ワゴンのドアが閉まる音が、腹に来る良い音で鳴った。
エンジンが低く唸り、局舎が後ろに流れていく。窓の外の光が揺れて、膝の上の手が勝手に拳を作った。
(見つからんまま、導く。繭は必ず連れ戻す。——待っとけ、奏子。待っとけ、みんな)
助手席で局員が、地図を僕に渡す。「京浜小まで十五分。到着したら、現地で神殿班と合流です」
「了解。昇降口から入って右壁沿いで行きます。粉で糸を出して、道引く」
僕は地図の角を指でとんと叩いた。
「戻る道は太く。誰でも踏める線にする」
「頼もしいで御座る、凪殿」 金属越しの声は、いつもより少し低かった。
「グルマーも一緒に太くすんねんぞ」カラッと笑う。
「承知つかまつった」 ワゴンは、信号を滑るように抜けていく。車内の空気が、任務の温度にじわじわ温まる。
「じゃ、確認しよか。合図は声で統一。『止まれ』『集まれ』『戻れ』の三つ。——これ、絶対に間違えんこと」 「心得た。されど、昏い廊下で声だけは不安が残るで御座る」 「せやな。指さしと復唱、徹底しよ。誰かが言うたら、全員が同じ言葉を返す。『止まれ』言うたら、全員で『止まれ』」 「うむ。重ねて胸に刻んだ」
後席の局員も身を乗り出してくる。 「僕らも合わせます。『止まれ』『集まれ』『戻れ』、復唱ですね」 「そう。あともうひとつ。救助優先。戦いになりそうでも、今日は無茶せん」 「了解!」
短い言葉が何度も往復して、意識が一列にそろうのが分かる。(これや。線は、もう引けてる)
十五分後。ワゴンが減速し、校門の前で止まった。 鉄の門扉、風に揺れる雑草、剥がれかけの行事ポスター。見た目は“ただの学校”。グラウンドだけが現実を告げてる——ブルーシート、担架、うずくまる人影、白い包帯の光。
(つい昨日まで、ここで誰かがボール蹴ってたんやろな……) 胸の奥で、何かがきゅっと縮む。けど、すぐ伸ばす。連れ出すために来たんや。
「僕らは道具準備が終わり次第動けます。お二方も準備を」若い局員が振り返る。 「いつでも大丈夫や」
「いつでも行けるで御座る」
(若いのに頼もしい……さすが小野寺さんの推薦だ)と、局員が目で言うてるのが分かる。ええから早よ積んで、頼む。
スライドドアが開いた瞬間、影が二つ、音もなく近づく。 「神殿派遣です。同行いたします」 フードを深う被った男女。僕の事情を知ってるのか、自然に目線を外してくれてる。助かる。
「神殿治療の真砂(まなご)と申します。こちらは補助の文(あや)です。必要なら“視線散らし”の簡易札、すぐ張れます」 「助かります。止血と安静、頼みます。——合図は声で。今、共有しますね」
その場で簡易ミーティング。
「先頭、僕。導線引きと危険点マーキングやる。二番手がグルマー。盾で道を押さえる。真砂さんと文さんは真ん中、担架の局員が最後尾。——止まれ・集まれ・戻れ、全員で復唱。繭を見つけたら**“繭ひとつ・救助開始”って声に出す。糸はまず見える化**、石鹸水か粉。燃やすのは最終手段」
「了解」
「了解で御座る」
「了解」
「了解しました」
復唱のリズムが揃ったところで、局員が装備箱を両手で掲げる。 「準備、完了です!」
荷台には、担架二つ、ロープ、チョーク粉の袋、石鹸水スプレー、糸切りの鉤、簡易ジャッキ、角木、白布、清め粉、バーナー、オイルランタン。きれいに、太い線みたいに並んどる。
「先導する。グルマーが二番手。真ん中に神殿組。最後が局員。——これで行く。ほな、気張ってこか」
「参る!」
「はい!」
「了解!」
グラウンドの土を踏む。砂の感触が靴底でやわらぐ。救護所でうめき声。胸が波打つ——焦らん。
校舎の昇降口、開きっぱなしの扉。その内側は、昼間やのに薄暗い。空気が重い。恐怖の匂いや。
「凪殿」
「ん?」
「拙者、大盾は斜めに構える。万一糸を切り損ねても、人が引っかからぬ角度に受ける所存」 「完璧や。僕がまず粉を撒く。白う浮いたら、僕の後をピタ付け。——止まれ言うたら、すぐ止まる」
「止まれ」とグルマーが先に復唱する。
「止まれ」神殿組も続く。
(よし、揃ってる)
僕はポーチからチョーク粉をひとつ掴み、指先で軽う潰す。白い粉が、手の中で小さく鳴る。
「行くで」
昇降口へ一歩。空気が変わる。
白い粉を床に払う。細い線がふわっと浮いた。何もない空間に、見えない糸が“見える”。
「——あった。低い位置に一本。右壁から二歩目。止まれ」
「止まれ」全員の声。
僕は糸切りの鉤をすべらせ、そっと引く。ぱつ、と小さな音。
「一本、処理。集まれ。右壁沿いに半歩ずつ前へ」
「集まれ」
グルマーの大盾が斜めに傾き、神殿の二人が影みたいに続く。
僕はもう一握り、粉を撒く。白い筋が三本、床から膝くらいの高さに走る。
「三本。高低バラバラ。——止まれ」
「止まれ」
(……よし、行ける。見つからんまま、見せて、連れ出す)
僕は振り返らず、けど声でつなぐ。
「繭見つけたら『繭ひとつ・救助開始』。危険は『危険あり・停止』。撤退は『戻れ』。——忘れるな」
「了解!」
「了解で御座る!」
校舎の奥から、かすかな擦過音。遠い、でも近づいてる気配。蜘蛛か、あるいは“もうひとつ”か。
喉の鍵は——ない。準備は済んだ。線は引ける。
「先導、再開。——前へ」
「前へ」
白い粉袋を握り直して、体温を影に沈める。廊下には糸が、雨上がりのクモの巣みたいに隈なく垂れていた。埃と金属と、わずかな甘い匂い。(……餌を保存してる匂いや。油断せんと行こ)
グルマーたちから十メートル先行。短剣の腹で、安全な糸だけを払う。粉を指先からひと撫でして、見えづらい線を浮かせる。
「これは大丈夫。——こっちはどっかに繋がっとる。触るな。右半歩寄って、左一歩で回避」
「了解」後続の声が落ち着いて返る。
曲がり角の先、机と椅子が乱雑に積まれた山が道を塞いでいる。
「……生存者の気配がする」
声は小さく。僕は山の周囲を円を描くように回り、罠の有無を確かめる。床に硬い糸はない。壁沿いの線は飾りや。近づける。
山の奥から、押し殺したうめき。
「大丈夫か。意識はあるか」
「た、助けてくれ……! 机に挟まれて動けねぇ……助け……!」
「叫ぶな。まだスリラーがおるかもしれん。すぐ出す。落ち着いて深呼吸だけや」
振り返らず、声だけ飛ばす。
「救助者一名発見。仕掛けなし、敵影なし。——救助開始」
「救助開始」復唱がそろう。
「大きい音は厳禁ですね。角木とてこ棒、段階でいきましょう」局員が短く指示。
「承知つかまつった。拙者、盾で荷重を受け申す」グルマーが巨盾を斜めに立て、崩落を止める角度に構える。
「ほな、手前から順に出していくで。山は並べ替えで崩さんこと」
道具は最小限。手前の椅子と机をそっと廊下に並べ、重い会議机だけはグルマーが腰で持ち上げる。
「ふん……っ!」
鉄の山みたいな腕で持ち上がる。局員二人が引き出す角度を合わせ、男の体を滑らせる。
顔が見えた。(……矢場班のやつや)
「はい出るで。息吸って、吐いて——今」
抜けた瞬間、山がまた軋む。
「止まれ」僕が落として言い、全員も止まる。音が落ち着くのを待ってから、担架を寄せる
神殿の女が膝をつく。
「状態、見ます。頭は打ってない? 痛む場所は?」
「お、おう。足と……腕と肋、たぶん打撲だ。骨は折れてねぇと思う……」
「呼吸は整ってる。搬送優先。——担架、お願いします」
担架が滑り込み、固定。
「一人目、搬送。神殿ひとり、局ひとりでグラウンドまで。戻って合流」
「了解」
担架が離れるとき、男が僕を見て口を開く。
「ありが……って、加賀谷じゃねぇか」
視線が刺さる気配に喉が固まりかける。僕は無視して前を向く。
神殿の女が間に入って、穏やかな声で遮った。「お話は外で。今は呼吸だけにしましょう」
担架が昇降口の光へ消える。
(よし、一本目の線は繋いだ。次や)
山のさらに奥、白い楕円が二つ、ゆらゆらとぶら下がっている。繭だ。上に小型の蜘蛛が一匹、糸を吐いて層を増やしてる。小型犬ほどのサイズ。
「止まれ。蜘蛛一、繭ふたつ。——視認」
「視認」
「僕、先行く。動かんといて」
足元の影に、とぷんと潜る。体温がすっと落ち、廊下の線が遠のく。(……背中向けとる。いける)
繭の真下の影へ滑り、蜘蛛の腹側に沿って背後へ回る。短剣を逆手に握り、呼吸をひとつ吸って、吐く。
すう、と出る。
刃が胴を割り、頭まで通る。足が二度、痙攣して霧に変わる。濁った緑色の核がコロンと落ちた。
(ふぅ。敵影ゼロ)
影から出て、手で合図——じゃなく声で。
「片付いた。——救助急ぐ。火は使わん。温めて緩めて、鈍い刃で開ける」
「承知」
神殿の男がランタンを繭に寄せる。「熱はこれくらいでいい。焦らずに」
局員が石鹸水を霧にして吹く。重なった糸の継ぎ目がふわっと浮いた。
「ここやな。——開けるで。中、息が荒なったら言うて」
短剣の背で継ぎ目を撫で割り、指に付けた清め粉で接着を鈍らせる。繭がすうと口を開き、顔がのぞく。若い巡回班員、涙目、でも生きてる。
「声出すな。今、出す。——息は鼻から」
「……っ、あ、ありがとう……」
グルマーが繭ごと支え、局員が肩を抜く角度を作る。神殿が首と腕を固定。
「二人目、搬送。——外まで戻る」
「戻る」
天井の暗がりがふっと揺れた。耳の奥で、糸が鳴る。かすかな“ピン”。
(上、残っとるやつが一匹)
梁に猫ほどの影。
「グルマー、上。構えて——来るで」
「承知!」
影が落ちる瞬間、僕は苦無を一本、眼の間へ通す。金属音より先に、影は床で痙攣して止まり、淀んだ緑の核を残して霧に溶けた。
「クリア。撤退線に戻す。二名確保——一旦外や。もう一回、行ける」
「了解」「承知」
気づけば、グルマーはいつもの饅頭をもぐもぐやってる。(どこから出てくるねん、それ)
担架が光のほうへ滑っていく。埃と金属の匂いが薄くなる。
(まだ三人。まだ間に合う命は、おる。焦らん。線を太く、確実に)
昇降口近くは空気が温かい。遠くで救護の声が飛ぶ。「血圧、安定」
僕はひと息、深く吸って吐く。
「もう一往復、いける」
戻った足で残ってた繭をもうひとつ開け、二人目も担架に乗せて引き渡す。外で神殿と局員が受け取り、こちらに親指を立てた。
サポートと神殿組が再び合流する。
「全員、問題なし?」
頷きが揃う。
「行くで。——前進」
「前進!」
作者のモチベーションに大きな影響を与えます。
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