暗い講義室の壁一面に、古い映像が流れていた。
カチカチと古いプロジェクターの切り替わる音がやけに響く。
スクリーンに現れたのは、六十年前の記録だ。
空から黒い影が降り注ぐ。塔のように天を突き、山のように盛り上がり、あるいは骸骨の巨人の形を取った。
人々は逃げ惑い、街は崩れ、文明は音を立てて崩れていった。
無機質なナレーションが続く。
——“恐怖”と呼ばれる現象が世界を覆った。
——人類は衰退の一途を辿った。
僕は机の上に手を組んで、その声をただ聞いていた。
表情を動かすことはない。周りに誰かがいるから。
けれど、心の中ではずっとざわめいている。
(ああ……またこの映像や。何度も繰り返し見せられてきたけど、慣れることなんかないな)
僕は十八歳。救済者候補として訓練を受けている。
今は新入局員全員がそろっての「歴史講義」の時間だった。
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映像の中に、一人の男が現れる。
長い剣を掲げ、仲間を率いて黒い巨人に挑む。
ナレーションが抑揚を強めた。
——そのとき、一人の“勇者”が現れた。
場内がわずかにざわついた。
やはり第一世代の勇者は今でも特別や。
生徒たちは食い入るように画面を見つめ、誰かは憧れの眼差しを浮かべていた。
僕も——子供の頃はそうやった。
孤児院の硬いベッドの上で、勇者の伝記を擦り切れるまで読んだ。
ページの隅がちぎれてても気にしなかった。
両親を奪った“恐怖”を倒せる唯一の存在、それが勇者やったから。
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勇者は戦いの末、動くタイプの恐怖を討伐し、人類をかろうじて生き延びさせた。
けれど塔や山、建造物となった恐怖“スリラー”は残ったままだ。
「はいはい、お決まりの流れやな」
僕は口の中で小さくつぶやいた。
声に出しても、幸い誰も聞いていない。
僕に向けられる視線がなければ、喉は少しだけ動く。
画面は切り替わり、勇者の仲間が神殿を築く姿を映し出す。
石の柱が立ち並び、人々がそこに列を成す。
ナレーションが続く。
——神殿により、人々は“職業”を得た。
——戦士、僧侶、魔法使い……人々は再び戦う力を取り戻した。
これが第二世代。
「そうそう、ここ大事なんよな。職業システムのおかげで人類は絶滅せんかった。……まあ、僕が一番憧れたんは“魔物使い”やったけどな」
僕は心の中で笑う。
孤児院の子供たちの遊びは、いつも“救済者ごっこ”やった。
木の枝を剣にして、布切れをマントにして。
僕は決まって勇者役をやりたかったけど、視線が怖くて名乗り出られんかった。
だから、みんなの輪の外で「魔物使い役」をやって、空き地に転がった石ころを「僕の仲間」って言い張ってた。
(今考えたら、ほんま笑えるな。……けどあれが、僕の始まりやったんや)
スクリーンの光をぼんやり見つめていると、不意に幼い日の風景が胸の奥から浮かび上がってきた。
あの頃の僕は、まだ背も小さくて、声も今よりさらに細かった。
孤児院の石造りの壁に囲まれた中庭。いつもそこでは子供たちが「救済者ごっこ」をしていた。
木の枝を剣にして、勇者役が敵を斬り伏せる。
古びた毛布を羽織って魔法使いが呪文を唱える。
僧侶役が転んだ子の手を取って、「回復!」と叫んで笑い合う。
笑い声が響く輪の外で、僕はいつも一歩下がって立っていた。
「加賀谷、お前もやれよ」
誰かにそう声をかけられても、喉が詰まって声が出なかった。
勇者役をやりたい——そう思っても、みんなの視線がこちらに向いた瞬間、胸の奥が氷で固められたみたいに動けなくなった。
「……や、やめとく」
蚊の鳴くような声を振り絞ると、子供たちはすぐに興味を失って、また遊びに戻っていった。
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仕方なく、僕は別の遊びを考えた。
石ころを拾って「こいつは僕の魔物や」と名前をつける。
ひとりで石を並べて、「ほら、僕の仲間が増えたやろ」と心の中で誇らしげになっていた。
当然、他の子供たちからは笑われた。
「なにやってんだよ、石ころにしゃべりかけて!」
「気持ち悪い!」
でも、その石ころ遊びは僕にとって救いだった。
声を出さなくてもいい。視線を浴びなくてもいい。
ひとりで、心の中だけで勇者になれる。
(……今思えば、あれが“隠れる核”との縁やったんかもしれんな)
孤児院では夜になると必ず寝物語があった。
院長先生が勇者の伝記を読み聞かせてくれた。
灯りの下で聞くその話は、子供たちの心を奮い立たせる。
「勇者は仲間を守り、恐怖に立ち向かった」
「勇者は世界を救った」
みんなが目を輝かせて聞いていた。
でも僕だけは、掛け布団の中で小さく拳を握っていた。
(僕かて……ほんまは勇者みたいになりたいんや)
(けど、みんなの前に立った瞬間に体が固まる。視線が怖くて、何も言えなくなる)
その矛盾が、幼い僕をずっと締めつけていた。
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スクリーンの中で、神殿の発展が描かれていく。
やがて時代が進み、白衣の研究者が黒い結晶を掲げる場面に切り替わった。
ナレーションが声を低める。
——二十年前、救済局の研究班は“スリラーの核”に着目した。
——これを人に移植することで、新たな救済者が誕生する。
「はい出ました。僕ら第三世代のご紹介やな」
同期の何人かが身を乗り出して映像を見ている。
僕も目を逸らせずにいた。
画面に映った黒い結晶は、どこか冷たい輝きを放っていた。
(あのとき、手術室の光は眩しかった。けど……思い出すのはそれよりも、全身を走った寒気や)
僕は小さく息を吐いた。
核は僕の体に根を張った。
適合率は最高。医師たちは口々に「奇跡だ」と言った。
けれど宿ったのは、よりにもよって“隠れる”性質のスリラーの核やった。
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「恐怖を克服しろ」
講義室の壇上で、教官がそう告げた。
スクリーンが消え、蛍光灯の白が眩しい。
「救済者は、自らの“恐怖”を制御し、それを武器に変える者である」
僕は視線を落とす。
“僕の恐怖”は——人に見られること。
視線が突き刺さると、声も出んし、体も固まる。
けど、スリラーの核はそんな僕を嗤うように、完璧に馴染んだ。
気配を消し、隠れ、存在を薄める。
僕の弱さそのものが、核と嚙み合ってしまったんや。
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訓練施設の映像講義が終わり、部屋の灯りが戻る。
ざわつく新人救済者たちの中で、僕はひとり机に突っ伏したまま目を閉じていた。
孤児院の記憶が胸を掴んで離さない。
勇者ごっこに混ざれず、石ころに話しかけていた自分。
爪痕を見つけて震えていたあの日。
(……何も変わってへんやん、僕)
(今もこうして、みんなから浮いて。独りで痕跡を探して……)
そう自嘲した時、耳に飛び込んできた会話に思わず目を開けた。
「おい聞いたか? 昨日、北区の廃屋で子供が行方不明になったらしい」
「またかよ。どうせ野犬に襲われたんだろ」
「いや、血痕が残ってたって話だぜ。……赤ん坊くらいの血痕だって」
心臓がひとつ、跳ねた。
赤ん坊。血痕。
あの任務で、僕が見つけた痕跡と同じ。
床の影にこびりついていた、小さな血の跡。
報告書には書けなかった“違和感”。
(やっぱりや……あれはただの残骸やなかった)
背筋に冷たいものが走る。
班長も仲間も笑って取り合わなかったが、僕にはわかる。
スリラーはまだあの街に潜んでいる。
しかも——“子供”を狙っている。
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「加賀谷」
名前を呼ばれ、反射的に肩が跳ねた。
振り返ると班長が腕を組んで睨んでいる。
「お前、今日のシフト確認しとけ。……ま、どうせ役には立たねえだろうがな」
皮肉混じりの声。周囲の新人たちが笑う。
僕はうつむいて何も言えなかった。
でも、心の中では叫んでいた。
(立たへんて? ふざけんな……! 命かかってんねんぞ!)
(僕ひとりでも、見逃さん。絶対に……!)
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その夜。
寮の屋根の上で、僕はノートを開いてペンを走らせていた。
表紙には拙い字で「観察記録」と書いてある。
1話で拾った痕跡——爪痕の形、血痕の広がり、粉塵の散り方。
僕だけが知る“異常の証拠”を、すべて書き留めていく。
月明かりに照らされたページの上で、文字が積み重なる。
「恐怖は消えへん。
けど、残す痕跡は嘘をつかん。
僕はそれを拾う」
書き終えると、ふっと笑いが漏れた。
屋根の上なら誰の視線もない。
だから僕は、饒舌になれる。
「子供を狙うスリラー、か……おもろいやん。
どうせみんな気づかん。ほな、僕が暴いたる。
僕だけの戦いや」
夜風が吹いて、ノートのページがひらりとめくれる。
やがてその記録は、後に“事件の始まり”を告げる唯一の証拠となるのだが——
この時の僕はまだ、知る由もなかった