局内の食堂街は、夜になると湯気と出汁の匂いでふわっと満ちる。手書きの黒板、油で少し透けた紙袋、アナログのパンチの音。
「今夜は——唐揚げとコロッケの合盛り弁当やな。勝つと転がすで縁起ええし」
店のおばちゃんが笑って紙袋に詰めてくれる。「はいよ、若いの。明日も頑張りな」
「まかせとき」心の中では饒舌、口では会釈。
宿舎の自室。机の片側には薄板と地図、もう片側に弁当。
「いただきます——明日が楽しみや」
唐揚げ一個目でにやける。二個目で確信する。(幸せは揚げ物の衣に宿る)
食べながら地図に目を走らせ、凡例カードを指でなぞる。▶、∥、×。
(明日は“渡す日”。僕の線を、皆の線に合流させる。……楽しみで、腹の虫が仕事増やしてるわ)
食後、刃を拭き、麻糸を巻き直し、機械式の時計を一度叩く。カチ、カチ。
「よっしゃ。寝る。明日は喉固まっても紙が喋る」
布団に潜って三十秒で落ちる。夢の中でも導線を引いてた。起きたら笑った。(働き者の脳みそやな)
* * *
翌朝。
目覚ましより早く目が開いた。空気が軽い。
「スッキリ。勝ったなこれは」
顔を洗って外套を羽織り、まとめた資料を袋に詰める。
薄板/地図/導線凡例カードの小分けセットを十束。
(“見つからんまま見つける”のが僕の仕事。——今日は“見える場所に残す”のがもうひとつの仕事や)
局へ入る。ブリーフィングルームは第一会議室。
扉を開けると、もう小野寺さんがいた。書類の山、木札、朱肉。視線は伏せたまま、口元だけ笑う。
「——おはよう、凪くん。早いね」
(出た、この一言で喉の鍵が外れる魔法)
「……お、おはようございます。えっと、資料、持ってきました」
「二番乗りだよ。トップは私。ふふ、同着ってことにしよっか」
軽い。良い。心が転がって前へ進む。
彼女は部屋を見渡し、指でスッと示す。
「この席、目立ちにくいよ。柱の影で視線が抜けるし、前のスピーカーから少し外れてる。音は届く、視線は届きにくい。凪くん向けの“隠密席”」
「……助かります」
(まじで助かる。命の席や)
勧められた椅子に腰を下ろし、資料を机に広げる。
「配布は開始直前に私がやるね。凪くんはそのまま座ってて。質問が来たら“ここ”——」
視線は外したまま、机の右上を指でトントン。「凡例カードね。口が詰まったらカード指差しでOK」
「……了解、です」
(カードが喋る。僕が詰まっても、紙が繋いでくれる。最強の相棒や)
彼女は水の入った紙コップを僕の席に置いてくれた。
「喉、乾くから。あ、今日はちょっとフランクに行くからね。固いのは詰まるでしょ」
「ありがと。や、ほんま、助かります」
「いいのいいの。味方だもの」
短い言葉が胸の中心に刺さって、じわっと温かく広がる。(うわ、やば……泣きそうなのを唐揚げのせいにしたい)
「開始は定刻の五分前に扉閉めて、私の合図で全体サマリ。凪くんの“導線パート”は前半の七分。しゃべる量はカード一枚分でいい。無理しない」
「はい。カード、一枚。……一枚で世界動いたら最高やな」
「動かすよ。動かすために座組作ったから」
さらっと言う。強い。僕の心が勝手に立ち上がる。
(いける。いけるいける。僕の線、今日ここで皆の線と結節になる)
扉の外が少しずつ騒がしくなる。木靴の音、旗の布擦れ、笑い声。
僕は深呼吸、カードの一枚目を親指で弾く。
「——よし。今日は渡す。明後日は終わらせる。行くで」
小野寺さんが、視線を伏せたまま親指を小さく立てた。
「その調子。二番乗りの英雄さん」
「……やめて、恥ずかしい」
「じゃ、英雄(ひと)見知りの凪くんってことで」
「それはそれで刺さるわ」
二人で小さく笑う。声はちいさく、気持ちはおっきく。
間もなく、会議室の時計がカチ、カチと一つ進む。
僕は“隠密席”で姿勢を正し、紙の角を揃えた。
(さぁ、ブリーフィング。線を見せる番や)
開始二分前。
人の気配が波みたいに押し寄せ、ブリーフィングルームの空気が一段あがった。
扉が開くたび、装備の金具がちりと鳴る。重装の前衛——肩当ては擦り傷だらけ、背の槍は実戦で角が丸い。「おう」「任せろ」の声が低く沈む。
そのすぐ後ろ、年季の入った弓袋を肩にかけた渋いおじさんが入ってきた。灰の混じる髭、静かな目。弓柄の手入れ跡が、長い時間を物語ってる。
そして——例の騒がしい女魔法使いが、扉を押し広げるみたいに登場。
鳶色のお団子が連なったポニーテールがぴょこぴょこ揺れて、ぱっちり目と闊達そうな口元が一緒に弾む。可愛い顔立ちやのに、なぜか可愛いで済まない圧がある。
「おっはよ——戦闘支援、鳶色班、参加するじゃン! 詠唱短縮は二列展開に対応するじゃン! 火力は任せろじゃン!おじさんいっぱいじゃン!」
離れてても刺さる声。会議室の壁が一瞬だけ明るく見える。
「……今日も元気だな」「うるさいの来たぞ」
「でも火力は助かるんだよな」小声がそこかしこ。
(ほんま、元気やなぁ。ホールが二割うるさ……いや、明るなった気ぃする)
前方で小野寺さんが手を上げ、進行の木札を立てる。
「——時間です。では始めます。隣町・廃ビル群、地下巣殲滅の全体ブリーフィング。配布資料は手元に。凡例カード〈▶/∥/×〉は統一です」
紙の擦れる音。僕は“隠密席”でカードを指に挟み、喉を軽く湿らす。
「先行隠密/導線確保は加賀谷凪。現地の線はこの人が引きます。見落としのない線です、信じてください」
小野寺さんの“目を合わせない紹介”。喉の鍵がするりと外れる。
重装の前衛(顎に古傷)が、うなずいて短く言う。
「俺ら第二世代(ジョブ恩恵のみ)でやってきたが、先導は第三世代か。文句はねぇ。読むだけだ」
隣の斧持ちも続ける。
「扱いづらいほど効く——第三世代はそういうもんだろ。リーダーの号令に従う」
(……助かる言い方や。前提で信じてくれるの、ほんまありがたい)
「……凡例、これ。〈▶=投入口/∥=冷却帯/×=脆弱〉。導線はA→B……」
カード一枚分だけ、指差しで要点。
前衛の一人が「了解」と拳を握る。別の一人が「∥の上、足音落として進む」と復唱。
騒がしい魔法使い——音在 奏子(おとざい・そうこ)が、即座に被せる。
「▶に合わせて熱量制御するじゃン! ∥の上は熱流逃がしが効くじゃン! バフ、神殿と同期するじゃン!」
隣の前衛が苦笑。「声のボリュームだけ下げろ」
「了解じゃン(たぶん下がってない)」
進行が一段落したところで、小野寺さんが言う。
「現場リーダーは、総経験値から**榛名 弦一(はるな・げんいち)**さん。弓のベテランです」
渋いおじさんが一歩前へ。
「現場リーダー、榛名だ。最後のYes/Noは俺が出す。——加賀谷、目は合わせなくていい。紙だけ置け」
視線がまっすぐ来る……来る直前に、彼はほんのわずかに目線をずらした。
(……見とる。わかってくれてる)
「……すんません。僕、視線、ちょい苦手で。紙、最速で出します」
「第三世代だろ? そういうこともある。気にすんな。
お前は“見る”と“線を引く”をやれ。俺は“読む”と“射る”をやる。——分業だ」
榛名さんは、手帳の端を指先でトントンと二回叩いた。
「『了解』は二叩き。『再確認』は一叩き長押し。声が出ない時はそれで十分だ。
紙は“ここ”に置け」胸の前、矢筒の帯の上、固定のポケット。
「俺が拾う。責任は俺が持つ」
短く、乾いた言葉。胸の奥が、ぐっと熱くなる。
「……助かります。僕、線、太うします」
「細くていい。俺が太くする」
さらっと言い切って、弓の弦をきゅと鳴らす。会議室が一瞬、静まった。
(第三世代の“扱いづらさ=強さ”。ちゃんとわかってる顔や)
そこへ割り込むように、奏子がずいっと前へ。
「つまり、導線→前衛→魔術→神殿→工兵の順で波にするじゃン! 私、前詰めで詠唱短縮三発までは無詠唱で回すじゃン! 合図、白赤黒、了解じゃン!」
「だから声——」
「了解じゃン(やっぱり下がってない)」
笑いが起きる。前衛の誰かが「元気なのはいい」と肩を竦め、神殿の若い僧が「声に護符でも貼ります?」と冗談を言って、また笑い。「でも頼むぞ火力」
「任せるじゃン!第三世代の中でもトップクラスの火力じゃン!」
小野寺さんが掌を軽く上げ、笑いを収める。
「では確認。作戦は明後日・夜明け前。明日は各班で最終合わせ。導線の一次配置は凪くん、補助に前衛二。現場の微調整は榛名さん判断。——質問は?」
重装の顎傷が手を挙げる。
「先行隠密の“紙”が来るまでの押さえ、盾幅は?」
「一人分。口を細く。∥の上で足音を落とし、▶を開ける」と榛名。
「了解。指示があれば、突っ込んでスリラーどもを殲滅してやらぁ」
音在がすかさず被せる。
「白が立ったらドンドン乗せるじゃン。赤の直前で火力上げて工兵には一歩も近づかせないじゃン、封材の硬化を加速するじゃン。神殿の清めと同期するから印を二回——」
「声」
「了解じゃン(やっぱり下がってない)」
斧持ちが振り向き、僕に顎をしゃくる。
「おい“線屋”。視線が無理なら俺の背中だけ見とけ。背中は誰にも刺されねぇ。紙は俺の腰に差せ」
「……おおきに」
(“背中だけ見ろ”は優しい言い方や。前に立ってくれるってことやから)
僕は“隠密席”でカードを整えながら、心の中で呟く。
(これや。紙で繋がる。僕は線、榛名さんが太らせる。奏子さんが火力で面にして、神殿が蓋をする。
“見られへん”僕でも、届く)
会議の締め。全体が立ち上がり、榛名さんが短く言う。
「各自、やることだけやれ。余計な見栄は捨てろ。恐怖は消えない、だが薄くできる」
音在が杖をくるっと回して、満面。
「じゃ、現地で線を“太く”するじゃン!」
うるさい。——けど、心強い。
第二世代の地力、第三世代の“癖”、それを知ってる隊。
僕の細い線が、ほんまに太なる)
その言葉に、小野寺さんが小さく頷き、僕の机の端をコツと指で叩いた。
「行こうね、“英雄(ひと)見知り”くん」
「……やめて」
「ふふ、頼りにしてる」
扉が開き、人の波が再び流れ出す。
奏子は最後まで元気だ。「じゃ、合流は現地でよろしくじゃン!」
「うるせぇ」「でも頼む」と背中に半笑いが飛ぶ。
僕は資料を束ね、カード一枚だけ胸ポケットに残す。
(視線はまだ怖い。けど——味方が見える。
明後日、終わらせに行く。見つからんまま、見せて、残して、封じる
—この隊なら、できる)
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