を見て言った。

『…お父さんは、ただより高い物はないって言ってた。…貴方は、私をなぜ助けるの?』

 

男は、目の前の幼い少女が随分と理性的なのを見て少々驚いた。

もしかしたら、自分と同じような小金持ちの出身だったのかもしれない。

男は告げる。

 

小間使いが必要でな。そこで、家の直ぐ傍で死にかけている君を見つけた。

だから、君に白羽の矢を立てた。

…君は放っておけば、死ぬか。死ぬよりひどい目に合うかの二つの選択肢しかない。どうだ、私の手を取ってみないか?

 

少女は少し思案する。

そして、一言男に言葉を吐く。

 

『…もしも、変な事をすれば。私は貴方を殺すかもしれない。貴方の家の物を盗んで逃げだすかもしれない』

『それを理解してる?孤児を助けるって、そう言う事だよ』

 

…目の前の少女の年齢は、おおよそ10代前半かそれ以下だろう。

それなのにこのような言葉を吐くという事は、結構な教育を施されてきたのかもしれない。

当然、男だってそれくらいは分かっている。男は言う。

 

分かっているとも。君に変な事はしないと約束しよう。

それで、どうする?一緒に来るか?

 

男は少女に手を差し伸べ、彼女は無言でその手を取った。

 

 

そして、彼はその少女と共に暮らし始めた。

 

 

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そうして、男の少女の生活がスタートし始めたはいいものの。

非常に前途多難な道だった。

 

少女は男の家にやってきてからも、何も変わらなかった。

男に心を開く事もなく、ただ命じられたことをこなすだけ。

命じられたこと以外は一切何もしない。感情を持っているのかすら怪しい。それが彼女だった。

 

…これでは、息苦しいだけだ。

彼女を家に住まわせ、様々な事を任せている男は思う。

 

少女は任せたことをこなす。その能力は確かにある。しかし、それ以外が致命的だった。

話しかけても帰ってくるのは、無機質な返事。自由時間を与えても、何もせずただ布団で転がっているだけ、別に寝ているわけでもない。ただ、無言で壁を見つめるだけ。

虚無。モルデルツァは家族の死や過去に囚われた、幼い少女だった。

 

確かに、小間使いとしては最適かもしれない。

主人の命令に逆らわず、意見せず、完璧にこなす。

しかし、それでは意味がないのだ。男は彼女に普通の人として生きて欲しかった。確かに家族の死は悲しい事である。男もこの内戦が理由で遠方の両親を失った。

ずっと縛られて心を閉ざしたままでは、いつの日か全てが破綻するときがくる。必ず乗り越えなければならないのだ。

…幼い子供には厳しい事なのはわかっている。しかし、どうしようもない事なのだ。乗り越えなければ、全てを失うだけなのだから。

 

男は説得を続けた。彼女が自分に心を開いてくれるように。決して対話をやめなかった。

モルデルツァは、最初の方は男に対して淡白な返しを続けていたが。

 

『…貴方に何が分かるんですか。目の前で、お父さんやお母さんが殺されるのを、見たこともない癖に…』

 

こんな風な事を言い、次第に彼との個人的な対話自体を拒絶するようになった。自分の心に入ってこられるのが苦痛だったのだろう。

しかし、男は心を鬼にして続けた。このあたりから、男が彼女に向ける考えがどんどんと変質していった。

 

元々彼女を助けた理由は、酷く欲に塗れた理由だった。

顔が好みで、大きくなるまで育てれば、彼女の愛が自分へ向いてくれるかもしれないから。そんな最悪な理由だった。

しかし、彼女を見つめて、その傷口を観察していくにつれて。

彼女に親身になっていくにつれて。

男の彼女に向ける目は、別の物へと変わっていく。

 

それは、父親のような感情だった。

幼い少女の苦しみを取り除いてあげたいという想いは、最初の俗物的な考えを塗り潰し。

彼は、本当の意味で彼女を助けてあげたいと思うようになった。

 

そうして、彼は少女を助けようと頑張った。それはもう、とっても。

どれだけ拒絶されようと、決して対話をする事を諦めなかった。

そして、その真摯な思いと行動が実ったのか。

モルデルツァは、次第に男へ心を許し始める。

 

対話への拒絶をやめて。彼女は男に自身の悲惨な過去を共有した。

親族の死、友人の死、全てを失う事、自身の寸前まで迫っていた死への恐怖。

彼女は思いの丈を男へ綴り、目一杯泣いた。

 

男はそれを聞き届けて、彼女の傷口に寄り添って。その悲しみを癒すために尽力した。

その時初めて、彼らは真の意味で初めて信頼関係を結ぶことが出来たのだ。

この関係に至るまで、おおよそ二年かかった。

そのころには、男はもう彼女の事を大切な家族として見るようになっていた。

 

 

 

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一方、モルデルツァの視点では。

 

最初は、男を非常に疑っていた。

そもそも、あの時の彼女は数多の死を目撃し、自分以外の全てを失った状態だった。

そんな時に差し伸べられた手は、酷く胡散臭くて彼女の懐疑心を搔き立てた。

 

(みんな死んだ。私だけ、なんで生き残ったのかな)

(目の前の男は、私を雇ってくれると言うけれど。…やましい事を考えてるに決まってるよね)

(まだ死にたくない、でも…変なのに捕まって、死ぬよりひどい目にあわされるくらいなら)

 

彼女が男の手を取ったのは、それ以外の選択肢がなかったからであり、決して男の事をよく思っていたからではない。

彼女は男が最初に抱いていたあの俗物的な考えを、やんわりと見抜いていた。

 

その為、男の家に来た当初はずっと男に対して警戒を強めていた。事実、彼女は毎晩寝る前に包丁を自分の机の下に隠していた。

それだけ男を疑い、切羽詰まっていた。

 

当然、そのような状態ではまともに対話など出来やしない。

男が彼女の心の傷を癒そうとした当初も、彼女からしてみればそのような行為は酷く上滑りして見えただろう。

実際、それが原因で彼女は男との個人的な対話の一切を拒絶するようになったのだから。

 

しかし長い時間をかけて、男が自分に寄り添おうとしているのを見て。彼女も考えを改め始める。

 

(…少しは信頼してもいいのかな)

(本当に、あの人たちを置いて幸せになってもいいのかな)

 

必死の説得は、彼女の凍り付いた心を溶かし、虚無から引き摺り出した。

最初は自分の本心を告げるのを怖れていた少女も、少しづつ素直になっていく。

時間が経ち、最初は不信の対象でしかなかった男も。

数か月間、自分に真摯に向き合い続けてくれたことから、少しだけ信頼できるようになっていく。

そうして、モルデルツァは自分の過去を、その罪悪感と彼女の虚無を男に語る。

 

『…ねぇ、おじさん。私は…本当に幸せになる権利があると思う?』

『貴方は、私に普通になる権利があると言うけれど。本当に、あの人たちを見殺しにした私が幸せになってもいいのかな』

 

絶望にとらわれていた少女は、自分の過去とそのトラウマからの脱却を試みるようになる。

そうして、彼女は過去のトラウマと。周りの人間の死への執着から解放される。

決してすべての罪悪感が消え去ったわけではない。しかし、彼女は考えを変えて。

生きられなかった人の分まで生き続けることを決めたのだ。

 

『…ねぇ、おじさん。私の事。助けてくれてありがとね』

『ほんとに、感謝してる』

 

男は言う。

 

気にしなくていいさ。いやぁ、感慨深い…あの時の仏頂面がこんな風に笑えるようになるなんてなぁ

 

少女は憤る。

『…むぅ、昔の私の方が貴方の好みだった?』

『今からでもキャラを変えた方がいい?』

 

いやいや、そんなことを言うなって。今の笑顔がかわいいお前の方が好きだよ。

男は優しい笑みを浮かべながら、彼女にそう返す。

 

少女はそれを聞いて、満足そうな笑みを浮かべる。

そして、男に一つちょっとした約束を持ち掛ける。

 

『ふふ、なら良かった』

『ね、おじさん。一個だけ、約束してよ』

『…私の前から、いなくならないでね。もう、貴方しか。私の家族はいないんだから』

 

男は感動する。

対話を拒否していたモルデルツァが、ここまで言うようになるなんて。

思わず涙が出てしまいそうだった。そして彼はこう返す。

 

はは、そんな事は起こらない。約束しよう

 

男はそう返し、少女は満足そうにうなずく。

そして、少女は男にこんなことを言った。

 

『そっか…安心した』

『貴方への恩を返せるように、貴方に尽くし続けるよ』

『だから、何でも言って?きっと、どんなことだって。貴方の為なら出来るような気がするんだ』

 

男は不純な理由を失い、一人の戦争孤児を娘のように見るようになり。

少女は、自身で発生させた過剰な罪悪感から解放された。

 

そうして、二人は本当に家族になった。

 

 

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それから数年が経った。

内戦は終結し、多くの人々の力により国は復興していく。

男も、自身の両親から受け継いだ遺産を元手に、より多くの財産を築き上げた。

そして、その横には。彼に付き従うように、一人の女性が常にいた。

 

『起きて、おじさん。今日も仕事があるんだから。ずっと寝てたら二人とも破産しちゃう』

 

そんな風に、毎日モルデルツァに起こされて。

彼女の作った食事を口に運びながら、彼女の選んだ服を着て共に仕事へと向かう。

彼女は一応自分の小間使いのはずなのだが、男の事をおじさんと呼ぶところは昔から変わっていなかった。

男は本当のことを言えば、お父さんと呼んで欲しかったのだが。

 

『私の父親は一人だけだよ、貴方じゃない』

『それに…どっちかというと、貴方には夫になって欲しいし…

 

と、断固拒否されてしまった。…まぁ、さすがにデリカシーにかけていたか。

その後、何か小さい声でごにょごにょ言っていた気もするが一ミリも聞き取れなかった。

聞き返したら怒られたし。なぜなのか。

 

まぁ、小間使いというのも、あくまでも名目上の扱いに過ぎない。

厳粛な場や対面が重視される場面、仕事中などは男の事を名前で呼んでいたし、そもそも男が自分の呼ばれ方をほとんど気にしていなかった。

家族から呼ばれる名前など、呼びたい人物が好きに決めればいい物だろうとも思っていた。

 

そして、モルデルツァは非常に才能あふれる少女だった。

男は彼女との和解を果たした後、彼女がやりたがる物は殆ど習わせた。

楽器、メイク、スポーツ、着付け、マナー…etc。

そして、その全てを彼女は人並みかそれ以上に習得した。本当に、才能あふれる素晴らしい子で。

男はなんだか誇らしい気持ちになった。

 

ただ、完璧な一方。

引っかかる点がないわけではない。

彼女は男に対して奇妙な言動をするようになったのだ。

例えば、和解してから数か月後のある日。

 

『…おじさん、一緒に寝てくれない?』

『少し、いやな夢を見ちゃって』

 

と、一緒に寝ようと言ってきたことがあった。

その時は、あの冷めた少女が一緒に寝ようと言ってくれるなんて!と、男は感動したものだが。

 

眠っているときに、やけに体を押し付けてきた挙句。

次の日の朝に。

 

『…意気地なし

 

と、何か言われた。全然聞こえなかったので聞き返したらやっぱり怒られた。なんなんだよ。

 

他にも、やたらと距離を詰めてきたり、ボディタッチが多かったり。

一緒に浴室に入ろうとしてきたこともあった。

 

男としては、そういう事はやめて欲しいと思っている。心臓に悪いから。

そりゃ、男だって彼女の事を娘のように思っている。

思っているが…やっぱり顔は好みだし、過度なスキンシップをすれば、反応するべきではないところが反応してしまうというのが男の性だ。

下世話な話だし、最低なのはわかっているが、娘のように思っているだけで娘ではないのだから。

なので、内心辞めて欲しいとは思っている。揶揄うにしても、もう少し相手を選ぶべきだろう。

 

…もしかして、焚きつけられているのだろうか?もう若くないんだから、性欲があるうちに妻を見つけろって事?

だとしても、余計なお世話だと言いたいが…まぁ、あの聡い子の事だ。ありえない話ではないかもしれない。

…結婚相手を探すべきかもな。

 

男はそう思った。

 

 

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そのような日々が続き、二人の男女の共同生活は続いていく。

しかし、長く続けば続くほど、どこか綻びが見えてくる。

 

モルデルツァは何かしらの形で素晴らしい結果を残すたびに。

男はある考えが頭を巡るようになっていった。

このまま、自分の手元に置いておいていいのだろうか、という考えである。

 

男は、彼女には幸せになって欲しかったし。

このまま自分のような小金持ちの下で飼い殺しにされるよりも、どこか遠くで。

もっと輝ける場所にいた方が、彼女の幸せになるのではないだろうかと思ってしまった。

モルデルツァはまだ若い。もっと、もっと遠くへ羽ばたいていける。

 

そう考えた男は幾つかの推薦状を書き始めた。幸いにも男は結構なコネを持っていた。

男が個人的な交友を持っている人々の中でも、間違いなくモルデルツァに不当な評価を下さない人物や組織を幾つかピックアップし。

そこに向けて、推薦状を書くことにした。彼女の為に。因みに無断である。

 

あと、この数か月で男は個人的に仲良くなった女性が出来た。

彼女はモルデルツァとは違うタイプで、男と同い年だった。

男ももうそこまで若くない、誰かと籍を入れる必要があると思っていた。

そんな時に出会ったのが、その人物だった。

 

 

彼女は非常に心が広く。優しい人だった。この人となら、幸せになれるんじゃないかと男は思った。

男はその人物と会う予定が出来るたびに、モルデルツァに着付けをしてもらっていた。彼女のセンスは抜群だったし、その人物からもかなり好評だった。

まぁ、何故かその度に、モルデルツァが苦虫を嚙み潰したような顔をしていたが。

…冷静に考えてみると。

父親のような存在が色ボケているのを見るのは割と嫌かもしれない。

 

いやでも、しょうがない事ではあった。

毎日モルデルツァから焚きつけられていれば、どこかで発散する先を見つけたくもなるという物だ。

そのくらい我慢してほしい、と男は思っていた。

 

ただ、ここ最近は本当にアプローチが激しかった。まるで、何かに焦っているような。

大切なものを、必死に繋ぎ止めようとしているような。そんな気迫を彼女から感じていた。

…ふむ、あの女性を逃がすなという事だろうか。父親係の恋路の心配をそこまでしてくれるなんて、相変わらず気の利く子だ。

男はそう思った。

 

 

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そんな日々が続いていた時。

事件が起こった。

 

男が執務室にこもり、持ち込みの仕事をしていた時。

ノックが執務室に響く。

男がどうぞと返答をして、モルデルツァが中へと入ってくる。

 

彼女は憔悴した様子で、只ならぬ雰囲気を纏っていた。

そして、口を開けて話始める。

 

『…あの、おじさん。少しだけ、話を聞いてもらってもいい?』

『話したい事があって…』

 

男は作業の手を止めて。彼女のために椅子を用意する。書類は傍の専用の棚に移動させる。

彼女がこんな風に話を切り出すなんて珍しい事だったし、彼女の憔悴している様子を見てきちんと話し合う必要があると感じた。

そして、男は面と向かってモルデルツァに話の開始を促す。

 

『ありがと、おじさん。それじゃ、ここ最近ずぅっと思ってたことを言っていくんだけど』

『まず…あの女の人とこれ以上会うのやめて欲しいな』

 

あの女の人って誰のことを言っているのだろうか。

男は本気でそう思った。なので誰のことを言ってるのか聞くことにした。

少女は信じられないといった顔で男を見る。そして言葉を吐く。

 

『…あのさぁ。本気で言ってる?…最近、ずっと一緒にご飯食べに行ってる、あの人だよ』

『だいたい、おじさんの傍に居る人で、印象的な女性って言ったらあの人くらいしかいないでしょ』

 

そこまで言われてようやく、男も誰のことを言ってるのか理解することが出来た。

しかし、なぜ彼女と会うのをやめて欲しいのかが理解できない。別に、モルデルツァに何の迷惑もかけてないと思うのだが。

 

不愉快そうな歯軋りの音が、二人しかいない部屋に響く。

 

『迷惑かけてない…ね。…聞きたくなかったけど、その言葉が返ってくると思ってた』

『貴方は…自分が大好きな人が、自分以外の誰かにデレデレしてたら、ムカつかない?』

『ムカつくよね、嫉妬するよね。そう言う事。貴方があの人との思い出を、楽しそうに語る度に。私にコーディネートを頼んで、楽しそうに出かける後姿を見る度に』

『イライラする。だから、やめて欲しい』

『…最初はさ、私に嫉妬して欲しいんだと思ってた。でも、違うんだよね、きっと。…貴方は本気であの女との未来を見据えてる。その事実が、堪らなく不愉快』

『その未来に、私はいる?貴方が助けた小間使いは、その幸せな生活の中に居るのかな?』

 

男に射抜く様な鋭い視線が向けられる。そこには、酷く苦しそうな少女の想いが詰まっている。

 

…あれ?なんか思ってた話と全然違うぞ。もっとこう、彼女自身の悩みを打ち明けられるとか、そういった話を想定していたのだが。

男は驚いてしまう。彼女の状態は、男が思っているよりも数段深刻で、かなり危うい地点まで来ているようだった。

 

男は少し声を震わせながら彼女に返答する。

 

その言い方、まるで君が私に恋してるみたいだ――

『してるけど』

 

男の言葉に割り込むように、少女は言葉を被せる。

そして、矢継ぎ早に続ける。

 

『いや、というか。愛してるよ。貴方の事。父親としてじゃなくて、一人の異性として』

『…てっきり、貴方もそうだと思ってた。私の父親みたいに振舞うのも、一種の照れ隠しみたいなものかと思ってたよ』

『実際、私に初めて会った時。助けた理由、性的な理由だったでしょ。なんか理由つけてたけど、バレてたから』

 

男はどきりとしてしまう。まさかバレていたとは。

しかし、今は断じて違う。そのような不埒な思いは抱いていない。一人の家族として、彼女を愛している。

それを彼女に伝える。

 

彼女はまた、歯軋りをした。

 

『…その愛情って。娘として、だよね。家族愛だよね』

『私が欲しいものと、全然違う。むしろそれ、私の神経を逆なでしてる自覚ある?』

 

おっと、コミュニケーション失敗。

男は久々の感覚だった。こんな風にモルデルツァとのコミュニケーションで大きな過ちを犯したのは、彼女の心を癒そうと奮闘してた時以来かもしれない。なんだか男は懐かしい気持ちになった。

尚、部屋の雰囲気はより悪くなった。

 

彼女は男が何も言えなくなっているのを見ると、畳みかけるようにどんどんと言葉を紡いでくる。

それはもはや、対話の形式をとっておらず。彼女が言いたい事を好き勝手言っているだけだった。

 

 

『私、とっても頑張ったと思わない?』

『何もできなかった状態から、貴方に愛されるために。勉強して賢くなって、美味しい料理を作れるようになって、掃除も綺麗にできるようになって、メイクだって習ったし、着付けだってできるようになった。楽器だって演奏できるようになった。誰からも、どんな人からも文句を言われないようにして。完璧だって、貴方だって言ってくれた。私の事を誇りだって、そう言ってくれたじゃん』

『それだけ頑張ったのにさ、貴方は勝手に私の父親ぶっちゃって。私の想いを直視してくれない。酷いよね。私さ、アプローチしたよ。一緒に寝ようとしたり、浴室に入ろうとしたり。親子じゃ絶対やらないような過激なことだって、幾つもした。なのに貴方は私の事を娘のように扱った』

『それって、とっても残酷な事だと思わない?こんなにも愛しているのに、血も繋がっていないのに。想いを受け取ってもらえない。それがどれだけ苦しい事か、貴方に分かる?』

 

男はなんだかクラクラしてきた。今まで一度も見てこなかった、モルデルツァの狂気に触れて、混乱していた。

そして、こんなことを言ってしまう。

 

まぁ、一旦落ち着け。深呼吸するんだ。今、お前はおかしくなってるんだ。落ち着いて話を――

 

その言葉が、彼女の逆鱗に触れたらしい。

おかしい、その言葉を聞いた瞬間、彼女のギアが一気に上がる。

 

『ふ、ふふ。おかしいって?今、私が…可笑しいって言った?』

『当たり前じゃん。おかしくもなるよ、私の大好きな人が。愛してる人が私以外を選ぼうって言うんだからさ』

『ずっとずっと見ていたのに。誰よりも近くにいたのは私だったのに。傍に居たのは私だったのに!』

『なんで、私以外を選ぶのさ。私でいいじゃん、あの人よりもずっと若いし、貴方の事を深く理解してる。食の好みも、音楽の好みも、貴方が気づきもしない事すら理解してるんだよ?』

『貴方の為なら、どんなことだってやってあげる、そんな完璧な人に成ってあげられるのに』

『私が、私の方が…あの人なんかよりも。ずっと、ずっと深くあなたを愛してるのに』

 

もう怖い。流石に怖い。

男は完全に委縮してしまった。彼女の端正な顔が、その抜群のスタイルが。逆にこの光景の異様さを引き立たせる。

 

『それに、それにさぁ。私が一番許せないのは…!』

 

少女が自身の懐からぐしゃぐしゃになった封筒を取り出す。

酷くぐしゃぐしゃで、何が書いてあるのか殆ど読み取れなかったが。

封筒の表面に書いてある文字だけ上手く読めた。

 

それは【推薦状】と書いてあった。

そう、男が勝手に用意していた挙句、モルデルツァに秘密にしいてた、あの推薦状である。

 

『これ…何かわかるよね?貴方が書いたものなんだから…!』

『…ねぇ、貴方は覚えていないかもしれないけど。私としたとある約束、覚えてる?』

『私の前から消えて、どこか遠くへ行ってしまわない。そういう、約束をさ』

『あはっ…確かに貴方はこの約束を破ってないよね!だって、貴方は私をどこか遠くへ飛ばしてしまおうとしていたのだから!』

 

モルデルツァはさらにヒートアップする。

流石に男もこれには即座に弁明しようとする。

しかし、ここでとあることに気づいた。弁明できなくないかこれ。

というのも、男がモルデルツァを遠くへやろうとしていたこと自体は紛れもない事実なのである。

 

彼女のこれからの発展を願い、彼女にとって相応しい場所に送り届けようと画策していた事は変えられない事実である。言ってしまえば。

動機が違うだけで、行われる行為が一緒なのだ。結果が同じならば。

この狂気に呑まれている少女に何を言っても無駄だろう。大体、こんな状態の彼女にそれを伝えたところで、さらにキレられるか、嘘をついていると疑われるだけなんじゃなかろうか。

男はそう思った。なので黙ることにした。

 

しかし、其れもまた悪手だった。

押し黙る事は、肯定と受け取られてもしょうがない。

 

黙ったことで、モルデルツァはさらにおかしくなる。ヒートアップしていたはずの感情は急に冷え切り。深い絶望のトーンへと変わる。

彼女も内心では何か理由があるはずだと思っていた。

大好きな人が、本当に自分を見棄てる訳がないと。

だから、ここで否定が飛んでくるはずだと思っていた。

この推薦状にも、何か理由があるはずなのだと。そう思っていたのに。

男からは何も返っては来ない。返ってきたのは、沈黙という名の肯定だけだった。

 

結局、彼女は男に甘えていた。

先程まで理不尽ともとれる怒りをぶつけていたのは。

男がモルデルツァをどのような形で有れ愛していることが前提となっている。

男がその程度なら許してくれるだろうという思い上がりが根底に存在する。

しかし、その前提が崩れたら?もしも、男が既に彼女を愛していない可能性があると知ってしまったら?

 

『…ねぇ、何か言ってよ。…否定してよ』

『ほんとにそうなの?ねぇ、貴方は本当に。私をどこかへやろうとしてしまっていたの?…ほんとに?』

 

少女は焦るように、そして縋りつくように。

先程までの激情とは打って変わって態度を翻す。

その瞳には、恐怖が滲んでいる。

 

男は何も言えない。

…実際、全く邪な気持ちがなかったというのは嘘になるのかもしれない。彼女をどこか遠くへ送ってしまうことで。

自分は一人になる。そして、一人になれば。今男が好いている女性とも、より親しくなれると思っていた側面がないわけではないのだろう。自分の心を真に見つめれば、そのような結論が出るのだ。

最悪な事に、彼女の推測は当たらずも遠からずと言ったところだった。

 

『否定して…否定してよ。ねぇ』

『もしも、貴方に。これを肯定されてしまったら』

『私の人生って、なんだったの?一回すべてを失ってから。貴方に命を救われて。貴方に心を救われて』

『貴方を愛して、愛されるために必死に、一所懸命に、努力を重ねて、綺麗になって、頑張ったのに』

『…愛してる人から、不要とされるなら。お前はもういらないと、言われてしまうのなら』

『…私の、存在価値って。どうなってしまうの?』

 

少女は酷く虚ろな目をしている。

男はその目に、その姿に恐怖を感じた。

少女が一歩男に近づく、男は一歩後ろに下がる。

 

モルデルツァの瞳からは、涙が流れていた。

『ねぇ、ねぇ。どうして?私は何を間違えたの?』

『私、上手くやったよ。なのに、何故貴方から拒絶されてるの?』

『…こんなに、頑張ったのに。こんなに、貴方を愛しているのに』

『どうして、貴方は私の方を向いてくれないどころか。私を邪険に扱うの?』

『もしかして、私。もう、いらない子?…また、一人になっちゃうの?』

 

彼女が近づくたびに、男は彼女から離れていく。

しかし、そうした鬼ごっこは直ぐに終わる。

 

男は壁際に追いやられ、モルデルツァと嫌でも向き合わなければならなかった。

 

苦しそうな少女は、切実な願いを口にする。

彼女はもう、最初のような毅然とした態度を保つことが出来ていない。

ただ、一人の男を愛した人間として。その想いを綴ることしか出来ない。

 

『ねぇ、そんな目をしないでよ。そんな風な目で、私を見ないで』

『…笑ってよ。いつもみたいに、あの時、私を助けてくれた時みたいに笑ってよ』

『「一緒にくるか?」って、言ったあの時みたいに、私を受け入れてよ…お願いだから』

 

しかし、もう無理だった。

 

男はもう、彼女を娘どころか、怪物としか見れなかった。

あまりにも重すぎるその想いは、男にとっては、息苦しいものでしかなくて。

モルデルツァを受け入れることなど。今の男には不可能な事だった。

 

すまない。ほんとうに…すまない。

 

男はそう言うけれど。

 

『…そっか』

『こんなに言っても、こんな願ってもダメなんだ』

『ねぇ、本当にダメ?…いいよ、分かった。分かったよ。妥協する』

『別に一番でありたいなんて言わない。二番でもいい…ううん。二番ですらなくていい。ただ、私の事を娘としてみるのをやめて、一緒に居ることを許してくれるだけでいいの』

『ただ、一人の女性として、見てくれるだけで。傍に置いてくれるだけで…』

『だから、私を。私の事を―』

 

それでも、彼女は苦しそうに縋りつく。

その姿は彼女の美しさをかき消す程の、一種の悍ましさすら感じさせた。

 

あぁ、悲しきかな。しかしもう。その行動に意味はなく。

男はもう、言葉で示すことさえしなかった。

彼女を思い切り突き飛ばし、それを答えとした。

 

モルデルツァは、受け身も取れずに地面へと倒れ伏す。

痛々しい音が、二人しかいない部屋に木霊した。

 

『はっ…アハ…あぁ、そう』

『ダメ……ね…ふ、ふふ…そうなんだぁ…』

 

倒れた状態のまま、少女はぼそぼそと呟く。

そして、そのまま緩慢な動作で起き上がる。

 

彼女は男の方を見ず、扉の方へとふらふらと歩いていく。

一切感情を持たない声で、こんなことを言った。

 

『……ごめん、今日の事は忘れて』

『少しどうかしてた』

『今日のご飯を作ってくるから、出来たら呼ぶね…』

 

彼女はドアノブを握り、部屋から出て行く。

男は過ぎ去った嵐を眺めるように。後姿を眺めていることしか出来なかった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

そうして、暫く経った後。

男を夕食に呼ぶ声がする。

 

彼は、モルデルツァの作った食事を取る。

その味は、いつもよりも苦かった。

 

『…どう、味は?』

 

彼女は何も映していない眼で、男を見る。

その目に射抜かれた男は、何も言えなかった。

 

気まずい時間が流れていく。

 

『…何も言わないんだ…ねぇ、おじさん』

『もう一度、私を助けてくれない?』

『私と向き合って、こっちを見てよ』

 

そんな、意味の分からないことをモルデルツァは言う。

男は彼女の言っている意味が分からなかったし、分かりたいとも思わなかった。

もはや、男は彼女の事を理解できなかった。その狂気を目の当たりにして。

彼女の事を愛せる自信が、男にはもうなかった。

 

だからこそ、男は食後の言葉を述べて。彼女の言葉に耳を傾けず。

その場を後にしようとする。

 

『あぁ、やっぱり。ダメなんだね…』

『…どうして、こんなことになっちゃったんだろうね。…私は、貴方に愛されたかっただけだったのに』

 

そんな言葉が聞こえた瞬間、男の視界がぐらりと揺らぐ。

そして、男はそのまま地に伏した。呼吸が上手く出来なくなって。

思考がうまく巡らない。身体が一切動かない。

ただ、最後に身体を仰向けにして、気道を確保しようとした時。

 

…きらりと光るものが、少女の手に握られていて。

 

 

その煌きが、男の胸部を貫通した。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

どくどくと、鈍い赤色が流れ出る。

少女の涙が、その鈍い色に溶けていく。

 

一度犯した過ちは、決して巻き戻せない。

まぁ、彼女は。その過ちを巻き戻すつもりはないのだろうが。

 

『…貴方が悪いんだ』

『…私の想いを弄んで、挙句に逃げ出そうとした貴方が悪いんだ…』

 

モルデルツァはボソボソとそんな言葉を呟く。

しかし、彼女は責任を男に他責しながらも、確かに涙を流していた。

彼女は、男に突き刺さっていた煌きを抜き取り。

それを自分の胸に向ける。

 

『…もう、いいか』

『また、一人になっちゃったな』

 

そのまま、彼女は。

さっきと同じように、しかし今度は自分に。

その煌きを、自分の胸へと突き刺した。

 

そして、直ぐに鈍い赤色が流れ出す。

その色は、混ざり合って。あっという間に誰のものか分からなくなる。

 

(あぁ…寒い。寒いな…あの冬の日と…同じだ…)

 

 

 

そうして、男女は死んだ。

それは雪も解けだす、温かい春の日の夜の事だった。

 

 

 

 

 

 




あとがきです。
このヒロインの名前のローマ字表記はmordercaです。
もし気になった人は、検索してみてね。
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