調査兵団に入って最初に学ぶことは、立体機動の精鋭たちから技術を学ぶことではなく、他の兵団とは比にならないほど長時間の移動に使われる馬の躾け方でもなく、エルヴィンスミスの考案した長距離索敵陣形を頭に叩き込むことだ。壁外調査でいつ自分の部隊が壊滅するかもわからない、たとえ自分以外の隊員がやられても、この陣形が頭に入っていればあるいは、生き残れる可能性がある。
「お前たち新兵はまず生き残ることを第一目標だ。そのためにこの陣形を頭に叩き込め。調査兵団の本懐である調査は俺たちに任せておけばいい。まずは受け入れろ、壁の外の現実を。」
壁の外、巨人が闊歩し、人間の命が紙のようにたやすく破られる現実。それを俺たち99期シガンシナ訓練兵は壁の内で味わっている。生き残れたのは最低限の実力と、悪運があったからだろう。だからこの言葉はシガンシナの地獄を体験していない、カラネス区などのシガンシナ以外の訓練兵たちに向けられたものだ。
「受け入れて、抗う覚悟を決めろ。それがお前たちが次の壁外調査でしなければならないことのすべてだ。そのために、壁外調査までのひと月、付きっ切りで面倒を見てやる。」
*
「まるで調査兵団が一つの生き物のように、巨人を避けて索敵を続ける、ね。お前が言ってたスリーマンセルの時と同じ発想の陣形ってわけだ。」
「それを一個師団で実現するなんて並大抵じゃないね。」
講義のあとローレ達が集まって陣形について振り返る。
「並大抵じゃないから、新兵の半数が最初の壁外調査で亡くなるんだろ。」
タンベムを欠いた四人の会話に加わるものが一人
「エルド先輩!」
「げえっ!」
ペトラが好意的に、オルオが少しばかりばつの悪そうに反応を返す。知り合いかとローレとリーザが問うとペトラが紹介してくれた。曰く、シガンシナ襲撃の時助けてくれた恩人であると。
「ってことは、エルドさんは駐屯兵団所属から転属したんですね。兵士としては先輩になるわけですか。」
「まあ、な。だから調査兵として俺たちは同期だ。別に先輩扱いしなくていいからな。」
先の戦いでは癒えない傷を負った駐屯兵が大量に退役した。それは体だけでなく心の傷を負った者も。むしろそっちのほうが多い。その中でさらなる地獄に足を踏み入れる人だ、思うところがあるのだろう。
「当然だ。あんときいったろ、貸し借りなしってな。」
「いや、エルド先輩から学ぶことも多いわよ。よろしくお願いしますね。」
「ハハッ、よろしくな。ローレとリーザも。」
対照的な二人の反応に苦笑いして、エルドは四人の輪に迎えられた。
*
「それで、お前らはこの陣形どの程度までちゃんと機能すると思う?」
「新兵は内側に配属されます。しかも各班には最低でも一年以上生き残っている兵士がつくわけですから陣形が乱れることはそうそうないでしょう。なのでうまくいけば死者は全体の一割程度で済むはずなんですよ。行きは。」
問題は帰りだとローレはいう。
「兵站拠点を作るなら人が大量にいる。巨人が集まってくるだろうし、そうなれば迎撃は必至。一体の巨人討伐に最低でも新兵以外に三人はかけたい。それで最低限安定して巨人を倒せる。でも巨人は行儀よく待ってはくれない。二人で討伐しないといけない場面も出てくるだろうし、新兵だけで戦わないといけないこともあるでしょう。最初の巨人討伐なんて実力の半分も出せない奴が大半でしたよ。」
シガンシナ襲撃を振り返って苦々しく告げた。
「帰りはどうしても新兵が陣形の中核をになう場面も出てくるわけだ。そうすれば下手すると陣形が崩れて少なくない被害が出るってことか。」
「ええ。なので少なくとも俺たち新兵は、この陣形はどこを担当することになっても完璧にこなせるようにならなければならないんです。」
「当然だろ。言われたことやるだけでいいって言われてんだ。それ以上を求められてない現状、認められるわけない。」
「やる気があっていいことだな。前みたいに漏らして無様なことにならないようにしろよ。」
「バッ!てめっ……」
気張りすぎている空気を弛緩させるためか、唐突にエルドがオルオの醜態をさらす。
「新兵が漏らすのってそんな珍しいことでもないだろ。」
「漏らさなかったウチらが言ってもフォローになってないわよそれ。」
リーザがすかさず突っ込んだ。
「フォローじゃなくてブラックジョークだからな。……気張りすぎるなんてことはないですよ。エルドさん。」
あの戦いでは半数以上の新兵が涙を唾を小便を、血を、そして命を、ありとあらゆるものを垂れ流し心臓を捧げた。同じ戦場に居合わせながら生き残ってしまった自分たちがこんな風に談笑していていいわけがない。
「若いっていいな。」
「……馬鹿にしてます?」
「いーや、俺でも教えられることはありそうだって思っただけだ。やっぱりエルド先輩と呼んでもいいぜ。」
まぶしいものを見るような優しい顔でエルドはそういった。
*
「ウォールマリア奪還作戦?」
それからひと月が過ぎ、ウォールマリア奪還作戦が行われるとエルドから耳にする。今日は訓練に参加しているものが少ない。半数くらいの兵は特例で安息日なのだ。
「いや、冗談でしょ。ウォールマリア奪還作戦をするなら間違いなくその主戦力はウチら調査兵。なのに情報が全くこっちに来ていないっていうのはおかしいじゃない。」
エルドは昨日の安息日に同期の駐屯兵から作戦概要を聞いたらしい。この時期にほかの
兵団と関わることができる調査兵は新兵の中では限られる。ほぼいないといってもいい。エルドがいなければ俺たちは作戦決行のその瞬間まで知らなかったことだろう。
「……新兵は不参加ってことなんじゃないのか。」
「その情報を前日まで伏せておく意味なんて、ろくでもないことぐらいしか考えられないけど。」
ウォールマリア奪還は確実に成し遂げなければならない人類の命題となったわけだがそれでも時期が早すぎる。高々ひと月では準備がまったく足りていないはずだ。
「……ウォールローゼとウォールシーナだけでは人類を食わせていけるだけの土地がないんだ。」
「要するに口減らしってことね。」
「いや、まあ……そうかもな」
エルドが裏目的を匂わし、リーザが死んだ目で嫌な予感を確信に変える。
「それ、オルオやペトラには言ってないだろうな。」
「ウォールマリア出身のやつらの前では不用意にできない話だろう。そもそもあいつらは今日安息日だ。」
「はあ?どういう意味よ。ウチらだけのけ者にされてるってのに。」
「実質口減らしってことなら、誰が口減らされるんだって話だ。きっとーー」
「分かったわ、ローレありがとう。」
ーー俺たち同期の家族も含まれてる。今日休みをもらえてるやつらはそういうことだろう。
*
「それではこれより、第四十五回壁外調査を開始する。前進せよ!」
シガンシナ区が襲撃、ウォールマリアが奪われ、第一次ウォールマリア奪還作戦が失敗した三か月後、いよいよ壁外調査が開始された。今回はウォールマリア内のある街に第一の兵站拠点を作る。距離にしておよそ三十キロ程度、巨人の妨害がなければ荷馬車を運んでも一時間程度で到着する手はずだ。しかし巨人という驚異にさらされる一時間は普段の一時間とはわけが違う。
(赤の煙弾、進行方向に巨人か、大きく遠回りすることになるか?)
掃討班に壁に群がる巨人の対処を任せ駆け抜けたのち、前方の民家があるあたりから赤色の信煙弾が放たれた。巨人は南からやってくると言われていて、こちらの目的地はウォールマリア最南端のシガンシナ区、巨人との遭遇は避けられない。それは最先端で索敵をする役割でない新兵であってもだ。
「サマルブルク、巨人に向かって信煙弾を撃て!後は俺たちが対処する!」
民家に隠れて発見が遅れた巨人、7~8m級の巨人だ。平地でなければ手練れ二人でも対処は可能だが、立体機動ができそうなほどの民家は2軒しかない。目眩しになるように煙弾を撃ち込み、巨人から離れて隊列に戻る。
巨人から離れて少ししたころ、予備の馬と思われる馬が単独で走っていた。
「どうどう、大丈夫、無事だよ。お前は巨人に食われない。」
随分と怯えていたがけがはない。この馬の鞍についている名札を見る。グンタ、ウォールマリア東区の訓練場から調査兵団に入ったローレの同期。
(グンタ、巨人に出会ったか?生きているといいが。)
訓練場が違うとはいえ、数か月調査兵団で寝食を共にした仲間だ。生きていてほしい。生きていると信じるしかないことが壁外の非常な現実を突きつける。
*
巨人に進路を妨害されつつも二時間で目的地にたどり着く。
「三列三班、四名到着です。道中、7~8m級巨人と交戦、私に討伐数一、そしてライムに討伐補佐一をお願いします。」
班長が司令部に人数を伝える。四名、一つの班は最低五人からなる。副班長がいない。あの巨人との闘いでやられたのだ。報告が済み、兵站拠点を作るため荷馬車から荷物を降ろしていると、声をかけられた。
「ローレ、お前が俺の馬を連れてきてくれたと聞いたぞ。ありがとう助かった。」
グンタだ。生きていたことに安堵しつつ、二人で作業をしながら何があったか聞く。
「民家の陰に寝ていた巨人がいてな。運悪く俺が近くに来たとたん目を覚ましやがった。それでとっさのことだ。馬で逃げ切れそうもなかったから、予備の馬だけでもと逃がしたんだが、お前の班の班長と副班長が助けてくれたんだ。」
あの時、巨人の近くに人がいるのは見えていたが、グンタだったのかと納得する。
「そうだ、ローレ。ライム副班長はどこにいるか知らないか?さっきトーア班長にはお礼を言ったんだが、副班長は見かけなくてな。あとで伝えておくと言われたが、やはり直接お礼を言いたいんだ。無事に帰れるとは限らないしな。」
死ぬ可能性があると、本当の意味で理解していない。まだ、地獄を体験していないから、そんな言葉が出てくる。それは幸運で尊ばれることのはずだ。少なくともこの壁外調査が終わるころには肉体か、魂かに刻まれているはずだから。
「……副班長は人類の栄光の礎になったよ。」
「ッ! そうか。すまない、言いにくいことを言わせたな。無事に帰れるとは限らないんだ、こういうことも考えておくべきだった。」
それからは黙々と作業が続いた。
*
「百メートル先に新手二体巨人が出現、大きさは7~8m級と4m級だ!」
兵站拠点を作り出して数十分が経過しようかというころ、巨人が人間の気配を感じ取ったのか、襲いにやってき始めた。ここからは籠城戦だ。経験あるベテラン兵士が迎撃を担当し、新兵が中心となって兵站拠点を設立していく。
「ローレ!お前も迎撃に移れ!俺たちは大きいほうだ!」
巨人は次々と現れるのにこちらの人員は有限。人手が足りなくなれば新兵にも声がかかる。巨人は基本四人で討伐にあたる。前衛二人が隙を作り、後衛二人がとどめと戦闘時新手の警戒だ。
「ジオが負傷離脱した。巨人と戦う際の陣形は覚えているな、後衛に入れ。前衛は俺とキーラがやる。お前は後衛だが、新手の警戒はミヤが主にやってくれる。お前は目の前の巨人に集中しろ。」
トーア班長から指示を受け、抜刀する。
「了解!」
ローレは刃を構え、立体機動装置のアンカーを巨人の脛付近に撃ち込んだ。トーアとキーラが前方から突撃し、巨人の注意を引く。8m級の巨人はよろめきながらも腕を振り回し、二人の動きに対応しようとしている。
「右腕を封じる、キーラ、左へ!」
「了解!」
二人が左右に別れて巨人の視線を分散させたその瞬間、ローレは一気に加速し、背後から高く跳び上がる。
――ザシュッ!
刃はうなじに届いたが、深くは入らなかった。巨人は一瞬びくりと体を震わせると、反撃のためにローレの方へ振り返る。
「くっ……!」
仕留め損ねた。命をかけて作ってくれた隙を活かしきれなかった。仕切り直しになるかとそう思った瞬間。
「ミヤ!」
トーア班長の声が響く。
「ローレ、そのまま下がれ!」
視界に、滑空する影。次の瞬間、ミヤが正確にアンカーを撃ち込み、巨人の首筋へと突撃。その動きにためらいはない。風を裂く音と共に、ミヤの刃が巨人のうなじに深く突き刺さった。
――ズゴォンッ!
巨人は頭をふらつかせたのち、ぐらりと後ろに倒れこむ。大地に崩れ落ちたそれから、赤黒い蒸気が吹き上がる。
「はぁ……はぁ……」
ローレは膝をつき、地面に手をついた。ミヤが着地し、険しい表情のままこちらに近づいてくる。
「ローレ。焦りすぎ。」
「……すみません。」
「あの入り方じゃ、相当うまくやらないと浅い。下手すりゃ、お前が死んでた。」
ミヤはそのままローレの肩に手を置いた。
「でもまあ、実践でここまで動けるのは十分優れた才能ね。……こういうのは場数。四人で一体を相手できる状態なら失敗してもフォローは効く。フォローできる状況のうちに対応しなさい。」
ローレはうつむきながらも、ゆっくり頷いた。人手はどんどん足りなくなる。三人で巨人と戦うこともこれから起こる。それまでに対応しなければ死ぬのだ。
「……次は、ちゃんと仕留めます。」
ミヤはわずかに目を細め、頼りにしてるよと言い残し、再び周囲の警戒に戻っていった。
*
「ローレ、フォロー!」
しばらくは四人での巨人迎撃が続いた。巨人は散発的に襲ってきたが、それでも自分たちの班が戦うことになったのは先の巨人を含めて二体。もうそろそろ日没というタイミングで三体目と相対していた。
「はいっ!」
トーアとキーラは囮として自分よりも何倍も精神をすり減らしながら戦っていた。そこに来る13m級の巨人になかなか隙を作り切れていない。わずかに見出したうなじを削ぐチャンス、仕留めきれないだろうとミヤがローレに指示を出していた。
ザッ!
浅くうなじを削ぐ音、急所を狙ってきたミヤに巨人のヘイトが集中する。
「はあぁっ!」
――ザシュッ!
鈍い音とともに巨人が声も出せずに倒れ込む。蒸気が上がって肉体が蒸発しだし、仕留めきれたことを確信し息を――
「ローレッ!」
鋭い悲鳴、突き飛ばされてとっさに振り向くと3m級巨人がミヤ先輩を襲っていた。
「ッ!」
頭が真っ白になる。頭からいかれた。あの顎があと数センチ動けばミヤ先輩が死ぬ。それまでにこいつを殺しきるには……
「3m級巨人が紛れていやがった!」
「くそ、13m級の相手で手一杯だった時に……」
トーア班長とキーラ先輩がすぐさま動いているが、遠すぎる。俺が、一番近くにいる俺が動かなければ間に合わない。
(俺は、大丈夫、巨人に勝てたんだ……!)
かばわれた、何か違っただけで自分が食われていたという事実に足が震えて動きが鈍る。それも一瞬、一瞬で立て直した。立て直せたのに。
「先輩を離せ!」
アンカーを突きさし、巨人に接近する。捕食に夢中でこっちの動きを気にも留めていない。仕留めるのは簡単だった。
「ミヤ先輩、無事ですか!すいません俺の警戒が甘かったから!」
「かふっ!」
血を吐く。呼吸自体が苦しそうだ。肺がやられている。
「すぐに本部に連れていけ!手当てを――」
トーア班長が言うが、ミヤ先輩が無駄だと手で押さえた。
「私の、こ、とは……気に、しな、無事で、よかっ、た。」
「ミヤ先輩、しゃべらないで、呼吸だけで激痛のはずです。」
「最初、の、遠、征で、二体、なんて、逸材。あとは、任せ……」
「ミヤ先輩!」
それっきり声をかけても何の反応も返さない。やがて体が冷たくなって心臓がささげられたことを確認した。
「ローレ、日没だ。巨人の動きはなくなるが、この夜のうちに拠点をあらかた完成させる。気張れよ。」
ローレは膝をついたまま、息を整えながら立ち上がった。まだ目の前に蒸気をあげる巨人の亡骸が横たわっている。
「……ミヤ先輩」
感情が押し寄せる前に、ローレは一度深く息を吸い込んだ。嗚咽を殺し、涙をこらえるのではなく、心の奥に刻み込むように。
「あとは任せてください。」
自分のために命を投げ出した先輩がいた。その意味を見失ってはいけない。責任がある。ならば歩き続けるしかない。俺も逃げられなくなったんだから。
*
そして、夜が明けた。
仮設拠点の撤収作業が始まる頃、ローレは一人でミヤの亡骸に手を合わせた。すでに心臓は捧げられ、彼女の名は記録に残ることになる。
「……ありがとう、先輩。」
誰にも聞こえない声でそうつぶやくと、ローレは無言で鞍に跨り、撤退の列に加わった。撤退の時も陣形を展開する。ミヤ先輩やライム副班長といった積極的に迎撃していたために死んでしまった仲間は少なくない。その穴埋めを俺たち新兵がやらなくてはならないが撤退は驚くほど簡単になされた。考えてみれば当たり前かもしれない。最初の壁外遠征を生き残った者が生存率の高い優秀な兵士になっていく。あんな地獄を経験して油断するような兵士はもう残っていないのだから。
トーア班長:アイアンアントより
ライム副班長:スライムより
キーラ・タド先輩:ドラキーより
ミヤ・ウゼナム先輩:やまねずみより
ジオ・ナーメック先輩:おおなめくじより
班長と副班長のファミリーネームがないのは考えていないからで伏線とかではありません。