神殿の門をくぐったところで、眼鏡の奥の目がすっと細くなる。
「——大丈夫だった?」
小野寺さんは、僕の斜め前に立って、目線を外したまま薄く笑う。その立ち位置が、ほんま助かる。
「……忍者になりました」
「お、かっこいいね」
声が一段明るくなって、すぐにくすっと笑う。
「面談官の人、変な人だったでしょ」
「不思議な人でした。胡散臭い人やと思ったんですけど、真摯で……」
言いながら、言葉がひとつ詰まる。胸の奥で、妙な確信がかすめる。
「……もしかして勇者様の関係者やったり?」
(期待半分、困惑半分。——仲間やったら、若すぎる気もするけど)
小野寺さんは、唇に人差し指を当てて、いたずらっぽく。
「秘密だよっ」
(なにその言い方、可愛い)
「——なんてね」とすぐ柔らかく笑い直す。
「私の口からは言えないんだ。凪くんが任務をこなしていけば、また会えるかもね」
諭すみたいに、でも背中を押すみたいに。
話してるうちに、石畳のリズムが局舎の木の輪郭を連れてくる。
「……あ、もう局の前や」
「歩き慣れてると、時間が縮むんだよ」
小野寺さんが肩をすくめる。制服の袖口が光をすべる。
「手続き、すぐ済むよ。二級の記録と、職業札の登録だけ」
「お願いします」
「うん。——それでね」
小野寺さんが、ほんの少し声を弾ませる。
「手続き終わったら、すこしお茶しよっか」
「え、ええんですか」
「サボりじゃないよ!」と、両手を小さく振る。
「救済者の話を聞くのも仕事だからね。ね、忍者くん」
最後の一語だけ、ちょっと誇らしげに。
喉の鍵が、かちゃんと軽く鳴った気がした。
「……それやったら、次の任務とか相談したいです」
「おぉ、良いね。甘いのも食べながらねっ」
「約束でしたしね」
「そうだね、凪くんはもうちょっとスマートに女性をお茶に誘えるくらいにならなきゃね」
からかうような笑み。
「え? 僕なんかが誘っても……あれですし」
舌がもつれて、情けない。けど、笑ってくれたならまあ、ええか。
小野寺さんはふふっと笑い、扉を開ける。
玄関の影が僕らをひと口分だけ冷やし、すぐに受付の明るさが包む。
「それじゃあ、あそこの受付で」
先導されてカウンターへ。小野寺さんはてきぱきと書類をそろえ、指先で順に示す。
「ここに名前、ここに職業とタグ番号、ここに住所。——はい、どうぞ」
「はい」
ササッと書く。字が少し震えてないかだけ、こっそり確認。
「バッチリだね」
書類を受け取り、受付裏へ消えていく。ほどなくして、カウンターの向こうから手でオッケーサイン。
「これで局の方でも二級の確認、取れました。改めておめでとう!」
眼鏡越しの笑顔が、ほんま眩しい。
「おおきに。小野寺さんのお陰です」
小野寺さんはトコトコとカウンターを回り、軽く顎で入り口を示す。
「それじゃあ行こっか」
「はい」
(今から——糖分や)
肩並べず、半歩ずらして歩き出す。視線は外されたまま、会話はまっすぐ。
胸の内側で、二枚目の影がすっと馴染む。
(二級・忍者。ちゃんと届いた。次は話して、決めて、動く)
扉の向こうに、湯気と甘い匂いの予感がふわりと漂っていた。
連れてこられた店は、僕がこれまで一度も足を踏み入れたことのない“静けさの種類”をしていた。
真鍮の取っ手、深い色の木枠、アンティーク調の外観。外の喧騒が一枚のガラスですっと置いていかれる。
「ここ、私のお気に入りの店なんだ。凪くんも常連になってもいいよ」
小野寺さんがほほ笑んで、扉を押す。
カランコロン。低いベルの音が、店内の空気に丸く溶けた。
カウンターでは、老マスターがカップをきゅっと磨いている。
「……いらっしゃい」
耳にやさしいひと言。声まで木目調や。
小野寺さんは慣れた足取りで奥へ。「ここなら喋っても大丈夫だからね」
指先が示した席は、壁際の日陰。僕好みの位置取りに心の緊張がひとつ解ける。
「落ち着いた雰囲気でええですね」
「でしょ? ここ、凪くんにぴったりだって前から思ってたの」
(……見られにくい席、ちゃんと覚えてくれてるんやな。ありがたい)
「コーヒーとケーキのセットでいいかな?」
頷くと、小野寺さんはササッと注文を取りに行き、「少ししたら出来るって」と戻ってきた。
「すんません、何から何までやってもうて」
「じゃあ、次は凪くんにどこか案内してもらおうかな?」
いたずらっぽい笑み。
「僕で良かったら! ええ店、探しときます」
「楽しみにしておくね」
「次の任務のことなんですけど——」
「せっかくのデートなのに、いきなり仕事の話は嫌われちゃうよ、凪くん」
「え?! でっ……でデートですか??! すっすみません」
「ふふっ。冗談だよ、真面目な加賀谷凪くん」
いたずらの角度をほんの少しだけ戻して、柔らかい声に変える。
「うん、次の任務の話ね。何か考えてる?」
「(深呼吸ひとつ)職業に就いたばかりなんで、まずソロ向けのスリラー討伐とか、軽いので一回慣れときたいなって」
「堅実で良いと思うよ。足元から整えるの、凪くんらしいね」
指でテーブルの端をとんと叩いて、少し考える顔。
「規模の大きい討伐は今朝、矢場班が出てるから、早くて明後日の夕方には戻るはず。それの後処理の確認とか、小規模任務をいくつかピックアップしておくね。明日、また受付に来てくれる?」
「助かります。いつでも出れるよう、準備しときます」
そのタイミングで、トレーに小さな揺れ。
白いカップと、厚みのある皿。ナイフの横に、季節のケーキがちょこん。
湯気にやわらかい酸味、その向こうに焙煎の香りが運ばれてくる。
ひと口。
「……美味しい。(香りがええ)」
「でしょ! ケーキも美味しいよ」
勧められるままフォークを入れると、外はさくっ、中はしっとり。
「……うま。これ、正解ですわ」
「よかった」
眼鏡の奥がすこし細くなる。低い声で笑うの、反則や。
カップが半分ほど軽くなった頃、互いに最近の出来事をぽつぽつと。
僕は「忍者の最初に出た技が『苦無投』だけだったこと」「静落ちがまだ気のせいレベルやけど確かに効くこと」「隠れ身の未発覚一撃が『一日一回』って自制にちょうどいい縛りになること」。
小野寺さんは「受付の裏側で誰がどう任務を束ねてるか」「現場向けの伝言はどの窓口だと早いか」「記録は紙と口頭どっちを先にすべきか」。
「……やっぱり、口でですか」
「うん。緊急の時はどうしてもね。凪くん場合は紙の方がよく喋るから。正確だし、あとに残るのも大事だしね。裏方は目一杯サポートするからね、将来有望な忍者くん」
「任せます。紙、よう喋らせます」
二人で小さく笑う。店の奥で時計がコトと鳴った。
「それとね——」
小野寺さんが、さっきまでの柔らかい空気をすっと引き締めて、小声になる。
「最近、スリラーの“巣”が密接しているって報告がいくつか上がってるの。件数は多くないけどね」
(巣はふつう単体で、一定範囲を恐怖で満たす——二つが近接することもゼロやない、くらいに思てたけど……)
「これは俗説って言われてるんだけど、巣って“何かのモチーフ”になってる核に恐怖が集まってできるの。だから巣の核は基本ひとつ。そこから出てくるスリラーも系統が似るのよ」
「この前の凪くんの任務も、ゾンビっぽい人型が中心だったでしょ?」
「……そういえば、そうや。大小はあっても、みんな人型で、ゾンビ言われたらまさにやったわ」
言いながら、胸のどこかがハッと冷える。
「でね、核が近接して**“重なる”場所だと、単純にスリラーが多いうえに、弱点や挙動が食い違う。想定より手こずってるみたいなの」
小野寺さんの声に、憂いがひと滴落ちる。
「だから、探索に行くときは、いつも以上に気をつけて**ね」
「了解です。情報、助かります」
「ついでに、もうひとつ」
声の高さを半歩だけ落として、いつもの実務のトーンに戻る。
「矢場班の件。さっきの件にも関連するんだけど、戻りを見て、何かあったらすぐ教えるね。奏子ちゃんのこと心配だったでしょ?」
(……ほんま、おおきに)
「お仕事だからね」
言い切りの声が、まっすぐで、やわらかい。
ケーキの皿が空になって、カップも底が見え始める。
「次、凪くんおすすめの店、期待してるからね」
「任せてください。静かで、甘いとこ、線引いときます」
「ふふ。地図、楽しみにしてる」
会計を済ませて、扉の前。
カランコロン。外の光は少し傾いて、影が長い。
(甘味任務、完遂。次は——準備や)
「じゃ、明日。受付で」「明日」
半歩ずれて歩き出す。視線は外されたまま、歩調だけぴたりと合う。背中で“忍者”の布がすっと伸び、軽くなる。
(糖分補給、完了。準備、始めよ。投げて、歩いて、薄める)
胸の奥が、静かにやる気の温度になっていた。
その勢いのまま訓練場に向かおうとして——足が止まる。
(……あ、苦無、持ってへん)
うっかり。方向転換。武器屋へ。
昼下がりの武器屋は、油と革の匂い。カウンターの向こう、店主は無言で砥石を回している。こちらを一瞥もしない——助かる。
投擲棚の前で、鉄肌の苦無を手に取る。刃渡りは掌半分、重心は根本寄り。腰の帯に沿う薄いポーチも一緒に。
カウンターへ置くと、店主が品だけを見てぼそり。
「苦無、十で八万。ポーチ込みで十万」
値付けも態度もぶっきらぼう。でもこういうのが落ち着く。
「それで」
言われた額をそのまま払う。財布は軽くなるけど、心は重さが揃う。(趣味もなかったし、防具はほぼ無傷やし、貯金はまだある)
(よし。準備万端。訓練場や)
店を出たところで、空気を裂く大声。
「また会ったな、坊主!」
この無遠慮な響きは——鎧塚さんや。
「どうも」
「そういや、今日が職業決まる日だっけか? もう行ってきたのか?」
「忍者になりました。今から慣らしに行くところで」
「おお! かっこいいじゃねーの! 忍者ってことは、裸になると強いのか?」
「裸で探索してたら救済者やなくて、変質者やろ」
「ははは!」鎧塚さん、腹の底から笑う。「一昔前のゲームではそういうもんだったんだよ。——で、これから訓練場か?」
「そんなとこです」
「そうか。訓練中、少し邪魔しても良いか?」
僕はつい、胡乱げな目。
「わりぃわりぃ、邪魔したいわけじゃねぇよ。前に言ったろ、俺の息子紹介するって」
「……あ、そういや言ってましたね。(最近インパクト強い人ばっかで忘れてた)」
「忘れてただろ」口元に笑み。「連れて行くから、少し相手してくれよ」
「ええですよ。訓練場の誰もいてへん隅におるんで、声かけてください」
「あぁ、すまんな。先に行っててくれ、後から連れてくよ」
鎧塚さんはドスドスと大きな体を揺らして、別の通りへ消えていく。
(先に投げ癖、作っとこ)
僕はベルトのポーチを軽く叩いて、訓練場へと歩を速めた。指先が少しうずく。新しい重みが、手に馴染もうとしている。
作者のモチベーションに大きな影響を与えます。
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読んでくれてありがとうございます。
感想とか読みづらい箇所があれば教えてください。