陰キャ、無口のコミュ障でもやる男です   作:イェスコマ

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10話

旗の赤が角に見えるまでの短い時間、僕は二人のそばでしゃがみ込んだ。

 

「どんなヤツやった? できるだけでええ」

 

 ナツミが、言葉を探すみたいに唇を噛む。

 「えっと……人、かな? でも、なんか……ぬるってしてて……人じゃない、かも……。歩くの、カクンってして……こわくて」

 レンが指で空気をつつく。

 「足、コト……コトって。たまにズズって……止まるんだ。こわかった、あの音」

 「目は?」

 「赤……じゃない……気がする。白ぽかった……ぽわって、にじむやつ」

 「声は?」

 ナツミが肩をすくめて、喉を震わせる。

 「『みつけ——』みたいに言って……でも、最後まで言わなくて……息が変になって……やだ」

 レンが手を横に伸ばす。

 「手、こうやって。のびる。ドアのすきまににゅーって入って……」

 ナツミがかぶせる。

「でも、入ってこないの。ずっとのぞいてて……どっか行って、また戻ってきて……ずっと、いた」

 

(断片ばっかりやけど——十分。声真似/白っぽい光点/関節の可動域が広い。探索して“狩る”個体や)

 

 ちょうどその時、巡回の旗が目の前に揺れた——。

 

 

 旗の赤が近づく。腕章の隊員が二人、肩で息をしながら駆け寄ってきた。

 「救済局巡回第二です! 行方不明者子ども二名保護、で合ってますか!」

 僕は頷き、用意していた簡易メモを押し付けるみたいに差し出す。視線は落としたまま、小声で要点だけをメモを使って報告する。

 「二階・旧会議室……二人。軽い擦過。……人型おる。声真似。白い光点。導線はこの白、∥が冷却帯、▶が投入口。……サービス通路前は×」

 「了解しました! 医療班呼びます!」

 隊員が旗で合図、後方の神殿隊が担架を急がせる。子どもたちの肩に薄い布が掛けられ、手首の輪っか(麻糸)をそっと外すと、レンが不安げに僕の袖を見た。

 「兄ちゃんは?」

 「僕は……中、もうちょい見てくる。安心せぇ。もう大丈夫や」

 

 巡回の隊員が僕のメモをぱらぱら見て目を丸くする。

 「導線、もう引いてるのか……仕事早っ。…いや、すげぇ仕事熱心」

 後ろの隊員も笑って肩をすくめた。

 「こういう人がいると助かるんだよな。任せてください、搬送と外周の警戒、このビル群への立入禁止措置はこっちでやります。——あなたは?」

 問い終わる前に、僕は会釈だけ残して、逃げるように踵を返した。視線が集まる前に、影へ戻る。それが一番喉に優しい。

「忙しい人だな、一人で哨戒任される人はやっぱ違うんだなぁ」

 

 

 エントランスの冷気が肌に吸い付く。

 (さて……“人型”。追跡軌道は長い。いま外が賑やかになった分、逆側へ回るはず)

 階段室の埃の流れ、エレベーターホールの吐息。さっきの会議室から見て左回りに、薄い“息”が引いている。

 僕は輪郭をまた一段落とし、柱の影から影へ渡る。靴底は目地だけを踏み、段鼻は外す。

 耳の奥で、さっきの声真似がかすかに再生される——『みつけた』。

 (うん、下手や。息の混ぜ方が素人。模写の域を出てへん。なら、ビビらんでええな)

 

 二階のサービス通路前。×印の脇に、さっきはなかった薄い擦過線が一本、増えていた。

 扉の金具が、わずかに内側へ撓んでいる。

 (いま、ここを覗いた。——けど、外の気配に釣られて戻った)

 僕は∥の上に身を置き、扉の縁へ耳を寄せる。

 金属の向こう、コト……コト……ズ……。

 遠ざかる足。三十歩先で止まり、またズ……。

 (壁沿いに、第三会議室へ回る軌道。了解)

 

 チョークで目地に**▶を一つだけ落とし、工兵向けの“鍵穴”を刻む。

 「お前の声真似、次は僕が上書きする番や」

 囁きは風に消える。

 胸ポケットの受理票が、かさ、と鳴った。味方の音や。

 僕は息をひとつ薄くし、廃ビルの奥へ、静かに溶けていった。

 

 

 

 足早に二階のサービス通路を抜け、第三会議室の前で耳を澄ます。

 壁の向こう、コト……コト……ズ……。

 さっきの“模写(もしゃ)”が、外の騒ぎに釣られて回廊を左回りに移動している。なら——逆回りで先回りや。

 

(これはひとつやない……“群れ”の歩幅や。足の重さが揃ってへん)

 

 非常階段を半階だけ上がって踊り場で止まり、埃の流れを見る。

 上から別の吐息が降りてきて、僕の頬を撫でた。

 白っぽい、にじむ光が、三段上の踊り場で一瞬だけふっと点り、すぐ消える。

 

「二体目か。……ちゃうな——」

 

 廊下に出ず、吹き抜けの梁の影に身を貼り付ける。

 対面のテナント跡、曇ったガラスの奥でもう一つの白が滲んだ。

 間に挟まれた通路の“息”が、じっとりと重くなる。

 

(三。最低三や。声真似の気配が重なっとる)

 

 僕は輪郭をさらに落とし、梁から梁へ、小さな距離だけ滑る。

 風下の目地に∥(冷却帯)を細く引き、柱の陰には×(脆弱)。

 工兵が見たら一秒で読める“絵の約束”。誰も見てへん今でも、約束は守る。

 

 古い案内板——〈B1:機械室・倉庫〉の矢印が、色褪せて残っていた。

 そこへ下りる非常扉の前、白い光がもうひとつ、ふっと浮き、ふっと沈む。

 足音はコト……コト、たまにズズ……。

 ドアの隙間ににゅーっと伸びる手の影が、扉の縁を撫でる。

 

(下や。巣は地下。……そして、道中に人型が複数。これは僕ひとりでは封鎖まで持って行かれへん)

 

 扉の脇、低い位置に▶(投入口)を一つ。

 床の割れ目に沿って、封材が“効く”筋を麻糸で細く結ぶ。

 それから踵を返し、二階の外周を白い点で繋いでいく。

 “息”の弱い側、工兵が通れる側、神殿隊の結界を張りやすい角——導線の骨だけを残して。

 

 通路の先で、ずれたテンポの『みぃつけた』が重なった。

 ひとつは低く、ひとつは途切れがちで、ひとつは語尾だけが人間ぽい。

 白い光が三つ、別方向から同じドアの隙間を順に覗いて、また散っていく。

 

(巣の“見張り”。狩り個体が回遊して、地下への道を薄く監視しとる。……今、落とせても“静かに三”が限界。巣までは届かん)

 

 胸の奥が熱くなる。

 やれる。やりたい。今すぐ“白”を上げて、赤へ繋げたい。

 けど——

 

(任務は行方不明の発見、スリラーがいた場合は報告までや。線を引く。残す。戻す。約束は守る)

 

 僕は吸う息を薄くし、踊り場の手すり下に小さく札を貼る。

 〈二階:人型(白光点)三以上/巡回:左回り/B1へ降路監視〉

 〈導線A→B・∥二枚/工兵:▶優先〉

 〈封鎖は連携前提〉

 

 もう一度だけ、地下への非常扉に視線を滑らせる。

 ちょうどその時、扉の向こうでコトが一拍止まり、『みつけ——』が途切れた。

 白い光が、ゆっくりこちらへ向きを変えかける。

 

「……撤収や。報告、優先」

 

 心の中では火柱やのに、足は水みたいに静かに動く。

 僕は梁から梁へ、影から影へ、一音も置かずに後退した。

 二階→一階。

 エレベーターホールは×。階段で。

 踊り場で一回だけ止まり、背後の“息”が曲がるのを待つ。

 

 エントランスの向こう、日向の匂い。

 外套の裾に朝風が触れ、胸ポケットの受理票がかさと鳴った。

 

(小野寺さんに、渡す。

 “人型:群れ/地下:巣/単独封鎖不可/導線骨だけ確保”。

 ——次は連携で、太い線を引きに戻る)

 

 僕はビルの影からすっと抜け、通りの旗振りに軽く会釈した。

 バイクのシートに手をかける前、もう一度だけ振り返る。

 ガラスのない口の奥で、白い光がぽわっと滲み、すぐ消えた。

 

「待っとけ。今は中断。けど、終わらせに来る」

 

 ヘルメットを被り、紐を締める。

 キック一発。エンジンが低く唸る。

 僕はハンドルに掛けた手旗を一度だけ揺らし、報告へと走り出した。

 

 

 

 

バイクを飛ばして今は局の玄関ホール。

 旗の音と紙の匂い。夕方の明るさが床石に四角く沈んでいる。

 

 カウンターを見ると、そこに——小野寺さん。

 こちらに気づいた瞬間、いつものように視線は伏せたまま、口元だけが緩やかにほどけた。

 

(あ……助かる。この“目を合わせん笑顔”、喉の鍵を外してくれるやつや)

 

 僕は頷き、薄板と地図、メモ束をそっと差し出す。

 〈隣町・廃ビル郡/行方不明二名保護〉〈二階:人型(白光点)複数/声真似・関節可動広〉〈B1:巣疑い/単独封鎖不可〉

 導線の凡例も添える——▶(投入口)/∥(冷却帯)/×(脆弱)。

 

「……任務、達成。二名、外。怪我、軽」

 いつもより少しだけ声が出た。彼女は頷き、木の仕切りを立てて外の視線を遮る。

 

「迅速な捜索と哨戒、さすがね。二階の導線、読みやすいね」

 紙に目を走らせながら、受理票に朱がぱんと落ちる。

 「“人型の群れ”と“地下の巣”——連携前提で封鎖を手配します。巡回・工兵・神殿、複数班での編成。……もちろん、あなたにも参加してほしい。“先行隠密/導線確保”で」

 

 胸の奥がぐっと熱くなって、すぐ落ち着く。

(届いた。線が、また太くなる)

 

「……お願いします」

 掠れ声でも、彼女はにこりと小さく笑ってくれる。

 

「回覧は優先帯で回すね。もし他に被害が出てたら遺留品もしっかり留意するね。加賀谷くんは今のうちにしっかり休んで——次はきっと長丁場になるから」

 

 控え票が返ってくる。今日の日付、受理番号、欄外に小さく〈臨時:先行隠密〉。

 紙一枚の重みが、指先から肩へ、じんわり移る。

 

「加賀谷くん」

 呼ばれて顔を上げきらない高さで止めると、彼女は視線を外したまま言った。

 「ありがとう。二人を外に出してくれて。——続きは、一緒にやろう」

 

「……はい」

 喉の輪が、するりと緩んだ。

 

 カウンターを離れると、受理票が胸ポケットでかさと鳴る。

 味方の音。次の線の合図。

 

(行方不明“救出”まで——よし。次は“巣を終わらせる”側や。

 見つからんまま、見つけて、残す。連携で太く——やったるで)

 

 




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