陰キャ、無口のコミュ障でもやる男です   作:イェスコマ

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26話

神殿の門は、朝の空気でひんやりしていた。

 鐘楼の脇の木戸に手をかけ、「失礼します」と小声で言うて、軽く2回ノックして合図。キィ、と音を立てて扉が開く。

 

 ——肌色が見えた。

 

 神殿の卓上の前、朝の光に縁どられて、うっすい布を身体に掛けてるだけのほぼ肌色姿の女の人が、神殿の演台を布で磨いとる。僕からは肌色だけの背筋まっすぐ、所作がやたら綺麗やのに、衣は……ほぼ無い。

 

「す、すんませんッ!」

 反射で扉をバタン。心臓が跳ね、喉が詰まりかける。(裸って……いや、ここ神殿やぞ! 朝いちで予想できるかい!)

 

「——ちょっと待ってくださいね。いま準備しますから」

内側から澄んだ声。空気がさらさら揺れて、何かの結界が張られる気配

 扉が再び開いて、黒い髪をまっすぐに腰まで下ろした綺麗なお姉さんが法衣を纏って立っていた。

(さっきのは見間違い……ちゃうよな。けど、まぁ服着てるし——)

 

 ……ただ、その法衣、光の角度でときどき “すぅ…” と消えかける。(知らん結界か? いや神術の気配やわ)

 

「おはようございます。布施 祈(ふせ・いのり)と申します。まだ見習い神官です。——いま結界だけなので、あんまり見ないでくださいね。……ほら、…(すぅ)あ、ちょっと乱れますね」

 柔らかく笑ってる。

 

僕は目線に怯えながらも、逃げたほうがアカンと思って口を開く。

「ぼ、僕、加賀谷 凪です。鐘磨きのボランティア、今日から……。さっきの、ほんまにすんません。あ、それと、人の視線だいぶ苦手なんで、目線、外してもらえると助かります」

「ふふ、失礼しました。——このくらいでどうかしら?」

スッと目線を外してくれてる気がして僕は、顔を上げる。

「そんなに上向かんで大丈夫です!」

目一杯首をプルプルさせながら逸らしている。

 

「あら、このくらいかしら。さっきのことはいいのよ。この時間は誰も来ないと油断していましたから。私の落ち度です」

 祈さんは伏せ目がちになり、胸の前で指を揃え、軽く祈りの印を結ぶ。

 

「この時間に誰も来ないと思い込んでいて、私のほうこそ反省ですね。それと——私、着衣恐怖がありまして。布で身体を覆われると、閉じ込められるみたいに苦しくなるの。だから普段は極薄の単布と帯だけ。見た目はこの結界衣でどうにかなるの。事情、分かってもらえると嬉しいわ」

 

(なるほど。清楚に見えるのも、さっき一瞬どきっとしたのも、その両立のせいか。清楚と痴女が同居って、言葉だけ聞くと矛盾やのに、この事情やと納得やわ)

 

「あともうひとつ。加賀谷君は視線が集まると怖さが増すんでしょ?私もジロジロ見れて困った時があって。 視線散らしの祈りがかけられます。……効くか、試しましょうか」

 祈さんが、扉のの四隅に小さな札をぺたり、ぺたり。空気の焦点がふっと緩む。胸の錠前が、ひとつかちゃんと外れる感触。

 

「ふふ、お姉さんのお祈り、効いたでしょう? もう怖くないわ」

 言い回しはおちゃめやけど、声は染みこむみたいに落ち着いとる。

 

「……たしかに。呼吸、楽なりました」

「よかった。今日はどうされましたか?」

 

ふんわりとした優しい口調と笑顔で聞いてくる。

「鐘楼の掃除とか神殿のボランティア参加しよかと思って」

 

 そのとき、結界衣がふいに “スッ…”と揺らいで、法衣の肩がうっすら透け豊満な胸元が——祈さんが慌てて指先をちょんと結び直す。

「あら、失礼。いま結界だけなので、ときどき乱れちゃうんです。……ほんとに見ないでくださいね?」

 

僕は、顔を真っ赤にしながら

「み、見ぇへん見ぇへん。ずっと横見てますんで!」

 

「ありがとう、いい子ね」

 いたずらっぽく言ってから、祈さんは手首に軽く触れて、低く囁いた。

「鎮静の祈り、少し。——怖さは消えません。でも揺れ幅を薄めます」

 

 胸の中の波が、半音下がる。(……この人、ほんまに効く)

 

「では、始めましょう。鐘磨き。あなたは外側、私は内側。……お互いのことは見ないこと。見たらえっちーって言っちゃいますよ」とふふふっと笑っている。

「了解」とん・とん。

 

 祈さんの布手袋(これも極薄結界で見えてるだけらしい)が、鐘の縁をやさしく撫でる。僕は刷毛で埃を払い、音を立てない角度で金属を磨く。

 

「——加賀谷さん。怖くなったら、札をもう一枚足します。合図だけで呼んでね」

「はい。布施さんも何かあれば声かけてください」

 

 鐘楼の影がゆっくり動き、埃が段々と払われていく。

 結界衣は時折スッ…と薄くなって、祈さんがいたずらみたいに片目を閉じ(正面は見てない)、指先でちょんと結び直す。

 不穏と静けさの真ん中、僕らの合図だけが軽やかに流れた。

 

(——この人、お茶目や。しっかりしたお姉さんみたいやのに、僕と気味悪いくらい合う気がするわ。

 恐怖は消えへん。でも、薄める術を共有できる)

 

 鐘の肌が一段明るくなったところで、祈さんが二叩き。

「小休止しましょう。お水どうぞ。加賀谷君、働き者だね」

 

「……おおきに」

 喉に水が通る。朝の光が少し強くなる。

 僕は胸でとん・とんしながら、隣の結界衣がちゃんと見えているのを横目で確かめた。

 

 

 

 紙コップに口をつけて、二人してひと息。鐘の金肌が朝陽を返して、空気だけが冷たい。

 

「ところで——加賀谷くんは救済局の方?」

「うん。局の宿舎暮らしやし、哨戒とか封鎖の先行とか……まぁ、こそこそ働く係や」

「こそこそ、ですか」

「人に見つからんのが仕事、みたいなとこあるしな。正面からはよう行かん」

 

 祈さんが小さく笑う。声だけで柔らかい。

 

「じゃあ、どこかの任務で一緒になるかもしれないわね。——私、まだ三級なの。もうそろそろ二級に上がれると思っているんだけど、判定待ちで。だからいまは僧侶“見習い”。当面の目標は正式に僧侶になること、かな」

「おお、それやったら、怪我したらお願いします、先生」

「ふふ、先生なんてとんでもない。まずは清めと鎮静を、現場でちゃんと届けられるように、ですね」

 

「加賀谷くんは?」

「僕も三級。で、二日後に神殿で職業に就く予定や」

「二日後? それは近いわね。ジョブお披露目だ」

「言い方かっこええな。……緊張はしてるけど、やれることはやるわ。いまんとこ“斥候系”で考えとる」

 

「そっか。じゃあ救済者としては加賀谷くんが先輩ね」

 顔は見てないのに、優しい顔が浮かぶくらいあったかい声で言われる。胸の奥がちょっとだけ熱なる。

 

「先輩言われる柄やないけどな。人前出るとすぐ固まるし」

「大丈夫。人前は私も固まります。布、増えると特に」

「せやった。布は……きついんやな」

「うん。でも結界衣の精度、だいぶ上がったの。今日はたまに“スッ…”って乱れるけど」

「乱れたら即メンテや。僕、反射で見んようにするから」

「優しいね。——それに、さっきの視線散らし、効いてたでしょう? 目が集まる怖さは、祈りで薄められるから」

「効いた。呼吸、ほんま楽やった。恐怖は消えへんけど、薄められるって、こういうことなんやな」

 

 祈さんが頷いて、水をもう一口。

 

「二日後に職業を得て、現場に出るのね。なら、一緒の任務に誘って欲しいな、何度か実績積めば2級でちゃんと職業に就けるから」

「お、ええね。事情知ってる人のほうがやりやすいわ」

「じゃあ、約束ね。」

「任せてや、仕事は好きやからな」

 

「ふふ。加賀谷くん、声の温度が一段上がった」

「バレた? ……仕事の話は、つい口が回んねん」

「その回り方、好きよ。任務のときも、さっきみたいにはっきり言葉で伝えてくれたら、私も合わせやすいわ」

「了解。任務ん時は合図も混ぜるけど、基本“言う”。誰でも分かる言い方、心掛ける」

 

「うん、それがいちばん。——それと、もし現場で視線が重くなったらすぐ言って。私、札を増やすか、祈りを厚くするから」

「頼りにしてまうやろ、それ」

「頼っていいの。怖さは分け持てるわ。……“ゼロ”にはできないけど」

「“ゼロ”やないほうが、僕には落ち着くかも。残ってるから、気ぃ抜かんで済むし」

 

 鐘の上の埃が、ほとんど消えた。金の地が朝を弾く。

 

「じゃ、仕上げいこか」

「はい。私は口(くち)の縁を清めます。加賀谷くんは外周を撫でて、最後に布で拭き上げ」

「合点。……あ、言い方綺麗やから、指示がスッと入ってくるわ」

「なら、良かった」

 

 二人で立ち上がる。祈さんの結界衣が一瞬ふわりと揺れて、すぐに整う。

「——いまのも、乱れ?」

「ちょっとだけ。大丈夫。見ないでくださいね?」

「見てへん見てへん。僕、横スキル99やから」

 

「安心しました」

 祈さんがくすっと笑って、布手袋をはめ直す。僕は刷毛を持ち替え、外周を一周——磨き終えた面が、神殿の天井をくっきり映した。

 

「きれいやなぁ……。これで、鐘もええ音出るわ」

「うん、鳴らすのが楽しみね。——加賀谷くん、二日後、がんばって」

「おおきに。来てよかったです」

「ありがとう。次に会うとき、お互い一歩先の肩書きで挨拶できたら、素敵だね」

「せやな。その挨拶、正面見んでも言えるように練習しときますわ」

「ふふ。じゃあ私は、結界の安定、練習しておきます」

 

 最後の一拭き。鐘が、透きとおった金色を返した。

 朝の音が、遠くからゆっくり近づいてくる。

 

 

 

 

 神殿を出た足が、石畳の上でちょいちょい空回りする。

(……新しい“縁”つながったな。細いけど、しっかり結べる糸や)

 胸のあたりがあったかい。で、胸、むね、ムネ——

 

(大きいムチっとした肌色。あ、あかん、今そのワード出すな僕の脳!保存だけ、保存だけにしとけ)

「煩悩退散、煩悩退散——!」

 額を指でこつこつ叩きながら、小声でお祓い。角を曲がるたびにもう一回。

(いやでも初めて見てんから、しゃーないやん……立派やったな、ってしゃーなくない! 退散!)

 五回目の退散でようやく肌色メモリーを頭の奥の方にしっかり保管して呼吸が落ち着く。空は高い。風は涼しい。視線は、ない。よし。キリっと決めても締まらんか。

 

 宿舎に戻ると、机の真ん中の斥候の駒が「落ち着け」とでも言うみたいに鎮座してる。

「……ただいま。——影絵、やるか」

 黒画用紙、トレペ、格子定規。卓上ランプを低めにして、壁に白い紙をぺたり。手をかざす。鳩、きつね、魚。

「鳩むず……指いっこ迷子なる」「きつね、耳が納得してへん」「魚、骨多すぎや」

 でも、おもろい。影は正面じゃなくて、横から見ても伝わる。「見られずに見せる」練習、まさにこれや。

 

 手の影だけやと飽き足らんくなって、紙を切って仕掛け影へ。麻糸で関節つけて、尾びれをちょいと振らせる。

「導線はここ。糸、軽く。影の“継ぎ目”が見えたらかっこ悪いな」

 角度をミリ単位でいじる。影が生きる瞬間がある。スッと輪郭が立って、壁の向こうに世界がつながる。

(線が太くなった)

 気がつけば、窓の外が群青。腹が鳴った音で、ようやく夜を思い出す。

「うわ、没頭しすぎた。……煩悩退散も忘れてた。ええことや」

 

 簡単な弁当をつついて、ノートに走り書き。

 

> 影絵:関節は二点まで。三点にすると視線が迷う

紙:黒+薄灰で深み。白の線は“息”に使う

明日:散歩。人の少ない朝の路地→川沿い→パン屋の匂いを嗅ぐだけ(買わんのかい)

明後日:ジョブ取得。荷物軽く。喉軽く。心、薄く張る(厚くじゃない)

 

 

 

 灯りを落として、駒に一礼。就寝。

 

 *

 

 翌朝。

 目が覚めた瞬間から、世界のテンポが半拍ゆっくり。

「今日は散歩。それだけ」

 地図をポケットに、身軽に出る。まだ開ききらない商店街を横目に、日陰だけを拾うコース取り。

 洗濯物の水滴が朝日で点になる。ベビーカーの車輪が石畳の目地に「こつ、こつ」。

 遠くでは、清め済みの区画を示す白い紙札が風に揺れている。塔スリラーの黒い影は、今日は雲に隠れて見えない。

(静かや。静かは贅沢や)

 

 川沿いまで出て、欄干にもたれて深呼吸。

(明日、僕は“職業”を得る。斥候。影で、線で、導く役目。見られへんまんまでも、見せられるように)

 心がそっと整列していく。

(恐怖は消えへん。でも、薄められる。祈さんみたいに。——僕も薄める側に回る)

 

 回れ右して宿舎へ。途中、パン屋の前で立ち止まる。

「買わん言うたやろ僕。……匂いだけ」

 吸って、出す。出すとき、胸の中でちょっとだけ笑った。

 

 部屋に戻ってシャワー、軽い筋トレ、ストレッチ。

 机の上の斥候の駒を半歩だけ前に出す。

「——明日。行くで」

 窓の向こうで、雲が薄くほどけた。いい兆しや。

 

 

 





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