陰キャ、無口のコミュ障でもやる男です   作:イェスコマ

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33話

校舎の暗がりへ、もう一度溶け込む。今度は廊下沿いの各部屋もひと部屋ごとに潰していく方針だ。

 

 相変わらず僕が十メートル先行。粉で線を浮かせ、短剣で安全な糸だけを払う。

 昇降口をくぐってすぐ右、白い札に「保健室」。まずはここや。引き戸の桟に絡む糸を見切って、ほんの指一本ぶんだけ開け、中を覗く。

 

 ——糸が一本もない。

(……さっきまで蜘蛛の巣だらけやったのに、ここだけ空気が澄み過ぎや。逆に、怪しすぎる)

 

「入る。足は静かに」

 呼び寄せて、全員で保健室へ。グルマーは大盾をぐっと構え直す。神殿はランタンの火を落として、手元だけを照らす。

 

「何も無さそうに見えますね」局員が小さく息を吐く。

(いや、ないほうが変や。何か、置いてある)

 

 ころころ、と床を転がる音。

 見ると、プラスチックの何か——腸の模型の一部が、ベッドの下から転がり出てきた。

 その直後、軽い足音が、カーテンの向こうへぱたぱた逃げる。か細い声が、擦れたラジオみたいに漏れる。

 

「……か……かえし……て……わ、たしの……し……」

 

 奥のカーテンがばさっと開く。

「——しんぞう!」

 胸の一部がぽっかり空いた人体模型が、車輪をギギギと鳴らしてこちらへ突進してきた。

 

「グルマー!」

「いざ!!」

 

 大盾がズドンと前に出る。人体模型が激突、盛大にプラ臓器をぶちまけて床一面。

「た、倒した?」サポートが喉を上下させる。

 

「まだや! 核落としてへん! ボサッとすんなよ!」

 僕が制す間にも、人体模型はぎこちなく立ち上がり、もう一度ゴオっと突っ込んでくる。

 

「何度でも叩き潰すで御座る!」グルマーが盾で受け、押し返す。

(……ギミックや。こいつ、どっか実体で繋がっとる)

 

「——しんぞう!」

 また叫ぶ。床には肝臓、腎臓、肺、脾臓……心臓だけが見当たらない。

「心臓や! 心臓を潰せ! 散らばった中、探せ!」

 局員と神殿が、一斉にベッドの下や棚の影を探り始める。人体模型はその間もガンガン当たってくるが、グルマーが壁みたいに止め続ける。

 

「凪殿! 手を!」

 はっとして人体模型の手を見る。右手が握っている。何かを。

「お前が持ってんかーい!」

 思わずツッコんで、苦無を一投。握られた赤い心臓模型のど真ん中に突き立つ。

 

 瞬間、模型の身体がフッと力を失った。霧になってほどけ、床に白く濁った核がころんと残る。

 

 全員、息を吐く。

「終い。——核、回収。部屋、クリーン。次、見て回るで」

「了解」「承知」

 

 僕は核を布袋に落とし込みながら、部屋の気配をもう一度撫でる。

(糸ゼロ。学校“側”の巣の影響や。蜘蛛と重なっとるの、やっぱり当たりやな)

 

  廊下へ戻る。僕は白い粉袋を握り直し、足元に細い白線を伸ばす。これは「罠なし・安全」の印や。床板の節目や、壁のヒビの“目印”も拾いながら、線を切らさず前へ。

 

 保健室の隣、札には「更衣室」。引き戸の桟に張りついた糸を短剣でそっと払って、隙間を息一つぶんだけ開ける。

 中はロッカーが左右に列をなし、上から下までくもの巣で縫い合わされとる。白、灰、そしてところどころ銀。空気がねっとり重い。

 

「待機。僕ひとり入る」

 グルマーの大盾が、すっと扉前に立つ。

 僕は“影”へ沈む。足音も呼吸も、薄紙みたいに薄く。ロッカーの足元、ベンチの影、鏡台の下——敵影なし、救助者なし。糸は“揺らすと崩れる”タイプやけど、触らんで済む。

 

 するりと廊下へ戻って、手短に共有する。

「更衣室、スリラーも救助者もゼロ。糸を弾いたらロッカーが雪崩れる。入る必要なし」

「拙者らは踏み入らぬが得策で御座るな」グルマーは相変わらず饅頭をもぐ。

 局員と神殿組も、こくりとうなずく。

「次行くで。——前進」

「前進」

 

 そのとき、外からサイレンの短音が一度。合図や。

 局員が耳を澄ませる。「搬送二名、安定。後続本隊、到着まで十分」

「ほな、次の部屋まで行って道を太らせて返す。焦らんようにな。まだ助けられる命は残っとる」

 

 僕は一歩、影の浅瀬を踏む。グルマーの大盾がぼす、と床を噛み、神殿のオイル灯は呼吸みたいに明滅。

「前進」「前進」

 

 昇降口から右の並び——保健室、更衣室、その先が職員室や。ここを押さえれば、一階右手の確認は一旦切れる。廊下の張り糸は、細いのと太いのが混じり始めた。太いのは“ねばつき”が強い。札を貼る、邪魔なのは静かに切る。白線は壁際へ寄せて通す。

 

 職員室、到着。

 扉に手を掛けると、指先へ伝わる微震。中で何かが動いとる。

 僕は引き戸を指一本ぶんだけ滑らせて、暗がりを覗く。

 

 蛍光灯は半分死んで、残った光が机の群れをぬらす。部屋の中央に、大型犬ほどの蜘蛛が一。天板の間で足をたたみ、腹を上下させてる。

 両端には同サイズが二。そいつらは繭の上にのしかかり、吐いた糸を重ね塗りしとる。繭の内側から、くぐもった息の音。

(“食う”より、“生かしたまま包む”気配。時間、刻一刻や)

 

そおっと扉を閉め、振り向かずに報告する。

「職員室、蜘蛛三。中央に一、両端に一ずつ。繭三、上から重ねとる。……たぶん中、生きてる」

 

 息が詰まる音が、背中の向こうでいくつか。

「急いで繭だけでも回収せなアカン」

 そう言うと、グルマーがわずかに顎を引いた。

「拙者、盾には自信あり申すが……扉口で抑えるのが最善で御座るな」

 局員が申し訳なさそうに肩をすくめる。「我々、戦闘は不得手で……」

 神殿の若い女が一歩出る。「扉口に簡易結界を重ねられます。回復のサポートでしたら任せてください。ただ、突破には耐えられないと思います」

 

「大丈夫。扉の枠にグルマーが大盾。蜘蛛はデカいんで盾を跨いでは来ぇへん。正面だけ抑えればええ」

 僕は視線を床へ落としたまま、声だけ落ち着かせる。

「サポートと神殿の出番は、大蜘蛛潰してから。厳しかったら合図出す。合図は“白=前進”“赤=停止”。赤が出たら、何があっても止まって。——ええな?」

「了解」「了解です」

「グルマー、僕はサクッと蜘蛛減らしてくるわ。漏れた蜘蛛を押し潰す権利あげるわ。討ち漏らしたら——頼むで」

「任された。凪殿の背、拙者の盾で必ず守り申す」

 

 胸の中で鼓動が一段、強うなる。(見られてへん。見せる番や。減らす、救う、返す)

 

「……僕も、結構やるってとこ——見せたるわ」

 空気が、ぴんと張る。

「ほな、準備ええか?」

 小さく「はい」「承知」「はい」が重なる。オイル灯の炎が一つ、強くなる。

 

 僕は手の中の苦無を逆手に返し、短剣を鞘走りさせた。

「——突入」

 

 

 

 扉が走路になる。僕は一歩で踏み切り、正面の蜘蛛へ指先だけで苦無を送り出した。

(指、かかった。乗った)

 黒い弧が一直線に走り、頭蓋のど真ん中へ——ぶす、と鈍い音。巨体がひっくり返って足をばたつかせる。

 

 同時に、僕は影へ沈む。床板と床板の黒い継ぎ目が“水面”みたいに開き、体温ごととぷんと吸い込まれる。視線は滑り落ちてく、気配は薄紙に。

 扉口ではグルマーが大盾を枠いっぱいに据えた。鉄の壁。どう足掻いても背後へは抜けられへん。

 

 左右の蜘蛛がこちらを認め、「シャァァッ」と喉を擦る音。牙がぎらり、節の太い脚が床を叩く。片方が威嚇を続け、もう片方が跳んだ。

「——来る!」

「拙者、受ける!」

 グルマーの膝が沈み、腕が盾の裏でぐんと張る。飛びかかる影——その首が、すると落ちた。

 僕の短剣が影の内側から真横に走ったからや。床に落ちた頭が二度跳ね、緑の核がからんと転がる。霧がふわり。

 

 残った一匹が威嚇を止め、扉口の壁だけを見ていた目を、やっと“見えない相手”へ向ける。けれど位置は掴めない。

(そらそうや。僕、まだ“そこ”にはおらん)

 

 一歩、蜘蛛が前へ。その一歩目で、頭が落ちた。

 短剣の返し。切っ先が走った空気がひやりと背を撫でる。核がまた一つ、ころり。霧が淡く溶けていく。

 

 影から僕がすっと現れる。ちょうど扉の内、グルマーの大盾の横。

 やっと全員が僕を視界に入れる。

 残りは、最初に転がしたやつがまだ仰向けでじたばた。頭に刺さった苦無をぶんぶん振り回して、致命になり切れてない。

 

「グルマー。プレゼントや」僕は顎で示す。「仕留め、頼んだ」

 

「しょ、承知!」

 ずしん。盾を半歩押し出し、上からメイスがどごっと落ちる。甲殻がぐしゃと潰れ、緑の核が露出してかちゃんと鳴き、霧に変わった。

「拙者の出番、頂戴仕った!」

「ようやった。——救助、急ぐで。繭、三つ!」

 

 局員と神殿組が一斉に動く。

「天井側、ロープ掛けます!」

「扉口に結界二重! 通り道は白、踏み越え禁止!」

 梁から下がる吊り杭にロープを巻き、繭の重心を探ってそろそろ下ろす。ぶちぶちと細糸が切れる音。

「中の呼吸あります!」神殿の若い男が耳を当てる。「体温も残ってる、まだ行けます!」

「下から支えるで」僕は繭の影側へ回り、床すれすれで掌を添える。落ち際の揺れを殺すために。

 

 **どすん。**一つ目、着地。

 神殿の女が短く祈り、繭の口へ小さな炎。「焦らず、外側だけ焼き切る。中に熱は通さないで」

 局員が水袋を構える。「熱が走ったら、即冷却!」

 

 二つ目もそろり。梁の黒が揺れ、糸がビンと鳴る。

「上、一本生きてる!」

「止まれ——赤!」

 全員の手がその場で凍る。息だけが静かに往復する。

 僕は影を踏み、残った糸の付け根へ指先。生臭いざらつき——(罠や)。

 短剣の刃を紙一枚ぶんだけ当てて、さく。音を立てずに切断。

「白、続行」

「白、続行!」

 重さを受け替え、二つ目、着地。

 

 三つ目も同様にそっと下ろす。

「こちらも呼吸あります!」

「生存者三名、確認!」

 

 扉外の大盾はびくとも動かない。グルマーの肩は上下せず、そこに鉄の城があるだけ。

「グルマー、ええ壁や」

「拙者、壁こそ本懐にて!」

(やっぱ相性ええ。僕が消えて、あいつが残す——ええ“波”や)

 

 繭の口が割れる。熱気と埃っぽい息が漏れ、くぐもった声。

「……ぅ、あ……」

「動かないでください。助けに来ました」神殿の女が、耳へ届く低さで告げる。

 白布が開き、顔が覗く。灰をかぶったような若い男。胸は薄く上下。——片腕が干からびたみたいに萎んでる。見覚え、ある。奏子の班の一人や。

「血圧、確保。喉は乾燥強い、オイル水を少し。腕はここでは処置不可、急いで外へ」

「担架、一!」

 局員が折りたたみ担架を滑り入れ、体をすべらせるように移す。

「白、廊下まで搬出」

「白、了解!」

 

 二つ目の繭。こちらは小柄。切り口を開いた瞬間、短い悲鳴。

「っ……!」

「大丈夫。見ないで。呼吸に合わせて——吸って、吐く」

(奏子か?!)胸の内側がきゅっと縮む。

「脈、あります。脱水重度。すぐ外へ!」

「担架、二。白、搬出!」

「白!」

 若い女はどろどろの粘液に浸かっていたのか、服が重く、片脚が枯れ枝みたいに痩せている。これも奏子の班の一人。

 

 最後の繭は分厚い。刃が入らず手間取る。

 ようやく口が開いた——声はない。

「脈、あります。失神です。外へ!」神殿の女。

「拙者が」

 グルマーがのそと進み、大盾を担架代わりにしてそっと抱え上げる。

 

 ——奏子だった。

 いつもの快活は影もなく、眠るみたいに白い。目立つ損傷はない。

(……生きてる。けど、悔しい顔しとる。ほんま、無茶すんなや)

 

 室内が静けさを取り戻す。机の脚が一本、ころりと転がるだけ。

 核は三つとも回収済み。霧は薄い。白線はまだ鮮明。

(繭三、蜘蛛三。数は合う。……でも)

 

 耳の奥で、小さなカツ。鈴でも金属でもない、爪がタイルを叩くみたいな。

 廊下の曲がり角の向こう、薄闇の底から。

(来るか……いや違う。“来る”音やない。“歩いとる”音。蜘蛛やない。別口)

 

 胸の熱が一度すっと下がる。

(巣が二つ。蜘蛛だけやない。保健室の人体模型——学校の怪談系が混じっとる)

「——全員、赤」

 扉口へ戻りながら、はっきり告げる。「停止。耳を澄ませ」

 

 大盾の裏でグルマーの呼吸が整う音。神殿の灯がこっと小さく鳴る。

 カツ、カツ……今度は天井から、四点で。

「天井裏……?」局員が囁く。

「違う。多分——掲示板の上、梁の影」

 僕は床に指をつき、白粉で矢印を描く。「白はここまで。この先、別系統が混じっとる。深入り禁止。搬出優先で退く」

 

「了解」

「了解です」

 扉を閉める直前、空気がふっと軽くなった。蜘蛛のねばつきが消え、代わりに紙とチョークの匂いが微かに流れ込む。

(やっぱり、おる。学校の別口や)

 

「——白。廊下へ。白、昇降口まで後退。白の線を踏んで歩く」

 言葉で、確かめる。誰も迷わんように。

「白、後退!」

「白!」

 

 担架が動き、足音が揃う。白線は太く、戻る道は誰でも踏める。

 最後尾で影を払いつつ、扉口を振り返る。

(蜘蛛の層は薄まった。三人、返せた。——でも、もう一層ある)

 

 大盾越しにグルマーが低く言う。「凪殿。戻り次第、本隊へ報告——蜘蛛にあらずの可能性、添えまする」

「頼む。言葉で、はっきりな」

 廊下の向こうで、カツが一つだけ鳴って、止んだ。

 

 昇降口の明かりが近づく。外の風が、蜘蛛の匂いを洗い流す。

 僕は白線の端を指でとんと叩いた。(戻る道は太く。誰でも踏める。——返す)

 

「——外へ」

「外へ!」

 

 光の中へ、三つの担架と六人の影が抜けた。

 

 

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