狐男は帳面から指を離し、天井の梁を一度だけ見上げる。声の温度が半歩さがって、昔話の調子になった。
「一昔前にね、ある人物がこの世に生を受けた。——生まれながらに、別の世界の記憶を持っていたそうだ」
語尾が柔らかく丸まる。(別世界、か……この人、そういうおとぎも喋るんや)
「それはそれは大層に喜んでね。物語の主人公を目指して、努力したみたいなんだ」
狐男は目を細め、口元だけで懐かしそうに笑う。
「けれど、彼は主人公ではなかった。同世代に“勇者”が現れて、バッサバッサと恐怖を斬り伏せていく。親友だと思っていた相手が、実はその勇者だった——彼は努力しても、勇者の十分の一もスリラーを倒せなかったんだよ」
ひと呼吸、短い哀しみが落ちる。(十分の一、か。すごい数字やのに、残酷に聞こえる)
「でもね——彼は“作り出した”。勇者と並び立つための方法を!」
狐男の声に、ちいさな熱が差す。手の甲の血管が浮いた。
「それが神殿。別世界の記憶を参考に、自分で組み上げたシステムさ。職業(ジョブ)という役割を自身に与えることで、強くなる。役割を定めれば技が芽吹き、道が見える。これで——並び立てる」
言いながら、自分の胸をこんと指で叩いた。(作り手みたいな口ぶりやな……まさか)
「——はずだったんだよ」
熱が、すっと引く。
「でもね、勇者はもう笑っちゃうくらい強くてね。当時、勇者の周りの仲間は、結局露払いが精々。彼が全盛期を過ぎても、構図は変わらなかった。僕らは、お荷物だったのさ」
悔いが畳に沈む。僕は息をひとつ溜める。(“僕ら”って複数形……やっぱこの人、ただの面談官やない)
「その後、勇者様は右腕やら足やらをやられてね。どうにか取り戻すため、考えに考えた末に——核移植手術なんてものにも手を出して、そして大成功。……けれど、これは今回関係ないね」
狐男はあっけらかんと笑って、すぐ顔を整える。(関係なくはなさそうやけどな。第三世代の根っこや)
「話を聞いて分かってくれたと思うけど、職業についたからって劇的に強くなるわけじゃない。勘違いくんはたまにいるけどね」
目線は窓の外のまま、言葉だけがこちらに届く。
(矢場班長を思い浮かべて、あれには絶対ならん)
「だから君は、ちゃんと力を正しく振るえる人であってくれたまえ。役割は刃物にもなる。握り方を間違えたら、誰かを切る」
喉がひとつ動く。(刃。せや、影も刃や。握り方、気ぃつけな)
「——さて。長話はここまでにしようか」
狐男が机の引き出しに手を入れ、人の顔ほどもある水晶を、そっと置く。室内の光を吸いこんで、内側に淡い霞が巻いている。
「さぁ、これに手を伸ばして祈り給え。祈りは自由だよ。願いでもいい、誓いでもいい、手紙でもいい。神殿が君に返す候補は、君の祈りに形を合わせて出てくる。——完全にじゃない。少しだけね」
片目だけ、わずかに細めた。(少しランダム、さっき言うてたやつ)
「影を深く。速く。正確に。それを願うのは、とてもいい。ただ——自分を縛り切らないこと。祈りは道しるべであって、鎖ではない」
水晶の前に、僕の手が止まる。冷たい気配が指先から肘にあがってくる。
(選べへんこともある。でも、選べる言葉はある。言い方で、道は変わる)
僕はゆっくり掌を重ね、反対の手でその上を覆った。視線は横。呼吸はまっすぐ。
(——願うのは、線。見つからんまま、見せる力。恐怖を薄める段取りのすべて。一撃で露払い、先に進んで、戻ってくる。
僕は、使う。刃を。正しく)
口の中で、誰にも届かん小声がひとかたまりになる。
「……お願いします」
水晶の奥の霞が、ほんの少し濃くなった気がした。狐男の横顔は相変わらず窓の外で、口元だけが楽しげに動く。
「いい祈りだ。——さあ、神殿からの返事を、受け取りにいこう」
水晶の内側で白がほどけて、帯みたいな光がこちらへ流れ出した。
温かい。包まれる。毛布じゃなくて、自分の影ごと抱きしめられる感じ。
視界に文字が浮かぶ。墨で書いたみたいにくっきりと。
> 斥候
義賊
忍者
(三つ……説明、ないんかい)
どれが何できるんや、って考えながらも、手はもう決めてた。
「——忍者」
直感で押す。光が部屋いっぱいに広がって、次の瞬間、収縮。ぴたりと僕の身体の内側に着地した。
背中にもう一枚、薄い影が重なる感触。呼吸が一段深くなる。
ぱち、ぱち。
狐男がゆっくり拍手している。
「すごい光だったね。これは——いっぱいスリラーを倒してきた感じかな?」
口角が例のニヤニヤで上がる。
「いえ、三級でけっこう足踏みしてたんで。……それなりやと思いますけど」
「なるほど、なるほど」
帳面の端を指でとんと叩いて、狐男が少し考える顔になる。
「あんまり知られてないんだけどね。スリラーを倒した分、自分の魂の“格”って言えばいいのかな、それが広がるんだよ。するとどうなると思う?」
「格が広がると……強くなるとか、ですか?」
「半分正解だよ!」
楽しそうに指を立てる。
「強くなる、それもたしか。恐怖を吸って打ち勝てるようにもなる。——ただ、もう一つ。職業についていない状態で、君みたいに実戦で積んでるとね、良い職業が“出やすくなる”んだ。驚いたかい?」
いたずらを自慢する小学生みたいな笑顔。(やっぱりこの人、狐。人をからかうために生まれてきた顔してる)
「……じゃあ、忍者が出たのは、僕の線とか影の積み重ねのおかげ、ってことですか」
「自然だね。他には何が候補にでたんだい?少し解説してあげよう」
「斥候と義賊と忍者です。忍者を選びました。」
「ふむふむ、斥候は基礎の役割、義賊は民に紛れて潜入・支援が強い。忍者は影に潜み、機動を戦闘向けに拡張していく。君の願いと実績からすれば、相性が良い」
胸の奥で、何かが“コト”ってはまった。(足跡、無駄やなかった)
「ただ、さっきも言ったが“なんでもできる”わけじゃない。技目録は段階的に閃くように、あるいは、思い出すように浮かぶ。今日は扉が開いただけ。しっかり歩き出すことが大事だよ」
「了解です。これまで足踏みしてたんで」
狐男が、僕の指先を見て少し顎をしゃくる。
「何か身体に不思議な感覚はないかい?何か新しいことが出来るって言う感覚があるはずだよ。言葉にしてごらん」
目を閉じる——心の中でなんとなく出来ることがある様な感覚がある。
「……苦無投。これは指がうずく感じがある。他は、隠れ身、静落ち」
「うん、正しい認識だ」狐男は口角だけで笑う。
「今の能動的な技は一枚、『苦無投』のみだね。忍者としては一般的な技だよ。投擲の技さ、効果は単純に威力の高い遠距離攻撃ってとこだね。隠れ身は名前の通り見つからない。だけじゃない。
—未発覚時の致命の目が少し上がる(気づかれていない相手に一撃で深く通りやすい)。—静落ちは微妙に足音が軽減される。まぁ最初はそんなとこだね」
「……つまりコツコツやるしかない、ってことやな」
「そうだねぇ。次第にいろいろ使えるようになるよ。身体に職業が馴染んでいく度に“技目”が濃くなる。焦らないことだよ。まずは苦無投を百本投げて癖を揃える。未発覚一撃は欲張らず一日一回でいい。静落ちは三日、意識して歩くだけでも効きが変わる」
口の端が勝手に上がる。(嬉しい。地味でも、積めば伸びる)
「では手続きだ。君の職業授与の記録を作る。二級申請も神殿側で回しておこう。」
「……助かります」
「礼は、現場で返してくれたまえ。力を正しく振るうこと。それが唯一の返礼だよ」
狐男は、机の引き出しから薄い札を出して、僕の前に置く。半透明で、内側に細かい印が走っている。
「職業札(ジョブタグ)。身につけておきなさい。これで晴れて2級の救済者さ。神殿の祭壇で一回、祝詞を受けてから正式発効になる。今日は重い訓練はするな。身体がびっくりしちゃうからね」
「気をつけます」
「それと、最後にもう一度。——恐怖には負けないことだ。共存は出来る。恐怖に飲まれてしまえば君は君じゃなくなってしまう。期待してるよ。忍者くん」
「……はい。見つからんまま、見せます。薄めます。正しくやります」
狐男が満足げに鼻で笑って(でも褒めてる)、手をひらひら振った。
「よろしい。——では、祈りの間へ。祝詞を受けて、あとは自由さ。前途ある若者に幸多からんことを」
立ち上がる。畳がやわらかく鳴る。
背中に重なった二枚目の影が、歩幅に合わせてすっと伸び縮みした。
(忍者。……言うてみると、気持ちええな)
障子を引くと、さっきの老シスターがもう待っていた。
反射で後ろを振り返って、面談官に一礼——しようとしたら、もうどこにもいない。(……はや。狐、煙みたいや)
「こちらへどうぞ」
老シスターがゆっくり先導する。廊下の突き当たり、天窓から光が落ちる神台へ。舞い上がった埃が金の粉みたいに浮いて、空気だけがあたたかい。
老シスターは立ち止まらずに演台まで上がり、胸の前で手を合わせ、ひとつ深い息。
背に後光が差したように見えた次の瞬間、声が降ってきた。
——祝詞。
人の声なのに、水みたいに澄んでいる。
「ひとは灯、闇を割り、恐怖を薄め、道を成す……」
「過ぎし日の傷を恥じず、明日の安寧に手を伸べ……」
「並び立つ者よ、刃を正しく、糸を正しく……」
僕は慌てて片膝をつき、頭を垂れる。胸の奥で二枚目の影がすっと整列して、職業札の印がじんわり温かくなる。
(……ああ、入った。ここで正式なんや)
言葉がやむ。神台に落ちる光が、ひと呼吸ぶんだけやわらぐ。
老シスターが演台から降りてきて、にっこり笑った。
「——無理はしないようにね。こんなお婆よりも、ずっと長生きするんだよ」
目はしょぼしょぼやのに、声の芯はまっすぐや。
「怖くなったときは、いつでも神殿においで。温かい紅茶を用意しておくからねぇ」
まるで本当に湯気が立った気がして、喉がほどけた。
「……おおきに」
頭を下げながら、心の中で決める。(今度は茶菓子、なんかええやつ持ってこ。甘さ控えめのやつ。羊羹とか……いや、この人はサクサクのクッキー派かもしれん。二択で攻めよ)
老シスターが僕の胸元の札をそっと確かめて、うんうんと頷く。
「よく似合うよ。——さぁ、行っておいで」
「はい」
神台の段を降りる。影が足元に寄り添ってくる。さっきまで薄紙だった“忍者”が、いまは一枚の布になって、背中に静かにかかっている感じ。
(——小野寺さんのとこ、戻ろ)
回廊に出たとたん、香の筋が細く伸びて、出口の方角を指す。
(祝詞完了、正式発効。報告して、もし時間あったら中庭で苦無の一本試し……いや、建物ん中はあかん。外で三歩下がってからや)
歩幅を揃えて、神殿の門へ。
朝より胸が軽い。手のひらは少し汗ばむ。
でも、前を向ける。今日は、ほんまにそういう日や。
作者のモチベーションに大きな影響を与えます。
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読んでくれてありがとうございます。
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