仮設テントの前は、引っ越しの朝みたいな騒がしさだった。
工兵がロープを外して白布を畳み、砂袋を担ぎ、杭を一本ずつ抜いていく。鍋は空。ランタンの火は指先みたいに小さくなって、風にふっと消えた。
「撤収、三十分。各員、水分と甘いもん取れー」
手旗がひらひら。僕は紙コップの甘いお茶を啜る。喉に残ってた氷の感じが、少しずつほどけていく。
「よう、影」
背中ごし。視線は外したまま、鎧塚さんが腰を下ろした。盾はもう背中に回してある。
「……お疲れさまです」
「おう。よくやった。——でだ」
鎧塚さんは、ちょいと頭をかいた。
「俺の班じゃなくてもいい。けどよ、“俺の子どもの班員”になること、考えといてくれや」
「え」
(子ども、の、班員……? どゆこと?)
「三人おってな。全員、救済者だ。上の二人はもう何年かやってるから良いんだが。……下の子が今年からでな。まだ新入りだ。職業も核も、まだなんだよ」
言いながら、彼は空を見て笑う。
「昔から“父さんみたいになる”って聞かなくてよ。止めても効かねぇ。ほら、似てるだろ? 前に出たがるところだけは」
僕は思わず笑ってもうた。
「……似てはります。前に壁を作る人、ですね」
「そうだ。俺に似てでかいし愛嬌もあるぞ。でだ、後輩を見るのも仕事のうちだ。見かけたら声かけてやってくれ。背中の見方、紙の差し方——お前が教えられることも山ほどあるだろ」
(……僕が、誰かに“紙の道”を渡す側? うわ。胸がちょっと熱い)
「僕でよければ。目、合わさんでも喋れる方法なら、なんぼでも」
「それでいいさ。声と気持ちだけ届けば十分だ」
鎧塚さんは、隊の名札を指でとんと叩いた。
「いまは新人の寄せ集めだ。時間をかけて形にする。お前が先導してくれると、きっと太くなる。……俺の班じゃなくてもいい。俺の子どもの班で、背中を貸してやってくれ」
「……考えます。いや、前向きに。会ったら、声かけます。」
「それで十分だ」
彼は立ち上がり、少しだけ肩を回す。
「縁はな、段取りと同じだ。無理に作らねぇ。でも逃すなよ。見えねぇようでどこにでも転がってやがる」
「はい」
(縁。……僕にも、繋がる線ができ始めてるんや)
鎧塚さんとの話がひと段落したところで、横から勢いだけで出来た生き物みたいな声が飛び込んでくる。
「——お、なんの話? 若者勧誘じゃン?」
奏子が小声で横から滑り込み、目をきらきら。
「はいはーい! 私の班もいつでも待ってるじゃン!」
奏子、満面。走ってきて、止まらない。
「うちの班、まだ二級は私だけじゃン! 班員、私入れて三人しかいないじゃン! 入るしかないじゃン!」
「……息継ぎしろよ」鎧塚さんが苦笑い。
「その辺にしとけ、騒音」
「小声じゃン(今、三割)」
奏子は僕の目の横をうまく外しながら、指をぴっ。
「決めるのは凪じゃン! 私、可愛いし、強いじゃン! 入り得じゃン! 待ってるじゃン!」
言い切るやいなや、「じゃ、つづきは帰ってからじゃン!」と自分の班員のところへ騒ぎながら走っていく。手をぶんぶん、杖もぶんぶん。
(……確かに、可愛いは可愛いけど)
(聞こえの良い正論で押し切る圧よ。あれ、嫌いやない)
榛名さんは僕らの斜め後ろを見ないまま通り過ぎ、手旗の合図に目だけをやった。
「出発十五分前。荷を軽く。報告は俺と工兵隊長で上げる。——凪、あとで紙を一枚、小野寺さん宛に。封鎖の凡例、お前の書式でいい」
「了解」
工兵の「撤収完了!」の声。
ランタンは箱に収まり、白布は束になって担がれていく。
僕は外套の裾を払って立ち上がった。
(次、会えるやろか。鎧塚さんの“下の子”。
紙の差し方、背中の見方、影の歩き方。
——渡せるで。今の僕なら)
遠くから奏子の声が聞こえる。
「じゃ、決まりじゃン。帰ったら甘いもの食べに行くじゃン。勝利糖分じゃン」
「あいつはほんとに騒子だな……」鎧塚さんが苦笑して、でも楽しそうに肩をすくめる。
「……わかります。でも楽しそうでこっちまで明るくなります」
「そうだな」
彼はわざと別の方向を見て、親指だけ立てた。
「さ、帰るぞ」榛名の合図。
「おう」「了解じゃン!」
僕は短剣の重さを確かめて、隊の列に入った。
背中のほうから、鎧塚さんの低い笑いがついてくる。
帰路の風は冷たい。けれど、不思議と軽い。
僕の中で、一本新しい線が、静かに結ばれた。
足取りは軽い。帰路の先、窓口の笑顔まで、ちゃんと見える。
夕方。
空が茜から群青へ変わるころ、俺たちは全員そろって局の門をくぐった。装備の金具がちり、と鳴るたびに「帰ってきた」って実感が腹の奥に落ちる。
「ここからは班長だけでいい。他は解散、休め」
榛名さんが短く告げる。
「了解!」
前衛も神殿も工兵も、それぞれの荷を肩に、三々五々に散っていく。
残ったのは——榛名さん、鎧塚さん、前衛の剣士の班長、神殿班長、工兵班長、奏子、そして僕。
受付へ向かう通路は、いつもより静かやのに、心臓の音だけやたら元気や。
窓口には小野寺さんが、にこやかに立っていた。いつもの薄い眼鏡、整った髪。
まっすぐ目は合わさず、それでもちゃんとこちらを迎える角度の笑み。
(……うわ、帰ってきたって笑顔や。暖か。いやいや、惚れたとかやない。ちゃうちゃう。これは窓口の光や)
「おかえりなさい。まずは全員のご無事に。お疲れ様でした。」
声の高さが刺さらない高さ。ありがたい。
榛名さんが一歩進み、代表で書類を差し出した。
「隣町廃ビル群・地下巣、封鎖完了。現場記録はこちら。核は各班で回収分を取りまとめ。明細、添付してます」
工兵班長が無言で封材使用量の表を置き、神殿班長が清め定着報告を添える。
鎧塚さんは核の袋を台にそっと置き、前衛班長と一緒に個数と階層を読み上げる。
奏子は……袋を抱えたまま小声でどや顔。
「魔法の使用回数と体感温度、メモあるじゃン」
「可視化はありがたいです」小野寺さんがくすと笑って受け取る。
「確認しますね。——はい、封鎖完了、核提出、清め定着、二次被害なし。大変お疲れさまでした」
さらさらとペンが走る。
「報酬は各班に等分で振り込みます。細かい按分は核の点数と現場作業の係数で、明朝までに精算部から確定連絡しますね」
「助かる」榛名さんがうなずく。
で、次の一枚をすっと重ねた。
「それと——加賀谷 凪の二級資格 推薦状。現場での先行隠密・導線確保、並びに核運用の有効性を認める。神殿面談もあわせて依頼する」
(……うわ、ほんまスマート……! タイミング完璧や)
小野寺さんは書面を受け取り、僕の顔の横を見ながら、穏やかに言う。
「凪くん。よくがんばりました。この推薦、優先で回します。神殿面談は最短で来週頭が空いていますが、無理ない日で調整しましょう」
僕は、喉が凍らんように一拍呼吸してから。
「……おおきに。紙、追加で凡例も添えます。導線図、ここに」
胸ポケットから縮刷カードを出して台へ置く。指が少し震えたけど、置けた。
「受け取りました。ここにサインだけ」
視線を外したまま差されるペン。
この人、ほんまプロや。息がしやすい。
「うちの若いのにも回してくれ」鎧塚さんが口を挟む。
「後輩指導の記録として、加賀谷の紙を——」
「はい、共有用に複写して回覧に載せます。名前は伏せの形でよろしいですか?」
「それがいい」榛名さん。
「じゃン! “影の導線”が全局に広まるじゃン!」奏子が小声でぴょん。
「小声」前衛班長。
「小声じゃン(がんばってる)」
小野寺さんが、最後に台帳をぱたんと閉じた。
「本当にお疲れさまでした。今日の分はこれで完了です。——甘いもの、おすすめは一階の売店ですよ。砂糖は、勝利の味ですから」
目は合わない。でも、笑顔が届く。
(……わかってる。なんでこの人の窓口やと、僕みたいなんでもきちんとした人でいられるんか、わかってきた)
「行くぞ。解散——各自、休め。また別の依頼で」
榛名さんが締めて、軽く二回机を叩く。
「了解」「了解じゃン!」
みんなが散り、受付前に僕と小野寺さんだけの斜めの空気が残る。
「……凪くん」
「はい」
「どんどん先に進んじゃうね。急ぎ過ぎて怪我とかしちゃだめだよ。」
「……おおきに」
短く返す。胸の奥が、あったかい。ほんま、惚れたとかやないけど——救われる笑顔や。
「じゃあ、砂糖いってらっしゃい」
「行ってきます」
振り返ると、廊下の向こうで奏子が手をぶんぶん。
「凪! 売店で勝利ドーナツ買うじゃン! 糖分じゃン!」
「お前、今日だけで何回騒子になった?」鎧塚さんが苦笑。
「一日一万騒じゃン!」
「やめろ」
笑い声が少しだけ転がって、夕方の局は穏やかに夜勤の空気へ変わっていく。
僕は胸ポケットの軽い紙の束を確かめて、歩き出した。
袋の口から砂糖の匂いがこぼれてる。僕はその袋を抱えたまま、ぴょこぴょこ鳶色の団子が揺れている。楽しげに先を行く奏子の後をついていく。局の中庭のベンチ、夕焼けの名残が芝生をオレンジに染めとる。
「ちょっとベンチで喋ろうじゃン?」
座るやいなや、奏子は僕の膝の上の袋からするりとドーナツを抜き取って、がぶり。
「甘いじゃン! 身体に効くじゃン! 勝利の糖分じゃン!」
(喋るなぁ……でも、こうやって一方的に話してくれるの、正直楽や)
「で、明日からどうするじゃン? うちの班は三日くらい休むじゃン」
「僕は……掲示板見て、依頼出てたら受ける、やなぁ」
「働きすぎじゃン! しっかり休まないと良い仕事できないじゃン!」
奏子、両手で丸いドーナツを強調しながら、むんっ。
「趣味とかないじゃン?」
「趣味……任務か、任務の準備」
「人生灰色じゃン!?」
椅子から半分浮いた。目はちゃんと僕の肩の横を見てくれてる。助かる。
「若い世代は“遊びも仕事”じゃン! 休むスキル、取るじゃン!人生は色づいてこそじゃン!虹色じゃン!」
「休むスキル……新しいな」
「あるじゃン。例えば——凪の影で“かくれんぼ”とか。遊び兼訓練じゃン! 私は“それ反則”するじゃン!」
「それ、僕が反則負けやないか」
「私の勝ちで最高の勝負じゃン! あとね、パン屋めぐり。今日のドーナツは合格だけど、二軒目いくじゃン?」
「もう甘いのは……」
「甘いのは正義じゃン。核も魔法も糖で回るじゃン(※個人の感想)」
くすっと笑ってもうた。喉、凍ってへん。
「それ以外にも——氷細工教えるじゃン。氷の鳩とか氷のドーナツとか。溶ける前に写真……は無理だからスケッチするじゃン」
「……電子機器は不安定やからなぁ」
「そうじゃン。だからアナログ! 神殿の鐘磨きのボランティアもいいじゃン。静かで人少ないじゃン。私は出禁だけど、凪は静かなとこ好きじゃン?」
「好き。人の少ない朝とか、夕方とか」
「なら決まりじゃン! 明日は昼まで寝て、午後は日陰を散歩、夕方に甘いもの二軒目、夜は星見るじゃン。完璧休暇プランじゃン!」
「いや、全部やったら休みちゃう気ぃするけど」
「休暇も任務じゃン。“回復任務”。はい、これ——サボる許可証」
奏子はドーナツの粉砂糖を僕の掌にぽすっとつける。
「スタンプ押したじゃン。今日から有効じゃン」
(ゆるい。けど、なんか嬉しい)
「……ほな、明日は休む。掲示板は明後日見るわ」
「やったじゃン! 交渉成功じゃン!」
奏子、ベンチで小さくガッツポーズ。
「じゃ、休みの“合同訓練”だけしようじゃン。氷の路と影潜りの合わせ。遊び七、訓練三じゃン」
「逆やろ、普通」
「若い世代の黄金比じゃン!」
夕風が吹いて、粉砂糖が少しだけ宙に舞う。
奏子が二つ目のドーナツをちょいと差し出す。視線は僕の横のまま。
「もう一個いくじゃン?」
「……半分こなら」
「半分こじゃン!」
ちぎって、渡して、もぐもぐ。
「ね、凪。いつかさ。うちの班の連中とお茶しようじゃン。二人とも静かだから、うるさいの私だけじゃン。大丈夫じゃン」
「……考えとく。人、多ないんやったら、ええけど」
「多くしないじゃン。私の声だけは多めじゃン」
「それはいつもやん」
ふたりで笑った。ほんの小さく、でも確かに。
「じゃ、明日は正真正銘の休み。昼まで寝る。絶対じゃン」
「わかった。絶対」
「サボ許可証、無くすなよじゃン」
「スタンプもう指先で食べたけど」
「証拠隠滅じゃン! 有罪じゃン!」
「無罪や。これで有罪やったら——ドーナッてんねんてな、ドーナッツだけにな」
中庭のスピーカーが一度だけブツと鳴って、夜勤のチャイムが流れた。
奏子が立ち上がり、制服の裾をぱんと払う。
「じゃ、また明日じゃン。寝る任務、サボるなよじゃン」
「了解。しっかり寝る」
「小声睡眠は健康に良いじゃン(※個人の感想)」
彼女は振り返らず、でも手だけぶんぶん振って、廊下へ走っていった。
残ったベンチで、僕は顔を伏せて、袋の口をきゅっと結ぶ。耳まで熱いのが自分でもわかる。
(めっちゃスベった。気楽にしゃべりすぎた。ダッサ、はっず!
なんやドーナッてんねん、ドーナッツだけになや!
……時間戻してくれや)
ひとしきり悶えてから、ふと息が軽くなる。
(友達って、もしかしてこういう感じなんやろか。
視線が怖いまんまでも、笑えるやんか)
指先についた粉砂糖を拭って、僕も立ち上がる。
(スベったこと忘れてますように)
(なんか前に進めてるんとちゃう? 楽しいやんけ)
作者のモチベーションに大きな影響を与えます。
評価お願いします!
読んでくれてありがとうございます。
感想とか読みづらい箇所があれば教えてください。
評価頂けてるおかげでルーキーの部門ですがランキング内に作品が入るようになりました。ありがとうございます。