神殿面談の朝。空気がきゅっと冷えて、胸の鍵が勝手に外れる感じがした。
僕はいつもより早めに宿舎を出て、石畳を影づたいに歩く。角を曲がった先——局の外門の前で足が止まった。
ずらっと討伐の一団が並んでて、矢場班長が全体に指示を出しとる。
槍の先、剣の鞘、金具のこすれる音。前衛の装備はどれも使い込まれた傷があって、朝の光で縁だけ鈍く光る。
(……あれ、矢場が言うてた出撃やな)
門柱の影にすっと潜る。視界の中から、こちらへの直線だけを切る。
(見つかったら面倒や。今日は僕、面談。余計な刺激、要らん)
列の中に、見覚えのある顔——というより耳に覚えのある声。
「はいはい、今日も余裕じゃン!——って、違う班じゃン。うちの班員どこいったじゃン!」
(……奏子。ほんま、今日も元気やな)
杖を肩で回して、班員に矢継ぎ早に飛ばす声が、離れてても聞こえてくる。
(たしか“三日後に任務”言うてたけど、矢場の任務やったんか。矢場がリーダーかよ、胸がちょいざわつく……けど、奏子の火力は本物や。大丈夫、大丈夫や)
別の隊列から、矢場の班のうるさい連中の笑い声。
「俺らが先に終わらせて手柄総取りだろ」「なぁに、小型なんざ雑魚だしな」
(口は達者やけど、足と手が伴ってへんの、何回も見た。気をつけろよ……って、言うても聞かんか)
出撃の合図。前列の盾がぐっと上がって、工兵たちが荷物を運び出す。全体が波みたいに動き出す。僕は門柱の陰でひと呼吸置いて、見送る。
(無事で帰ってこいよ。——特に奏子。またアホみたいなダジャレ、聞かせてもらわな)
広場が少しずつ空になって、人の熱が引いていく。タイミングを見計らって影から抜け、局舎の受付へ。
カウンターの向こう、眼鏡の奥の目がこちらに気づいて、いつもの柔らかい声が降ってきた。
「いらっしゃい、凪くん。——少しだけ待ってね」
今日は髪を下ろしていて、肩で光をさらうたびに雰囲気がすっと変わる。いつも綺麗やけど、朝の小野寺さんはまた格別や。
「……おはようございます」
声が出た。喉が詰まらんのは、たぶんこの人の温度のせいや。
「面談だよね。準備してあるから、今裏と交代するね」
バックヤードに軽く合図を飛ばすと、別の職員さんが前に出てくる。小野寺さんはカウンターから回り込み、僕の少し斜めに立ってくれる。真正面じゃない、その気遣いがありがたい。
「じゃ、行こっか。——神殿までご案内します」
「おおきに」
並んで歩く……のではなく、半歩前に出てくれる小野寺さんの背中を見る形。
「朝早くに来てくれてありがとう。緊張してる?」
「ちょい。せやけど、やること決まってる分、楽です」
「よかった。今日の段取りは——受付で身分確認、神殿で簡単な問診、それから職業授与の面談。終わったら私のとこに戻ってきて。甘いものでも用意しておく」
「……甘いの、助かります」
「ふふ。糖分は正義よね」
廊下を抜けると、香の匂いがする方角へ風が流れている。木の床がすべすべで、足音が吸い込まれていく。
「そうだ、さっき出撃の列が見えたでしょう? 矢場さんに見つからなかった?」
「影に入ってやり過ごしました」
「うん、正解。——見られない上手さは、凪くんの強みだもんね」
言い切る声が気持ちいい。胸の中の糸が少し張り直される。
神殿の手前で一度足を止め、彼女が振り返らずに言う。
「ここから先は、凪くんだけだね」
「はい」
扉の向こう、白木の空間に朝の光が斜めに落ちている。
「——凪くん」
「はい」
「行ってらっしゃい。先に進むのは怖いけど、今日は大丈夫」
背中をほんの指先一つ分、押された気がした。
僕はうなずいて、視線を高く上げすぎない角度で、神殿の中へ踏み込む。胸の奥は、さっきより軽い。
(見られへんまんまでも、見せられる。今日、それを肩書きにする)
足を一歩、また一歩。香の匂いがゆっくり濃くなっていく。
面談受けて、職業について、後は甘味やな。
神殿の受付前は、朝いちの湯気みたいな香(こう)が薄く漂ってた。白木の床は磨かれすぎて、靴裏が「すっ」と鳴るたび、胸の中の呼吸も揃っていく。
「はいはい、いらっしゃい。——今日の面談の予約が入ってる、加賀谷 凪くんで合ってるかえ?」
カウンターにいたのは、頬にやさしい皺がよった老シスター。目はしょぼしょぼで、こちらに向いてるようでどこも見てへん。
(……助かる。視線が、ぜんぜん刺さらん)
「はい。加賀谷です。今日はよろしくお願いします」
「ええよええよ。じゃあ、ついておいで」
老シスターが椅子からゆっくり立ち上がる。ほんまにゆっくりや。歩幅は小さく、草履の底が木目を撫でる音がさわさわと続く。
僕は半歩後ろ、横目で柱や欄間の陰を拾いながら付いていく。回廊を折れて、紙障子の前で足が止まった。
「この先に面談官がいるからね。ここからは——がんばりなさい」
老シスターはにっこり笑って、またゆっくり戻っていった。背中が曲がってるのに、姿勢はきれいや。
(よし。大丈夫や。ここまで呼吸、崩れてへん)
喉の奥でかちと鍵を確かめる。深呼吸、一回。手のひらをさらっと拭って、障子に向かって声を掛けた。
「失礼します」
引き戸を開ける。畳の匂い、墨の匂い。小綺麗な部屋や。壁際に細い木机、窓からは曇り硝子越しの光。
その真ん中に——狐を連想させる男が座ってた。切れ長の目に、薄いのに端正な顔。襟元はぴしっと締まって、爪の先まで手入れが行き届いてる。笑ってないのに、口元だけ動く。
「待っていたよ、加賀谷 凪 君!僕は今日を楽しみにしててね!ほらそんな所に立ってないで座りなよ」
目が、まっすぐこっちに刺さる。
(あ、これアカンやつ)
わずかな一拍で喉がきゅっと閉じた。声が出ない。肩がすぼむ。足の裏の温度が遠のく。
男は僕の固まりに気づいて、片手をひらと振った。
「ぁあ、済まないね! 忘れてたわけではないんだけど、一度しっかり見ておきたくてねぇ」
薄ら笑い。口角だけが上がるタイプ。
(いや、見んでええやろ。見られるのが一番ダメやのに)
「まぁ、そこの椅子に掛け給え」
今度は目線を外して、横合いの木椅子を指し示す。
視線が滑った瞬間、胸の圧迫が一段抜けた。
「し、失礼します」
出てきた声、思ってたよりちっさ。喉の鍵穴がまだ半分閉じとる。
椅子に腰を下ろす。背もたれは固いけど、木がしっとりしてて救いになる。
(……僕、この人、苦手かもしれん)
涙目、とまではいかんけど、目の奥がきゅっと締まる感じ。男は細い指で帳面をめくりながら、横向きのまま軽く笑う。
「うん、うん。まずはご挨拶から始めようか。私は面談官の——僕の名前はどうでも良いね。君の声の出し方は確認できた。もう大丈夫さ、ここでは誰も君を正面から見ないよ。私も横を向いたまま話すから。それでどうだい?」
言葉はやわらかい。けど、棘みたいな細い圧が間に挟まってる。
「……助かります」
「うんうん、素直で良いね。では、加賀谷 凪。三級救済者、視線恐怖を自覚、核適応手術済み。君の強みと課題、自分の言葉で教えてくれるかい?」
男は窓の外に視線を逃がしたまま、僕の返事を待つ構えを取った。
(……横向き。これなら喉が動く)
舌の位置をひとつ整える。胸の鍵がかちゃんと外れる音を想像して、口を開いた。
「強みは、見つからんことです。せやから先行と導線確保。痕跡読む索敵、線を引くのが得意です。課題は、正面戦闘です。正面からの注視で身体と言葉が詰まる。けど、言語化はできます。言い方を用意しとけば届きます」
言い切ってから、指先の汗をズボンでこっそり拭った。
「ふふ、いいね。簡潔で、筋が通っている」
男は帳面にさらさらと書き込み、細い目尻をわずかに緩めた。
「では、今日は職業授与に関わる適性面談だ。“斥候系”で申請しているね? 君が現場でどう振る舞うか、具体例をいくつか——語ってもらおう」
窓の外の光が少し濃くなる。香の筋が部屋を横切る。
(……始まった。言葉で見せる番や)
僕は目を合わせず、横顔のまま、口角だけをほんの少し上げた。
「僕は——もっと見つからんように影に潜りたいです。で、前に進みたい。恐怖を薄めるには速さも要るんで。影から一撃必殺で露払い、それからまた影に潜って先行して、正確な情報を持って帰る。……そういう仕事がしたいです」
言いながら、自分で自分にうなずく。これが、今の僕の全部や。
細目の男——(狐男)が、口角だけで笑った。
「いいね、いいね。任務では絶対に欠かせないポジションだよね。最初の一歩と最後の一報、どっちも君の線が握る。魅力的だ」
(褒め方が胡散臭い……けど、内容は間違ってへん)
狐男は、帳面をぱたりと閉じて、指先をすべらせる。
「突然だけど、少し私の話をしようか。僕は賢者なんだ。もちろん職業ね」
視線は窓の外へ、声だけはこっちに。
「本当はね、占い師みたいなのが良かったんだよ。ほら、ロマンがあるじゃない? でも、神殿で職業を決めるのはちょっとランダムでね。祈るといくつか候補が出てくる。僕の場合は賢者しか出なかった。つまり、選択肢なんてなかったってわけさ」
懐かしそうに、薄い笑み。
(この人の“笑い”は薄いが似合うな……)
「——おっと、話しすぎたかな?」
肩をすくめて、わざとらしく眉を下げる。
「まぁ何が言いたいかというとね、すべてが自分では選べないってことさ。才能も、核の相性も、職業の出目も。君の『影を深く』『速く』『正確に』という願い、すばらしい。でも、そこに至る道筋や札の色は、必ずしも君の希望通りとは限らない」
口元だけで笑う。いやらしいほど整った笑い方。
(やっぱ狐や。油揚げ持ってきたろか)
「それと——説明しなきゃいけないことがいろいろある。職業が“つく”ってのは、ただ肩書が増えるだけじゃない。大事で、同時に危険でもある。身体と心の回路が書き換わることもある。だから、刻んでおいてくれたまえ」
畳の上に、言葉がぽとんと落ちる。重さは軽いのに、沈む。
狐男は姿勢を崩さないまま、声色だけ柔らげた。
「前置きが長くなったね。——じゃあ、ひとつずつ、丁寧に教えよう。君が望む働きに最短で近づくための話だ」
作者のモチベーションに大きな影響を与えます。
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