ブリーフィングが終わって、人の波が引いた廊下は一気に静かになった。
壁の機械式時計がカチ、カチ。紙の匂いがまだ空気に残ってる。
(……小野寺さん、やっぱ只者やないよな)
受付のはずやのに、殲滅依頼を束ねて、班の割り振りまで最短で回す。ベテランとも“普通に”話しが通ってる。
(受付って、あんなんが“普通”なんか? いや、局の心臓や。ほんまはあの人みたいなんが“要”なんやろ)
そんなことをぼーっと考えて歩いとったら、横から低い声が落ちた。
「……紙は、足りてるか」
反射で肩が跳ねる。けど、すぐわかる。榛名さんや。
彼は壁の掲示を眺めたまま、僕のほうを見ない。声の調子は独り言みたいに淡々としてる。
「明後日の風は、夜明け前は南が軽い。導線を出すなら“口”は北寄りだ。……で、加賀谷。そこにいるな」
「……はい」
(この人、優しい。目ぇ合わせんでええ話し方、最初から選んでくれてる)
「確認だけだ。各員の能力は把握しときたい。
お前の“できること”——何が、どこまでだ」
喉の輪が、するりと緩む。
「僕は……見えん。……いや、“見えへんようにできる”。影の濃さで二段、三段、薄くなる。目の前でも、ほぼ気づかれへん」
「移動は?」
「足音ゼロ。目地だけ踏んで、段鼻は外す。十数秒で一体まで“落とせる”。連続は三が安全圏。四は運が要る」
「視られたら?」
「止まってまう。けど、紙で繋げるなら動ける。二叩き(了解)、長押し(再確認)で、問題ないで」
榛名さんは「ふむ」とだけ言って、相変わらず掲示を見ている。
指先がトン、トンと手帳を二回叩いた——了解の合図、たぶん“練習”で。
「お前のそれ、影潜りだな」
「……え?」
胸の奥で、小さく火が点く音がした。
「影に潜って前へ出る。線を引いて、また潜る。記録にもそう書く。——影潜り(かげもぐり)」
言い切って、弓の弦をきゅと鳴らす。
「当日は“俺の視界の縁”にいろ。俺はお前を見ない。線だけ拾う。
前衛が“背中”を出す。お前はそこへ紙を差せ。喉が凍ったら二叩きで十分だ」
「……はい。影潜り、やります」
(名前、ついた。名前がついたら、認められたみたいや。ベテランの救済者に。へへ……顔、緩むの止まらん)
榛名さんは、気づいてるのかいないのか、相変わらず掲示へ目を向けたまま続ける。
「徘徊型は先導一歩で切り崩す。巣では総力戦だ。
お前は“入口”を見つけろ。口を開けたら、あとは俺が太くする。音在が面にする。神殿が蓋をする。工兵が締める」
「……はい」
「英気を養っとけ。細い線を明後日まで磨け」
それだけ言って、彼は踵を返した。
去り際、矢筒の帯のポケットを指でトンと叩いてみせる。——“ここに置け”の合図。
僕はしばらく、その場でニヤけ顔を外套の襟で隠してた。
(影潜り。ええやん。ええやん! 認めてもろた! ニッコニコや!)
「明後日、潜って、見せて、残して、封じる。
——僕の影潜りで、線を通す」
「頼れるもんは頼る。僕は僕で強うなる。——やったるで」
英気を養う、っちゅうわけで——
その足で食堂へ
食堂街は、いつもみたいに湯気で白んでた。
鉄鍋のじゅうって音、味噌だしのふつふつ、木杓子が器に当たるこんという軽い響き。レジはアナログのガチャン、黒板メニューには白チョークの粉がうっすら舞ってる。
「本日の日替わり〜、鯖味噌コロッケ! 揚げ立て行くじゃン!」
「唐揚げは追加で二連いけるじゃン! 炭水化物は正義じゃン!」
(……出た。止まらん。よう喋るなぁ……)
声は通るし滑舌もええ。しかも途切れへん。音在 奏子、相変わらずの存在感や。
(見たら固まる。見ぃひん。僕は注文して、受け取って、帰る。それだけ)
カウンター前の列に紛れて、目線はひたすら床の目地。
「唐揚げ弁当、コロッケ追加で」
「はいよ、若いの」
(唐揚げ弁当、コロッケ追加。勝つ&転がす。完璧や)
紙袋に油の輪が薄く広がっていく匂い。重みは、今日の分の英気の重量。
(よし、受け取った。帰る。視線は下、足は早め、呼吸は浅め——)
「任務よろしくじゃン!」
真横から手がにゅっと伸びてきた。鳶色の団子ポニテが視界の端でぴょこぴょこ。
反射で心臓がドクンと鳴った。
「——っ、み、見るな」
小声が勝手に落ちる。喉が固まる前、ぎりぎりの声帯。
伸びていた手が空中でぴたりと止まり、すっと角度が変わった。
油の匂いと湯気の向こうで、彼女のキレイな、でも不安げな横顔だけが輪郭線みたいに揺れていた——。
「ごめんじゃン」
即、半身を横へ向け、視線を天井の配管に逃がす。
片手で自分の目元を軽く隠しながら、声だけ落としてきた。
「正面はやめとくじゃン。距離もこれくらいで平気じゃン?」
(……助かる。めっちゃ気ぃ遣ってくれるやん)
「さっきのは悪い。僕、視線、刺さると喉が凍るんや。癖みたいなもんで……ごめん」
「了解じゃン。じゃ、壁見ながら話すモード入るじゃン。声も二割下げるじゃン……(これくらい?)」
「もう一割」
「了解じゃン(どう?」
「ええ感じ」
音在は壁を見たまま、にやっとした気配を滲ませる。
「改めて。音在 奏子。第三世代。うるさい魔法担当じゃン」
「加賀谷 凪。……“影潜り”、やってる。見えへんまま近づいて、線引いて、戻す」
「影潜り——最高にカッコいいじゃン! じゃ、現場では凪くんを影って呼ぶじゃン。私は音。影と音、相性いい感じするじゃン」
思わず、口の端が上がる。
「……悪うない」
「弁明あるなら、今のうち言っとくじゃン?」
「弁明ってほどでもないけど……僕、見られると固まる。けど紙があれば饒舌や。カード渡せば、たぶん百倍喋る。あと、声は小さめやけど……」
「聞こえてるじゃン。じゃ、私からも弁明。——私、黙るの怖いの。静かになると心臓が暴れる。だから喋る。じゃンはお守り。でも、音量は合わせるじゃン」
(なるほど……“喋る”が彼女の恐怖の薄め方なんや)
「じゃあ、お互い様やな。僕は見られへんぶん、紙で。奏子さんは喋るぶん、小声で。落ち合う場所は線の上」
「了解じゃン。運用提案:
① 凪くん→凡例ミニカードを私の杖の皮バンドに差す
② 私→二回指トントンで“了解”、一回長押しで“再確認”
③ 視線は配管か床目地を見る(目は合わせない)
④ 緊急時は『じゃんっ』って小さく言う(合図)」
「④はちょいおもろいけど、覚えやすいな。ほな採用」
「やったじゃン!」
音在は横向きのまま、そっと手を差し出した——目は伏せたまま。
「握手はどうする? 目、閉じるじゃン?」
僕も紙袋を片手に持ち替えて、指先だけ軽く触れる。
手のひら、柔らかくてあったかい。
「……よろしく、奏子さん」
「よろしくじゃン、影」
彼女は一歩だけ下がり、杖のバンドをぺしっと叩いた。
「ここにカード。ここに火力。ここに合図。——当日、線を太くするじゃン」
「僕は細う引く。細いけどしっかりや。後は任せた」
「任されたじゃン」
音在はそのまま横向きで小走りに去り、角で誰かに「声」と言われて「了解じゃン(下がってない)」と大声で返していた。……たぶん、すぐ慣れる。
紙袋を抱え直して、胸の奥がじんわり温かい。
(味方、もう一人)
足取りはさらに軽くなる。宿舎までの廊下、床の目地が音符みたいに並んで見えた。
「明後日、影と音で行こか。見つからんまま、聞こえるように」
独り言は、湯気みたいにやわらかく溶けた。
宿舎の部屋に戻る。扉を閉めると、外のざわめきがふっと遠のいた。
机の上に紙袋。湯気はもう薄い。油の匂いだけが、まだちょっと元気や。
「……いただきます。ちょい冷め、うん、冷めコロッケも悪うないな。衣がきゅって鳴る感じ、ええやん」
唐揚げを一個。
「おお……冷めても勝つ。お前は強い。ほな二個目——勝ち越しやで」
もぐもぐしながら、壁の機械式時計のカチ、カチを聞く。
「小野寺さん、榛名さん、奏子さん。……名前並べるだけで喉ゆるむって、どないやねん僕。
せやけど、ほんま運気、上向いとる気ぃする。矢場班から追い出……いや、抜けてからやな」
コロッケにソースをちょん。
「矢場班のことはもうええ。手柄だけ持ってく人らは、勝手に持って行き。僕は線持ってく。
『影潜り』、名前もらった。名は力や。これで一本、背骨通った感じあるわ」
ご飯を口に押し込む。
「奏子さんの“じゃン”、あれ護符やな。喋り続けるのが彼女の恐怖の薄め方。
僕は逆で、見られへんのが薄め方。ええねん、真逆で。
影と音。……漫才かな? 僕がボケる前に奏子さんが全部ツッコんでくれそうやけど」
唐揚げラスト一個を持ち上げて、ちょっと考える。
「榛名さん……“細くていい。太くするのは現場だ”。あれ、ずるいな。惚れてまうセリフや。
僕、明後日、絶対太うなる線引くわ。紙で世界動かす係、ちゃんとやる」
味噌汁代わりの麦湯をすすって、ふー。
「はぁ……生き返る。冷め弁でも英気は入る。入る、入る。はい三回言うて確定。
——よし、気入れ直し!」
椅子から半分立ち上がって、手を叩く。
「作戦前の段取り確認タイム! えー、まず明日。
午前中は休む。寝坊してええ。喉と足を温存。
昼、軽うに体起こして、短剣の刃を紙一枚通るくらいに整える。針の返しをほんの少し落とす。
麻糸は新しい束を半分だけ巻き直し。巻きすぎると音が増えるから半分。
凡例カード、ミニ版を十枚。奏子さんの杖バンド用は角丸めとこ。刺さったら痛いしな。
で、午後から隣町へ移動。下見は『口』の周りだけ。中は入らん。今日はもう入らん。
夕方までに戻る。飯食って、風呂入って、早寝。夜更かし禁止。以上!」
自分に指差し確認。
「復唱! 午前は寝る! 午後は移動! 中は入らん! 夕方戻る! はい僕えらい!」
紙袋の底を折り畳んで、ごみ袋へ。
「……しかし、ほんま、こっからやな。
“行方不明、外に出した”——よし。次は“徘徊型、片付ける”。
その次に“巣、封じる”。
段取り、波の順、全部頭ん中でもう一回——」
指を折る。
「一、影潜りで“白”。
二、前衛が口を細くして処理。
三、複数やったら奏子さんが熱を置く。
四、神殿が蓋。
五、工兵と神殿で通った道を清める。
——徘徊型お掃除完了。
ラスト、地下の巣。ここで総力戦。
僕は“入口”と“鍵穴”だけでええ。あとは、任せる。任せて、太い線にしてもらう」
枕元の薄板を引き寄せ、短いメモを走り書きする。
「《明日やること:寝る/整える/巻く/切る/丸める/移動/戻る》……うむ、完璧」
ふ、と笑う。
「矢場班に外へ押し出されへんかったら、この道、見えんかったんかもな。
結果オーライ。ありがとうな、追い風。僕、のるで。のって、潜るで」
机の上を片づけ、外套を椅子に掛ける。
機械式の時計がカチ、カチ、心音みたいに揃ってきた。
「明日はゆっくりする。
“ゆっくり”も任務のうち。——ええか凪、急いだら線は歪む。
薄う、真っ直ぐ。それが僕の美学や」
布団に潜り込み、天井を見上げる。
「小野寺さん、明日も頼る。榛名さん、背中見とく。奏子さん、じゃンは小声な。
僕は紙で喋る。影で走る。それでええ」
目を閉じる前に、もうひと言。
「——明後日、勝つ。勝って、封じて、残す。にひひ……ほな寝よか」
部屋が静かになった。
“影潜り”の線だけが、目には見えへんけど、確かに明日の地図へ伸びていった。
作者のモチベーションに大きな影響を与えます。
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読んでくれてありがとうございます。
感想とか読みづらい箇所があれば教えてください。