何度か模擬戦を回した。条件変え、間合い変え、投げ方も一本ずつ癖を削る。
鉄の山はぐいぐい押してくるし、僕は影の縁を踏んでひたすら当て逃げ。
最後の一本を終えたところで、互いに肩で息が揃った。
「……今日はここまで、やな」
「異存、なし。拙者、学ぶこと多しで御座る」
グルマーはさっきからずっと饅頭を補給していて、面頬の下でもぐもぐのリズムが一切乱れへん。
(燃費、えぐいな……てか、戦場おやつの概念、完全に定着しとる)
僕はというと、被弾ゼロ。無傷。影の足運び、だいぶ体に馴染んできた。
「明日の朝、受付行って任務の件聞くから、一緒に来ぇへん?」
「御意! 父上殿からも『くっついて学べ』と申し付かっておる。随行いたす」
「ええで。顔は今日、ちょっとも見えへんかったけど……ええ奴そうやったわ」
面頬の隙間から、饅頭を口に運ぶ一瞬だけ、口元がちらり。
(……優しそうな口角。やっぱ、ええ奴や)
「父上殿! 拙者、明朝は受付へ参りまする!」
「おう、行ってこい。影、頼んだ」
軽く手を上げて別れる。夕方の訓練場は影が長く、床に伸びた鉄の山の影と、細い僕の影が一瞬だけ重なって、それから離れた。
腹が空いた。脳みそが糖分を要求してる。
いつものように局内の食堂でテイクアウト。今日は唐揚げ弁当とプリン。
(タンパク質、糖分、完全勝利や)
宿舎の自室。机の隅に、昨日塗った斥候ミニチュア。その横に、買ったばかりの苦無ポーチを置く。
弁当をサクッと片づけ、プリンをちゅるんとやっつける。
(投げ:良。歩き:良。薄め:良。明日は受付→任務相談→グルマー引率。)
外套を掛け、ベッドに倒れ込む。
目を閉じる直前、脳裏に面頬の口元がもう一回だけ出てきて、ちょっと笑ってしまう。
(楽しみやな。新しい仲間、増える予感)
枕が気持ちよすぎて、意識がとぷんと影に沈んだ。
翌朝。窓を割って入ってくる空気が冷たく気持ちいい。顔を洗って、帯を締めて、鐘が一つ鳴り終わる頃に部屋を出る。
影の細い道を選んで局へ急ぐと——扉の前に鉄の山がそびえていた。身を隠せるほどの大盾、何キロあるんやそれって凶悪メイス、それを片手で持つフルフェイス・フルプレート。
(……侍やない、やっぱ騎士やん)
内心ニヤけつつ、声をかける。
「おはようさん、早いなグルマー」
「おはようございます、凪殿。楽しみで、つい早く着きすぎてしまいました」
照れてる感じやけど、面頬の奥は読めん。声だけちょっと籠もる。
「僕は一つ目の鐘が鳴り終わる頃に出てる。次からはそんくらいでええよ」
(“次”ってええ響きや。先輩らしいとこ、見せなな)
扉を押して二人で受付へ。いつもの小野寺さんの窓口。……やけど、僕が誰か連れとるの、意外やったんか、笑顔が半分だけ硬い。
「凪くん、グルちゃん、いらっしゃい」
(あれ、いま笑顔固かったような……気のせいか)
「おはようございま——え、グルちゃんってグルマーのこと? 知り合いやったんすか?」
「遥姉さんとは小さい頃から知ってるで御座る」
「“小さい”って言っても当時でも身長、私と変わらなかったけどね。よく遊んでたの」
(うぐ……十代前半でこんな美人年上お姉さんと遊ぶって何その勝ち組経験。羨ましすぎやろグルマー!)
「さて、凪くん。依頼だったね。グルちゃんも一緒でいいのかな?」
「はい」「御意」
「ちょっと待ってね。凪くん用で考えてたから」
「すんません、成り行きで」
「拙者もすみませぬ。邪魔であれば、日を改めまする」
「いいのいいの! 凪くんがしっかり班を作れるっていうのも大事だからね。後輩の指導もするなんて、偉いよ、凪くん」
「い、いえ……」
「うーん、この辺かな……」
小野寺さんが書類を素早く選り分ける。紙がしゃっ、しゃっと鳴る。
その時——
バンッ!
局の扉が乱暴に開いた。冷たい朝の空気と一緒に、血の匂い。
決死の形相の救済者が転がり込む。
「緊急!! 矢場班! 討伐失敗!! 怪我人多数!! 救助に何人か頼む!!」
玄関ホールに、声が爆ぜて、反響した。
喉の奥で、心臓がどんと一回。
「小野寺さん、グルマー、任務は今度や」
思わず前に一歩出てた。自分の声がホールに跳ねる。焦りが舌に残る。
「凪君、向かいたいのは分かるけど、待ちなさい」
小野寺さんの声は水面みたいに静かや。
「もう少ししたら、しっかりした情報が出てくるはずだから」
「せやかて、すぐ出てこやんでしょっ!」
つい大きい声。言った瞬間、頬が熱くなる。(やってもうた……)
横で鉄の山が小さく揺れた。
グルマー、面頬の奥でおろおろしてるのが分かる。肩の浮き沈みで心拍が読める。
「奏子ちゃんたちが心配なのは分かる。でも、しっかりした情報がないと二次被害を引き起こす。分かるでしょう?」
聞き分けのない子に宥める口調。喉の鍵が、きゅっと締まる。
小野寺さんはふーっと長めのため息。次の瞬間、いつもの笑顔でくるっと切り替えた。
「五分ちょうだい。凪くん用に依頼、作るから。特別だよ」
目がぱちんと笑う。
「拙者は、どうすれば……」
「救助も必要なはずだから、凪くんと一緒に行って。——ちょっと待っててね!」
踵を返すと、受付裏へ軽やかに消える。
ホールでは、駆け込んだ救済者が職員に囲まれて、身ぶり手ぶりで状況をまくし立ててる。
「矢場が——判断早すぎ——巣が二重——」
切れ切れの言葉の断片が、耳に棘みたいに刺さる。
(焦るな、凪。息、整えろ。五分や。五分で線を引く準備をする)
意識を足裏に落とす。影の濃い場所を選んで立つ。それだけで、少し呼吸が戻る。
横を見る。自分より困惑してる鉄山。
(そら、いきなりこれはビビるやろ。デカいけど年下や。先輩は、僕や)
「グルマー、安心せえ」
面頬の横っ面に向けて、声の角度を柔らかくする。
「救助だけや。グルマーは力いっぱい、怪我人運んだれ。下手な車より力あるやろ?」
冗談、ほんの一匙。
面頬の奥でふっと空気が軽くなる。
「拙者、トラックであれば持ち上げられるで御座る」
冗談返し。ちょっと笑いが混じった声。良かった、戻ってきた。
「気ぃ使ってくれて、忝ない! ……もう大丈夫で御座る」
甲冑の胸板にこぶし一つ、こんと当てて気合を入れ直す。
「すまんな。僕も焦ってたわ」
苦笑いが漏れる。
「先輩やからな。頼りにしてくれや。……グルマー一人くらいは背負えるわ」
自分でも照れる台詞。頬の内側を噛んで誤魔化す。
「拙者、当初より凪殿を信頼して御座る!」
面頬の向こうで、たぶん全力サムズアップ。見えんけど、伝わる。
(——僕より、よっぽど気合入っとるな)
笑いそうになるのをこらえて、肩の力を一つ抜く。
「それと拙者、鎧合わせて百キロ以上はありますぞ!」
「そりゃ、気合やろ」
二人して、短く笑った。ほんの少し、空気が温くなる。
そのとき——受付の奥の扉がカチャと開いた。
小野寺さんが、茶封筒を二つ、小脇に抱えて戻ってくる。
顔はいつもの笑顔。でも目の奥は戦場の色になっとる。
「お待たせ。五分、ぴったり。——凪くん、グルちゃん」
指先で書類を二回、ぺんと叩く音が、合図みたいに胸に届いた。
横でグルマーは、いつの間にか饅頭の包みを開けていた。緊張と糖分の同居、さすがや。
「まず、情報ね。場所は京浜小学校。スリラーの巣が発見されて、今は休校中のところ」
小野寺さんの声は、いつもより半音低い。僕とグルマーは同時にうなずく。饅頭も同時にもう一口いく。こいつ、でかいのに可愛いな。
「矢場班が斥候を疎かにして早く進みすぎてしまって、罠に嵌った。分かっているのはここまで。蜘蛛型が多いのは確か。繭に閉じ込められている人がいる可能性を前提に動いて」
「繭、最優先で救助やな」思わず口が先に出る。
「そう。タイプはまだ断言できないけど、基本は熱に弱いはず。だから——」
小野寺さんは封筒からメモを一枚抜いて、僕らに見せる。「簡易バーナーを用意してる。ただし屋内では最終手段。まずは糸を見える化して、切る・はずすを優先。これ、装備庫で渡すから車の中で確認ね」
「承知つかまつったで御座る」金属の箱の中からくぐもったグルマーの声。饅頭の包み紙がくしゅっと小さく鳴った。
「先遣隊として二人に行ってもらいます。局からサポート二人(担架要員)、神殿から医療二人。計六名で現場へ。本隊は別便で組成中、到着までの安全地帯確保と生存者の位置特定が目標。——深入りは厳禁。ほんとに気をつけて」
僕の喉の鍵が一瞬だけ重くなる。(奏子……矢場班……)
けど、鍵はすぐ外れた。やれることは決まってる。
「昇降口は開いてる。裏口もあるけど狭い。廊下には糸。見た目は払えば切れるのも混じるけど、**硬い“ピアノ線みたいな糸”**が紛れてる報告あり。頭上注意。繭の回収は校内各所になりそう。階段も危険」
状況の地図が、脳内で勝手に線を引いていく。右壁沿いに“道”、繭は“荷”。声に出す言葉の順番を、今のうちに並べておく。
小野寺さんは、次の紙を指でなぞってから、少しだけ表情を引き締める。
「凪くん。この前話した“巣が重なる”件、覚えてる?」
「最近のことやから、もちろん。……まさか、今回も?」
「多分、そう」短く、でもはっきり。
「蜘蛛型だけでは説明できない痕跡があるの。妖怪めいた“噂”系の兆し。二つ重なってると思って動いて。視線が集まる場所や反射にも注意してね」
視線、反射。僕の弱点に直結する言葉やのに、不思議と手は震えへん。(祈さんの“散らし”……借りたいとこやけど、今日は医療班が来る。大丈夫、言葉で回す)
玄関の方から足音。若い局員が駆け込んできて、手を挙げた。
「車、準備できました! 装備も積み込み完了です!」
「助かる」小野寺さんが軽く礼を返して、僕らに向き直る。
「必要になりそうなものは一通り積んだわ。担架、ロープ、チョーク粉、石鹸水のスプレー、糸切りの鉤、簡易ジャッキ、白布、清め粉、バーナー。車内で局員と最終確認して。神殿の医療二人は現地で合流する予定」
列挙される道具が、胸の中で“安心”に変換される音がした。用意がある、道が引ける、戻せる。
「さ、二人とも。準備は大丈夫?」
小野寺さんは、ほんの一瞬だけ目尻を柔らかくした。「気をつけて行ってきて。無事に帰ってきてね。待ってるから」
「了解」
「委細承知で御座る!」
声が重なった。僕は一拍置いて、いつもの調子で付け足す。
「見つからんまま、見せて、連れ出します」
小野寺さんが、ふっと笑って、封筒で僕の肩を軽く叩く。「頼りにしてるよ、忍者くん」
胸の内側が温うなる。(任せろ)
グルマーが大盾を持ち直して、ごつんと床に当てた。「出陣で御座る!」
「床、傷つけんなや」
「ははっ、失礼つかまつった!」
局員が手で合図し、玄関へ先導する。ホールを抜けた外気は少しひんやりして、匂いで季節が分かるレベル。駐車帯に止まったワゴンの後部は、すでに扉が開けられ、担架の金具がきちんと並んで光っていた。
「装備の確認、お願いします!」
若い局員がチェックリストを読み上げる。
「担架二、ロープ二巻、チョーク粉三袋、石鹸水スプレー二、糸切り鉤二、簡易ジャッキ一、角木四、白布四、清め粉二、バーナー二、オイルランタン二。——問題なし!」
「ええやん。積み直し不要。このまま行こ」
僕は苦無の重みを確認し、ポーチの口をきゅっと締める。グルマーはメイスの柄を握り直し、こくりと一つ。
「目標は生存者の特定と搬出、校門からグラウンドへの“道”の確保。殲滅は後続に渡す。無茶はしない」
言葉にすると、喉の鍵が完全に消える。できることを、やるだけや。
「——出発!」
作者のモチベーションに大きな影響を与えます。
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