人類最低の日は間違いなく今日だ。壁内人類にとってまさに青天の霹靂だった。だが、自分以上に今日が最低な日だと思う人間はいないと断言できる。
「何の冗談なんだ、これ。」
夢であってほしかった。予知や逆行の類など自分に備わっていないと思いたかった。記憶にある自分は特別でも何でもないと分からされた。だからそれが逃げだと分かっていて、見ないふりを続けてきた。でももう逃げられない。特別でない自分に特別な力が授けられていたという事実と、決定的な契機を逃したという現実が襲ってくる。
「シガンシナ区は三十分後に放棄する。しかし現状避難完了率は三割程度だ。少しでも割合を上げるために逃げ遅れた人を助けに行くぞ。」
調査兵団が壁外調査で間に合わないことも、シガンシナ区の駐屯兵のほとんどがここで死ぬことも全部知ってる。それでも俺には、まだ予知の時とは違うこともある。
*
「班編成をしてくれたのがキース教官だったのはラッキーだったな。」
「そうね。オルオもペトラもローレもいるんだからここに突っ込んでくる巨人がかわいそうまであるかも。」
中衛の要に配置された十二班の面々は、99期訓練兵団の最高戦力が編成されている。全体の統制を果たせるものが少ないなか、訓練兵の指導教官であり、かつての調査兵団団長、キース・シャーディスが訓練兵を迅速に編成した。
「油断するな。巨人は強い。人間なんかよりよっぽどな。」
「えらく弱腰だなローレ。怖気づいてるなら俺が指揮するぞ。」
「お前ほどの能力を戦闘に全振りさせられることが俺の存在意義だろ。お前が指揮に思考を割く余裕はないよ。」
「確かに俺は戦闘指揮訓練でお前に次いで二位の成績だったが、総合成績ではお前より上だ。あらゆる状況が想定される中では総合力が高い俺が指揮をしてもいいだろう。特に今のお前を見てるとな。」
「オルオに同調するわけじゃないけど、無理はしなくてもいいのよ。あなたは立体機動の成績でもトップクラスだし、オルオの指揮下でも十分活躍できるわ。」
彼らの初陣が始まった。結果は言うまでもない。
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「前衛部、中衛部は壊滅、いやほぼ全滅。俺はこの場に心臓を捧げるのか。」
壁が破壊されたとき、即座に動けたのは駐屯兵団の中でも一割程度、すぐさまほかの仲間を叱咤し大砲を用意させて後衛に配置させた。訓練兵のほうが、士気が高いというのは皮肉なものである。問題は前衛だった。動けるものが前に出るしかないが、その数はこの戦場にまったく足りていなくて、できればもう二度と繰り返したくない手段でしり込みするやつをどうにかこうにか死地に追いやる。
「ハハッ」
乾いた笑いがこぼれた。繰り返したくない手段、そんな手段を講じる次なんてないのに。もうガスがほとんど残っていないし、そもそも刃はなまくらと化した二刀のみだ。まだ動ける奴の囮にでもなってやろうと巨人と戦っている集団に向けてガスをふかす。
「嫌だやめて待って、助けて……」
「ペトラを、離せよおおおおおお!」
「待てオルオ!チッ、タンベム、リーザ!」
信じられないものを見た。この期に及んで、この班は欠けることなく全員生きて巨人と戦っている。訓練兵のはずなのにだ。群を抜いて、ずば抜けて優秀だ。そんな未来あるものがここで使いつぶされることを、今ならまだ止められる。巨人は二体、内一体はうなじから煙が出ている。おそらく今捕まっている奴が仕留め損ねた個体に、もう一体は五人が戦っているのにおびき寄せられてきた新手。そいつにオルオと呼ばれたやつが捕らえられた。
思考は一瞬、どちらなら助けられるか。なまくらの刀と自分の命で、救える範囲は。
*
「タンベム、リーザ!」
とっさに叫んだが、何か有効な策があるわけではない。巨人と自分たちとの戦力差をここ数十分で嫌というほど学んだ。オルオがいてもなお、ペトラを助けつつ新手の巨人と戦うだけの戦力はこの班にはない。そのオルオが新手に捕まってしまった今、とれる最善策は撤退だろうか。
「!」
視界に増援の兵士が映る。瞬間記憶がフラッシュバックする。エルドに助けられたと言っていたペトラとオルオのことが思い出される。使っている刃が最後なのだろう腰だめにストックはない。巨人はやたらと勘が良く悠長な不意打ちには気づくが、手傷を負い今まさにペトラを捕食しようとしているこのタイミングなら奇襲に気づかない。条件が変わる。捕食前に間に合うかどうかという問題は残るが、リーザとタンベムの命を危険にさらせば全員助けられる。二人を危険にさらせば……
「指示ないなら俺はオルオを助けに行くぞ!1秒で決めろ!」
迷っているのは数瞬だったが、タンベムの次の行動は早い。失敗は即死の作戦に二人を扇動し巻き込む覚悟をタンベムの言葉に後押しされた。
「まず両目を潰す。アンカーを突き刺せ、リーザは右腕を削げ、俺は指斬ってオルオを助ける!」
「「了解!」」
射出訓練を自主的にやっていたタンベムが、二つのアンカーを違わず両目に突き刺す。思わずあいた左腕で目を抑え込もうとする巨人に対してリーザが巨人の奥の民家にアンカーを突き刺しすれ違いざまに右腕を削いだ。
「オルオ、首に突き刺せ!」
だらりと下がった右腕を支柱にオルオに接近し指を削ぐ。拘束が緩んだオルオが首にアンカーを刺してすれ違いざまにうなじを削いだ。
*
「はぁ、はぁ……」
「生きてるな、タンベム。」
「俺よりペトラとオルオを心配、しろよ。」
息も絶え絶えに班員の安全を確認する。記憶と違うことが起きることをもう知っているのに、どうしてもタンベムが心配になってしまった。彼をここで死なさず生かせれば、何か大きく変わる気がした。でもそれも、記憶で生き残った人が今回死んでは意味がない。
「助かった……じゃない、助かりました。エルド……さん。」
「おう、お前らも無事でよかったぜ。」
「はぁ!?このざまで無事?どこがそう見えるんだよ!」
「どう見ても無事だろ。五体満足。それに、ちょうど撤退の合図だ。」
股あたりを濡らしたオルオが吠えるが、意に介さず内門を指す。それを見てローレも班員に撤退経路を指示を出した。
「オルオ、エルドを背負ってやってくれ。」
「はぁ?おい、まさか……」
視線がエルドのつけている装置のガスボンベに集まる。観念したかのように、エルドがボンベをたたく。音が示すところはそのガスボンベにはほとんどガスが残っていないという事実。彼が正真正銘お荷物になったということ。
「ばれちまったか。別に気にすんな。人一人背負って撤退することになったら生存率は下がる。」
「だからオルオに頼んだ。こいつが一番立体機動に秀でてる。一人くらい担いだところで撤退くらいはできると俺が判断した。」
珍しい、訓練兵で編成される班は立体機動に最も秀でるものが班長をやるはずだ。そしてこの班においてそれはオルオなのだろう。小便たらす痴態をさらすような精神状態でなおそうであるというならばオルオの立体機動は抜きんでているのか、ローレの班長としての適性が抜きんでているのか。
「それでオルオが死んだらお前が責任をとれるのか?」
「そんなの無理に決まってるだろう。死んだ人間は戻らない。だから全力を尽くす。これが最善だ。」
迷いがないわけではないだろう。迷う時間がないと割りきった、そんな感じだ。少なくともローレは優秀な班長だと問答から分かった。
「分かった。お前の判断に従おう。」
その後、撤退しながら民間人の生存者数を四人増やした。しかしそれを誇るものは誰一人いなくて、その日、ウォールマリアは陥落した。
*
「なあ、なんでローレはそんなにしてられるんだ?」
ウォールマリアは陥落して、ウォールローゼにまで人類の生存権が後退して一月が過ぎた。俺にあった自信は粉々に打ち砕かれた。俺がウォールマリア陥落の時に生き残れたのはローレがいたからで、俺は巨人と戦えば当たり前のように死ねる。同じ釜の飯を食った訓練兵の同期は先の戦いで半数近くが死んだ。死体すら持って帰れなかった。
「俺はさ、お前を超えたと思ってたよ。本当に。」
「でも違ったんだな。俺はあの日お前に助けられた。俺の力ではきっと仲間の命を守るには届かなかった。」
三年間、最後の最後、ローレを超えた。戦闘指揮こそ二位だったが、総合成績で超えたんだ。俺がローレより優れていると証明されたはずだった。なのになぜだ。ローレはあの地獄で最善を選び、俺達を生かし、そしてまた地獄に当たり前のように飛び込む。調査兵団に。
「あの夜の万能感を、翌日の虚脱感を、俺は忘れられない。」
卒団式の日、俺は天才に戻った。そして次の日のシガンシナ区襲撃で再び凡人に落とされた。でも、俺はもう知ってしまった。俺には才能があると。こいつには勝るとも劣らないものが確かに存在すると。もう一度だ。その才能をこいつよりうまく育てればいい。俺にはそれができると証明されている。
「ローレ、お前は俺のライバルだ。」
俺はこいつに勝たないとダメなんだ。そのためになら地獄に飛び込むことだってできる。
*
「なあ、なんでローレはそんなにしてられるんだ?」
その言葉を聞いた時、心臓が跳ねる。記憶と現実はもう決定的に違う。タンベムが生き残った。民間人を記憶よりも多く救った。全力を尽くして、記憶よりいい結果を得た。だが、その場での良い結果が後々悪い結果を呼ぶことだってある。
「俺はさ、お前を超えたと思ってたよ。本当に。」
例えばオルオが憲兵に入る可能性。彼は調査兵団に不可欠な戦力だ。オルオが調査兵にならなければ、彼が調査兵となって救うはずの人間が死ぬ。大切な仲間が安全な内地で過ごすという選択を祝福すべきだというのに、俺は自然にオルオの選択を肯定できるだろうか。
「でも違ったんだな。俺はあの日お前に助けられた。俺の力ではきっと仲間の命を守るには届かなかった。」
全力を尽くし、無力感に打ちひしがれ、オルオが憲兵団という選択をするのがあまりに自然に思えた。何か言わないといけないはずなのに。引き止める言葉を?名前も知らない未来の仲間のために死地に突っ込んでくださいとでも?
「あの夜の万能感を、翌日の虚脱感を、俺は忘れられない。」
そんなこと言えるはず、ない。だけど、続く言葉はそんな心配が杞憂に過ぎないと知らしめるもので自分の存在の矮小さも同時に突きつけられた。
「ローレ、お前は俺のライバルだ。」
こんな自分はオルオのライバルにふさわしくない。
「違う、オルオ、お前は俺よりずっとすごい。俺はお前のライバルになれるような存在じゃないんだ、だって俺には、記憶が――」
俺の特異性を伝えようとしてもその記憶は定着しない。その言葉を聞く直前に戻ったかのように、すっぽり記憶が抜け落ちる。
「俺のライバルでいるその道は地獄だろ。得られるものより失う物のほうが多い。」
「だろうな。お前は異常者だ。だが、そんなお前こそを超えるぞ。」
その瞳には覚悟がある。現在はもう記憶とは違う。それでも変わらないものがある。その覚悟に応えるために、俺は記憶にしていた蓋を捨てた。
オルオが痴態をさらしてなお立体機動に秀でていると判断されているのは一周目でもやっていたどんな状態でも全力を出せる訓練の成果です。オルオが99期の中で立体機動に最も秀でているのは事実ですが、ローレといい勝負です。一周目の経験値がある彼を凌駕するオルオ、さすがにやり過ぎか……?