昼飯で胃の底があったまったころ、テントの端にいた局員に声をかけた。
「本隊、今どんな感じですか」
局員は書板をめくって、すぐ答える。
「さっき一階の左手側を殲滅し切ったって報告が入りました。今は二階へ上がる階段、机と椅子の撤去に移ってるはずです」
「情報おおきに」
「情報、忝ない」グルマーが兜ごしにぺこり。
「ほな、合流しに行こか、グルマー」
「おおとも!」
僕らは立ち上がり、暗がりの校舎へ戻る。校門から見える昇降口の先では、工兵が無言で動線を作っていた。机を抱えてはグラウンドへ、椅子を束ねては台車へ。金具の触れ合う乾いた音、木の脚がコンクリを擦る低い音。それらが、ずっと続く。
(道、太うなってる。戻る人らが迷わん“帰り道”や)
工兵たちの脇を縫って昇降口をくぐると、校舎内は人の熱で少しだけ暖かい。正面で、馬場隊長が短い号令を飛ばしていた。現場腕章がよく似合う、無駄のない声。
「隊長、補給終わりました。これから合流します」
「加賀谷、鎧塚。よく戻った」
馬場隊長は廊下の先を一瞥してから、こちらへ向き直る。
「スリラーの数が多い。廊下は障害物だらけだ。被害を減らすため、急がず片づけ優先でいく。——二階の状況がまだ掴めん。加賀谷、偵察に入れ。見たものは“言葉で”簡潔に報告だ」
「了解です」喉の鍵が一つ軽く外れる。(見つからんまま、見せる番や)
隊長は続ける。
「鎧塚はここに残れ。工兵と戦闘班の盾先頭。崩し方を間違えるな、指示は声で徹底しろ」
「承知つかまつった」
グルマーは大盾を胸元でしっかり受け、どっしりと一歩前へ。壁がひとつ、生まれたみたいに通路が落ち着く。
「加賀谷」隊長が地図を半歩差し出す。「戻る線は、太く引け。危険は“言葉”で床に残して構わん。撤退はためらうな。——任せた」
「任されました」
僕は白粉の袋と苦無の重さを確かめる。グルマーの肩に軽く手を置いた。
「ほな、行ってくる。僕が戻るときには、1階スカスカにしててや。よろしくな、グルマー」
「拙者一往復でいくつ机運べるか挑戦するで御座る」
工兵の背中をすり抜け、階段の影へ。息を細く、長く。(偵察は最初の一歩で決まる。焦らん。確実に)
踊り場の手前で一度しゃがみ、白粉の袋を握り直す。壁際に肩を沿わせ、靴底が鳴らん角度を探して一段ずつ。吐く息は浅く、長く。
二階。空気が変わった。蜘蛛の生臭さが薄れて、代わりにチョークと床用ワックスの匂い。低い天井、並んだ掲示板と額縁。習字の「心」、図工の貼り絵、歴代校長の写真がずらり。
(……見るな。こっち見るなよ)
額の中の目が右へ左へ廊下を掃き、ひとつがぴたりと僕の側へ止まる。影と同化してるはずやのに、あからさまに疑ってる視線。試しにポケットの小石をころりと転がすと、写真の目が石を追い——口が、開いた。
(呼ぶ気や!)
考えるより先に苦無が走る。紙がぱらりと立ち、白く濁った核を一つ落として霧に変わった。
(額もスリラー……口で呼ぶ“見張り”か。見つかったら一斉に寄ってくる。祈さんの“視線散らし”、欲しい場面や)
足元へ白粉で短い線。「ここは安全」「この先注意」——小声で自分に言い聞かせるみたいに残して進む。
「3−1」。引き戸を指一本ぶんだけ開ける。黒板の前に立つ人体模型が、棒を持って授業をしていた。机には子どものサイズの人体模型と骨格模型がずらり。ざっと三十以上。(多すぎや) 音を立てずに閉める。「3−2」も同様。「4−1」「4−2」も……気配の系統は同じ、蜘蛛は皆無。
(数、洒落ならん。……これ、本隊でも足りへんのちゃうか)
トイレの奥から「遊びましょう」と不気味な少女声。理科室では瓶を弄ぶ骨格。音楽室では勝手に鳴るピアノ。ぞっと背中を撫でる音ばかり。
階段を確かめる。外観どおりなら三階で終わりだ。
(3階建ての校舎やからこの階に巣があるはずや)
——三階へ。廊下は「5−1」から「6−2」まで四教室、さらに図工室。どこも人体・骨格のオンパレード。(やっぱり“系統”が違う) ……そして、あるはずのない上り階段。白濁したもやが段を包みながら、確かに“上”へ続いとる。
(ここや。ここが学校側の“巣”。嫌な気配、びんびん)
背中を冷たいものがなでる。撤退を決める。「十分見た。今は持ち帰るんが仕事や」
見張りの額をやりすごし、白線を頼りに階段を下る。音を殺し、体温を沈め、一段ずつ。——一階。障害物はほとんど撤去済みで、団体が通れる口ができている。
指揮を取っている馬場隊長を見つけ、声をかける。
「馬場隊長、戻りました」
「ご苦労。で、上は?」
「……右も左もスリラーだらけです。廊下には“監視”がいて、見つかったら教室の三十体以上が雪崩れ込む形になります。階ごとに四教室……百はくだらないかと」
「む……数が想定より多いな」
「あと、本来ないはずの四階への階段が。白いもやに包まれてました。嫌な気配が強かったんで、恐らくそこが巣かと」
馬場隊長は短く目を閉じ、頷いた。
「そうか。斥候ご苦労だった。情報は十分だ。……少し考えをまとめる。その間、本部テントで待機してくれ」
「了解です」
校舎を出る途中、グルマーが視界に入る。机を六つ、束にして持ってた。(どう持ったら六ついけんねん……)
テントへ。受付の局員に報告を落とし込み、額の“見張り”、教室の規模、三階の“もや階段”まで伝える。喉に残ったワックスの匂いを水で流しながら、胸の奥で一度だけ息を深く吐いた。
本部テントの無線がうなる。「応援要請——至急、追加戦力を回せ」と本部。
隣で局員が僕の口述を手早く清書していく。僕はもう一枚、指で示した。
テントの局員が、僕のまとめた報告を紙に落とす。そこへ僕は一言添えた。
「それと……神殿から“視線散らし”の術が使える人を一人。僕の知っとる神官が適任です。布施 祈さん」
「個人指名、理由充分ですね。こちらの増員枠に加えます」
局員は頷き、書類をまとめて別の若い局員へ。若いのが「行ってきます!」と封筒を抱えて駆け出した。
(往復で……二時間。間に合えば心強い)
無線がまた鳴る。「一階、完全クリア。——それと、加賀谷がいるなら呼べ」
「聞いてました。出ます」
テントの出口で「お気をつけて」と声が飛ぶ。僕は小さく礼をして、校舎へ。
昇降口は机と椅子が端へどけられ、導線が太く通っている。そこに待っていた馬場隊長が、腕を組んで振り向く。
「加賀谷。校舎側は応援を待って明日仕掛ける。——だが蜘蛛の“巣”がまだ見つからん」
「候補は?」
「体育館だ。裏手にある。入口は五カ所。全て同時に突入、内部の蜘蛛を散らして各個撃破。その後、巣を包囲して封鎖する。今から作戦会議だ。参加しろ」
思い出す。裏門の横に、どっしりとした体育館があった。
「やります」
馬場隊長が顎をしゃくる。「ついてこい」
隊長の背を追って体育館前へ。砂塵の中にざっと五十名。
「班長、前へ!」
人垣が割れて、盾持ちの大男、ローブの女魔法、落ち着いた顔の男魔法、僧侶の男、小柄で目の鋭い斥候ふう——五人が進み出る。
馬場隊長はどさりと腰を下ろす。「ここで会議だ。座れ」
車座に七人。馬場隊長が口を開く。
「戦闘班は五名六組、それぞれに神殿班と工作班を付ける。正面入口は広い、二班構成で叩く。今日中に巣を潰す。……加賀谷、お前はコンビだったな。原隊復帰した三名を付ける。他の戦闘班は後詰め。質問は?」
ギョロ目がすかさず口を挟む。「加賀谷って若造に任せて大丈夫なんですかい?」
馬場隊長の目が細く光る。「実績は充分。三階まで斥候を任せられる人材だ。問題ない」
「だといいですけどねぇ」——ギョロ目は鼻を鳴らす。
魔法使いの女が肩をすくめた。「他に指揮できる人がいないならしょうがないでしょ」
僧侶や大盾も似たような調子で頷くだけ。信じ切ってはいない。
馬場隊長が一括。「各員、班員を集めて準備しろ。準備が整い次第、一斉突入だ。正面は俺と浅田。右手前は影山、奥は館山。左手前は前田、奥は加賀谷。神殿班の振り分けは宮田に任せる。動け!」
班長たちが散っていく中、馬場隊長が僕に声をかけた。「加賀谷、待て。班員を紹介する」
連れてこられたのは三人。
逞しい腕の戦士・尾関。
黒髪の魔法使い・松尾。
金髪を束ねた女魔法使い・村田。
「この三人を加賀谷班に回す。指揮に従え」
「了解っす」「よろしくお願いします」「……全力尽くします」
それだけ言って、馬場隊長も自分の班へ向かう。
その入れ違いに————ドス、ドス、と甲冑の足音。
「遅れて申し訳ないで御座る!」
グルマーが合流。相変わらず鉄の山、でも声色は少し弾んでる。
「凪殿、拙者も加わる。先頭、任せてくれぬか」
「当然や。グルマーは頭で壁、僕が影から掃除。——尾関さんはグルマーの肩越し、刺し込める間合いだけ前へ。松尾さんは魔法でスリラー除去を、村田さんは風で糸を払う。合図は言葉でいく。“前進”“停止”。間違えんように」
三人がそれぞれ頷く。
「はい」「わかった」「了解」
僕は体育館の平面図を膝に広げ、鉛筆で左奥の動線を太くなぞる。
「入ってすぐに広いはずや。散らして各個撃破が全体の作戦や。——巣は中央か、ステージ裏。包囲合図が入るまで深入り禁止。僕らは、持ち場の蜘蛛を引きつけて倒せるだけ倒す。」
「承知」「了解」「はい」
グラウンドの風が、汗の塩をさらっていく。
(校舎は明日。今日は蜘蛛を落とす。戻る道は太く。誰でも踏める)
僕は立ち上がった。
「——左奥、準備。行くで」
「おおとも!」「行けます」「任せて」「……やる」
鉄と革と布がいっせいに擦れて、僕らの班が体育館の陰へ滑り込んだ。
土の匂いが混じった風が、体育館の壁をすり抜けて頬を撫でた。
暫くすると、後詰の伝令が砂を蹴って駆けてきた。肩で息をしながら、腰の時計を一瞥する。
「十四時ちょうどに突入。——あと五分!」
「了解」僕は短く返して、扉の取っ手に触れない位置で立ち位置を微調整する。汗が掌に薄く出てる。呼吸は、細く、長く。(いける。頭は静かや。やることは決めてある)
「よし」僕は小声で切り出す。
「配置、確認するで」僕は声の高さを落として順に見る。
「前は——グルマー、尾関さん。惹きつけて、止める」
「承知つかまつる」グルマーは大盾を床にわずかに“とん”と置き直し、肩幅を半歩広げた。
「オッケー、任せろ」尾関は小盾の縁を親指で撫でて、剣の柄を握り直す。喉仏が一回だけ上下した。
「その間に、松尾さんと村田さんの魔法で一気に削る。倒せるだけ倒す。」
「冷気、敷きます。蜘蛛だけを一気にね」松尾は吐息だけで返事して、指先で空気の温度を揃えるみたいに動かす。
「風で糸を剥がす。視界が濁ったらすぐ言って」村田は護符を人差し指で弾いた。紙がかすかに鳴る。
「僕は遊撃。未発覚の一撃と、取りこぼしの刈り取り。——白(前進)かかったら一気に行くで」
四人分の「了解」が、色の違う音で重なった。
じわじわと、緊張がこの小さな空間の温度を上げてくる。埃の匂い、ワックスの甘い匂い、鉄の匂い——全部が濃く感じる。心臓は早くない。ただ、強い。
そしてグルマーは……饅頭を口に押し込んでいた。
鎧の隙間からもぐもぐ音。思わず苦笑して、でも少し安心した。(落ち着いてるようで何よりや)
伝令が戻ってきて指を二本立てる。「あと二分!」
「水、要る人?」松尾が囁く。
「拙者は大丈夫で御座る」グルマーは——ぱくっ。「今のうちに補給」
「まだ饅頭いけるんか」
「緊張は糖で鎮まるので御座る」兜の奥で、ほんの少し笑った気配。
尾関が小さく吹き出して、その分の硬さが一枚、剥がれた。
伝令が親指を折っていく。「あと一分」
僕は靴紐の結び目を一度だけ指で確かめ、苦無の重さを指先で量る。金具の冷たさが、逆に落ち着かせる。(足は軽い。影は近い。——怖さは、そこにある。でも薄められる)
「準備はええな?」僕は問いかけた。
「おう!」グルマーは饅頭をパクリ、丸呑み。
尾関は剣を抜き、松尾は杖を構え、村田は口元で呟きを止める。
伝令「三十秒——二十——十……九、八、七——」
(今の自分を、信じろ。見つからんまま、見せる。返す)
「六、五——」
グルマーが盾の角度を五度落として、視界を僕に合わせる。「凪殿。背は任されよ」
「後ろ気にせんと刈り取ったるわ」
「うむ」
尾関が剣の切っ先を、呼吸に合わせて半呼吸だけ下げる。
松尾が詠唱を、声の出ない声で舌の奥に用意した。
村田の護符が、風の匂いをほんの少しだけ前に押す。
「——三、二、」
(やるぞ)
「一!」
「突入——前進!」
扉が、内側に向かって、音を殺して開け放たれる。
涼しい暗さと、糸が擦れる微かなざわめきが、一気にこちらへ流れ込んだ。