休暇二日目・昼前。
朝はゆっくり起きて、パンを一枚。窓の影がまだ短い時間を狙って外へ出る。(混んでると、喉が固まるからな)
日陰の道を影に潜むように静かに歩く。
(ほな今日は趣味探しや。静かで、人少ないやつ。……なんか、道具から入るのもアリやろ)
路地の端っこに、古い木の看板——「紙鳩堂」。ドア鈴がちりん。
奥から、綿毛みたいに柔らかい声がした。
「いらっしゃい。——見てくださるだけで、結構ですよ」
白髪の店主さんは、声だけこちらに掛けて視線は手元の本。
(……この店、当たりや。目ぇ合わさんでええ距離感、助かる)
棚には黒い画用紙、薄い和紙、トレーシングペーパー、格子模様の下敷き、丸いインクパッド。
(……影絵、紙地図、このへんドンピシャやん)
「これ、黒い画用紙と、トレペと……その格子定規を少し」
「おやおや、影絵でしょうか? 手の形の見本、差し上げましょうか」
「……もらえます?」
「もちろん。鳩、きつね、魚。——鳩は親指をこう、ほら」
店主さんが壁のランプに手をかざすと、白い壁にぎこちない鳩が現れた。
「ふふ、私は不器用でね。うまくいかないのも、楽しいですよ」
「……楽、か。ええ言葉ですね」
ついでに、細い麻糸と、栞用の小さな穴あけパンチも買う。(線を残す道具って、なんか落ち着く)
「ありがとうございました。いいものが出来たら持ってきて下さい。飾らせてもらいますよ」
「まだ始めてもないんやから分かりませんよ。——ほな、おおきに」
(ええ人やったわ。目が細うてどこ見てるか分からんぐらいやから、目線気にせんでええのも助かる。また行こ。次は作品持ってな)
思わず口元が緩む。
ほな次や
次は局の一階、装備屋。金具の音が心持ち大きいけど、昼は空いてる。
カウンターの向こうで、がっしりした係の人が手を上げた。
「おう、勝手に見てってくれ。」
「……うす」
(ここは常連やけど、なんか珍しいもんないかな)
短剣、脇差、苦無、手裏剣、細針、短戟——光が刃に沿ってすっと走る。
(職業決まるまでは保留しといた方がええか? 今の短剣もまだ使えるし。……忍者とかもカッコええよな。影に潜んで、ニンニン!——有りやな。迷うわ)
「奇遇じゃねぇか」
背中がざわっと立つ。
振り向く前に、肩をぐいと掴まれた。
「ビビリが武器なんて握っててもしょうがねえだろ。なぁ」
矢場班長。真正面から見下ろされる。視線が刺さる。
喉がきゅっと閉じて、呼吸が細切れになる。手足の感覚が遠のく。声が出ぇへん。
「ほら、目ぇ見ろよ。……できねぇか。相変わらずだな」
「この前の廃ビルの件な、上から評価が来てんだよ。『矢場班の統率が見事』ってよ」
「封鎖の段取りも核の回収も、ぜーんぶ“俺の采配”。次の任務も通せば——俺は一級だ。あと一本、仕留めりゃすぐそこ」
(喉が灼ける。言い返したい。けど、視線が——)
「お前みたいな“使いどころのある駒”は嫌いじゃねぇ。勝手に隠れて核だけ置いてけ。それで十分だ」
「次も“黙って”働くんなら。俺が使ってやるよ。感謝しろよ」
「そうだ、お前のその“紙”も、俺の報告に入れてやるよ。——俺の名前でな」
「ビビリはビビリ。昇格したら呼んでやるよ。足引っ張んなよ?」
ニヤニヤ笑って矢場は僕を見下してくる。
僕は、呼吸が乱れて、頭もグルグルして立ってられん。
「俺は、お前と違って次の任務の準備で忙しいからよ。」と僕の反応に飽きたのか去っていく矢場班長。
(あかん——立ってられへん)
「おい、影。大丈夫か」
肩にあたたかい手が回る。低い声。視線は外してくれてる。
「落ち着け、坊主。目ぇつむって深呼吸しろ。——今は誰もお前を見てねぇ。安心しろ。ゆっくり、ゆっくりだ」
胸の前で、掌が二回、とん・とんと合図を刻む。
「吸う……吐く。もう一回。そうだ」
言われるまま、呼吸にだけ意識を戻す。
鼻先を通る空気の温度、喉の開き、肺の重さ。
五、十、十五……時間の輪郭が戻ってくる。
どれぐらい経ったやろ。十分? 二十分?
掌の重みと、最近聞いた声で、ようやく分かった。
「……鎧塚さん」
「ああ。ここ見ろ——いや、見なくていい。声だけ聞け」
鎧塚さんは、僕の正面に立たない。少し斜め、半歩横。
「視線が刺さる時は、背中だけ見とけ。背中は刺さらねぇ。
それから、二叩きの合図を自分にもやれ。『大丈夫』は二叩き。『もう一回』は長押し。今、どっちだ」
僕は自分の胸をとん・とん。
「……大丈夫」
「よし。じゃあ次。紙はあるか」
「あります」
ポケットから小さなカードを出す。手がもう震えてないのを確かめる。
「お前の紙はな、喉の代わりだ。詰まったら紙に任せろ。堂々と置け。お前の紙はよく喋る。そうだっただろ。」
喉の錠前が外れていくのが、自分でも分かる。
「……すんません。助かりました」
「礼は二叩きでいい」
僕は胸でとん・とん。
鎧塚さんは「よし」とだけ言って、棚を顎でしゃくる。
「武器見てたのか?お前の短剣まだ使えそうだったろ?」
「2級に上がったら職業に併せて武器新調したほうがええかなと思って」
「いいじゃねぇか。武器は持ってるだけじゃ意味はないぞ。きちんと装備しろよ」
「え、あ、はい。もちろん装備しますけど、?」
「通じねぇか、若ぇのには。昔の決まり文句だ。——ま、分かりゃいい」
ポケットから飴玉が一つ、僕の手にぽんと落ちる。
「糖分。勝利の味、だろ」
「……はい。当分先になりそうですけど」
笑って鎧塚さんは視線を外したまま、親指をちょいと立てて去っていった。
と思ったら、
「今、暇か? ——付き合えよ」
それだけ言うと、鎧塚さんは踵を返してすたすた歩き出した。
「え、あ、はい!」
僕は慌てて後を追う。大通りは避けて、建物と建物の細い影を縫うコース。人の流れがふくらむ角では、鎧塚さんが半歩前に出て、さりげなく壁になってくれる。(助かる。喉、固まらんで済む)
「隠れ家みたいなとこがあってな。休みでまとまった時間が取れると、仲間とよくやるんだ。頭と手を動かすやつ」
「……やる? 何を、です?」
「遊びだよ」
言いながら、鎧塚さんは横顔のまま口の端だけで笑う。
「ただの遊びじゃねぇ。段取りに効く遊びだ」
(遊びで段取り……? なんやろ。嫌な予感半分、楽しみ半分や)
路地を三つ、曲がるたびに明かりが薄くなって、代わりにネオンの色が濃くなる。ピンクとも紫ともつかない光が、雨も降ってへんのに路面を濡らしたみたいに照らす。
「ここだ」
鎧塚さんが立ち止まったのは、路地裏の小さな扉。上に管ネオンが一本、じりじり微かに唸っている。扉脇の壁には、銅線の格子みたいなものと、神殿の清めの札が幾重にも貼られていた。
「グレムリン対策に金をかけてんだ。壁の中に銅網を仕込んで、絶縁を三重。電源は二系統。札は神殿の正式。——電気が繋がる店は今、それだけで価値がある」
「……物騒やけど、頼もしいですね」
「不穏と安心の真ん中だ。俺はこのバランスが好きでな」
扉の前で、鎧塚さんがこつ、こつと二回ノック。中から合図みたいに、ぶうんと低い機械の唸りが返ってきた。
「合図だぜ。うちの流儀だ。覚えとけよ」
「了解」
鍵が外れる音。鎧塚さんが先導して扉を押し開ける。
「ようこそ、ダメな大人の溜まり場へ」
言い方はいやらしいのに、目線はわざと僕の横へ流してくれる。いたずらに巻き込みたいけど、無理はさせない感じの笑顔や。(ずるい。けど、ありがたい)
「ど、どんな店なんです?」
「ゲームとネオン、それから盤。声は小さいし、視線は盤面だ。合図とダイスだけ通す。——お前に合ってると思うぜ」
扉の隙間から、古いブラウン管のぶうんという唸りと、コインが落ちるからんという音、奥の方で誰かが二回だけ軽く机を叩く音が混ざって漏れてくる。
ネオンが壁をゆっくり這って、色の層が重なって見える。(不穏や。けど、呼吸は苦しくない)
「……入ります」
意を決して、一歩。喉は固まりかけたけど、鎧塚さんの背中が視界の半分を塞いでて、刺さらない。
「大丈夫だ。まず薄暗いから目線はこねぇよ」
「はい」
足を踏み入れた途端、空気の密度が一段変わった。外のざわめきが、底の深い箱にしまわれたみたいに遠くなる。
天井の銅網が鈍く光って、壁際には角の丸いゲーム筐体が等間隔に並ぶ。画面の光はやわらかく、目に刺さらない。照明は薄暗く僕向きや。
フロアの反対側には、木の大テーブル。上には黒いプレイマットと、小さなコマやカードが散らばっている。人はいるけど、誰も正面を見ない。視線は盤か自分の手。会話は小声、時々二叩き。
(……ここ、ほんまに僕向きや)
「凪」
肩越しに鎧塚さんの声。
「怖くなったら二叩き。楽しくなっても二叩き。合図は同じでいいぜ」
「了解」
扉がそっと閉まる。
ネオンが一度、ぱちと瞬いて、店全体が息を合わせるみたいに静かになった。
(不穏は半分。楽しさも半分。ちょうどええ。——行こか)
店内は薄暗い。ネオンの反射がテーブルの縁だけを淡くなぞって、向かいの席の顔は影に溶ける。
(……ここ、絶対って言ってええくらい目線が当たらん。僕向きや)
鎧塚さんが、手の甲でちょいと合図して先へ進む。
「右手は画面の島。格闘、縦シュー、パズル。コイン入れて殴り合いか、脳味噌捻るかは好きに選べ。——で、左手が盤」
視線はわざと僕の肩の横に落としてくれてる。喉が凍らんで済む。
左手には木の大テーブルが並んでて、上には黒いプレイマット。ダイス、カード、ミニの駒、そして手元で二回だけとん・とんと鳴る合図。
「TRPG専用台だ。今日は三卓、別々の冒険が走ってる」
鎧塚さんがニヤリ。口の端で笑うタイプ。
「これが俺のオススメ。ダイスと合図、自分の手札だけでできる。声は小さく、視線は外す。——お前にも合うと思うぜ」
(合図で回る遊び……ええ。紙と二叩きが、ここでも効く)
ちょうど一卓、区切りがついたらしい。対面の誰かが小さく二叩き、GM役の人影が手を上げる。
「一席、空きます。——新規一名、合図遵守で」
声は柔らかく、真正面には絶対来ない。言葉だけが斜めから落ちてくる。
鎧塚さんが肩を押す。
「やってみろよ」
「……はい」
椅子に腰を下ろすと、GMが小さな紙片と鉛筆を滑らせて寄越す。
「呼び名だけ、書いて置いてください。合図は。二叩きで“はい”、長押しで“もう一回”」
「……凪、で」
紙をそっと置くと、GMが二叩きで応じる。喉が軽い。
「では、駒を一つ選んでください。あなたの分身です」
木箱から選び取った小さな駒——フードを被った斥候。
(……影潜りっぽいな。僕や)
駒をマットの端に置くと、向かいのプレイヤーがカードを二枚、手探りで差し出した。
「手札、“静音移動”と“暗がりの眼”。合図で好きなの一枚公開」
僕は胸をとん・とん。静音移動を伏せて、暗がりの眼を表に。
「了解。では——薄闇の回廊。壁のすきま風が冷たい。合図のみで始めましょう。」
GMのナレーションが低く滑る。ダイスがこつんと木の器で転がる音。
(目がない。合図だけ。——楽や)
「判定、二個振って、低い方を採用」
言葉の端に合わせて、僕はダイスをころん。出目は4と6。
「成功。——君は足音を消す。見つからない。隠密に成功。顔を見せない斥候は、発見されることなく進み出す」
(……この盤では自分の駒が主役。お前のことは誰も見ねぇ、か。ほんまや)
胸の奥で、固まっていた金具が外れていく。喉の通りがもう別物。
隣の席から、控えめな声。
「合図、交換できますか」
顔は見えない。カードだけがすっと差し出される。
「静音移動、譲渡。代わりに糸印」
「……おおきに」
麻糸のカードを受け取り、僕は思わずニヤける。(導線や。僕の筋肉)
「凪、行動宣言は二叩き→カード公開→一言で充分だ」鎧塚さんが斜め後ろから小声。
「了解。——二叩き、糸印、影の中で結ぶ」
「成功。道ができた。誰も見ないが、全員が分かる」
GMがダイスを拾い、ぱらと振る。テーブルのあちこちで、小さな二叩きが連鎖する。
(見つからんまま、ちゃんと届く。ここでも同じや)
画面島の方では、格闘のヒット音が遠くに聞こえる。こっちの卓は息が主役。
「じゃ、合図で戦闘に入る。目線盤面だぜ。音は最小。——楽しいか?」
鎧塚さんが、僕の横で一拍だけ間を置いて訊ねる。
「……楽しいです」
「だろ」
彼は視線を外したまま、指でちいさく二叩き。
GMが最後の確認を落とす。
「注意、この卓では、言葉はゲームマスターだけ。。——二叩きなら本当に“了解”。長押しなら本当に“もう一回”。自分の駒に正直でいてください」
「……はい」
胸でとん・とん。
(静かに正解を探す場所。僕に、ちょうどええ)
ダイスがころんと走って、物語が動き出す。
顔の見えない仲間たちと、目線の合わない安心の中で、僕の駒が主役として進む。
(不穏と楽しさ、半々。——今の僕には、これがいちばん)
作者のモチベーションに大きな影響を与えます。
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