「——加賀谷。お前、後ろで異常がないか確認しとけ」
救済局の駐屯所前で、班長にそう命じられた。
僕は小さく頷く。
それだけ。声は出ない。
周囲から冷たい視線が集まるのがわかる。
「返事ぐらいしろよ」「また無口かよ」
そんな呟きが、矢みたいに突き刺さって皮膚を焼く。
胸の奥が凍りつくように固まり、喉が塞がってしまう。
これが僕にとっての“恐怖”。視線を浴びること。
「ほら、行くぞ。どうせ何も起きねえから、さっさと済ませるぞ」
班長の声で、ぞろぞろと新人班は街外れへ向かった。
今日の任務は廃屋群の調査。
スリラーの残骸や核の残滓が残っていないか調べるだけ。
上官たちは「雑用」と呼ぶ。
でも——僕は知っている。
“雑用”なんて任務はない。見落とされた小さな残滓が、街ひとつを飲み込むことだってあるんや。
* * *
廃屋群は昼間でも影が濃い。
崩れかけの壁、抜けた屋根、黒く煤けた窓。
モブ班員たちは鼻をつまみながら足を踏み入れる。
「うわ、ホコリっぽ……」
「どうせ異常なんかねえよ。形だけの調査だろ」
「ほら加賀谷、ぼさっとすんな」
僕は彼らの背を追いかける。
声を出したい。何か言いたい。
けど視線が背中に刺さった瞬間、喉が凍りつく。
「おい、加賀谷、なんか気づいたら言えよな」
——無理や。
舌が震えて、息が逆流して、言葉にならん。
「ほんと空気みたいな奴だな」
「黙ってるだけで給料もらえていいよな」
「班長も扱いやすいだろ、黙ってついてくるだけだし」
笑い声が背にまとわりつく。
足音と一緒に、影みたいに僕を追いかけてくる。
僕はうつむいた。
……でも、僕はただの空気やない。
誰も知らんだけで、僕には僕の役目があるんや。
* * *
「……あれ、加賀谷どこ行った?」
「さぁ? どうせ何もできねーんだから放っとけよ」
「だな。邪魔にならんうちに勝手に歩いてろって」
モブ班員の笑い声が遠ざかる。
彼らは廃屋の手前を適当に回って、すぐに切り上げる気や。
僕はその背を見送り、奥の扉をそっと開けた。
人の気配が消えた瞬間、胸の奥の重りがふっと消える。
「ふー……やっと一人や! はぁ、窒息するか思たわ。僕はなぁ、声出さんと死ぬタイプやねん!」
言葉が弾ける。笑いが漏れる。
影の中に紛れ込んだ瞬間から、僕の世界は別物や。
* * *
「さてさて、こっからが本番やな。あーもう見えとる見えとる、胡散臭い床のきしみ。僕にゃ丸見えやで〜!」
床板の隙間に指を滑らせる。
粉が舞い上がり、指先にざらりとした灰色がついた。
「ははっ! はい出ましたぁ、核の残滓やん! ただの埃ちゃうで、金属っぽい匂いするやろ。これな、スリラーがここで暴れた証拠や! わざわざ鼻で笑った班長に教えたら、どんな顔するやろなぁ!」
記録石を取り出し、数値を走らせる。
残滓濃度、揮発速度、散乱角度。
普通なら二、三人がかりで半日かかる調査を、僕は数分で片づける。
「よっしゃ! 簡単簡単! 僕の部屋でもここまで汚ないことはないで、マジで!」
自嘲混じりの冗談を吐いて、にやりと笑う。
でも目は真剣だ。
壁の影に近づくと、爪痕が無数に走っていた。
光の角度を測り、掌で傷の深さをなぞる。
「ふむふむ、浅いな。暴れとったんは成長段階の低いやつや。……これなら巣にはされてへん、ギリギリセーフってとこか」
肩の力が抜ける。
でも次の瞬間、床に小さなシミを見つけた。赤黒い染み。
「……血やな。しかも小さい。子供のや」
関西弁の軽口が途切れる。
胸が締めつけられた。
「……逃げ切ったんか、食われたんか。……はぁ……」
僕は記録石に丁寧に書き込む。
班長に見せても「ただのシミ」と笑われるやろう。
でも僕は残す。誰も気づかんでも、僕は見逃さん。
「……誰も分からんでもええ。僕は見とる」
呟きが廃墟に溶ける。
* * *
さらに奥。
扉を押すと、ふわりと冷気が流れた。
家具の山が、ガタリと動いた。
釘の飛び出した板が床を叩き、ガラス片がカラカラと転がる。
「おっとっと! でたなガラクタポルター! ……あぁもう、見た目からして掃除欲そそらへんわ!」
ズシン、と机が揺れながら突っ込んでくる。
僕は壁際の影にスッと体を滑らせた。
「おーおー、雑やなぁ! 狙うんならもっとええ場所狙わんかい! ほら、机に突っ込んで板割れてもうたやん! 自滅してどないすんねん!」
バラバラに崩れたガラクタが再び集まる。
鉄片がぎちぎちと軋みを上げ、腕のような形を作る。
「腕かいな。ははっ、形になるだけマシやけどな。……でも動きは遅い! 僕には丸見えや!」
振り下ろされる鉄腕。
僕はしゃがみ込み、粉塵を巻き上げながら床を滑る。
手にした短剣で、影の隙間から突き出る光点を狙う。
「核はそこや! 心臓丸見えやでぇ!」
カシャンッ!
刃が突き刺さり、光が火花のように散った。
ガラクタは悲鳴を上げることもなく、ただバラバラに崩れ落ちる。
残ったのは、手のひらほどの核の欠片。
「はい、お疲れさーん!」
手の中の短剣が残骸を穿つ。
カシャン、と中から光の欠片が弾けた。核のかけらだ。
まだ小さい。人を殺すほどの脅威ではなかった。
けど、確かに“ここに恐怖がいた”証や。
「難しいことも、僕には簡単。僕は僕の仕事をしただけや」
欠片を袋に収め、記録石に最後の文字を刻む。
「……あーあ、誰かと一緒に見つけて笑いたかったなぁ。『やったな!』って肩でも叩いてくれる友達が欲しかった。……けどまぁ、僕一人でもやれる。それは、証明できた」
小さく息を吐いて笑う。
胸の奥には、冷たい孤独と、熱い決意が同居していた。
夕暮れ、廃屋群から駐屯所へ戻ってきた。
任務終了の空気は、妙に軽い。
「いやー、ホコリっぽかったなぁ」
「結局何も出ねぇじゃん。マジで時間の無駄だよな」
「なぁ、帰りに飲みに行こうぜ。俺んちの近くに安い酒場あんだよ」
班員たちは笑いながら背中を叩き合う。
緊張感なんてかけらもない。
まるでただの散歩帰りや。
僕は黙って歩く。
ポーチの中には記録石。残滓の濃度、核の揮発速度、爪痕の深さ、血痕の位置……全部、正確に記録した。
本来なら班長に詳細を報告すべき重要情報。
でも。
もし僕が口を開けば、また視線が集まる。
喉が固まり、言葉が出なくなる。
そうなれば結局、「また加賀谷は気味悪いこと言ってる」と笑われるだけや。
「よし、班を代表して報告する。異常なし、っと」
駐屯所で班長が書類に記入する。
僕の背中に視線が集まった。
「……」
息が詰まる。声が出ない。
本当は、言いたいことが山ほどある。
床板の残滓は核の灰。
壁の爪痕は低段階スリラーの暴走痕。
子供の血痕は——もしかしたら犠牲者が出てるかもしれん。
「……残滓……反応、微弱……ありました」
僕は、なんとか絞り出した。蚊の鳴くような声で。
「はぁ?」
班長が眉をひそめ、僕を見下ろす。
「ただの埃だろ。大げさなんだよ」
「そうそう。埃ぐらいで大騒ぎか?」
「お前、いつも暗い顔して余計なこと言うよな」
「どうせまた“自分は特別です”って顔したいんだろ」
嘲笑が飛び交う。
僕は下を向き、黙った。
——ちがう。ちゃうねん。
これは、ただの埃ちゃう。
残滓や。命がかかっとんねんぞ!
次に暴れ出したら、街ひとつ飲まれるかもしれんのや!
心の中で関西弁が弾ける。
けど、声にはならない。
視線が突き刺さって、喉が焼け石みたいに固まっている。
「おい加賀谷、聞いてんのか?」
「……はい」
やっとそれだけ答えるのが限界だった。
班長は鼻を鳴らし、書類にサインをする。
「異常なし。これで終了だ」
「やったー! 飲みに行こうぜ!」
「加賀谷も来いよ……いや、どうせ来ねーか」
笑い声と共に、班員たちは散っていった。
残ったのは僕ひとり。
ポーチの中の記録石が、やけに重く感じる。
「……ほんまに、何も見えてへんのやな」
誰も僕を見ていない。
でも僕は確かに見た。
灰の粒も、爪痕も、血痕も。
その全てを、僕は残した。
「なぁ……街の命がかかっとんのやで。笑いごとちゃうんやぞ」
小さな声が、夜風に消える。
誰にも届かない。
けれど——僕は諦めない。
誰が気づかんでも、僕は記録する。
誰が笑っても、僕は見逃さん。
それが、僕にしかできない仕事やから。
夜。
寮の屋根に登ると、街の灯りが遠くに瞬いていた。
風が涼しい。誰の視線も届かん場所。
「ふーっ……やっと一人や。あーもう、今日も疲れたわ……」
肩の力を抜き、膝にノートを広げる。
救済局から支給された記録用の石板に、僕は昼間に集めた情報を一字一句洩らさず刻み込んでいく。
——灰色の粉末は核残滓。濃度は通常値の二倍。
——爪痕の角度は低段階スリラーの暴走痕。
——血痕は子供のもの。時間は半日〜一日以内。
「なぁ……これ、ただの埃ちゃうやろ。僕には分かんねん。これは“兆し”や。小さいけど確かに、恐怖がまた芽吹こうとしとる」
誰も気づかない。
けど僕だけは知っている。
この記録は、後々“前兆”として扱われるやろう。
街を飲み込む事件の、最初のページとして。
「ほんま、班長もあのアホどもも笑いよったけどなぁ……。命かかってんねんぞ、笑い事ちゃうで」
独り言が夜空に弾ける。
饒舌で、少し軽口で、でも心の芯は熱い。
「僕やから気づけた。僕にしかできへん。……せやろ? これでも“救済者”やねんから」
ノートにペンを走らせる手は迷わない。
分析も推論も、完璧に積み上げられていく。
けど、この正確さを誰も評価しない。
班長も、仲間も、見ようともしない。
「……ははっ。アホやな僕。友達欲しいとか言うときながら、人の視線が怖くて一言も出されへんのやもんな。そら誰も寄ってこんわ」
寂しさに笑いが混じる。
でもすぐに視線を上げる。
夜空には、かすかに崩れかけた塔スリラーの影が浮かんでいた。
遠くに見えるその異形は、いまだ人類を見下ろしている。
「……僕は見とるで。誰も信じんでも、僕は恐怖の足跡を拾い続ける。誰かに気づいてもらえるその日まで、な」
風が吹き抜け、ページをめくった。
白紙の欄に、自分だけの印を刻む。
「明日も僕は僕の仕事をする。命を繋ぐんは、こういう地味で泥臭い作業や。……なぁ、ほんまやで?」
返事はない。
けれど空の向こうで、雲間がわずかに光った気がした。
——その光が、未来の嵐の前触れやと気づくのは、もう少し先の話や。
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