正直やり切った感がすごい
いつも誤字報告ありがとうございます。見逃しが多すぎて申し訳ない気持ちでいっぱいです。
いつも感想ありがとうございます。返信はしてませんが全部目を通してます。
「はい。分かりました。ありがとうございます。それでは、はい。30分後くらいですね」
受話器の向こうの相手のご厚意に恐縮しつつ、礼を伝えて電話を切る。
「塔矢、誰から?」
「新堂本因坊です。棋院に言われたからとおっしゃってましたが、顔を出してくださるそうです」
「え? 本因坊来んの!?」
「なんでお前が喜んどんねん」
日中韓の若手が集まり団体戦を行う北斗杯に向けた合宿。父が居ないこともあり合宿場所として自宅を提供した塔矢ではあったが、良くも悪くもマイペースな団長の倉田、そして進藤という二人の問題児を大将という立場ゆえまとめようとするが、正直落ち着いて碁の勉強ができていなかった。
「進藤、君はまじめにやる気はあるのか!? こんな腑抜けた碁を打って!」
「腑抜けてなんかねぇよ! それ言うならお前だってここの手とか緩い手じゃんか!」
「ちょ、お前らまた喧嘩するんか? ええ加減にせぇや!」
五月あたり、どこか急に眼の色を変えた進藤を見て僕の気持ちは高まっていた。消えたと思った自分を突き動かすような熱が再び湧き出したような気持ちになっていた。
実際、進藤が対局した棋譜を確認すればそれまでの碁よりもキレが増しており、一目見ただけで読みが深くなったことがわかる。もともと攻めっ気が強かった棋風だったが、少し手を止めて盤面全体を眺める様に、弱い部分を作らない、堅実だがどこか落ち着いた大人な碁を打つようになっていた。
進藤が同じ名前ということで本因坊に教えを請いているという話は聞いていた。緒方さんと共に本因坊の家へ伺い話も聞いていた。それが結果として、進藤にとって良い方向に向かっているんだろう。
「本因坊って、あんなに強くて他の奴らと打って楽しいかな?」
「どうした社」
「あ、いや、なんかすみません」
確かに本因坊は強い。囲碁ファンたちは本因坊が三冠になったことで新堂輝一強時代が始まることを予見しているし、父が居ない今の日本棋界でタイトルを彼から取れるような存在は少ない。
緒方さんが唯一立ち向かえるだろうが、座間さんや自分たちじゃ歯が立たない。
「新堂本因坊は天才とかそういうくくりじゃなくて、別の何かだよな。本因坊戦で嫌なほど思った」
倉田さんとの本因坊戦は去年の話。1つも落とすことなくストレートで勝ち切った新堂本因坊の強さを塔矢門下の面々と観戦し改めて思い知らされた。
TV杯の2回戦で対局する機会はあったが、僕を子供のように扱う圧倒的上位の碁。それでいて相手に全力を求め、試し続けるような碁はどこか冷たく恐ろしいと感じた。
「新堂本因坊は天才ですよ。僕たちが見えない場所を見ることができる」
「違うよ塔矢。別に本因坊は天才じゃない」
「はぁ? お前何言うとんねん。本因坊が天才じゃなかったら一体誰が天才やねんな!?」
「本因坊はただの人だよ。佐為もそう。塔矢名じ、塔矢先生もそうだし桑原のじーちゃんもそう。別に誰も天才じゃないよ」
「だ! か! ら! そう思うのはお前の勝手やけど、本因坊は人とかの次元超えてるやろ。あんなん秀策や」
「はは。それは俺も本因坊も言われたら嬉しいけどさ、違うよ社。本因坊もよく言ってる。ただ他の人より過去を勉強して積み上げて、他の人より足場にした過去が多いから高いところにいるだけで、本因坊も人だよ」
みんな本因坊が資料室で何してるか知らないでしょ?
なんて軽く言う進藤だが、確かにその通りだ。僕も社も倉田さんも、本因坊が何を勉強し、何を糧にしているかまでは知らない。噂では秀策の碁を並べている。なんて聞くが、常にそんなことをしているわけでもないだろう。
研究会などではなく僕の一人の時の勉強は、次の対局相手の傾向を掴み、対局の流れを想定する中でいかに相手を封殺し自身の形を持っていくかを主に考えている。何人かで集まったりして検討を行ったりしない限りはそうしていることが多い。
それに対して本因坊はどうなんだろうか。
「本因坊は詰め込み過ぎてるんだよ。あの人すげぇ記憶力良くてさ、だから無駄なもんリセットするためにタバコ吸いながら変な手の研究するんだよ。俺が経験したのだけでも、初手天元、後手天元、5の五とか村正定石とか、本因坊自身は息抜きっていうけど」
「どうりで、俺との対局後手天元やったんか」
「あれはたまたま本因坊が初手天元を打った時と日が近くて、対局相手の社がやったって棋譜見たから、正直やってくれるかなって期待してたけどしなかったし」
「だからって後手天元とか、アホやろ」
「それでも俺は本因坊のこと天才だって思うな。塔矢先生がいたときは隠れてたけど、塔矢先生が引退してから一気に暴れだしたっていうか、押さえつけられてたものが解放されたっていうか」
「何? 俺そんな悪い奴じゃねぇよ」
「うわぁ!?」
「本因坊来よった!?」
そりゃ来るだろ。なんていう本因坊は僕に手土産なのか紙袋を手渡し荷物を畳に置く。
30分後と電話口では話していたので油断していたが、どうやらタクシーをうまく捕まえられたらしくそのまま運んでもらったらしい。
倉田さんは早速本因坊の手土産を取り出している。
「塔矢、休憩中?」
「はい、午前中はずっと早碁をしてました、ここからは昼食を食べて午後は持ち時間増やして対局する予定です」
「昼かぁ。どこか出る感じ?」
「出前で良いじゃん。本因坊奢ってくれよ」
「奢るのは別にいいけど倉田さん俺たちの3倍は食うからヒカル達だけね」
本因坊が塔矢邸に訪れたことは何度かある。
桑原先生の付き添いだったり、緒方さんに無理やり連れてこられたりといろいろだが、最近は訪れていなかったと記憶している。
そういえば幼少期新堂本因坊と対局したことはなかったはず。
無意識の内に緒方さんにするように灰皿とマッチを準備した僕は、新堂本因坊が座る位置の近くに低い台と共に並べる。
「分かってんじゃん塔矢。やっぱ緒方さんに鍛えられてるね」
トントンとソフトのタバコを一本取りだした本因坊は、そのままマッチを点けるとタバコに火を移す。
「至福ぅ~。なんでマッチで点けたタバコってこんなに美味いんだろ」
文字通り力が抜けた表情をする本因坊にイメージを崩されたのか社は茫然としているし、進藤は慣れているのか全く気にせず倉田さんと昼ごはんの話をしている。
「昼の出前、寿司屋でも良い?」
「寿司か。俺蕎麦も食いたいから両方頼める場所ない?」
「塔矢、知ってる?」
「あ、ああ、時々父が頼んでいたなじみの店がある。確かメニュー表も置いていたはずだから取ってくる」
「社! 寿司で良いよな」
「お、おう」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
出前の寿司盛りを4人で分け、一部蕎麦や親子丼を食べている人がいたが、そんな中で午前中にした早碁の検討を本因坊を交えて行う。
今話題になっているのは社の話。
団長となる倉田の目線でも、また社自身も出場する三人の中だと一番棋力が低いことを自覚していることもあり、チームの方針としては社のレベルを上げる方向で進んでいる。
「本因坊から見て、俺の碁はどうですか?」
「うーん。点数っていうと難しいけど、そうだな、俺の棋力を100にしたらまず倉田さんがぎりぎり90くらいかなもしかしたら90ないかも? 緒方さんはこの前の挑戦者決定戦を見る感じ92くらい。倉田さんよりちょっと上。んで、塔矢、ヒカル、社の順番で85、80、75くらいの感じかな。塔矢とヒカル、ヒカルと社が三回対局すればそれぞれ2勝1敗くらいの差。塔矢と社の場合は五局やって社が1勝はできるけど、2勝は難しいライン」
本因坊のはっきりした力量差の判断に反論する人はいない。それぞれが言われたレベルだと認識しているから。倉田さんだけちょっと不機嫌そうだが。
「んで、碁自体は突飛なことをするくせに臆病だなって思う」
「臆病、ですか?」
「俺は社が関西でどんな対局をしてるのかも研究会でどんなことを学んでるかも知らないから直感というか、感じたことをそのまま言うけど、合同予選の棋譜とかを見せてもらった感じ、もっと我が儘に碁を打っても良いと思う。倉田さんとか塔矢先生みたいに打てとは言わないけど」
突飛なこと、面白そうと思えるところに突っ走れる豪快さは武器。
そう言う本因坊は棋譜からしっかりと情報を取り出して伝える力がすごいと感心した。自分なら思うことはできても言語化はできなかっただろうと思う。
「社の持ち味を考えれば無理に攻撃に振ろうとか、重厚に構えて受けようとか思う方が思考を狭めると思う。例えば塔矢に打ったここって、流れ的にこの順番でしょ?」
殆ど合っていた示された手に僕と社で流れを説明する。その中で新堂本因坊が手を止めたのは社が実利を求めてそこまでの攻勢から手堅く打った一手。
打っていて僕も違和感を感じた一手だ。正直、時々進藤が打つ突っ走るような一手を想定して思考していた。もちろん考えていなかった手ではないので対応できたが、その分結果的に緩い手になっていたのは否めない。
ここを起点に僕自身は地のダメージを抑えることができた。
「変なところで思考が手堅く行ってるのはもったいない。手堅く行くことが重要な盤面だって絶対あるけど、それでもこれは良くない。ここは塔矢に圧をかけ続ける方が最終的には地を奪えてた」
黒、白、黒、白、黒、白、黒と数手進めた結果は社が出した答えよりも僕の地を奪い攻めを鈍らせるような形。こうなってしまえば僕は攻めに転じるよりも手堅く打つしかないし、そうなれば窮屈な碁になってしまう。
「午後は持ち時間何時間でやるの?」
「今のところ1時間のつもりだけど」
「俺、社と打つから持ち時間1時間半ね。塔矢とヒカルは1時間で倉田さんが見てあげてよ」
「おお。良いぜ。社は良いか?」
「もちろんです」
「なら話しながらやるぞ。ヒカルにもやったことあるけど、思考を開示しながら打つ。自分がその盤面で思ってることを全部曝け出して善手、悪手を確認しながら打つから」
思考を整理しながら打つだけでも一手ごとの精度は上がる。そう言った本因坊は碁石を準備して社に渡した。
「食べ切ったらやるぞ」
「はい!」
無理やり口の中に寿司を突っ込んだ社は、水で無理やり胃に押し込むように食べると、手を拭き新堂本因坊に向かい合った。
「改めて言うけど、今からやるのは思考を口に出して開示することで、自分の碁を振り返る打ち方だ。序盤は定石をなぞる時もあるから別に良いけど、できる限り思ってることを口に出すこと」
① 序盤、中盤で自分の理想形を明確にイメージすること。
② 序盤、相手にされたくないことを明確にイメージすること。
③ 中盤、相手の手を踏まえてどう理想に近づけるか考えること。
④ 終盤、自分がしてはいけない形を明確にイメージすること。
「言ってることは簡単だけど、自分の碁が怪しくなってる時はそれぞれを気にして打って欲しい。良い?」
「はい!」
そうして始まった碁は定石をなぞった展開になる。
社は本因坊を抑える碁を打つことを目的としてカカる。対して本因坊は地を優先して手堅く進める。僕だけでなく進藤や倉田さんも本因坊たちの対局が気になってしまう。
「できる限り本因坊を抑え込む手を打ちたいので、攻勢に出られないようにしたいです」
「なら手段は2つだな。隙が生まれないように手堅く行くか、相手が受け続けるしかないくらい攻め立てるか。どうする?」
「本因坊の動きが気になります。ここアテたのが。俺はこれを足掛かりにして左辺全体を抑えに来ると思ったんで。でも、手堅く行くのは違うと思う。……思います」
「なんで?」
「手堅く行くっていうのは確かに重要ですけど、本因坊が好き勝手しない様にしたい。なら受けるのは得策じゃない。それに俺は受けるのは得意じゃないんで、苦手な部分で戦うことが必要な時はあるって師匠も言いますけど、せっかくの機会でそんなことやるのは勿体ない。って思います」
ピシッと社が打った一手は左辺に待ったをかける攻めの手。待ってる展開は数種類あるが、ぱっと思いつくのはどれも社の黒が攻めていく流れ。左辺の白の流れを切り左上隅、もしくは左下隅を攻めることができる。少し無理する形にはなるが、左辺全体を支配することもできそうに思える。
「展開は見えてる?」
「本因坊がアテてくるはずなので、上に転じれる様にハネて足掛かりにします」
「おっけぇ。なら左辺全体じゃなくて狙うのは左上隅か。ハネることも考えると上辺で流れを持っていきたいな」
二人が話しているのが聞こえてくるとそちらがどうなっているのか知りたくてムズムズとする。進藤と打つ碁は攻める僕に対して進藤が広く受ける構え。僕の攻めを軽やかにかわす進藤の碁は僕が知っている彼の棋力よりも上だが、本因坊と社がやっているような形の碁を打てば確かに上達もするだろう。
それに、認めたくはないが進藤と僕の囲碁は正反対の性質を持っている。
新堂本因坊や本因坊秀策のように俯瞰した位置から手堅い打ち筋で弱い部分を作らず、また的確に相手の弱い部分を突くような碁。まだ進藤自身は本因坊のように圧倒的な読みの深さで形勢判断を熟すことはできないが、時々恐ろしい手を打つ。
対する僕は相手を熱く深く攻めることで盤面を支配するような棋風。緒方さんからは父よりも気性が荒いだなんていわれたこともあるが、相手の手を潰し、自分の形を押し付けるような戦い方をすることが多い。
基本のキすら理解していなかったような存在が、指導をつけてくれる本因坊という存在を得ることで、基本に忠実に、読みを深くして無理はせず、効率的な手を求め続ける。
「社。お前は躊躇いなく基本から離れた手を打てるのが魅力だな。似たようなことはできるけど、それでもお前みたいにはできねぇ」
「ありがとうございます?」
「このタイミングで外に出ていったのは案外良いかもな。細かくつなぎながら進めていきたい盤面だけど……、アテて、ノビてって形になれば俺の形が少し悪くなるから悪くない」
横目でちらりと盤面を覗く僕に対して、ヒカルは身を乗り出して対局を見ている。
「倉田さん、俺、二人の対局見ててくださいって言ったよね?」
本因坊の言葉に僕と進藤の背筋が伸びる。
倉田さんももともと丸い目をさらに丸くしてぱちぱちと瞬きすると、急いで取り繕ったように僕たちに注意をする。
「いまさら言っても遅いし、倉田さんも俺たちの盤面見てたんだから説得力ないよ」
あきれた表情で本因坊はタバコを吸う。
「ヒカル。お前は社の碁を見て立ち止まっていられる立場か?」
とんとんと灰皿に灰を落とす。
またタバコを銜え、次の一手を打つ。
「佐為との対局はお前が未来に進むための土台。俺との対局はお前が未来に足跡を残すための武器だろ? もう一度聞くが、お前は他人を気にして停滞して良い立場か?」
「……、違う」
膝の上で進藤が拳を握りしめているのが見えた。
きっと本因坊と進藤との間で何かあるのだろう。saiの話も出ているということは、彼たちの碁を打つ理由だったり根本に関係してることだろう。
「ならさっさと打て。そのツナギは塔矢の思うツボだぞ。しっかり考えろ」
「……わかった……」
深呼吸した進藤は盤面を食い入るように見る。本因坊の言葉でスイッチが入ったというべきか、先ほどまでの周囲を気にする雰囲気とは異なり集中している。黒と白の世界に入り込んだ進藤を見て、僕も意識を切り替えてこの碁に集中する。
「仕切り直しだ」
「おう」
僕と進藤は1時間の持ち時間の殆どを費やし、結果僕が6目差で勝ちを掴んだ。
ただ、序盤中盤にかけて社の対局に意識が割かれていたこともあり満足できるような碁ではない。そのことを改めて倉田さんから注意を受け、本因坊から説教を受けた。
「塔矢。お前は日本の大将として出場する。それはつまりお前が二人を引っ張らないといけない。お前が負ければ日本が負ける。その責任を理解してないなら大会から降りるべきだ。お前は塔矢行洋の息子だから大将なのか? それとも、若手で一番と棋界が認めているから大将か?」
「棋院に認めていただいているからです」
「ならその期待に見合った態度で臨まないといけない。その期待に見合った碁を打たないといけないよな? チームを気にする立場だからヒカルと違ってそれを悪いとは言わない。ただ、わかるな?」
「すみませんでした。僕が未熟でした」
「俺は監督でも団長でもないから、これ以上は言わない」
「ありがとうございます」
父や緒方さんたちとも違う先達からの言葉に改めて頭を下げる。
もちろん父は碁に厳しかったし、碁に対して怒られたことも何度かある。だが、今回の大会で僕が受けるプレッシャーを何度も味わってきている人からの言葉というのは重みがあった。
塔矢行洋が長年棋界を引っ張る中で現れた新星にかかる期待やプレッシャーは大きかったろう。それこそ今回の僕とは比べ物にならない。
素直に、このままではいけないと奮い立つ。
「ヒカル」
「っ……」
「今日のお前を見てあいつは喜ぶか?」
「……、喜ばない」
「俺からは以上。これ以上長居しても仕方無いし帰るよ」
僕や社が挨拶する中、進藤だけは顔を上げなかった。
だがそれを止める人はいないし、止めてはいけない気がした。
「北斗杯、期待してる」
塔矢が子供っぽくなり過ぎたような気が、、、。
まあ横でしゃべりながら対局されてたら多少気になるよね。